11

 翌朝。寝坊した。あはは。あははじゃねえよ。時計を見て現実を知った俺は絶叫しながら飛び起き、大急ぎで準備する。

「うおおおおお!ギリギリ間に合うか?いや間に合わせる!」

「お兄ちゃんうるさーい!」

「雄くん近所迷惑だから静かにしなさい」

 妹と母さんからの冷たい目を黙殺して自分史上最速でバス停に向かった。エクストリーム出家選手権が世界に存在するなら世界新記録出してもおかしくない。出家しちゃうのかよ。

 冗談はさておき、割と本当に全力で走ってちょうど出発せんとしていたバスに飛び乗った。こんなに走ったのはいつぶりだ?中二の時校内鬼ごっこやったときか?あれ超怒られたな。特に隼人が。

制服のポケットからスマホを出して、時計を見る。七時半か。ふぅ……ギリギリ間に合いそうだ。ほっとため息をついてあたりを見回せば、幸い乗っている人も少なく、騒々しく乗ってきた俺は白い目で見られていることもなかった。八時現地集合、早すぎるんだよな。千葉からの距離を考えろ距離を。と学校への不満を垂らしつつ空席へ足を進めると、突然別の足が伸びてきて俺の足を掬ったので、危うくすっ転びそうになった。

「っぶねぇな……何だよっぉおっとぉ………」

危ねえだろ、という文句は途中で行き場を失い、歌舞伎の台詞みたいになってしまった。まぁ、足が出てきたほうに大層不機嫌そうな表情で俺を睨めつけるお決まりの少女がいたからなんですけどね。

「ん」

 なおもそいつ……いや、梨紗は俺を見ながら、窓際へとずれて自分の隣を指さす。どうやら座れということらしい。これもうほとんどヤクザでは?今さら無視するのも気が引けるので、俺はおずおずといわれるがままに隣りに座った。

「……」

「…………」

「…………………………………」

 無言。ひたすらに無言である。小刻みにがたがた揺れる車内では、エンジンの駆動音と、無機質なアナウンス、それにくぐもった運転手さんの声だけがやけにうるさく響いている。俺は頬杖をついて、時折家々の合間から漏れる眩い朝日が金属製の手すりに照り返るのをぼうっと見ていた。肝心の彼女だけは音を立てる気配すらない。

いや、え?なんで隣に座らせたし。チラチラと梨紗の方を窺ってみても、反応なし。どうしようもないので、今度は上方の広告に目線を移した。目を瞬かせる速さだけが加速度的に上昇してゆく。昨日の別れ方が別れ方だったのもあって、気まずさが基準値を大幅に超過している。これはトライアスロンの会場も変更せざるを得ないレベル。そうやって必死に気を紛れさせていると、三つ目のバス停を過ぎた辺りで訥々と梨紗は言葉を紡ぎ始めた。

「昨日、雄太と別れた後に夢乃に会った」

 唐突に出されたその名前に、俺は安堵を覚えた。なんだ、梨紗とは会話してんのか。

「なにあれ。なんで敬語なの。マジむかつく。チッ……思い出しただけでイライラしてきた」

 ……あちゃ~ダメか~。イラつく梨紗を見て俺は頭を抱えた。おっといかんいかん。このままだと梨紗がイライラするばかりで話が進まないことを察したので、それとなく続きを促す。

「でもやっぱり不思議だよな。この前まであんなだったのに昨日から突然だぜ」

「私も不思議でたまらなかった。正直雄太が変なことしたとしか考えられない」

 きっとこちらを睨むその眼力はすぐに弱まって、梨紗は視線をそっと足もとに移した。

 ぽつりぽつりと、梨紗は昨日相原に言われたことを話していった。相原と俺が話していないのは俺が悪いとかじゃなくてもともとそうだったからだ、とか、この前は買い物に付き合っていただけ以外の何物でもない、とか。浮気相手の言い訳かよ。

心なしかいつもよりも口調があどけない。怒っているというよりかは少しだけ拗ねているように思えた。

梨紗が聞いた話を一通り聞いたところでちょうどバスが駅に着いた。いや正確には駅の手前で降ろされるんだけど。ロータリーで降ろしてくれよ。津田沼駅狭すぎか。

バスを降りて、なおも梨紗の話は続く。いやまぁどうせあと一時間は一緒なんですがね?

「別に雄太が夢乃と遊びに行ったのを怒ってたんじゃない。わ、私にそんな拘束力ないし……。ただどうしてもその日以外ダメ、とかじゃないなら誘ってほしかった」

 言いつつ梨紗は俺の腕をペンでつつく。いつもペン常備してる系女子なん?それはちょっと流行らないと思います。

「まそうだな……今はその理由を話せる状況にないというか企業秘密というかまぁ来週中には言えるかなって感じなんだが……」

 これで許してもらえないだろうか、と梨紗の方を見る。流石に本人にプレゼントを選んでたのが事前にばれるのは、いくら幼馴染とはいえ男子高校生的に示しがつかないので……。

梨紗は暫し訝しげに俺を見つめ、やがて観念したようにため息をついた。

「ん。わかった。それで許したげる。それと……私も理由も聞かずに怒ってごめん」

「いいよそれくらい。なんてったって幼馴染だからな」

「なにそれ」

 おかしげに梨紗が笑った。やっぱこうしているときが一番いいなと思う。てかこういう話って基本帰りながらするもんだよね。今、朝なんだけど。まぁいいか。

「あ、そういえば昨日謝ったときに許してくれなかったのは?」

「誰がどう見ても夢乃のこと考えてたからに決まってるでしょ。その件はまだ許してないから」

「え……やっぱ俺ってめちゃくちゃ顔に出るタイプか……」

「今まで気づいてなかったわけ……」

 肩を落とす俺を半ばあきれ顔で見ていた梨紗は、数瞬だけ思案顔になってからウインクしつつぴっと人差し指を立てた。

「まぁ……だからこっちの件は夢乃のことがひと段落するまで保留にしとく」

 なんだこいつあざといな超機嫌いいじゃん、と思ったのも束の間、その表情は消えてゆき、打って変わって真剣な表情となった。

「その代わりあいつからちゃんと理由を聞き出すこと。……もしその後話すことが出来なくても、私は受け入れるから」

「……ああ。わかった」

 そっと目を伏せた悲しげな梨紗の顔に誓った。こいつもこいつで、相原のことを少なからず好いていたんだと思う。他人に感情をみせない梨紗が、数週間であれほどたくさんの表情を相原に見せていたんだし。それに、そんな悲しげな顔、誰だってあまり見たいもんじゃないに決まってる。

 ああ任せろ、と口に出すのは少し恥ずかしかったし、俺はそこまで楽天家でもない。だから、差し当たってはさっき気付いた事実を教えてあげるとしよう。

「とりあえず……そろそろ急ごうか。俺ら、このままだと遅刻だ」

「……バカッ!!!!!!!!!」

すっと携帯を見せると梨紗はキレながら走りだす。忙しないやつだなあ。まぁこいつ優等生だからもんなぁ一応。もし遅刻したら俺のせいという体で言い訳してあげよう、なんてどうでもいいことを考えながら、俺は梨紗の後を追って発車メロディーの鳴り響くホームへ駆け下りた。



「ふぅ〜、ギリギリセーフ……」

 津田沼から途中でメトロに乗り換え、電車に揺られること一時間と少し。電車を降りるやいなや全速力で駆け出した俺らは、なんとか集合時間の数分前に集合場所へ到着した。

それにしても道ゆくサラリーマンがえらくインテリそうで、千葉と違うように見える。決して千葉が下というわけではないしインテリが上というわけでもない。会話にカタカナ語使われたら途中で話す気なくなると思うし。いや断じてカタカナ語の意味が分からないとかじゃないですよ?

「あ、二人とも来た来た!危なかったね〜」

 俺らを見つけた歩がとことこやって来る。可愛い。

「おう歩、おはよう。ギリギリだったわほんとに。……あれ?隼人は?」

「ご想像通りって感じだと思うよ……」

「また遅刻かよ……」

「あはは……。あ、でも西木さんまで遅刻寸前なんて珍しいね。いつもは集合時間の一五分前には着いてそうなのに」

 む、言われてみればそうだな……と思いつつ梨紗を見てみれば、何やら下を向いてぷるぷると震えている。……お手洗いかしら。まぁそんなデリカシーに欠けた質問はできるわけもなく。オブラートに包んで聞いてみる。

「なに、どした?」

「なんでもないッ……!」

 梨紗はきっとこちらを睨んでから、俺のむこう脛に蹴りを一発入れてぷいとそっぽを向いてしまった。何か怒らせるようなことしたかな……と思いながらじんじん痛む脛をさすっていると集合時間を過ぎたらしく、引率の先生(片方が里穂ちゃんだった)の点呼が始まっていたのでそちらの方へ行って到着した旨を知らせた。

「来てないのは沢木くんだね〜?まったくもう!ぷんぷん!先生はここで沢木くんを待ちます!他の皆さんは安井先生についてって先に入ってね〜通勤の時間帯なので人が多いです!他人の邪魔にならないように!」

 点呼を終えた里穂ちゃんがぷんすこ怒りながら、来ている生徒に今後の予定と諸注意を告げる。ぷんぷんと口に出す二〇代教師、アリだと思います。もしも俺が大学を卒業して、まだ里穂ちゃんが結婚してなかったら求婚するか。

 引率の先生について行き、オシャレな広場からビルのエントランスへ向かう。赤レンガで舗装された広場が俺らの目を引きつけた。おぉ、すげえ洒落てんな……。これがインスタ映えってやつか。ツイッターしかやってないから知らないけど。てかインスタ映えならモリシア津田沼前のクリスマスイルミネーションで事足りる。正確には今はダイエーモリシアなんですけどね。

エントランスに入ると、そのままエレベーターに詰め込まれた。曰く十数階にあるらしい。閉じ込められること数十秒、到着を告げる音ともに開いた扉から吐き出された。

おお、と思わず声が漏れた。すごい意識高そう。めちゃくちゃオシャレ。ヨーロッパのモデルルームって言われても信じるまである。

そんなオシャレスペースを過ぎて会議室じみたところへ通されてから少しすると、会社の成り立ちや構成、事業内容に関する説明が始まった。そういえばこれレポート書いて翌日提出なんだっけな……。

俺は仕方なくペンを取り出してスクリーンを眺め、いかにも意識高そうな人が笑顔で喋っている内容をつらつらと書き留めていく。ふむ。基本無料で入会費を払えばさらにいろいろできるようになると。へぇ。とてもすごいとおもいました。

いや、流石にこれじゃダメか……とは思いつつも、五分を過ぎたところで説明に飽き始めてしまった。最後列に座ってしまったのでそもそも熱心に聞く気はないんだけど。とりあえず適当に辺りを見回してみる。暇なときは脈を測るか、人間観察をするものだと相場が決まっている。前に本で読んだ。

梨紗は前の方で熱心に聞いては時折ペンを走らせていた。感心感心。歩は少し後ろに座っていて、船を漕ぎつつも必死に眠気に耐えている。かわいい。

後ろでかすかに音がしたのでちらりとそちらを向けば、里穂ちゃんが隼人を連れて入ってくるのが視界の隅に見えた。俺の隣が空いてるのを見るやこちらに来ようとしたんだけど、里穂ちゃんが首根っこを掴んでずるずると自分の隣へ連れて行った。隼人が心なしかうれしそうなのが気持ち悪い。あいつドMだったっけ……。

視線を眼前のスクリーンへ戻そうとする途中、綺麗な琥珀色が目に入る。ああ、そういや相原と同じ班なんだったな。この後いくつかの班に分かれてオフィス内を見せてもらえるんだっけ、と考えながら、遠目にその横顔を見る。……大丈夫かあいつ、超寝不足みたいな顔してるけど。クマすごいぞ。

「……という経緯で今の形態になっているんです。では説明はこれくらいにして、次はオフィスの中を見学してもらいたいと思います」

 そうこうしているうちに説明が終わってしまった。っべー……何も書ける気がしねえ。後で梨紗に土下座しないと……。


 おおよそ一〇人前後の班に分かれて見学するため、少しの時間差を置きながらめいめいが会社の人に先導されて部屋を出ていく。俺らの班は俺、隼人、歩、梨紗、相原と、別クラスの四人。どうも最後の出発らしくて回っている最中にほとんど他の班に会うこともなかった。てか人をダメにするクッション使いながら仕事できるん?将来あれに座って仕事を出来る気がしないので普通の企業に勤めようと思います。

 そんな益体もないことを考えているうちにどうも歩く速度が落ちていたようで、班の中で一番遅れていた。少し急がないとな̶̶

「松島君」

「はひっ⁈」

突然後ろから声をかけられて、俺は飛び上がった。恐る恐る振り向いてみると、そこには相原が穏やかな微笑を湛えて立っていた。

「ふふっ。何を驚いているんですか?」

「いや、まそりゃなあ……」

 不気味なほど穏やかな相原の問いかけに、俺はしどろもどろになって返答した。いやな感覚がする。なんでそんな儚げな顔をするんだ。どうして困り笑いを浮かべるんだ。背中につうっと嫌な汗が流れる。相原が次の言葉を繰り出すのを防ごうと必死に話題を、言葉を探すけれど、相原はそれを待ってくれない。

「松島君に伝えておこうと思っていたことがありまして」

 相原は一呼吸おいてからゆっくりと切り出した。

「私に友達を作ってくれる、という契約の期限は今日までのはずですよね。それの更新ですが…………更新はありません。契約は今日をもって終了となります。短い時間でしたがありがとうございました」

 

 その無機質としか言いようがない事務連絡じみた一言が発されるまでの時間は、とても長いように感じられた。本当は数秒に満たなかったのを自分に長かったと言い聞かせただけかもかもしれないし、もしかしたら一分ほどあったのかもしれない。ただ、予想出来ていた半面、一番聞きたくない言葉であることに違いはなかった。

「な……ん……」

 言葉にならないうめき声しか出てこなかった。正直言って、結構うまくいったと思っていたんだ。相原と梨紗は仲良くしていたし、何よりもあの帰り道で見た笑顔が嘘だなんて絶対に思いたくなかった。相原は俯き加減で、そして懐かしい口調で殊更優しく告げる。

「正直に言って、この一ヶ月間本当に楽しかったよ。私って昔からこんな感じのコミュ障だからさ、松島君の何でもかんでも顔に出ちゃうところは逆に安心して接せられたし、こんなに楽しかったのは多分……ううん、絶対に初めてだった。梨紗ちゃんも優衣ちゃんもすごくいい子で……」

 彼女はそこでいったん言葉を切って、潤んだ大きな瞳で真っ直ぐにこちらを見据える。

「でも、今のままだといけないの。うまく言えないんだけど今ちょっぴり立て込んでてさ、これ、たぶんしばらく続きそうなんだよね。自分の問題だから他人に迷惑はかけたくないし。だから契約はおしまい。明日からはただのクラスメイトってことでよろしくね!」

 それだけ言うと、相原は去っていき、曲がり角で俺らを探しに来たのであろう先生と鉢合わせて、何やら言い訳をしていた。あれだけ込み入った話をしていたのだから、大分時間を食っていたに違いない。

急ぎ足で駆けていく彼女の後ろ姿を眺めながら怒られない程度の、決して追いつけそうもない速度で進む。先ほどの言葉と情景はやけに鮮明に脳裏に焼き付いて、ちょっとした怒りとか、悲しみとか、寂しさとか、もどかしさとか、きっと他にもあるんだろうけど、そういう種々の感情がない混ぜになって心を満たしていく。

今吐露したい感情はなかなか言葉にできそうもないし、伝えたい相手もここにはいない。それでも、ただ一つ揺るぎようのないこの事実だけははっきりと口にできるから。せめてこれだけは独り言として言葉に固定してしまいたい。

「別れってのはもっと清々しい表情でやるんだろ。そんなに目に涙ためて嫌そうに言うんじゃねえよ……」



せっかく恵比寿に来て何もせずなのも癪なので、企業見学終了後に、俺らは恵比寿ガーデンプレイスで少し散策した。朝と比べて人は大幅に少なくなっていて、少し肌寒かった気温も昼になれば煌めく陽光が照りつけ、少し汗ばんでしまいそうなほどの暑さになっていた。

にしても恵比寿ってほんと都会だな。なんかガラス張りっぽい強そうなやつが上を覆ってる。なにここクリスタルパレス?万国博覧会開いちゃう感じ?東京は都会だべなあ……。オラさポケモンセンタートウキョウと鉄道博物館以外の東京さ行ったことないだ。まぁそのポケモンセンターは閉店して別の場所に移り、鉄博も今では敵国埼玉に渡ってしまったわけですが。ちなみに正確には後継というわけではないらしい。鉄道情勢は複雑怪奇。

それで、一通り周ってみて満足したので昼ごはんを食べることにした。場所は無論サイゼ。お金がないので。ってそれ千葉じゃん。サイゼどこにでもあるの本当にすげえな。ここから植民地政策を進めて千葉都構想政策を進めていずれは千葉都に…ならんか。ならんな。

 席について注文をし、ドリンクバーを取ってきたところでどっと疲れが押し寄せてきて、思わず大仰なため息をついてしまった。

「それで進捗は。状況は。計画は。戦況は。」

 そんな俺に容赦することなく向かい側の少女は矢継ぎ早に質問する。いやそれ全部同じだろ。

 種明かしをすると、相原と会話しているうちにまあまあ時間が経っていたらしくて他の生徒は全員解散になってたんだよね。相原はもちろんそそくさと帰ってくし残ってたのは俺を待ってた梨紗だけってわけだ。待たせたお詫び(にはなってなさそうだけど)にちょっと都会の雰囲気を感じながら散策した後に高級イタリアンで遅めの昼食を摂ってるってわけ。

……なんかいつもごめんね?俺が梨紗を待たせる金欠の甲斐性なしみたいになってるよね?心の中で謝っておく。てか隼人と歩はどこ言ったんだよ。デートか?おん?なめとんのか?歩とデートしていいのは俺だけだぞ。

 などと思っているとかつかつと苛立たしげに机を爪が叩く。ついでにつま先も俺のすねを叩く……いや蹴る。今朝のダメージが回復してないのでKO必至です許して!

 ただ、実際そうやって気を紛らわせていないと気持ちがずぶずぶと沈んでいきそうで、無理にでも気丈に振る舞っていたかった。もっとも、俺は顔に感情が出やすいらしいから梨紗はその辺も含めて全部気付いてるんだろうけれど。俺の扱い方わかりすぎでしょ。飼育員か。

 とりあえずため息で吐いた分の空気を大きく吸って、ぽつりぽつりと言葉を絞り出す。

「まぁ……なんていうんですかね……その……友達作ってあげるみたいな約束?してたと思うんですけど、もういいよみたいなこと言われちゃいましてね……」

「そっか……私も珍しく仲良くなれたと思ったんだけど」

そう言って梨紗は寂しげに笑った。目を合わせられなくて手に取ったコーラを飲もうとグラスに口をつけたが、ついさっき取りに行ったはずの中身はすでに飲み干してしまっていて、中では氷がからころと音を立てるだけ。いくら吸ってもコーラの甘味は感じられなかった。歯がゆさを感じて、思わずストローをがじがじ噛んだ。

店内は照明を絞っているのか少し薄暗くて、響く安っぽい讃美歌じみた曲と陶器と金属の擦れ合う音が、重苦しい空気をより一層引き立たてる。沈黙を破るように運ばれてきた料理を食べながら、俺はなんとか続きの言葉を紡いだ。

「まぁでも……相原は楽しかったって言ってたぞ。それは本心だったと思う」

「じゃあなんで……」

「一身上の都合?みたいな感じで言ってた」

「はぁ……?」

 梨紗は俺の言葉を聞くと今度は呆れたような声を出して天井を見上げた。そりゃそうだろ。俺にも全然わかんねえし。

「要するに転校みたいなもんだろ。本人はしたくないけどどうしてもやらなきゃいかん何かがあるんだろそうでもなければ昨日の今日でこんなことには……ん?」

 ん?ちょっと待て?なんだ?何か引っかかってるぞ…?俺は必死に記憶の引き出しを開けてここ数日の記憶の中を探す。突然考え出した俺を変質者を見るような目で梨紗が見ていた。

「……なに?突然。ついに狂った?」

「人を壊れかけのテレビみたいに言うな。いやなんか相原について心当たりがあった気がしたんだけd̶̶ 「それを早く言え!そしてとっとと思い出せ!雄太のバカ!おたんこなす!鳥頭!万年英語赤点!金欠!」

 梨紗は俺が言い終わらないうちに机を挟んだ向こう側から、胸ぐらを掴んで激しく揺さぶってきた。やっぱ俺のこと昔のテレビだと思ってるんですかね、いつも叩くし。てか今俺の英語の成績と金欠は関係ないだろ。英語はどうしようもないとしてそもそも金欠の原因は̶̶̶

「金欠それだあ!!!!!!」

「きゃっ!」

 思い出した!とばかりに俺は椅子から飛び上がって、逆に梨紗が驚いてしりもちをついた。恨めしげな梨紗の視線をスルーして、熱っぽい口調で先日の、ららぽーとのラーメン屋であった相原の変化など、事の顛末を告げた。もちろん、何のために行ったのかは伏せてあるけど。梨紗は一通り俺の話を聞いてから、口に手を当てて何やら考え込むしぐさを見せてから、ゆっくりと顔を上げた。

「どう考えてもそこが転換点じゃん。ばかじゃないの」

「う……」

 俺は言い返すこともできず、両手を上げて無条件降伏の仕草をみせた。エビス宣言受諾。

「しかしまぁ、そうは言っても何のメッセージだったかは皆目見当もつかないからなあ……」

「その時無理やりにでも聞き出せばよかったでしょ」

「いゃはぁ~」

 梨紗はつーんと横を向きながら、不機嫌そうにコーヒーを啜る。いやそうなんだけどさあ……。ほら、なんか不用意に踏み込んで嫌がられたりしたらあれじゃん?その日の夜は死にたくなるし、次の日は学校行きたくなくなるじゃん?とは口が裂けても言えないので、笑ってはぐらかした。てか俺の場合引きこもっていても梨紗に叩き出されそうだけど。

「ま、過ぎたことをいつまでも言ってるわけにもいかないでしょ。今更メッセージの中身も聞けないんだし。今すべきなのは夢乃を私たちなりに手助けしてあげることだと思うけど」

「とは言っても問題がわからない以上、見守ることくらいしかできんだろ」

 そう、今の俺達にはできることがないのが問題なんだ。一か月間一緒にいて案外互いのことを何も知らなかったのかも…いや俺のことはだいぶ知られたか。どちらにせよ俺と梨紗は相原のことを知らなかったのは変わらない。俺のパッとしない返答に梨紗はむっとしている。

「じゃあどうするの」

「なんとか相原に関わり続ける……とか」

「きもちわる……」

「と、とりあえず今日のところはどうしようもないだろ。少なくとも明日になって相原に会ってからじゃないと作戦も何もない」

 今の言葉が気持ち悪いことは自覚してたけど、改めて梨紗に睥睨されながら言われると恥ずかしくなってきたので、顔を背けながらレシートを持って颯爽と立ち上がる。

「奢り?」

「すいません調子乗りました今お金ないんです……」

「いや、いつもないし……」

 おっしゃる通りです。いつもないっす。音速で平身低頭になる俺を見ながら、梨紗はあきらめ顔で笑ってゆっくりと腰を浮かせた。

「まぁいいや。時間もちょうどいいし、そろそろ帰ろ」

相槌を打ちながらちらりと時計を見れば、四時を少し回ったところだった。帰宅ラッシュに巻き込まれないためにはこれくらいの時間に帰ったほうがよかろう。

なにせ千葉は遠いのである。今から帰っても津田沼駅着が五時半前、家に着くころには大分日が傾いているはずだ。リニアモーターカー建設するならまず千葉~東京間を走らせるべき。朝の東西線もひどいけど京葉線に至っては毎日駅員さんが電車に乗客を押し込んでいるらしい。何それ出荷?家畜なんですかね……。まぁ社畜と韻踏めるし同じようなもんか。いや嘘です。全然違います。いつもありがとう父ちゃん。お仕事頑張ってね。

あと、東京駅は京葉線ホーム隔離するのやめて。千葉人は東京に攻め入ったりしないから。京葉線に乗ってる治安悪そうな人はほぼほぼ横浜からネズミの国か葛西臨海公園に遊びに来る輩である。これは間違いない。何故なら大体の千葉県民は逆方面の電車乗るからな。そもそも車移動の方が多い可能性すらある。

そうやって一人で千葉県とその周辺都市の交通事情に思いを巡らせていると、若干引いたような態度をとる梨紗がいた。またオレ(以下略)

「何一人でぶつぶつ言ってんの……雄太すっっっごく気持ち悪い…………………」

 おっといかんいかん。思わず声に出してしまっていたらしい。禁断症状かな、早く故郷に帰らなければ……。

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