12-②

とまれかくまれ、こうして教室には俺と相原だけが残された。こうして向き合わなければいけない問題が目の前に来るとどうしても他のことに気を散らしたくなって、不思議と感覚が研ぎ澄まされてゆく。練習時間が終わったのだろうか、いつの間にかグラウンドからの声は聞こえなくなっていて、静寂が俺と相原を包んでいた。さっきまではそうでもなかったのに、左手がじんじん、右手がずきずきと痛みだす。ただ、相原は決して俺がこの教室と彼女の追求から逃げ去ることを許してくれない。

「どうして、松島くんがここにいるんですか」

「いや今回はほんとにたまたまなんだって。職員室まで企業見学のレポートを出しに行った帰りにお前と誰かが話してる声が聞こえてきたんたんだよ。その後盗み聞きしちゃったのは素直に悪かったとは思ってるけど」

「なん、で……」

 俺の言い訳を遮る形で相原は詰問を続ける。

「なんで、こっちに来るんですか。どうしてここまで距離を置こうとしても関わり続けようとするの。私は二人に迷惑かけたくなくて、二人を守りたいからこうしていたのに、なんで、なんで……」

徐々につくっていたよそよそしい態度は剥がれ落ちていく。彼女の声には時折嗚咽が混じって、とぎれとぎれ。最後の方はもう言葉の形をとっていない。感情の糸で紡がれた言葉が口から出てくることはなく、糸のまま次々と瞳から零れていく。言葉にならずに落ちていったそれらは、沈みゆく夕日と迫りくる夜が織り成す夕闇の中で粒子となってただ溶けていくばかりで、俺のもとには届かなかった。それなら、まずは形をなしているこっちから伝えてしまおう。

「相原」

俺が名前を呼ぶと、彼女は顔を上げた。真っ赤に充血して潤んだ瞳に瑞々しい唇。頬は紅潮していて鼻を啜っている。純朴という言葉がぴったり当てはまりそうな少女がそこにいる。

ああクソ、次会話するときがあったらガツンと一発言ってやろうと思っていたのに、今の顔を見ていたらその気も失せちまった。どうしていつもそうやって俺がどうしようもない表情を作るんだっての。卑怯だぜ全く。俺は頭をぽりぽりと掻きながら言葉を探す。

「いや、もう少しよく考えろよ。お前がそう思ってんなら俺らもそう思ってるに決まってんだろ。お前だけが俺らを気にかけてるなんて謙遜を通り越してただの傲慢だ」

 どうもいかんな。いろんな感情が織り交ざったせいで言葉にしやすい単純な感情が先行してしまう。少し強く言ったこともあって、相原もびくっと肩を震わせた。俺は構わず言葉を続ける。

「お前が俺らを助けたい、危険な目にあってもらいたくないって思うのと同じように俺らもお前のこと助けたいって思うし危険な目に遭ってもらいたくないんだ。それに迷惑かけたくないって言うけどな、人間生きてりゃ誰かしらに迷惑かけるんだよ多分。それが知らない他人に感知しないところでなのか、知り合いに自覚しながらくらいの違いしかない……んだと思う」

 冷静になれば何言ってるかよくわからないし、知り合いじゃないと言われてしまえばそれまでだ。ただ俺は相原とこれからも仲良くやっていきたいがために詭弁を弄しているだけ。それが自分で自覚できちゃうくらいには今やってることが恥ずかしい。まぁだから「俺ら」って主語を若干大きくして責任の分散を図ってるんだけれど。

「他人に迷惑かけてしっぺ返し後で食らうんなら知り合いに迷惑かけてなあなあで流しちまったほうが良いんだよ。俺はそうやって生きてるんだし」

 心の中で迷惑かけっぱなしの幼馴染を思い返しながら一旦言を止めて相原を見据える。

「少なくとも俺は相原にならどれだけ迷惑かけられてもいいて思ってるし、梨紗もそうだと思う。……だからもう、俺らの前から理由も告げずにいなくなろうとすんな。……契約とか抜きにして、俺はお前と仲良くしたいんだよ」

 そこで言葉を切って、もう一度相原の吸い込まれそうなほど大きな瞳を見据えた。

「ほん……とに……?」

「あぁ。嘘ついたら住所公開してもいいぞ」

「ひっ……う、う……、ぐすっ…松島くん……助けてくれてありがとぅ……怖かった、殺されるかと思った……ひぇぇぇぇぇーーーーん……」

 場を和ませようとした冗談を華麗に無視して、相原はぐじぐじと泣き出した。

「いや、別に殺されはしないだろ……」

「だってあの先輩たち見た目怖いし、ほんとに限界だったんだよぉぉぉぉ……ぅぅぅぅぅ……」

 堰を切ったように声をあげて涙を流す相原は、俺に走り寄るなりぎゅっと抱きついてきた。おいやめろせっかくいいシーンなのにおっぱい柔らかいなとか考えちゃうだろが。鎮まれ俺の男子高校生的野生~!!!!!

 でも、こいつもこいつで、自分なりに頑張っていたのだろう。小さく肩を震わせる相原の頭を撫でるなり肩をさするなりしようと手を伸ばした矢先、片方は血まみれでもう片方は捻っていることを思い出す。なんなら右手は力を入れるだけで呻きそうなほど痛い。え、骨までいってないよな……。流石にそこまで軟弱じゃないと信じてる。

 というわけで俺は初めのうちは身をよじるなりして脱出を試みたんだが、相原がぎゅっと俺を掴んで離す気配をみせない。しだいに抵抗する気もなくなってどうしようもないので、なすがままにさせる。この状況で何もできないの、なんかカッコつかないなあ……まぁしかたないか。もうどうにでもなれ……。


相原はほとんど泣き終えたようにも見えたがしばらく離れる気はなさそうだった。そのままの体勢でぽつぽつと言葉を投げていく。

「私ね、一人っ子で両親が共働きなの。お父さんはアメリカに行ってて、お母さんはいつも泊りがけで頑張ったりしてる。昔は転勤も多かったんだけど最近落ち着いてきたみたい。二人とも仕事が大好きなんだと思う。おかげで不自由ない生活はさせてもらってるけど……」

 俺の制服に顔を埋めながら相原は話し続ける。胸のあたりがもぞもぞしてこそばゆい。あと吐息を服が吸って熱を帯びている。これマジで恥ずい。本読んでるときにこの描写出てきたら本投げて足をばたばたさせるレベル。そうならなければそれは書いてる人の表現力不足で間違いない、とどうでもいいことを考えていないと本当にどうにかなってしまいそうだった。

 そんな俺の苦脳などつゆ知らず、なおも相原は話し続ける。

「だから、私はいつも一人。せっかくできたお友達もいろんな理由ですぐに離れちゃって。『手紙絶対書くからね!』って言ってくれた子たちも、何回かやりとりした後にぱたっと止んじゃった。あとは何となく昔手紙送ってくれたお友達見つからないかなーって思って『ゆめこ』のアカウントを作って……まぁ後は前に話した通りかな」

 いつぞやの授業をさぼった時のことを思い出す。そういえばあの時もこいつの寂しげな様子にいろいろ考えさせられたのだったか。今の言葉の裏にも孤独をひしひしと感じさせる。きっと相原は俺が感じ取った孤独に常に晒されてきたのだろうか、なんて考えてしまった。

「なるほどなあ……」

 相槌を打ちながらも、俺は考える。彼女はきっと、初めての状況にどう対処すればいいのか分からなかったんだろう。それでこれまでと同じように、いや今回は強制的にだけど、関係を断つことを選択したってわけね。

これじゃあ怒るものも怒れねえや。今回ばかりは不問にしてやるよ。ただ、それにしたって言っておかなければいけないことはいくつかあるだろう。

「さっきも言ったけどさ、俺も梨紗もお前ともっと関わっていたいんだ。理由はうまく説明できないけどさ、何となく仲良くできると思うんだよ。だからさ、できることからでいいから俺らのことをもっと頼ってくれ」

 我ながら気持ち悪いな……と思った。まぁ、たまにはこういうのもいいんじゃないかな。自分の頬が熱を帯びていくのを感じる。あー、身体が汗ばんできたわ。風邪か?いや違うか……。

「沢山迷惑かけてもいいの?」

「沢山は言い過ぎたけど……まぁ、うん」

「いつでもかまってくれる?」

「余程いそがしくなければな」

「メンヘラになるかもよ」

「既にメンヘラっぽいアカウントだったじゃん……」

「それもそうだ……」

「だから、これからもよろしくって感じだ」

「うん……わかった……」

 相原はようやっと顔を俺の身体から離してにこっと笑う。頬に茜が差しているのは夕焼けがそうさせているのか、自分をさらけ出してしまった羞恥からか、それとも……。

 いかんいかんいかんいかん。変な気分になってきた……。事件の後。夕暮れの教室。目の前には恥ずかしそうに目を伏せる相原。ラブコメシチュエーションとしては完璧。人間は五秒目が合うと一目ぼれと錯覚するらしいけどこのシチュエーションは何分続くと恋と錯覚するんですかね、そろそろマジでやばいんですけど……。

「あんたたちなにしてんの……」

 謎の雰囲気に包まれていた俺らを外側からぶち破るように突然教室の外から声をかけられて、相原がぱっと俺から離れた。二人してゆっくり声のした方を向く。そこには梨紗が啞然とした表情で立ち尽くしていた。っべー……梨紗を教室で待たせてたんだった。俺が戻ってこないのを心配して様子を見に来てくれたのだろう。いや、ひたすらに申し訳ねえ……。どう謝ろうかと考えつつ、とりあえず両手を上げて抵抗の意がないことを示す。

「いやまて、これは全面的に俺が悪いし無条件降伏を受け入れる、ただそのまえに̶̶ 「ちょっと雄太その怪我なに、どうしたの」

 みなまで言い終わらないうちに梨紗はこちらに歩いてくる。ううっ……これがダウンフォール作戦か……ん?怪我?そう思ってあげた手をちらりと見ると、時間が経って血が赤黒く固まっていて、痛みはあまりないものの一層グロテスクに見える。あ、そういやこれずっと放置してたな……。痛みになれちゃって若干忘れてたわ。

 梨紗はぱっと俺の手を取り、しばし検分する。あの、右手動かすと痛いんでむやみに触らないでもらえますか……。

「はあ……。とりあえず雄太は保健室。部活中の怪我に対応するためにまだ開いてるはずだから手当を受けてくること。私と夢乃はこの教室かたしてから校門で待ってるから」

「お、おう……」

 半ば強引に教室から締め出された俺は、廊下にぽつねんと取り残された。まぁどうしようもないしとりあえず保健室に行くか……。

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