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海沿いの小高い丘に造られた公園。時は夕暮れ。海に沈む太陽が朱色に染め上げた海面は、キラキラ照りながら揺らめいている。芸術的な風景を背に、俺は今、目の前の女の子に告白をしようとしていた。

彼女の名前は夏帆ちゃん。とあるSNSで知り合って何度か会っているうちに好きになってしまった女の子だ。まず可愛い。ついでにおっぱいがでかい。しかもそれでいてスキンシップが多いし、目が合うとにっこりと微笑みかけてくれる。もうこれ絶対俺のこと好きだろ、と確信を得た俺は、デートの後に告白することにしたんだ。

「夏帆ちゃん、俺……俺さ、夏帆ちゃんのことが……」

緊張から言葉を詰まらせる俺とは対照的に、夏帆ちゃんは単調で、ともすれば多少突き放すような口調で俺が告白を終える前にその返事を告げる。

「夏帆ちゃん?誰それ。あー……私そんな名前でキミと遊んでたっけ。ごめん!今までの思わせぶりな態度とか、ちょっと多めのスキンシップとか、全部演技。夏帆ってのは偽名だし、ただ貢いでもらってただけなんだよね」

「ほ?」

変な声が口をついて出た。夏帆ちゃんの言葉を聞いた俺はさぞかし世界で一番呆けた顔をしていたことだろう。いや……え?そんなバカな……。

「そ、そんな…………。う、嘘だろ…………?」

「もうちょい現実みなよ。こんな可愛い彼女ができるわけないでしょ」

夏帆ちゃん……と俺が呼んでいた女性は、呆れたような笑みを浮かべてこちらを見ている。

「キミ、気持ちが表情に出過ぎてて分かりやすかったよ。じゃ、いっぱい貢いでくれてありがと♡これからはSNSで知り合った女の子を簡単に信用しちゃダメだゾ♪」

そう言い残して、夏帆ちゃんは公園から去っていった。

「夏帆ちゃん……夏帆ちゃぁぁぁぁぁぁん!」

俺の膝は、夏帆ちゃんと築き上げてきた数々の思い出と共に崩れ落ちてゆく。嘘だ、誰か嘘だと言ってくれ。遠くで誰かが俺をお兄ちゃんと呼んでいる。それが聞こえたのと同時に身体が激しく揺れる。俺を心配してくれている通行人か?生憎だが俺は妹以外にお兄ちゃんと呼ばれる筋合いはねえ。ちょ、やめて……激しい、頭が揺れる……。

「夏帆ちゃんって誰よぉ!私は優衣だよ!それより早くお兄ちゃん起きてよ〜〜もう梨紗ちゃん来ちゃうよぉ〜」

ぼんやりと聞こえていた俺を呼ぶ声が、はっきりと妹の声だと認識されて脳内に響き、俺を現実へと引き戻す。う……ここはどこだ……?俺の部屋か……。てことはさっきのは夢?はぁ良かった……。危うく惨めさで身投げするところだったぜ。じゃあ、気を取り直して二度寝といくか。俺は妹を一度しっかり見据え、最高の笑顔で頷いてから、再び布団に潜り込んだ。

「ふぇ……むぅ……あと五分……」

「ダメなのーっ‼︎起きて‼︎」

「……ぐぅ……」

「むぅぅぅ〜……くらえぇ!必殺目覚ましスペシャル‼︎」

「うぉぶっ……⁈」

夢とうつつの境さまよい始め、夢の方へと引き込まれそうになった刹那、俺は腹の上に衝撃を受けて思わずV字に折れた。我が家族に棚橋弘至はいないはずである。誰だよハイフライフローをかましたのは……。まぁわかってるんだけど。しぶしぶ目を開けてみると、震源地には今年で小学六年生になる可愛い可愛い妹、松島優衣が馬乗りになっていた。マウントポジションですね、TKO待ったなし。この妹はなに考えてるんですかね……。

「優衣ちゃ〜ん?何してるのかな〜?」

「お兄ちゃんが起きないから一発で起きる方法を実践してあげたんでしょ〜?」

なんとも鼻に付く笑みを浮かべて俺の上で偉そうな顔をする優衣。殴るぞクソガキ。可愛いから殴らないけど。小学六年生にふさわしい体重がずっしりと(でも重くはないよ!)胃を圧迫してくる。起きない限り俺の腹から降りる気配はなさそうだな……。

「OK、わかった。起きるからそこをどいていくれ」

「わかってくれればいいのよ、わかってくれれば。」

満足げに頷いてから、優衣は俺の腹を解放してくれた。

「梨紗ちゃんもう来るよ〜急いでね‼︎それに今日から二年生でしょ〜?しっかりしてよ」

「へいへい」

俺は大きく伸びをして、ベッドの中から出た。そういや今日から新学年か、学校行かないと……。それにしても優衣ちゃん、昔よりは大人しくなったとはいえ小学六年生だからまだまだやんちゃだし子供だわ。可愛いから許しちゃうけど、あれ結構痛いんだよね。世の妹持ちはみんなやられたことあるだろ。寝てるときに奇襲されるとめっちゃびっくりするよね。

しかし、なんとも嫌な夢を見たな……。危うく優衣ちゃんの下で号泣するところだった。いやでも確かにあれはちょっと非現実的だったな。普通あんなシチュエーションありえないもんな。SNSで出会う女の子には十分気をつけるべしというお告げに違いない。うん。そもそもSNSで女の子と出会ったことないけれど。そもそもツイッターしかやってないしな。てか夏帆ちゃんって誰だよ。性格ヤバすぎだろ。そんな名前の知り合いいたかな…、などと考えつつのそのそと階段を降りていく。

「雄くんおはよ〜ご飯できてるよぉ〜」

そのまま下階に行けば、優衣がそのまま大人になったような人……要するに俺の母さんの間延びした声が出迎えてくれた。眠くなる声だから二度寝したくなる。二度寝はダメですかと後ろを向いてみれば二度寝への道はにこっと笑う優衣によってしっかりと閉ざされていた。ダメですか、そうですか…。仕方なくテーブルの方へ向かう。

「はいはいおはよ。いただきます」

俺は少し急ぎつつトーストを牛乳で流し込み、しっかりを歯を磨いてから制服に袖を通す。

「よしっ」

少し意気込んでから、耐えきれず照れ笑いしてしまう。何してんだか。二年生になったところで何かが変わるわけでもあるまいに。俺は部活にも入っていなければ生徒会もやってない。平々凡々な日々を謳歌しているから新学年になったからといって気合が入るわけでもなし。ちょっとくらい新しい出会いの可能性に期待してるのかもしれないけれど。

なんてったって高校二年生だからな。世のラブコメ主人公の九三%(当社調べ)は高校二年生かそれに準ずる年齢だし。何かあってもおかしくはない。あるかもしれないヒロインとの邂逅を妄想してると、優衣が家の鍵を開ける音がする。

「梨紗ちゃん!おはよ〜」

「優衣ちゃんおはよう。……雄太は」

「もうすぐ来るから待ってね〜お兄ちゃん早く〜〜‼︎」

玄関から俺を急かす声が聞こえてくる。へいへい今行きますよっと。

「はよ〜梨紗」

「……おはよう」

やや早足で玄関に向かうと、いつものように大変目つきの悪い切れ長の目、遊びっ気など微塵も感じさせない黒いボブヘアーの女の子が、去年一年ですっかり見慣れてしまった制服を着て、これまた見慣れたぶすっとした表情をして立っていた。彼女は西木梨紗、いわゆる幼馴染だな。ちなみに多分機嫌は悪くない。梨紗はただ目つきが悪いだけだ。だいたいいつもこんな顔してる。

 まぁ一五年近く幼馴染をやっていれば、嫌でも不機嫌そうな顔に見えるちょっとした変化もわかるようになってくる。だから意思疎通には特に困ってない。

「そんじゃ、行ってきまーす」

俺と梨紗は玄関を出て学校に向かう。吹き抜ける風は少し暖かいようで、まだまだ肌寒く、どこか物寂しさを感じさせる。道端では桜がまだ咲き誇っている一方、散り始めた花びらが宙を舞い、地面にまだら模様を描いていた。

まぁ実際は高一から高二の間にどんな別れも経験してないし、なんなら小中高すべて我が生まれ故郷ことラブリー千葉県の公立だから、卒業しても出会いはあれど別れはほとんどない。つまり寂しさを感じる要因もほぼない。平安貴族もなんでもかんでも恋に結びつけるし許して欲しい。あいつら絶対あんなこと考えてないぞ。

ひとしきり風流を感じて平安貴族になりかけたところでタイムスリップに満足して、俺はスマホを開いた。ただいま現代。暇な時は音楽を聞いたり本を読んだりもするけれど、スマホいじってる時が多い気がする。なんかこういうの現代っ子ぽいな……とかどうでもいいことを考えながら、梨紗に話しかけた。

「同じクラスだといいなぁ」

「……別に」

「つれないこと言うなよ……」

 俺が話して、大抵梨紗がつっけんどんに返す。これが平常運転。声音は決して不機嫌じゃないし。……しかしこれ会話なんかな。まぁ、これはこれで良いのかなって思ってたりもするけど。梨紗がニコニコ相槌打ってきたらビビるわ。

「だいたい、つれない態度とってるのはそっちでしょ」

「?どゆこと」

俺はツイッターを開きながら訊く。

「知んない。バカ。てか歩きスマホすんな」

梨紗はぷい、とそっぽを向いた。ついでに軽く小突かれた。どうも言動だけでなく心まで不機嫌になってしまったらしい……。梨紗は(無論いい意味でだけれど)俺にきびしい。怒られてしまっては仕方がない。俺はスマホをポケットにしまいこみ、話題をそらしての軌道修正を試みた。

「今年は友達できるといいな」

「うわべだけ取り繕ってヘラヘラ笑ってるだけの友達なんていらない」

「おぉう……いつも通り強烈なご意見で」

軌道修正……できてんのか?これ。ともあれ、梨紗はこういう性格だ。おかげさまでこの学校に通い始めて一年経つというのに、今会話してるのは俺とその友達くらい。ほんとに友達がいないらしい。

「案外いろんなところに友達は転がってるもんだぜ、お前もSNSやってみれb̶ってぇ⁈」

SNSをやってみたらどうかという俺の提案は言い終わらないうちにスクールバッグが頭に直撃して中断させられた。もしかして優衣に必殺技を教えたのこいつだろうか。妹に悪影響を及ぼすのはやめてくださいね。

「絶対やらないから」

「へいへい、そうですかい」

ちなみにこいつは未だにガラケーを使っている。絶滅危惧種と言って差し支えない。電話帳には梨紗の両親と俺しか登録されていないらしい。

頭をさすりさすり、俺と梨紗は適当な話をしながら通学路を歩く。俺はスマホの画面を見ながらだけど。

「へぇ、TOKIOの城島結婚すんのか」

「あっそ」

「へーえ、今年ラグビーW杯あるのか、千葉でも試合すんのかな」

「どうでもいい」

「なんの興味もないねえ梨紗ちゃん……」

やれやれ、この幼馴染いつも何してんのかな……と考えていると、ポケットの中のスマホがブルっと震えた。どうやら俺のツイッターアカウントにダイレクトメッセージが届いたらしい。パスコードを解除してツイッターを開くと、♡♪mako♪♡という名前のアカウントから届いたらしい。

「ん?ダイレクトメッセージ?なんだろ?」

訝りつつダイレクトメッセージを開いてみると、そこには大胆にも胸元を寄せた下着姿の女性の画像があった。美しく整えられた茶色の長髪と胸の谷間にあるホクロが艶かしさを際立たせている。痩せているわけではないが、ぽっちゃりと形容できるほどでもない程よい肉付き。ぼかしているとはいえ、どうやら顔立ちもかなり整っているらしい。ふむ……実に俺好みだ。自分の気持ち悪さを冷静に分析しつつ俺はメッセージの方に目を移す。文面には『アタシの自撮りだよ♡良かったら今度会わない?』と書かれていた。

「うぉう……」

これはスパムアカウントなんかじゃねぇ……。まず、画像がよくあるやつじゃない。なんていうの?素朴?うん、なんかそんな感じ。自撮りに素朴とかあるのか?まぁいいや。そしてメッセージから迷惑メールの匂いも感じない。これはワンチャンあるやつだぞ!中二のときこの手のスパムに五回騙された俺にはわかる。だって知り合いに優香ちゃんも萌絵ちゃんも智香ちゃんも恵ちゃんも春香ちゃんもいたんだもんしょうがないじゃん騙されたって。おかげで一時期は一日にメールが五〇〇通も届く羽目になった。

俺はこの状況が隣の梨紗にバレないよう、ニヤつく表情筋を強靭な精神力で抑えつけて真顔に戻して横を見た。……時すでに遅し。梨紗が般若のような顔でこちらを睨みつけていた。普段より目つきの悪さ二倍増し。怖すぎる。

「ねぇ」

「はっはひっ!」

「今何見てたの」

「いや〜なんでもないっスよ梨紗さん」

「嘘。今雄太鼻の下伸ばしてた。絶対え、えっちなやつ」

恥ずかしそうに顔を赤らめていう梨紗。こいつ、エロい物事に対する耐性が全くない。俺の部屋から初めてエロ本が発掘された時は、それはもう酷い有様だった。主に俺が。あの惨劇は思い出すだけで震えるからやめよう。

「いや〜そんなわけないじゃないっスか〜ってオイ梨紗!俺のスマホ取んな!」

俺が目をそらした一瞬の隙に梨紗は俺のスマホを奪って画面を見た。あちゃー、バレた。梨紗の顔からみるみるうちに湯気が立ち上って、顔がゆでだこのように赤くなる。

「こ、こ、このバカ!変態!死んじゃえ!」

「送られてきたんだからしょうがねえだろって痛え、痛いです梨紗さん!それ俺の携帯だから!投げないで!」

梨紗はポカポカ……いや正確にはボコボコ俺を殴ったあと、手に持っていた俺のスマホを投げつけて走り去っていった。エッチな画像くらい見たっていいじゃん……。そういうお年頃なんだよ……。

学校について、昇降口に張り出されたクラスを見ていく。ふむC組か……。確か一階だったな。階段を登らなくて済むらしい。ラッキーだな。

教室に入ると、早速俺を見つけて手を振るやつがいた。

「おっす雄太。今年も同じクラスだな!よろしく頼むぜ」

「お?あぁ隼人か、今年もお前と一緒かよ」

「まぁそう言うな、歩も今年は同じクラスだ」

「また同じクラスになってぼくも嬉しいよ!隼人くん、雄太くん、よろしくね!」

声をかけてきた短髪色黒のこの男は沢木隼人。中学の時同じクラスになって、学校を跨いでめでたく四年連続で同じクラスだ。だいたいいつも鬱陶しい。それで、もう片方の細身の可愛いどう見ても女の子みたいなやつが神崎歩。だいたいいつも可愛い。男だけど。歩は去年違うクラスだったけど今年は同じになれたらしい。微笑んでいるその姿が愛らしい。男だけど。大事なことなので二回言いました。

「そっか、歩も同じクラスか!今年はいい年になりそうだぜ」

歩が視界に入ってから心なしか世界が輝いて見える。これが魂のカタルシスってやつか…と思っていると、突如脛に激痛が走った。

「ってぇ⁈」

「ごめんなさい。足が滑りました」

声がした方向を向くと、さっき走り去っていった顔がある。違うのはさっきと違って顔は赤くなく、ただただ無表情でそれが一周回って怖かった。なんか敬語だし。

「あぁいや……って梨紗かよ」

「あ、西木さんおはよう!西木さんも同じクラスなんだね〜今年もよろしく!」

「よろしく神崎くん」

歩に軽く微笑んで、梨紗は自分の席に戻っていった。隼人がちょいちょいと俺の肩を叩いて耳打ちする。

「なに?お前また西木に悪いことしたの?」

「いや〜まぁしたようなしてないような……」

「なんだよはっきりしろよ」

「わーったよ、今朝エッチなダイレクトメッセージが来たからそれ見てたら梨紗に怒られた」

「……それってなんて名前のやつ?」

俺は黙ってスマホの画面を見せる。すると、隼人は自分の額をぺちっと叩いてからなんとなく申し訳なさそうな顔をして俺に言った。

「あちゃー……すまん、それは俺のなりすましアカウントだ。お前を騙してデートに誘い出して大笑いしてやろうとしたんだが……」

「おまッ……アホ!危うく梨紗に殺されるところだったんだぞ!」

「すまん!でも騙されたろ?」

「いや正直とても魅力的なしゃしn―痛たたたたた!痛い痛い耳引っ張らないで梨紗!ほんと反省してるから!」

「ごめんなさい手が滑った」

「ま〜そういうわけだから今回だけは許してやってくれ西木、な?」

「……今回だけだかんね」

梨紗はため息をつきながら手を離し、教室の外に出ていった。座ったり立ったり忙しないやつだな。とりあえず危機は脱したらしい。

「ふぃ〜……助かった……」

「まぁまぁ、写真に免じて許してくれ」

「ところであの写真はどこから手に入れた」

「こりねえ男だな……」

小声で情報提供を求める俺に、呆れ顔の隼人はスマホの画面を数回タップしてからそれをこちらに見せてきた。

「この『ゆめこ』ってアカウントなんだけどな、結構前から見てたんだが最近ついにエロい自撮りをアップし始めたんだ。覚えておいて損はない。ただし西木にはバレないようにやれよ?お前は殺されるし俺も多分殺される」

「サンキュー愛してるぜ隼人!」

帰ったら検索しておこう。もちろん梨紗にはバレないようにな。

「ただし、近寄ろうとすんのはやめとけ?こいつは多分……『メンヘラ』だからな」

「おおう、なるほど……」

隼人がやや前のめりになって説明してくるので、少し後ずさりながら言われた単語を反芻した。

メンヘラ、俗に言うネットスラングってやつだな。要するにかまってちゃんの究極進化みたいなもんで、かまってもらうためになんでもするしかまってもらえないと死にそうになる、らしい。俺もネットで聞きかじっただけの知識だからよくわからん。とにかく、関わらない方が良さそうな人種……な気がする。

「確かに忠告したぞ」

「そこまでして接近したくねえよ……」

 たまに目の保養にしようかってくらいですよ?ええ。俺だって弁えてますよ?うん。

「にしても西木に愛されてんなぁ雄太は」

「いや、あれは監視とかしつけとかそういう類のやつだろ……」

「そうか?」

「まぁなんか俺騙されやすいからな……。知り合いが騙されてるのは嫌なんだろ、いい奴であることは間違いないけど」

そんな他愛があるんだかないんだかよくわからない会話をしているうちに、教室の前のドアがガラッと音を立てて開いた。そのあといそいそとドアを閉める姿には見覚えがある。

「はーい席についてくださ〜い!みんなおはよ〜。二年C組の担任になった吉澤で〜す。一年間よろしくね〜」

「なんだ、今年も担任は里穂ちゃんか」

「高二になったつってもなんも変わんねえな」

「ちょっと沢木くんと松島くぅん!ひどいよう!先生だって頑張ってるんだからね〜!」

担任だと言って教室に入ってきた、ちょっぴり茶髪の、ふわふわぽわぽわしているという表現が大変しっくりくるこの人は吉澤里穂先生。去年も担任だった。若くてちょっぴりドジで、失礼ながらなんか「先生」って感じじゃないから里穂ちゃんって俺らは呼んでる。ちなみに独身。年齢は不詳。本人曰く、「まだ焦るような時間帯じゃない」らしいから多分大丈夫。まぁアラサーくらいだろうと言うのが専らの予想だ。

「今日は始業式の後は特にやることないからね〜。あ、でも明日は実力テストが早速あるから、忘れないように!終わったら席決めをしたいと思いま〜す!それじゃあ講堂に移動!」

里穂ちゃんは元気に教壇を降りて、開いていると思ったのか自分の閉めたドアに激突した。今年一年大丈夫かな……。


講堂での始業式はつつがなく終わり、教室に戻った。ちなみに出席番号で暫定的に決められた俺の席は窓側の列の一番前、残念ながら隼人も歩も梨紗も近くではなかった。そういえば、出席番号が誕生日順なのは千葉だか総武線沿線のローカルらしいね。俺としては衝撃の事実です。

「ごっめ〜ん!一個だけ忘れてた!来月にある企業見学の希望調査だけみんな書いてね〜」

わたわたと里穂ちゃんが紙を配っていく。やべ、今日筆箱持ってきてないや……。仕方ない、隣の子に借りるか。俺は隣の奴の肩を軽く叩く。

「ごめん、筆箱忘れちゃってさ、ペン貸してくんね?」

「あ、はい。えっと……どうぞ」

隣の少女は、か細い声に色白の肌、茶色がかった綺麗な長い髪。理知的な印象を与える黒縁のメガネをしていて、さも薄幸の美少女といった風体だった。人工的な香水とは違った、それでも少し甘い芳香が鼻腔をくすぐる。メガネ外したら垢抜けるんじゃなかろうか、などとどうでもいいことを考えてしまう。

絵に描いたような美人を前に俺は、差し出されたペンを手に取ることを躊躇することしばし。彼女は小首を傾げて不思議がる。そりゃそうだ。いつまでもこうしているのも何か気まずい。

「さ、さんきゅー」

若干緊張しながらお礼を言ってペンを受け取り、書いてある選択肢から面白そうなものにさっと丸をつける。企業見学があるのはGW明けか。てことはどうせ後で本調査があるだろ、それなら隼人達と相談して同じところにしよう。

「じゃ、これ返すわ。ありがとうな」

俺は隣の子にペンを返して、バッグを持ってそそくさと隼人のもとへ向かった。あの子美人だったなぁ……。今度また話しかけてみようかな。隣だし。……それにしてもさっきちらっと見えちゃったんだけどあの子⑥、その他にマルつけて欄の中に自宅って書いてなかった……?大丈夫だよな……?



家に帰ってから俺は早速スマホを開いた。

「ゆ、め、こ、っと……あ、いたいた。この子か〜」

隼人の言っていたアカウントはあっさり見つかった。フォロワーは……五二一六人。す、すげぇ……。ちなみに俺はフォロワー二六七人。単純戦闘力が二〇倍くらい違う。知らんけど。最近の投稿を見ると、なるほど確かに「メンヘラ」っぽい投稿が多い。次に画像欄を開いてみた。ふむ……これまではご飯の画像や外で撮った自撮りが多かったが、ここ二週間になってなんともエロい自撮りが増え始めている。てかこの写真すげー近所じゃね?

「しかもこの雰囲気、どこかで見たことある気がすんだよな……」

「何がどこでみたことあるって?」

「いやだからこのーって梨紗⁈なんで俺の家に……てかなんで俺の部屋に?」

突然の来訪者に驚いて、俺は大慌てでスマホを後ろに隠した。ニンジャ⁈ニンジャナンデ⁈

「今日両親帰るの遅いから雄太の家でご飯にありつこうかなって」

「な、なるほどな……」

梨紗の家は両親が共働きで、帰ってくるのが遅い事がたまにある。そういう時は決まって俺の家にご飯を食べにくる。それにしても来るの早すぎじゃありゃせんか?と抗議の目線を送る俺に対して、梨紗はため息をひとつしてからこちらをじろりと睨む。

「はぁ……もういい。雄太がスケべなダメ人間なのはよくわかった」

「いや、そんなことはない。世の一般的男子高校生はこんなもんだ。……多分」

「それは置いといて、今三時だから晩御飯までまだまだあるでしょ。明日実力テストって言われたから、雄太に勉強教えてあげようと思って」

 俺の必死の言い訳をものの見事に一蹴して、梨紗はこんな日の出ているうちに我が家に出向いた理由を告げた。

「え、いいよ、梨紗の時間もらうのも悪いだろ」

「勉強したくないだけでしょ」

「やーそれはまぁ……はは……」

図星だった。俺は勉強が好きな方じゃない。成績は中の下から下の上くらいをウロウロしていた。国語とか社会はまあまあなんだけどそれを帳消ししてしまうくらいに英語が悪い。あと数学ね。微分積分ってなんだよ、ぶんぶんぶんぶんうるせえ。ハチかよ。

ちなみに梨紗はすごく勉強ができる。幼馴染はなんでもお見通しってわけですかい。

「なら尚更。ほら、去年の数学教えてあげるから」

「えー……」

「やらないと後で雄太のママにえ、えっちな本の隠し場所バラすよ」

「それはやめてください梨紗さんほんと、マジで、ええ、しっかり勉強しますとも」

こうなると梨紗は引かないから、俺は音速で教科書を開き、勉強態勢に移行した。てか梨紗は俺のエロ本の隠し場所知ってんの……?マジで?


梨紗に自室でみっちりねっとり絞られた後、香ばしい夕飯の香りとともに優衣が俺らを呼びにやって来たので、俺らは教科書を閉じて下へ降りる。……これまでのやりとりでわかるとは思うが、エッチなことは断じてしてない。計算ミスするたびに哀れみの目で見られたのはある意味でそういうプレイと言えるかもしれない。……言えないですね。はい。

「「「いただきまーす」」」

三人の声が仲良く響く。我が家の食卓は大体こんな感じ。父さんは年がら年中出張ばっかであまり家にはいない。今はバンコク?デリー?うんまぁどっちでもいいや。梨紗と父さんの夕飯を家で食べる確率は割と拮抗していると思う。これから梨紗のことパパって呼ぶか。

「はい召し上がれ〜♪」

「今日ね今日ね!クラスの山田くんがね!」

 ご飯を食べ始めるなり優衣が楽しそうに喋りだす。うんうん。実に可愛い。ところでその山田くんってのは誰だ?おん?

「あらあら良かったわね〜!あ、そういえば梨紗ちゃん今年も雄太と同じクラスなんだってねぇ、今年も面倒見てやってちょうだいね、悪いことしたらすぐ私に言うのよ〜お母さんが張り倒すから」

「怖えよやめてくれ」

 母さんが優衣の話を適当に聞き流して話題を俺らに向ける。張り倒さないで欲しいな……と思っていると梨紗が味噌汁のお椀を口につける直前に、ぼそっと呟いた。

「……雄太今日ツイッターでエッチな女の子に騙されかけてた」

「ぶふっ……」

音速のカミングアウトをかまされた。母さんの眉間がぴくっと動いたのが見えたので、なんとか吹き出しかけたご飯をを押しとどめてから慌てて弁明を図る。

「ゔぉい梨紗それは違う!」

「あれだけSNSには気をつけてって言ってるわよね雄くん?」

「だからそれは勘違いなんだ!梨紗もなんか言ってくれ!」

クッソ〜……梨紗のやつめちゃうぜえ笑顔してやがる……。表情が「ハッ、ざまあみろ」って言ってる。お前あとで覚えとけよ!!!!いや何もできないんすけど。

「全くあんたはいつもいつもそうやって騙されて……」

結局、母さんの説教は夕飯を食べている間続いて、食べ終わった後も十分ほど一人延々とそれを聞かされる羽目になった。


「ったくひどい目にあったぜ……」

「ざまーみろ」

「そうだそうだ!こんなに可愛い梨紗ちゃんを差し置いてそんなことするからだぞお兄ちゃん!ざまーみろ!」

「ちょっと、優衣ちゃん……」

夕飯を食べ、説教がひと段落して俺の部屋に戻ると、すでに撤退していた優衣と梨紗に噛み付かれた。ちょっと優衣ちゃん。最近言葉遣い悪いわよ。お兄ちゃん心配。

「悪かったって!もう金輪際やりません!本当に!」

「ほんとかな〜……」

「気をつけて。これで騙されるの六回目」

「なんで数えてんの⁈」

てかなんで知ってるのん?梨紗ちゃんもしかしてあれ?KGB?それともCIA?近いうちに俺暗殺されるんちゃう?驚愕する俺を無視してさっと梨紗は立ち上がった。

「じゃあそろそろ帰るから」

「おぅ、気をつけて帰れよ」

「雄太が襲って来なければ大丈夫」

「……夜討ちには気をつけろよ」

「一〇mの間に何か起きる方が異常。……一応数学の基礎は再確認したから」

「いつも助かってるよ」

「うん。おやすみ」

「また明日」

梨紗はそういうと俺の部屋のドアを閉めて帰っていった。やれやれ、今日は珍しく色々あったな。新学年初日だというのに疲れたわほんと。ラブコメ主人公年齢は辛いわ。暴力振るわれて勉強しただけなんすけどラブ要素はどこですかね。まぁいいや。

「さて、風呂入るか」

「あたしも一緒に入るー‼︎」

「それは倫理機構的にダメだから。お兄ちゃん捕まるから。しかもそれはラブコメじゃないから‼︎」



「ふぃー……」

風呂から出てひと段落して、俺はようやく安息の時間を得た。

「よし。これでようやく調べられる」

俺は再びスマホで『ゆめこ』のアカウントを開いた。流石に梨紗もこの時間には来ないだろ。

「おぉ、早速今日も新しい写真を追加しているではないか……」

更新された写真はこれまたエッチなやつだった。

『今日はチャイナドレスのコスプレをしてみたよ〜身体のラインがバレちゃってつらい><』

オイオイすげえな、チャイナドレスとか俺のどストライクだよ。サンキュー隼人。オタサーの姫を囲うオタクか、はたまたキャバ嬢に貢ぐおじさんの気持ちを理解して俺は心の中でそっと平和友好条約を結ぶ。そんな人見たことないけど。

などとたいそうどうでもいいことを考えながら眺めていると、俺は画像の端に見えるかけられた制服に目がいった。この制服うちのに似てね……?

「ま、似たような制服なんて沢山あるか」

ひとりごちながら自分を戒める。ほんと、思い込みってのは良くない。優香ちゃんにはそれで騙された。危うくアマギフ五〇〇〇円送っちゃうところだった。

まぁ、この人と会うことも会話することもないだろうし、心配する必要もないだろ。とりあえず明日は実力テストだし早く寝るか。そう思って、俺は自室のライトを消した。あ、でもその前にゆめこ(さん)フォローしとこっと。

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