偽り

「うぉ!」

 重蔵の乗る黒馬が槍で突かれた。その痛みから黒馬が大きく前足を上げ、重蔵は地面に叩き落されてしまう。

「時田様ァァァ!!」

 兵の声に何とか重蔵は体を起こす。馬から落とされた『漆黒の侍』を見つけ、敵方の兵士たちが突撃してくる。馬が彼らを蹴散らし、仲間の兵士が首を跳ね飛ばした。だが一人の兵士は他の兵士を犠牲にしながらも果敢に重蔵のもとへ飛び込んできた。

「その首頂戴!!」

 重蔵は落ちた刀を拾い上げ、力いっぱいに大きくを振りかざした。刀は敵兵の腹を切り裂く。その反動で重蔵はよろけた。横からもう一人の敵が距離を詰めてくる。目眩がする。体に力が入らない。足元がおぼつかない。目前に迫ったその敵は刀を振り上げた。

 刀が肉を切り裂く音がした。

 その音と同時にその兵士の動きが止まった。敵の背後から太郎が現れる。バタリとその兵士は倒れた。

「下がるんだ!重蔵!」

 太郎は無理矢理重蔵の手を引く。

「このままじゃあ、突破されちまう……」

黙り込んでいた重蔵だったが、腕を掴んでいる太郎の腕を振り払って言った。

「……西の山は諦める」

「何!?」

「西の山は険しい。敵もすぐには本陣にたどり着けないはずだ。十分時間は稼いだ。それよりも南と西の山の間の道を守るんだ! そこを死守すれば本陣にはたどり着けない!」

「お前、本気で言ってるのか!? 西の山には時田様を担いだ兵士たちがいるんだぞ!」

「分かってる! 今は俺がこの時田隊の隊長だ。たとえ影武者だろうとな。だから俺が、いや俺たちが決断しなくちゃならないんだッ!! 義澄様でも時田様でもない、今ここにいる俺たちが!!」

「……分かった。お前に従う。」

 太郎は重蔵に向かって頷いて見せた。重蔵は一歩前へ出て叫んだ。

「下がれェェ! 下がるんだァ! 一度引くんだァ!」

 戦う兵士たちに後ろを振り向く余裕はない。だが兵士たちの耳にその声はしっかりと届いていた。

「西の山はもういい!! 俺たちは背後にある道を死守する!! ここを通せば尾山軍は壊滅する! だから命を投げ打ってでもここを守る! 命の尽きるまでだァ! 一度引くんだァァ!! ハエ一匹もこの道を通してはならんぞォ!!」

「うおおおォ!!!!」




 どこからか争いの音が聞こえてくる。山を登れば登るほどその音は大きくなっていく。

「手を掴め。」

 平吉は差し出された小太郎の手をしっかりと掴んだ。小太郎は一気に平吉の体を引っ張り上げ、何とか急斜面を登り切った。

「ありがとう」

「おい、こっちを見ろ。」

 平吉の感謝の言葉は一人の兵士の声と戦の騒然たる音にかき消された。平吉たちは声の主のもとに駆け寄った。そこは木々が開けていて山の麓を見渡せる。見下ろすとそこでは戦が起こっていた。尾山家と村岡家の本軍による激しい交戦だ。

「やはりこっちの戦も始まっていたか……」

 小太郎が唇を噛んだ。

「おい、あそこに見えるのが尾山家の本陣じゃないか?」

 平吉が指を指した先には白い陣幕が建てられており、尾山家の家紋入りの旗が立てられている。

「なら、義澄様もあそこにいるはずだ。」




「どうしたんだ?」

「いえ、この兵士の方に山の南側に行くにはどうすればいいかと聞かれまして……」

 勘太は臆することなく屈強な兵士に向かい合う。屈強な兵士は威圧的な目で勘太を見下ろしている。

「時田隊の逃亡兵の連中を追っているんです。」

「そうか、だがもうすぐ決着がつくと思うぞ……尾山家本軍と村岡家本軍の戦いは伯仲しているが、時田隊はほとんど壊滅状態だ。時田隊さえ突破すれば、我ら山中隊が尾山家本軍の背後に回り込んで挟み撃ちだ。これはもう俺たちの勝ちで決まりだな。おいだからとっとと山中隊に戻るぞ!」

 勘太の希望は掻き消されてしまった。勘太は唇を噛み締める。

「おい、なら落ち武者狩りに行こうぜ!」

 まだ青二才の村人が嬉々として言う。

「いいな、それ。武器を用意しよう。」

 それは勘太の中に再び希望が生まれた瞬間だった。

「俺も行く。」

「えっ……?」

 村人たちは驚いたようで勘太を見る。屈強な男は疑り深い目で勘太の顔をまじまじと見た。

 落武者狩りが行われるのは当然時田隊の退路のはずだ。となればそこは本軍に辿り着くための小道の辺りに違いない。その小道でなくても近くのはずだ。これなら山の南に向かうことが出来る。

「俺は村岡様のために戦うと誓った兵士だ。村岡様のために功績をあげたいんだ。」

 まだほんの青年の村人は苦虫を嚙み潰したような顔で勘太を見る。これは当然の反応だった。彼らは落ち武者狩りで手に入れた武具などの装備を売ることでお金を手に入れようとしていた。そこに兵士である勘太が介入することは当然避けたいことであった。

「安心してほしい。俺は敵方の武将を殺せれば満足だ。刀や鎧を奪う気はない。」

 これを聞いた青年はホッと胸をなでおろした。屈強な兵士は何を思いついたのか、うっすらと笑みを浮べて言った。

「それはいい。俺も参加するぜ。」

 勘太はこの提案に対してもちろんのこと不満を覚えていたが、その顔はあくまで笑顔で繕っていた。

「急いで準備しろ、青二才ども!」

 屈強な兵士は笑い声を上げながら高らかに叫んだ。




「死守せよ!!」

 『漆黒の侍』は高らかにそう叫ぶ。兵士たちはこの道を通すまいと死闘を繰り広げていた。そんな地獄の中、兵士たちは戦い続けた。たとえ仲間が死んだとしても。彼らは互いに励まし合い、自分自身を鼓舞し、そして何より『漆黒の侍』の声を戦う糧にしていた。

「矢が来るぞォ!」

 その声に重蔵は目を見開く。大量の弓矢がこちらを目掛けて空中に放たれていた。

「伏せろォォ!!」

 矢の雨が時田隊に降りかかる。兵士の断末魔の叫びと鮮烈な血しぶきが重蔵の感覚を支配した。

「時田様ァァ!危ない!!」

 その叫びと同時に、一人の男が重蔵に飛びかかるかのように覆いかぶさる。その男に押され重蔵は倒れこみ、その男も重蔵を下敷きにして倒れた。重蔵は全身の重い甲冑のせいで体に大きな衝撃を受けた。意識は朦朧している。

「……様……時田様……時田様!」

 自分を呼ぶ声に我を取り戻した重蔵は急いで自分の上に乗る男を突き飛ばした。そして急いで立ち上がり刀を拾い上げる。

 その、時重蔵は自分の手の違和感に気付いた。ほとんど力をかけることなく男を突飛ばすことができたからだ。男は何の抵抗もしてこなかった。恐る恐る男の方を見ると、その男の背中には矢が刺さっていた。この男は『漆黒の侍』を庇ったのだ。

 重蔵はその地獄を見渡した。兵士たちから真っ赤な血が流れ出ている。

 重蔵は自分がしていることの重大さに気付いた。どうしようものないほどの罪悪感が心を支配した。

 自分の決断が、自分の偽りの命令が、彼らを死に追いやったのだ。彼らが従っているのは、彼らが守ろうとしたのは英雄と称される武将じゃない。一介の足軽だ。そんなただの下級武士のために一体どれだけ多くの血が流れたのだろう。

 飛び交う矢から自分を庇ってくれたこの男が守ろうとしていたのは『漆黒の侍』と呼ばれる英雄だった。だが実際に守ったのはこんなありふれた兵士の一人であった。そう思うとこの男も報われない。

「重蔵!!」

 近づいてくる太郎の声で重蔵は正気を取り返した。

 そうだ。多くの命を犠牲にしてでも、いやしているからこそ、守らなければならないものがある。

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