病気と真っ白な絵本

 おもちゃをレンタル出来る不思議なおもちゃ屋『魔法屋』を知ってるか?

 知らない人の為にルールを簡単に教えてやるよ。


【ルール】


 一つ。店に入れるのは一日一組。


 一つ。店に入れるのは子供同伴で心の清い家族のみ。


 一つ。レンタル期間は一年間。自動で返却されるから店へ返しにくる必要はない。


 一つ。レンタル料として金銭は受け取らない。


 店の入り口に貼られたルール表に書かれているルールはこの四つ。そして、この四つをベースとして例外や細かなルールがあって、それを店主のおじさんから更に説明されるという感じだ。

 何でルールの説明をしたのか。

 それは俺がおもちゃ屋に置かれる存在としてはちょっと変わったものだから。おもちゃにもルールにも例外があるってことさ。


 変わりものの俺は中々レンタルされない。それでも俺が魔法屋にいる理由は数少ないフィーリングの合う子ども達へ夢と希望を与えるためだ。

 今日も俺はレンタルされないだろうから、俺なりの楽しみ方で一日を過ごそうかな。


 ◇


 おもちゃ屋の花形と言えば何だと思う?

 店内中央の台に並べられている奴? それともカウンターの後ろの棚に置かれている奴?

 店によってレイアウトは違うだろうけど、魔法屋ではショーウィンドウだ。もっとも、魔法屋は特定の人にしか外からは見えないからあまり意味はないのかもしれないけど。

 人通りのある歩道に隣接している店の顔と言えばそこに並べられている物だと俺は思っている。

 そして、俺の定位置はショーウィンドウの角。歩道と店内を見渡せる最高のポジションなのだ。


 この位置は実に素晴らしい。

 店内の会話は勿論のこと、小さいけど外の音も聞こえてくる。

 俺はここから中や外の様子を見聞きするのが大好きだ。なんて言ったって俺たち魔法屋のおもちゃはレンタルされない時は何年もされない事なんてざらにある。

 かく言う俺もそうだ。だけど俺は別に外へ行きたいとかそういうのはない。

 俺はおもちゃ屋に置かれる物としては特殊な存在だというのを自分でも理解しているから高望みはしないのさ。

 それにこうやって変わりゆく景色や客を見ているのも楽しいもんだ。

 そう。今日みたいに例外的な客が訪れる日は特に。



 店にやってきたのはスーツ姿のサラリーマン風な男性。この店は魔法がかかっているから、大人だけだと郵便等の配達員さんなど特定の人しか外見ではおもちゃ屋だと気付かない仕組みで、それ以外の人には一軒家に見える。一応これにも例外はあるけど。

 なのに大人一人で入ってきた彼には何かしら特別なものがあるのかも知れない。

 店内をぐるりと見て回って戻ってきた彼は浮かない顔をして溜め息を零し、カウンターの呼びベルを鳴らした。


「はい、お待たせしました。何か御用ですか?」


「あのー……ちょっと困っていまして」


「困り事ですか?」


「実は娘におもちゃを選んでいたんですが、何がいいか分からなくって……」


「何か事情がありそうですね。聞かせて貰ってもいいですか?」


「はい……」


 彼は困った顔をしたまま事の経緯を話し出した。

 今年五歳になった彼の娘は病気で物心ついた時から入院している。父子家庭で彼が仕事に行っている間はずっと病院で一人ぼっち。

 寂しいだろうと思って面会の度に何か買って行っているのだが、病気を治すためには手術が必要で、その事で塞ぎ込んでいる娘に何を与えたら元気になってくれるのか分からなくなって困っていたとの事だ。


「……という事でして。こちらのお店に惹き付けられたような気がして入ったのですが……」


「そうですか。……分かりました。本来、ウチの店はお子様が来店しなくてはいけないルールですが、事情が事情ですので出張しましょう」


「すみません。無理を言ったようで」


「ただし、少し時間を下さい。一回の出張で娘さんと合うおもちゃがあるとは限りませんので」


「はい、大丈夫です。よろしくお願いします」


 スーツの彼が深々と頭を下げて店を出ていった後、すぐにおじさんはカバンを用意してめぼしいおもちゃを詰めていく。

 ぬいぐるみに人形、コンパクトやミニピアノ。どれも女の子が好きそうなおもちゃばかりだ。

 おじさんの事だからひとまず様子を見るって感じだろう。


「それじゃ、みんな。ちょっと出かけてくるよ」


 いつもの穏やかな感じで出ていったおじさんだったが、帰ってきた時には困った顔をしていた。

 どうやらおじさんもかなり悩まされる女の子みたいだ。


 次の日もおじさんは病院へ行く為にカバンへおもちゃを詰めようとするが、持っていくおもちゃが中々決まらない様子。


「はぁ……どのおもちゃがあの子と合うのだろうか」


 たった一回でおじさんをここまで困らせるとは相当難しい子らしい。

 こうなったら特殊な者同士、俺が会いに行ってやろうじゃないか。


『おじさん! 俺を一度、その子の所へ連れてってくれないか?』


「うーん……困ったなぁ……本当に困ったなぁ……」


『おじさーん! 聞いてる? おーい』


 困った困ったと言って今度は男の子が好きそうなおもちゃを詰め込んで店を出て行った。

 ふむ。まだ俺の出番じゃないって事か。


 三日目、四日目も声をかけたけど、おじさんの耳に俺の言葉が全然入らない。

 わざと無視しているんじゃないかと思うくらい周りの声が耳に入っていないおじさんがションボリしてきた五日目。


「今日はどのおもちゃを……はぁ……」


『おじさん。大丈夫か?』


「ん? あぁ……君か。大丈夫だよ。ちょっと困った子に会っただけだから」


『どんな子なんだ?』


「ずっと病院に一人でいるせいか、お父さんが来た時以外は笑いもしないし、嫌なことがあれば泣き喚く。ワガママなお姫様みたいだと看護師さんが言っていたよ」


『それでその通りだったから困っていると?』


「そうだよ。お父さんが色々与えているおかげでおもちゃに対して中々興味を示さないのか、全然フィーリングの合うおもちゃが居なくて」


 やっぱりここは俺の出番。これだけ特殊な子ならきっと俺と合う。根拠はないけど、そんな気がしたんだ。


『おじさん。俺を連れてってよ』


「いいのかい? 自分から進んで行って合わなかったら落ち込む事になるよ?」


『それでもいい。俺、その子に会ってみたいんだ』


「……そうかい。なら、君に賭けてみるか」


 おじさんはカバンを置いて俺だけを手に持って病院へと向かった。

 待っていてくれ。今、君に会いに行くから。


 ◇


 お父さんが魔法屋へ来たことから病院か家が近いと思っていたら、病院と家の両方が割と近い所にあるとおじさんが教えてくれた。

 実際、病院は魔法屋からバスで数駅離れた所にあり、魔法屋は家と病院の間にある。

 毎日お父さんは会社の昼休みの時間に娘の所へ来て、休みの日は面会時間の始まりから終わりまで必ず居るらしい。

 話を聞く限り彼女は口に出さないだけで、物凄く寂しい思いをしているのかも知れないな。



 病室のドアをノックして中へ入るおじさん。


「失礼するよ」


「またきた」


 入ってきたおじさんに彼女は呆れた様子を見せていた。

 彼女の病室は個室。ベッドの周りだけでなく窓の縁など、置ける所に所狭しと大小様々なおもちゃが置かれていた。

 これは全部、彼女が寂しくならないようにお父さんが置いていったものだろう。


「まぁ、そう言わないでおくれ。スズちゃんのお父さんに頼まれたからね。おじさんも頑張ってスズちゃんとお喋り出来るおもちゃを探しているんだよ」


 へぇ、この子がおじさんを困らせている子か。名前はスズ……よし! 覚えた。


「おもちゃとお喋り出来るわけないもん。おじさんはうそつき。うそつきおじさん」


 おもちゃと話せるなんて普通は信じない。それにしても子どもはハッキリ言うなぁ……。うそつきおじさんって……見た目が胡散臭いから仕方ないけど。


「今日はまだうそつきおじさんじゃないよ。でも、持ってきたおもちゃとスズちゃんがお喋り出来なかったら、今日も一日、おじさんはうそつきおじさんになっちゃうね」


「おじさん、カバン持ってない。おもちゃ持ってきてないから、やっぱりうそつきおじさんだ」


 スズが「うそつきおじさんだ」と指摘すると、おじさんは手に持っていた俺をスズの膝へ置いてニコリと笑った。


「今日はこの絵本だけだから、カバンはいらないんだ」


「絵本? …………これ、絵本じゃない。うそつき」


 スズがおじさんにうそつきと言うのも無理はない。だって、俺は中身も表紙も真っ白だから。


「嘘じゃないよ。これは絵本なんだ。君も黙っていないで何か言ってやっておくれ」


 「何か」って言われても困るなぁ。俺の声が聞こえなかったら、独り言を言っているみたいになって恥ずかしいじゃないか。

 えーっと……何を言うべきか……。


『俺は絵本だ』


 気のせいかも知れないけど、俺が喋って静まり返った気がする。

 もしかして、スベった? というか、聞こえていない?


「はぁ……やっぱり今日もダメだったかな……」


「おじさん! これ、喋った!」


「え? 聞こえたのかい?」


「うん! 絵本だよって言ってた」


「そうかい。今日からスズちゃんにこの絵本を貸してあげよう。でも、ルールがあるからまずはそこから説明しようか」


 おじさんはスズに分かるようにルールを説明していつもの決まり文句を言う。


「ルールは分かったかな?」


「うん」


「じゃあ、おもちゃに名前を付けてあげて」


「絵本にお名前?」


 そりゃ不思議に思うよな。普通は絵本に名前なんて付けやしない。ましてや、真っ白の絵本に名前なんて……。


「絵本さん」


『それが俺の名前?』


「うん。『絵本だ』って言ってたから……」


「いい名前だ。おじさんはスズちゃんに合うおもちゃを渡したからこれで失礼するよ」


「ばいばい。ありがと、うそつきじゃないおじさん」


 スズは帰るおじさんに笑顔で手を振った。

 なんだ……笑わないって言っていたけど、こんなにも素敵な笑顔を出来るじゃないか。


 おじさんが帰ってからスズはずっと無言で俺をジーッと見つめている。

 本というのは見られるのが当たり前だが、なんだかとても気まずい感じがした。


『な、なんでジーッと見てるんだ?』


「絵本だから」


『そ、そうだよな。じゃあ、ページを捲ったりしろよ』


「しない。だって、真っ白だもん」


 スズに言われて忘れていた事を思い出した。俺が変わった仕様だった事を。


『ごめん、忘れてた』


「何か忘れたの?」


『俺がちょっと変わってるって事さ』


「ふーん」


『あんまり興味がなさそうだな』


「だって、真っ白だもん。普通の絵本と違うもん」


『真っ白って事は、そこに何でもえがけるって事だ』


「お絵描きしていいの?」


 スズはクレヨンを取り出し、俺に絵を描いて遊ぼうとする。


『待て待て! クレヨンはやめてくれ!』


「えー!? わかった。じゃあ、これ」


『あーっ!? それはもっとダメ!』


 止めるのも虚しく、俺の表紙にマジックで『すず』と書かれてしまった。


「スズのだから、お名前書いたの。字書けるんだよ? 偉い?」


『うん。偉い偉い。だから、もうマジックは片付けてくれ』


「……はーい」


 残念そうにマジックを片付けたスズはションボリして書いた文字を指でなぞっている。

 また気まずい感じになっちゃったよ……。


 ◇


 気まずい感じのままずっとスズは俺から目を離さない。

 興味がないような言葉を言っていたけど、なんだかんだ興味はあるようだ。

 そうとなれば俺の出来る事をするまで。俺がただ喋れるだけの絵本じゃないってところを見せてやろうか。


『スズは絵本とか読むのか?』


「パパが来たらいつも読んでくれるよ。スズはあんまり字が読めないから」


『そうか。なら、これからは俺もスズに絵本を読んであげるよ』


「絵本さんが絵本を読むの?」


『そうだよ。俺は読み聞かせが出来る絵本なのさ』


「読み聞かせ?」


『言葉で説明するよりやってみた方がいいかな。スズ、好きなお話はなんだ?』


「スズは冒険するやつが好き! あとは……美味しそうなのが好き」


『冒険に美味しそうなのか……よーし!』


 俺はそこら辺の絵本とはひと味もふた味も違う。それを今からお披露目しよう。


「あっ……」


『どうだ? 凄いだろ』


「すごーい! 真っ白だったのになんでー?」


 スズが驚くのは当たり前。スズの名前が書かれているだけだった俺の表紙には絵とタイトルが現れたのだから。

 そう。俺はレンタルした子の読みたい話をオリジナルで作り出す絵本なのさ。

 ただ俺が変わっているのはそこだけじゃない。


『俺は魔法の絵本だからな。ほら、驚いてないで開いて開いて』


「わぁ〜!」


 表紙を開いたスズは更に驚いていた。

 そりゃ驚くだろう。俺は飛び出す絵本。しかも、3Dグラフィックのように飛び出した絵はアニメみたいにそのページの話に合わせて動くものだから。


『じゃ、始めるぞ。【スズの美味しい冒険】の始まり始まりー』


「ぱちぱちー!」


 拍手しながら「ぱちぱち」と言って貰えるこの光景……久しぶりだ。これは気合いが入る。


『ある所にスズという村娘がおりました』


「あははははっ! スズ、村娘だってー」


『スズは食べる事が大好きでいつも美味しい物を食べたいと思っていました』


「スズ、病院のご飯きらーい」


『しかし、スズの村は小さくて食べ物があまりありません』


「お腹減っちゃうー」


『困ったスズはある事を思いつきました』


「なになに〜?」


『「そうだ。村にないなら外へ探しに行こう!」こうしてスズは美味しい物を探しに旅へ出ました』


「次は?」


 絵の動きが止まったところでスズはページを捲って続きの話を探す。


『続きは明日』


「えーっ!? 次のお話見たいー!」


『一気に見たらつまんないだろ? 明日のお楽しみさ』


「みーたーいー!」


 スズが駄々を捏ねているとノックの後、病室のドアが開かれて看護師さんが入ってきた。


「スズちゃん検査のお時間ですよー」


「イヤー」


「はいはい。そう言わずに手を出して」


 嫌々ながらもスズは大人しく検査を受ける。物腰が柔らかく優しそうな看護師さんだからだろうか?


「ねぇ、スズちゃん。さっき誰かとお話してたみたいだけど、誰とお話してたの?」


「絵本さん」


「絵本?」


「そう! このスズの絵本さんにお話をして貰ってたの」


「スズちゃんの名前しか書いてないよ?」


「真っ白だったけど絵が出てきたの」


「不思議ね。私には見えないけど、スズちゃんには見えるのね」


「うん。お喋りも出来るんだよ」


「良かったわね。これでお父さんが居ない時も寂しくないね」


「スズ、パパが居ない時も寂しくないもん」


「パパが帰った後、いつも泣いてるのに?」


「泣いてないもん。スズは強い子だから泣かないもん」


「そうね。スズちゃんは強い子だもんね。強い子のスズちゃんはお注射しても泣かないよね? はい、チクッとするよー」


「いたぁああああいっ!」


 強い子スズは泣いた。泣かないと言ったそばから。


「はい、終わり。また来るからね」


「来ないで!」


 看護師さんが去ってもまだ泣きべそをかいているスズを元気付けてあげようかな。


『スズ、大丈夫か?』


「大丈夫じゃない。スズ、寝るから話しかけないで」


『はい……ごめんなさい』


 あーあ、怒られちゃったよ。ま、起きたら機嫌が直っているだろ。



 スズが起きたのは昼ご飯の時間。起きてもスズの機嫌は直っていなかった。

 割と根に持つタイプなのかな?


「もういらない。絵本さん、お喋りしよ?」


 スプーンを置いて俺を手に持ったスズは運ばれてきた食事をちょっとしか食べていない。正確にはお粥みたいなご飯を数口とデザートのすりおろしりんごだけ。

 体調が悪いのかな?


『スズ、具合悪いのか?』


「なんで? スズ、元気だよ」


『だって、いっぱい残してるじゃないか』


「スズ、病院のご飯嫌いだもん」


 スズに必要な栄養を考えて作られている食事を残すのは良くない。具合が悪いならまだしも好き嫌いで食べないのはダメだ。

 お話を読んでいる時もスズは「病院のご飯が嫌い」だと言っていたけど、ずっと病院生活だからなのかも知れない。

 なんとか食べてくれないものか……。


『スズ、ちゃんと食べないと早く良くならないぞ? ずっと病院に居るのは嫌だろ?』


「うん。病院イヤ」


『じゃあ、残さず食べような?』


「ご飯もイヤ」


 なんとワガママな……。これ以上言っても機嫌を損ねるだけだ。スズが食べたくなるまであまり言わないでおくしかないか。


 ◇


 スズとお喋りをしているとお父さんがやってきた。

 時間を見るに、お父さんはスズのご飯の時間と被らないように仕事のお昼休憩をズラしているようだ。


「パパ!」


「今日も良い子にしてたかい? スズ」


「うん! スズはいつも良い子だよ」


 めちゃくちゃワガママ言ってたクセに。


「ねぇ、パパ! 絵本ありがと!」


「ん? 絵本? あー、魔法屋さんのおもちゃって絵本だったのか」


「うん! これ!」


「おや? スズの名前しか書いてないぞ?」


「パパも絵が見えないの? お注射のお姉ちゃんも見えないって言ってた。絵本さんはお喋りも出来るんだよ? ねぇ、絵本さん。パパとお喋りしてみて」


『急に言われてもなぁ。お父さん。スズは注射の時、泣いてたぞ。それにワガママばっかり言ってる』


「それは言っちゃダメ! 絵本さん、お喋りやめて!」


 まーた、怒られた。本当の事を言っただけなのに。


「今、何か喋っていたのか? パパには聞こえなかったけど、なんて言ってたんだ?」


「パパには内緒!」


「ははは、そうか。パパには内緒か。それにしてもスズにだけ絵が見えて、お喋り出来るなんて不思議な絵本だね」


「うん。不思議ー! パパが居ない時は絵本さんとお喋りしてるの」


「それは良かった。スズの寂しい時間が減ってパパは嬉しいよ。なぁ、スズ。パパの声は絵本に聞こえるのか聞いてみてくれないか?」


「いいよ! 絵本さん、パパの声聞こえる?」


『ああ。聞こえてるよ』


「『聞こえてるよ』だって」


「そうか。……絵本くん。僕はずっとスズの傍に居たい。だけど、そうはいかなくてね。すまないが僕が居ない時は君がスズの寂しさを紛らわせてあげてくれないか? スズはずっと病院生活で友達も居ないから、君にしか頼めないんだ。いいかな?」


 お父さんがスズを心配する気持ちが痛いほど伝わってくる。魔法屋に訪れた時も困りに困って疲れているようにも見えた。

 きっとお父さんはスズが寂しがらないように沢山のおもちゃ屋を回ったり、何がスズを喜ばせるのかを考えていたのだろう。


『ああ。心配しないでくれ。俺がスズの傍に居てやるよ』


「スズ、絵本さんは何か言ってたか?」


「『心配しないで』って。それと『スズの傍に居る』って言ってたよ」


「ありがとう。……おっと、そろそろ仕事に戻らないと。それじゃ、また夕方に来るから。泣かないで良い子にしてるんだよ?」


「スズ、泣かないよ」


「じゃ、行ってきます」


 お父さんが急ぎ足で病室を出て行ってすぐ、


「ぅわぁああああんっ! パパァアアアッ!」


 スズは泣いた。

 小さいながらもお父さんを心配させないように明るく振舞っていたみたいだ。

 寂しさを紛らわせてあげて欲しいと言われたけど、こんな時くらい好きなだけ泣かせてあげよう。


 ◇


 俺がレンタルされて二ヶ月ほど経っただろうか。

 毎日一緒に居ると、スズの行動パターンが分かってくる。

 まず、スズは俺やお父さんと話している時しか笑わない。当然、そこに看護師さんやお医者さんが居たら笑顔をみせない。

 次にお父さんが居ない時に看護師さんが来るとワガママばかり言う。お医者さんの時に至っては怒ったり、泣き出したりして大変だ。

 そして、定期的に外の空気を吸うのと運動を兼ねた【お散歩の時間】というのが週に二度あるのだが、ここでもワガママ放題。少しでも嫌な事があれば、すぐに病室へ帰る。

 最後に、スズは頑固。自分がやりたくない、食べたくないと思ったら、何を言っても聞かないし、無理にさせようとすれば泣き喚いて暴れる。


 こんなワガママ姫なスズは最近様子がおかしい。今までは俺のお話を楽しんで「お話をして!」と毎日強請っていたのが徐々に少なくなってきていて、日を重ねる毎に出会った時の素っ気ないスズに戻ってきているような感じがした。

 何となく原因は分かっている。それは……。


『森でリスさんに甘くて美味しいサクランボをご馳走になったスズは次の美味しいものを探して森の奥へ進みました。はい、今日はここでおしまい』


「うん……」


 俺のお話をする度に元気がなくなっている。

 恐らくスズが少しでも早く退院したいと思ってくれたらと考えて始めたこのお話が原因だろう。


 それでもお話を読み進めて更に四ヶ月が経った頃。読み聞かせをしながらスズを観察していた俺はようやく何故お話をする度に元気がなくなるのかが分かってきた。

 スズの元気がなくなる瞬間は【楽しそうに動き回るシーン】と【美味しい物を食べるシーン】の時が多い。

 多分、ずっと病院にいて病院食ばかりのスズは自分と同じ容姿の主人公が自由に望んだ生活をしているのを見て、それと今の自分を比較して落ち込んでしまっている。それだけじゃない気もするけど……。


『スズ。今日はお散歩の日だな』


「……うん」


『天気も良いし、今日は外でお話を読もうか?』


「いらない」


『まぁそう言うなって。気分が変わって良いかもしれないぞ?』


「……うん」


 トイレや病室外での検査以外は基本的に病室の外へ行く時は俺を持ち歩いてくれるスズ。おかげで少し病院内のことを知ることが出来た。


 心地良い秋晴れの日が当たる中庭のベンチに俺とスズはやってきた。

 静かで病室よりひらけた場所。青空の下で日光を浴びながら冒険物を読めば共感性を持ちやすいし、良い気分転換になるだろう。これならスズの沈んだ気持ちも晴れるに違いない。


『それじゃあ、昨日の続きを読もうか。さぁ、ページを開いてくれ』


「……うん」


 浮かない顔のスズがページを開き、俺は続きを読み聞かせる。気合いを入れて読み聞かせをするが、お話が進んでいってもスズは浮かない顔のまま。

 それでもお話を続けていると、


『スズは宝石みたいなお菓子を頬張り……お、おい。何で閉じちゃうんだ!?』


「もういい。お部屋に帰る」


 俺を閉じてベンチから立ち上がって病室へと歩き出した。

 お話の途中で閉じて中断するのは初めてだ。スズの初めてとった行動に驚いて俺は病室へ着くまで黙っているしか出来なかった。



 病室へ戻ってきたスズは一言も喋らない。俺も何を話して良いかわからず、静かで重い空気のまま昼食の時間を迎えた。

 今日も運ばれてきたご飯にスズは殆ど手をつけない。やはり俺のお話のせいで余計にスズが病院食を食べたくなくなってしまっているだろうか。それとも他に何かあるのかな……?


 机の上にご飯があるのにベッドへ仰向けで寝転がって天井を見つめてお腹を鳴らしている。「お腹が減っているなら、食べれば?」と言いたいけど、そうはいかない。こうなってしまったら、ちょっとやそっとではスズは言うことを聞いてくれないからだ。

 どうにかしてご飯を食べるように促せないかと考えていると、珍しく昼食の時間に被るようにお父さんが病室へやってきた。


「スズ、良い子にしてたかい?」


「パパ……」


「おや? ご飯がいっぱい残ってるね。具合が悪いのかい?」


「ううん。お腹いっぱいなの」


 スズは嘘をついた。そして、その嘘は「お腹いっぱい」と言った後に鳴ってしまったお腹の音でバレてしまう。だけど……。


「そうか。お腹いっぱいなら仕方ないね」


 お父さんはニコッと笑ってスズの頭を撫でた。聞こえていなかったのか?


「ねぇ、スズ。ちょっと絵本さんをパパに貸してくれないかい? 少しお話がしたいんだ」


「……いいよ」


「ありがとう。すぐに戻ってくるから待ってておくれ」


「うん」


 お父さんに連れて来られたのはスズに読み聞かせをした中庭のベンチ。そこへ腰を下ろしたお父さんは辺りを見回した後、小声で話を始めた。


「すまないね、連れ出して。スズの前では話せない事だから」


『ああ、構わないさ。……って、俺の声はお父さんには聞こえないんだったな』


「病室前の廊下で話せば良かったんだけど、流石に君へ話していると僕が独り言を言っているように見えるだろうから、ちょっと恥ずかしくてここを選ばせて貰ったよ」


『なるほど。それで人が少ない中庭に連れて来たのか』


「どうしても僕はスズを甘やかしてしまう。さっきも嘘に気付かないフリをしてしまった。本当はちゃんと食べて体力をつけて欲しいのに」


 やっぱり嘘に気付いていたのか。


「スズは母親と同じ病気なんだ。この病気は臓器移植で治る。もっとも、母親の方は移植する臓器が見つからなくて亡くなったけどね」


『そうか……。だから、お父さんしかお見舞いに来なかったのか』


「母親が亡くなった時、僕は何もしてやれなかったと悔やんだ。だから、同じ病気にかかったスズをどうしても甘やかしてしまうんだ。スズに移植する臓器が見つかったってのに」


 スズの様子がおかしかったのは近々、移植手術がある事を知ったからなのかもしれない。


『気持ちはわからなくもないけど、それじゃあスズもお母さんと同じことになるぞ?』


「スズには手術を受けて元気になって貰いたい。生きていて欲しい。あの子は僕の宝物なんだ」


『それなら、そうやってスズに言えばいいじゃないか』


「こうやって思っていても、スズを目の前にすると言えない。僕が居ない間の事は看護師さん達から聞いているから尚更ね」


『お父さんに心配かけまいと振舞っていたのは全て筒抜けだったってわけか』


「そこで君にお願いしたいんだ。スズが元気になれる手助けをしてやって欲しい。本当に喋れる絵本なのかわからない君にお願いなんて滑稽な話だけど、僕はスズが元気になれるなら藁にだってすがるつもりだ」


『お父さんが言えないなら仕方がない。俺が何とかしてみるよ。俺もスズの元気な姿を見てみたいからな』


「話はこれでおしまいだ。すまないね、時間を取らせて。君が本当にスズとお喋りが出来る絵本だと信じているよ」


 悲しげな笑顔を浮かべたお父さんは病室へ戻って俺をスズへ返すといつものように振舞った。


 ◇


 俺がお父さんからスズの手術の話を聞いてから程なくして、その話を病室へ来たお医者さんがした。

 ちゃんとご飯を食べてお散歩をしていれば、手術に耐えられる体力がつくから手術は必ず成功するとお医者さんが言っていてもスズは聞く耳を持たずに泣き喚いて駄々を捏ねた。

 お手上げ状態になったお医者さんが去った病室で枕に顔をうずめるスズへ声をかける。


『スズ……』


「うるさい!」


『お医者さんの言うことを聞こうよ。じゃないと、手術が出来なくてずっと病院暮らしだぞ?』


「手術もイヤッ! 病院もイヤッ!」


『大丈夫。お医者さんだって必ず成功するって言ってただろ?』


「大丈夫じゃない! 怖いもん!」


『なぁ、スズ。聞いてくれ』


「イヤッ! 聞きたくない!」


『いいから聞くんだ!』


「ぅわぁああんっ!」


『スズが手術を怖がるのは分かる。だけど、いつまでもそうやっているとスズだけじゃなく、お父さんも困る事になるんだぞ?』


「イヤイヤイヤァアアッ!」


『スズはお父さんを困らせたいのか? 手術を受けて元気になればお父さんとのお出かけだって、美味しい物を食べる事だって出来る。それに俺も病室で寂しそうにしているのより、元気に駆け回るスズをみたいんだ』


「……うぅ……イヤだもん……怖いもん……」


『スズ。どうしても嫌か?』


「うん……だって、お医者さんもお注射のお姉ちゃんもうそつきだもん」


『嘘つき?』


「病院のご飯は美味しいとか、お注射はちょっと痛いとかうそばかりつくもん。病院のご飯は美味しくないし、お注射は凄く痛いもん。だから、手術も失敗するもん」


『そうか……』


 お医者さんにしても看護師さんにしても分け隔てなくどの患者に対しても先入観を持たせないように言っている言葉をスズは嘘と捉えてそれが余計に不安感を掻き立ててしまっているのだろう。

 それならば……。


『確かにスズの言うように、もしかしたら失敗するかもしれない』


「やっぱり……」


『でも、お医者さんや看護師さんのせいだとは言いきれないぞ?』


「なんで?」


『それはスズがワガママばかり言ってるからだ。ちゃんと食べない、運動のお散歩も気分次第、嫌な事があればすぐに泣く。これじゃあ、お医者さん達が頑張っても失敗してしまう』


「だって、イヤなんだもん……」


『スズはパパとお出かけしたり、美味しい物を食べたり、お友達を作ったりしたいだろ?』


「……うん」


『なら、俺と三つだけ約束してくれないか?』


「約束?」


『そう、約束。【好き嫌いしない】【いつも笑って】【一人ぼっちだと思わない】。この三つの約束を守って欲しい。そうしたら絶対手術は成功するし、その後も元気に暮らせる』


「ホントに?」


『俺がスズに嘘をついた事があるか? それに俺は魔法屋のおもちゃだぜ? この約束も魔法のかかった特別な物なんだ』


「すごーい!」


『どうだ? この約束を守って頑張れるか?』


「…………うん。スズ、約束する。絵本さんはスズにうそついた事ないから」


『そうか。ありがとうスズ。今日から一緒に頑張ろうな』


「うん!」


 俺は嘘をついた。スズが信じると思って約束に特別な魔法がかかっていると言って騙した。

 素直なスズの返事が俺の罪悪感を膨れ上がらせる。この罪悪感が晴れるとしたら、三つの約束が魔法のようにスズの心境に良い変化を与えてくれる事だ。

 だからこそ俺は、俺を信じて頑張ろうとする気持ちに応えてスズの傍で応援してやらなければならない。

 それが例え後半年の短い期間だけでも。


 俺との約束をした日から四ヶ月。ご飯を残さず食べ、散歩もちゃんとして、笑う事も多くなったスズは手術を来月に控えていた。

 流石に手術の日が近付いてくると、スズは不安を隠しきれずにいた。スズが夜中にこっそり泣いているのを俺は知っている。

 でも、泣いている事に触れなかったのは明るく振舞って頑張るスズを見ているから。こういう時は気付かないふりをしてやるのがいいのさ。


 そして手術の日がやってきた。スズの願いで俺も手術室へ行く事になった。

 手術の邪魔にならないスズの近くの場所へビニールに包まれて置かれている。

 全身麻酔が効いてきて虚ろな目をしているスズが話かけてきた。


「絵本さん。手術、怖いよぉ……」


『大丈夫だ。五ヶ月も頑張ったんだ。絶対に成功する。それに俺がずっと傍にいるから安心しろ』


「うん……。ねぇ、絵本さん」


『何だ?』


「スズが手術している間、元気になれるお話をしてね」


『ああ、わかった。いつものとは別で特別なお話をしてやるよ』


「うれしい。スズ、頑張るね」


 弱々しく微笑んだスズは目を閉じ、俺はスズが元気になれるように想いを込めた特別なお話を始めた。



 長時間に及んだ手術は成功し、一度集中治療室へ入室したスズが数時間後に目を覚ました。


「……う……んぅ……」


『おはよう、スズ。目が覚めたか?』


「絵本さん……?」


『もう手術は終わったよ。良かったな、成功だってさ』


「へへ……スズ、泣かなかったよ」


『そうだな。スズは強くて偉いよ。もう少しの間動いちゃダメだから、ゆっくりお休み』


「うん……おやすみ。絵本さん、ありがと……絵本さんのお話、ずっと聞こえていたよ……」


 ◇


 スズが元の個室へ戻ってきてリハビリを出来るようになってから一ヶ月。ついにこの日がやってきた。

 俺の返却日。スズとのお別れの日だ。

 お別れだと告げたらきっとスズは泣いてしまうだろう。だけど、自動的に店へ帰ってしまうのは避けられない事実。

 お別れするのもそれを告げるのも辛いけど言わなければならない。頑張って手術を受けてリハビリもしているスズに俺も応えなければ。


 朝食が終わり、毎日の習慣になっているお話の時間。一年間ほぼ毎日読み聞かせていた超大作オリジナル絵本の最終話を読み聞かせた。


『沢山の美味しい食べ物を手にしたスズはみんなと一緒に仲良く分け合って食べました。おしまい』


「ぱちぱちー! ねぇ、絵本さん。次はどんな食べ物かな?」


 毎話終わる毎にスズは次の話のヒントを強請るのが恒例になっている。


『これでおしまいだから、次はないんだ』


「おしまい? じゃあ、次はどんなお話をしてくれるの?」


 スズは忘れている。俺が今日、店に帰る事を。

 いつだってそうだ。レンタルした子はみんなおもちゃとずっと一緒に居られると思ってしまう。だからこそ、俺達おもちゃは子ども達へ嫌な思い出にならないように別れを告げなければならない。

 俺達だって別れたくない。いつか飽きるとしてもその時まで大切にし、遊んでくれるのだから。

 しかし、これは仕方のない事。時が来る前に早くスズへ伝えなければ。


『次のお話もないんだ。今日、俺は店に帰るから』


「お店に帰る……?」


『そう。だから、今日でスズとお別れなんだ』


 すぐに俺の言っている事が理解出来なかったスズは少しの間沈黙して、そして声を震わせて涙を流した。


「イヤァアアッ! 絵本さんはスズのだもん! お店に帰らないの!」


『ワガママを言わないでくれ。これは決まりなんだ』


「イヤイヤイヤァアアッ!」


『スズ……』


「あっ……」


 泣き喚くスズを止めたのは帰る合図の淡い光。

 光に包まれて宙に浮く俺へ涙を流してベッドに座っているスズは必死に掴もうと手を伸ばすが、スルリとすり抜けて触れない。


「あっ……あっ……行かないで……スズを一人にしないで」


 もう時間がない。今にも消えそうな声で願うスズとの最後の会話の時間を無駄にしちゃいけない。


『スズ。俺と約束した事を覚えているか?』


「うん……」


『一つずつ、ゆっくりでいいから言ってみてくれ』


「好き嫌いしない」


『うん。好き嫌いしていると大きくなれないし、体にも良くないからな』


「いつも笑って」


『泣くなとは言わない。怒るのも仕方がない。でも、人に元気をあげられるスズの眩しい笑顔を忘れないで欲しい』


「一人ぼっちだと思わない」


『退院しても友達が出来るか不安だと思う。だけど、離れていてこの先会えるかも分からないけど、俺はずっとスズの友達だ。だからスズは一人じゃないんだよ』


「絵本さん……」


『俺が居なくなってもこの三つの約束を忘れないで欲しい』


「居なくならないで……」


『ほら、笑って。最後にスズの笑顔を俺に見せてくれよ』


「うん……」


 涙や鼻水でグズグズのスズは俺のお願いを聞き入れ、綺麗とは言えないけど世界一の笑顔を見せてくれた。


「え、えへ……へ……。スズ、ちゃんと……笑えてる……かな……?」


『ああ。とっても素敵な笑顔だ』


 光が強くなり、俺は徐々に上昇していく。


『スズ。いつか会えたら、またその笑顔を見せてくれよ。それじゃ、またな』


「うん……バイ……バイ。絵本さん」


 病室から俺が居なくなるまでスズは涙をボロボロ零しながらも笑顔を絶やさず見送ってくた。



『スズ。俺は元気に外を駆け回る姿が見れる事を楽しみにしているよ』



 ◇


 俺が魔法屋へ戻ってきてから早一年。春の陽気が射し込むショーウィンドウでいつものように景色を楽しんでいる俺を手に取ったおじさんはカウンターの内側にある椅子へ腰を下ろして俺を開いた。


「久しぶりに君の物語を聞かせてくれないかい?」


『ああ。構わないぜ』


 ここで一つ俺のとっておきの話を少しだけ聞かせてあげようか。


『とある国のお姫様は物心ついた時から重い病気を患っていました。外を駆け回る事も出来ず、来る日も来る日も窓の外を眺めては病食を食べるばかり。そんな毎日のせいでお姫様はワガママばかり言うようになり、笑うこともなくなっていきました』


「それは可哀想だね。何とかならないのかい?」


『そんな退屈な毎日を過ごして何年か経った頃。遠い国の王子様がお姫様のお父さんに頼まれてお見舞いにやってきました』


「ふむふむ」


『最初は普通に話すだけだったお姫様は毎日のようにやってきては楽しいお話をする王子様と打ち解け、次第に笑うようになりました』


「ほぅ。王子様はどんなお話をしたんだい? 笑わなくなったお姫様を笑顔にしたって事は、とても楽しいお話なんだろ?」


『王子様がどんなお話をしたか、って? ……ふふ。また今度のお楽しみってことで』


「気になるなぁ」


『一気に読んじゃ楽しみが減るからな。我慢、我慢』


 これはスズと俺の事に似ているが俺は王子様なんて大層なものじゃない。だから、王子様がどんなお話をしたか、ってのはまだ出来ていないんだ。

 でももし、俺が王子様だったなら病気のお姫様が少しでも元気になる為の勇気をあげるお話をするだろう。

 渋々俺をショーウィンドウへ戻したおじさんは残念そうな顔をしてカウンターの席へ座り直して新聞を読み始めた。

 さぁ、いつもの定位置に戻ってきたことだし、俺はまた今日から変わりゆく景色を見てゆったりとした時間を過ごすとするか。


 さっきおじさんにしたお話で、ふとスズの事を思い浮かべる。

 スズがリハビリや入院生活をどれだけ頑張ったのか知らないけど、きっと俺が居なくなった後も約束を守って頑張ったんだと思う。そう思うからこそ俺は表紙に書かれた彼女の名前を今もまだ消していない。

 これは俺がスズの友達である印だから。


 春の陽気が射し込むショーウィンドウの中はいつもと変わりない。

 たまにおじさんが日焼けを気にして声をかけてくるが、俺はこの場所を譲らない。この先もずっとだ。

 何故ならランドセルを背負って元気に店の前を駆けていくスズの姿を見られるのだから。

 変わり行くショーウィンドウの外は時に陽気より温かい景色を俺に見せてくれる。


 この場所はやっぱり最高のポジションだ。

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