決断

「おい、本陣の周りは崖だぞ。これだと直接本陣まで下れない……」

「きっと周りを崖にしておくことで側面からの敵の襲撃を防ぐ役割があるんだろう。」

「そんなことはどうだっていい!」

 平吉は苛立ち、周りが崖である理由を説明する小太郎に怒鳴った。

「俺たちは今から戦真っただ中を通り抜けなくてはならないってことだ……そうだこうしよう、時田様はここに置いていこう。」

「いや、それは出来ない。ここに置いていけば確実に死ぬ。時田様は俺たちの命を引き換えにしてでも必ず守る。」

 平吉は小太郎の言葉に耳を疑った。

「俺たちが死ぬかもしれないんだぞ!」

「そんなのは今更だ。」

 平吉は気付いた。彼らの決意に満ちた勇ましい顔を。自分だけが怯えた顔をしていることも。

「死にかけの武将一人を守るために、俺たちは命を投げ出すのか? 一人の命のために俺たちの命はどうでもいいって言うのか?」

「そうだ! 時田様は尾山家の重要人物。俺たちの命とは重さが違うんだ。」

「俺たちは何のために戦っているんだ? 時田様のため、時田隊のため、尾山家のため? どうして俺たちはそんなもののために命を落とさなくてはならない?」

「お前が行かなくても俺たちは行く。」

 小太郎はそう言い切った。




 勘太は屈強な兵士と若い村人二人を連れて山の南側を下っていく。

「なあ……」

 勘太が声を上げる。青年二人は不思議そうな顔をしてこちらを振り返る。屈強な兵士は鋭い眼つきで勘太を睨みつけた。

「君たちはいつも落ち武者狩りを?」

「いや、まだ一回しかしたことありませんね……」

 もう一人の青年は慌てて勘太を安心させるかのようにこの発言をフォローする。

「大丈夫、腕は確かです。」

「そうか……」

 勘太はしばらく考え込んだ末に口を開いた。

「なあ、俺がこんなことを聞くのもおかしな話だが、人を殺すことに抵抗はなかったのか?」

 二人の青年は驚いた顔をして沈黙する。すると突然声を上げて笑い出した。屈強な兵士は依然として恐ろしい眼つきで勘太を見ていた。青年たちが突然笑い出すものだから、今度は勘太の方が唖然とした。

「何か笑うようなことを言ったか?」

「いえ、そんな当たり前のことを兵士であるあなたが聞くものだから……」

 確かに勘太も自分がどうしてそんなことを聞いたのか、おかしいと思った。

「抵抗なんてありませんよ。だって俺たちだって生きるためにやっているんですから。生きることに抵抗なんてしませんよ。」

「そうか……」


 男たちは山を駆け下りる。

「おい、止まれェ!」

 屈強な兵士の叫び声に勘太は止まり切れず緩んだ地盤に足を滑らす。そのまま急斜面を転がり落ちて行った。

「くっ……」

 勘太は体を強く打ち付けた。キーンと甲高い音が頭に響く。右足は血と泥で汚れてしまっている。勘太はゆっくりと自分の体を起こす。

「おい、お前! 前を見ろ!」

 屈強な兵士の声と前の方から聞こえる荒い息遣いにハッとした。急いで顔を上げると目の前には一人の兵士が立っていた。その兵士の顔に勘太は息を呑んだ。

 勘太はその顔を知っていた。そこに立っていたのは尾山家の兵士だった。ともに逃げていた逃亡兵の一人だった。もう死んだと思っていた勘太の仲間だった。

 その兵士はゆっくりとこちらに近づいてくる。どうやら勘太が味方であることに気付いたようだ。その男の顔つきが、喜んだようなそれともどこかホッとしたような顔つきへと変わった。

「おい、お前、戦うんだァ!」

 屈強な兵士が急斜面の上で叫ぶ。そして二人の青年と共に道を回り込んで山を下る。その存在に気付いた目の前の兵士はその足を止めた。そして屈強な兵士たちの方を見る。その顔が当惑の色に変わった。

 その時、勘太の頭の中に二つの考えがよぎった。前者を選べば、生き延びる見込みが薄くなる。死がより一層自分に近づくことになるだろう。後者を選べば、この山を簡単にかつ安全に下ることができる。ただそれにはほんの一振りの勇気が必要であった。

 どちらかを選ばなくてはならない。最悪の二択だ。

 次第に屈強な兵士と青年二人の声が近づいてくる。決断の時は迫る。時間は猶予を許してくれない。

「くそっ……」

 勘太は地面の方にうつむくと、小声で弱々しい声を漏らした。そしてゆっくりと顔を上げた。勘太の力強い目が目の前にいる兵士を捉える。

 すると勘太は目にも留まらぬ速さで刀を引き抜いた。

 ゴトッ。仲間の兵士の頭が鮮烈な血しぶきと共に地面に落ちる。透き通って神秘的な深緑の葉に、黒ずんだ人間の赤色の血潮が飛び散った。

 勘太は後者を取った。生きることを選んだ。自分の命を選択した。

 勘太は地面を見つめた。顔を上げることは出来なかった。地面を見ていると自分の影がより一層濃くなっているように感じた。実際には日が傾き、辺りが暗くなっているだけであった。あの穏やかな青空はもうない。あるのは暗闇の混じった赤い空だけだ。




 平吉たちは一斉に山から戦場へと走り出る。背中にかつての英雄を担ぐ兵衛次郎を囲んで進んだ。武器を持たない兵衛次郎は格好の標的だ。それに近付く男には、平吉はその男がどちら側に属する兵士であるのかに構わず刀を振るった。

「止まるなァ!!進み続けろォ!」

 兵衛次郎の前方を防御する小太郎が高らかに叫ぶ。

「まずい!後方の二人がやられた!」

 平吉は後ろに体を回転させる。その時、視界には空を舞う矢の姿が映った。

「矢――――」

 平吉の声が喉から湧き出るその前に、矢が兵衛次郎たちを襲った。平吉は反射的に体を伏せる。飛んできた矢のほとんどが時田の背中と兵衛次郎の体に突き刺さる。足に矢を食らった兵衛次郎はバランスを崩し倒れた。その拍子に英雄は空中へと放り出された。

 立ち上がった平吉は時田に駆け寄る。小太郎も駆け寄る。

「おい、さすがにここに置いていこう!」

 そう言って平吉は兵衛次郎のもとに駆け寄った。

「いや、ダメだ!奴らに時田様の首を渡すわけにはいかない!」

「おい、この期に及んでまだ……」

「また矢が来るぞォ!!」

 その叫びに呼応して、小太郎は時田の上に飛び出して、覆いかぶさる。それを視界の隅に捉えながらも、平吉は足元に転がる死体の下に滑り込む。

 大量の矢が肉に突き刺さる音がした。

 平吉は誰かも知らない死体を突き飛ばす。時田のところに駆け寄るとそこには案の定、矢を食らった小太郎の死体があった。

「くそっ!!」

 平吉は小太郎の死体を押しのけ、時田を肩に背負う。もう息をしているようには感じられなかった。それでも平吉は時田を担ぐ。もう一人の生き残った兵士が肩を貸す。

「歩けるか?」

 平吉は兵衛次郎に問いかけた。兵衛次郎は足を引きずりながらもなんとか進んだ。そして平吉ら三人と一人の死体は、最前線から離脱した。

 しばらく歩くと白い幕が見えてきた。ようやくたどり着いた、尾山家の本陣だ。

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