使命

「走れェ!! 山の中まで逃げ込むんだァ!」

 八人の男たちは西の山に向かって全力で走った。後ろからは山中隊が押し寄せてくる。矢が大量に放たれた。

「ぐわぁ!!」

 仲間の一人が足に矢を食らって倒れた。平吉は後ろを振り返る。倒れた仲間はこちらに手を伸ばしていた。だが、倒れた彼のところにはすでに敵軍がたどり着こうとしていた。平吉は思わず顔を前に戻す。

「振り向くな、進むんだ!!」

 一人の兵士の声に鼓舞され、平吉は足の力を強めた。追手との距離が次第に縮まっていく。兵士がまた一人、矢を受けて倒れてゆく。

「あと少しだ! 頑張れ、兵衛次郎!」

 時田清を背中に担ぐ大男の兵衛次郎のすぐ背後に、馬にまたがった追手が一人抜きに出て迫っていた。尾山家の兵士たちは山の中に飛び込んだ。馬に乗った一人の追手がそれに続く。

 緑の木々が生い茂っていて視界が阻まれる。先頭を走る山中隊の追手に背の低い木々が打ち付けてきた。追手の男は自らの頭を腕で庇った。

 背の低い木々を抜け視界が開けると、目の前に一人の兵士が立っていることに気付く。その男は刀を握りしめていた。追手の男は頭を庇っていた腕を素早く自分の鞘のところに伸ばす。

 しかし、馬の駆ける速さはそれを待たず追手の男を、刀を持つ男のもとまで運んでしまった。兵士は刀を振り上げた。追手の男は馬から崩れるように倒れ落ちた。馬は倒れた主人に見向きもせずその場から走り去ってしまった。

「こっちのことはいい、走るんだ!!」

 平吉は仲間にそう叫び、落馬した男に刀を振り下ろした。男が死んだのを確認すると、平吉は走って兵衛次郎らのもとにすぐに走り寄った。




「ほとんどが死んでいるじゃないか。」

 二人の兵士たちが地面に転がる死体の上を歩いている。彼らは村岡家の追手だろう。死体を足で無造作に押して転がす。

 彼らの右手側に二つの死体が重なっていた。それに気付いた片方の兵士は、刀の入った鞘で上から死体をつつく。反応はない。そして足で重なった死体を押し転がそうとする。

「おい、早くいくぞ!」

 もう一人の兵士の声に兵士は前に出しかけていた足を引っ込めた。

「おう、今行く。」

 ゴソゴソ。

 二人の兵士が姿を消すと、上に乗っかっていた死体が動き出した。いや、動いていたのはその下にいた死体だ。正確にはそれは死体ではなく生きた人間だった。上にあった死体を横にどけると、男は重々しく体を持ち上げた。現れたのは勘太だ。

 勘太は服に着いた泥を払う。そして辺りを見回した。

「どっちが西だろう?」

 勘太の目指す場所はもちろん尾山家の本陣である。だが、山の中を無我夢中で走っていた勘太は方角をすっかり見失ってしまっていた。

 仕方ないので、勘太はとにかくこの山を登ることに決めた。山の上からなら辺りを見渡せるだろうと考えていたのだ。




「一人たりともここを通すな!」

 重蔵の声とは裏腹に数人の兵士が時田隊の合間を抜けて西の山に入って行く。

 形勢を整えた時田隊であったが、その時既に戦前の半分ほどの兵を失っていた。戦って死んだ者、逃亡した者など様々だ。

 しかし山中隊はまだ兵をあまり失っていないように見える。数の差が時田隊を襲う。

 さらに時田隊は南の道と西の山のどちらにも人を通すまいと、陣形を横に大きく広げて兵の壁を作っていた。長く広がる分、兵の壁は薄くなってしまう。一点に奇襲を受ければ突破されてしまうだろう。この防御陣形が崩れるのはもはや時間の問題だった。

「重蔵!このままじゃあすぐに破られちまう!」

 漆黒の侍の正体を知る兵士、太郎たろうが声をかける。

「分かってる! くそっ! 何か策を講じなくては……」




「待ちやがれ!」

 二人の敵兵が山を走る兵衛次郎の後ろを追って来る。兵衛次郎は山の中を走る。そして開けた場所に走り出た。それに二人の敵兵も続く。

 ガサッ。

 その瞬間、五人の兵士が茂みの中から勢い良く飛び出した。そして二人の敵兵を囲む。敵兵たちはまんまと平吉たちの罠にかかっていたのだ。二人はあっけなく平吉たちに打ち取られる。

「これでようやく落ち着いたな。」

 平吉が息を漏らした。兵衛次郎は茂みの中に寝かせておいた時田を再び背負った。その横を通って一人の兵士が平吉のところへ近づいてきた。彼は小太郎こたろうという男だ。

「いい腕だな、平吉。」

「ありがとう。」

 再び平吉一行は歩み始めた。

「まさかこんなことになるなんてな。今重蔵はどうしているんだろうか。」

「さあな。だが、あいつは自分の使命を果たそうとしているだろう。そして俺たちもそうするまでだ。」

「そうか……」

 しばらくの間、沈黙が続いた。

「俺は正直死ぬのが怖い。」

 つい漏らしてしまったその言葉に、平吉は慌てて口元を抑える。

「別にそう思うことは悪いことじゃあないだろう。俺も怖い。」

「お前も同じなのか?」

「ああ、俺もお前と同じだ。できれば死にたくない。」

 自分と同じ。その言葉を聞いて平吉は少しホッとした。

「ならなぜ戦える?」

「それが俺の使命だと信じているからだ。」

 その時、平吉はこの男は重蔵とよく似ているなと思った。いや彼だけじゃない。兵衛次郎も、他の兵士三人もだ。心地の悪い孤独感が神経を伝って平吉の胸のあたりに集まって、そこでじわりと広がった。




 勘太は泥だらけになりながら山道から這い出て、何とか山中さんちゅうの開けた場所にたどり着いた。目の前には家が見える。どうやらここは集落のようだ。そしてここは尾山家の領土。

「ここならなんとか庇ってもらえるかもしれない……道も教えてもらおう」

 勘太は血が出ている膝の傷口を抑えながら、村に近づいていく。百姓たちが見える。この集落の村人たちだ。

 その時、勘太は思わず家の陰に隠れた。勘太は異変をいち早く察知していた。その村人たちは二人の兵士と話をしていた。そしてそのうち一人は村岡家の旗を担いでいたのだ。身を潜めた勘太は家の陰から聞き耳を立てる。

「……もし、尾山家の兵士が来たら疑いをかけられないようにしっかりと村へ迎え入れてやるんだ。そして――」

「すぐにそちらに人を寄越して報告すればいいんですね。」

「ああ。もし道中で男たちと出会ったら、とりあえず上山村の村人だと言っておけ。そうすれば尾山家の連中は味方だと思い手出しは出来ないはずだ。もちろんこちら側の連中なら――」

「私達を味方だと思うでしょう。何たって私達はもう村岡家側ですから。」

「そういうことだ。」

 そう言うと二人の兵士は馬に跨がった。勘太はばれないように身をかがめる。兵士たちの乗った馬が勘太の横を通り過ぎた。

 この兵士たちは敵方の足軽たちだ。つまり尾山家領土と村岡家領土の国境付近にあるこの村は、既に村岡家側に寝返っていたのだ。

 いつから、一体何の目的で? そんなことは勘太に分からない。ただ分かることはもし尾山家の兵士である勘太が村に出て行けば、きっと山中隊に引き渡されてしまうであろうということだけだ。だが、この山を越えて行かなくては本陣に帰れない。

 どうするか?

 勘太は意を決した。そして村人たちの前に堂々と躍り出た。突然の勘太の登場に村人たちは戸惑いを隠せない。

 勘太は一息の呼吸を置くと高らかに叫んだ。

「おい、お前らァ!時田隊の連中が来なかったか!? 尾山の野郎の逃亡兵だよ!! こっちに来なかったのかと聞いているんだ!!」

「……いや、来ていません……」

 村人の禿げ頭が委縮しながら答えた。その男はペコペコと頭を下げて下手に出てくる。勘太は相手を威嚇するかのような声で続ける。

「奴ら、尾山のクソ野郎のところまで逃げるつもりだァ! おい、お前!!」

 勘太は横柄な態度で禿げ頭にのそのそと詰め寄る。禿げ頭はヒッと声を漏らして怖気づいた。

「俺は奴を追う!山を下るにはどっちに行けばいい?」

「ですが山の麓では山中様と時田隊が交戦していますよ……」

「んなことは分かっとるわ!! 奴らも山の南側に回って、道を辿って尾山家本陣に合流するはずだろう! 逃亡兵が戦場に戻るわけないことくらいよく分かってらァ!!」

「何事だ?」

 少し離れた場所から聞き覚えのない野太い声が聞こえてきた。勘太は後ろを振り返った。そこにいたのは村岡軍の屈強な兵士だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る