第1話 ナナリヤの目覚め

 まだ日が昇りきらない早朝、魔女ナナリヤは目を覚ましました。

 ナナリヤは欠伸をして布団からのそのそと這い出ると、窓際に移動して窓の外を覗き込みました。

 ナナリヤの眼下には、綺麗に整理されている畑が広がっています。

 彼女が開墾した畑です。


「無事に育ってくれたみたいですね。今回はいつもと違う肥料を使ったので、味が楽しみです」


 ナナリヤは元気に育った野菜たちに顔を綻ばせました。

 彼女はそのまま窓から颯爽と飛び降りて、野菜の収穫を始めました。

 野菜たちが元気に育ったのが余程嬉しかったのでしょうか、アクロバティック系魔女になっています。


 ナナリヤはひとしきり収穫すると、地面に置いた野菜を魔法空間に収納しました。

 魔法空間はひんやりしているので傷みやすい食べ物の保管に向いているのです。

 収穫した後は、掘った土を手作業で元の平らな状態に戻します。

 魔法で一気に戻すくらいナナリヤにとっては造作もないことですが、手作業の方が美味しく育ってくれることを彼女は知っていたのです。


「スーラ、手を洗わせてくださーい」


 ナナリヤが呼びかけると、軒下から青い楕円形の物体が飛び出してきました。

 一般的に知られている低級モンスターのスライムです。

 ナナリヤが森に香辛料を採取しに行った時に偶然見つけたもので、スライムに攻撃の意思が見られなかったため何かの役に立つだろうと持ち帰ったのでした。

 パンの切れ端など、余ったものを与えていたらすっかり懐いたようです。


 ナナリヤが両手を出すとスーラと呼ばれたスライムはその高さまで飛び上がってナナリヤの両手を自分の体に差し込みました。

 すると忽ち、泥で汚れたナナリヤの両手が綺麗に洗浄されていきました。

 スライムの体は魔力を含んだ水分で出来ているため、こういった使い方もできるのです。


「ありがとう。後でパンの耳をあげますね」

「キューキュー!」


 ナナリヤがそう言うと、スーラは嬉しそうに鳴いて窓から家に入っていきました。

 スライムは食べなくても生きていけますが、食べ物をあげると喜んで尽くしてくれます。


 さて、ナナリヤは頭の中で今日の予定を組み立てました。

 今日は、先の台風で破損してしまったログハウスの修理をすることにしましょう。

 ナナリヤはここから少し歩いたところに別荘を作っていたのです。

 仕事で息が詰まった時に、気分転換に利用するのです。

 しかし今は、台風の猛威によって屋根が吹き飛んでしまっているので、日差しが入り込んでとてもリラックスできる状態ではなくなっています。

 夕方に街に買い物に出掛けるので、ログハウスの修理はそれまでに終えたいところです。

 ナナリヤはその前に食事を済ませてから、外出用のローブに着替えて別荘のある場所まで向かいました。


 この森は訪れるたびに地形が変わるため、目的の場所に辿り着くのは困難です。

 ナナリヤが訪れるまでは何の変哲もない森だったのですが、魔女であるナナリヤが長い期間住んでいたことでダンジョン化してしまったのです。

 ダンジョンの発生原理についてはこれまで何度も学者が研究してきました。

 その長きに渡る研究成果の一つが、膨大な魔力の干渉を受けた場所がダンジョンになりえるというもの。

 ダンジョンは森の中で発見されることが多かったですが、今まで、その理由は謎に包まれていました。

 しかし、ダンジョンの形成に魔力が関係しているとなれば、それも納得というものです。

 なぜなら、森には微量の魔力が循環しているからです。

 その魔力の流れにモンスターなどといった体内の魔力含有率の高い存在が接触することで、森の魔力と共鳴して、森をダンジョンへと変容させたと言えます。

 森には多くのモンスターが生息していますからね。

 通常の人間、場合によってはA級クラスのモンスターを上回る魔力を有するナナリヤが訪れたことで、森がダンジョン化した――十分ありえる話でしょう。


 しかし、別荘の場所が毎回変わるのは困ります。

 そこでナナリヤは、別荘を建てた土地に【不動の呪い】をかけていました。

 上級魔法に属する【不動の呪い】は、魔術警備団の取得必須魔術である中級魔術【痺れ鎌】の上位互換です。

 【痺れ鎌】の効果は、術をかけた相手を痺れさせることで体の自由を奪うというもの。

 主に捕まえた罪人を取り逃がさないために行使されます。

 しかし、人間に対してのみ有効で、さらに麻痺耐性のある相手には通用し‎ないので万能とは言えませんでした。


 それに対して【不動の呪い】は、種族を問わず、条件もなく相手を封じ込めることが可能です。

 さらに、【不動の呪い】は無機物に対しても効果を発揮します。

 つまり、その気になれば街に呪いをかけ、そこに住む全ての生き物を封じ込めることだってできてしまうのです。

 非常に強力な魔法ですが、今現在【不動の呪い】の使い手はナナリヤを除いて存在しません。


 ナナリヤはそんな貴重な魔法を、別荘を同じ場所に留めておくためだけに使ったのです。

 流石の彼女も森全体に魔法をかけると魔力が枯渇して死んでしまうので、別荘の周辺の土地にのみ【不動の呪い】をかけました。

 これによって、森が姿を変えても別荘は元の場所に残り続けます。

 つまり、形状を変え続ける森の中で、別荘の場所だけは動かないのです。


 ナナリヤは以前通った道を思い出しながら、森の中を進み始めました。

 場所は分かっていますが、森が複雑化しているため通行は困難を極めました。

 少しでも違う道を行けば迷ってしまい二度と出られなくなるので、以前通った道が滝になっていても、崖が聳えていてもそのまま突き進みました。

 なぜか壁が出来ている箇所があります。

 しかも無駄に多く、その度にナナリヤは魔力コストの低いファイアボールを発動させて壁を破壊して進みました。


 そうしてようやく辿り着いた別荘は、以前被害を確認したときと変わらぬ無残な有様でした。

 屋根は吹き飛び、外装は剥がれ落ち、ともすれば廃屋のような状況です。

 これでは、ゆっくり休めません。

 ナナリヤは、まずは屋根の資材を探しに行きました。

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