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これは姉ちゃんに宛てたメッセージというか、話です。手紙を書こうかとも思ったんだけど、なんか文章より話のほうが照れなくて済むかなと思って。これも十分照れてるんだけど、うん。
姉ちゃんとはあんまりじっくり話したこともないし、姉ちゃんって呼ぶのも違和感あるくらいだし、でもユキさんっていうのも変な感じだし、やっぱり姉ちゃんかなと思って姉ちゃんって呼ぶけど。姉ちゃん姉ちゃんて言いすぎか。ははっ。
とにかく、ずっと話そうと思ってたんだけど、なかなか言い出せなかったことがあって。もういいかとも思いかけたんだけど、やっぱり話しといたほうがいいと思いました。姉ちゃんのほうからなにも言ってこないってことは、姉ちゃんは大丈夫なのかもしれないけど、なんか考えがあって黙ってるってこともあるかもしれないと思って。
前置きが長いね。なにが言いたいかっていうと、俺の頭はちょっとおかしいみたいなんだ。いや、そう言うと語弊がありすぎるな。なんていうか、ほかの人とはちょっと違うみたいなんだよね。別に普通にやっていけてるから大丈夫なんだけど。それを姉ちゃんに言いたかったのは、もしかして、姉ちゃんも同じだっていう可能性も無きにしも非ずなんじゃないかと思って。ごめん、姉ちゃんの頭がおかしいかもっていう意味じゃなくて。でも、血がつながってるのって、もう姉ちゃんしかいないし、姉弟だから遺伝的に共通してるところが多いかもしれないし。まあ、俺の変なところが遺伝のせいなのかどうかもわかんないんだけど。
そもそもの始まりから話したほうがわかりやすいか。姉ちゃんの初めての記憶ってなんだろな。俺は、保育園の庭に立ってる場面なんだ。夕方で、地面に落ちた自分の影をじっと見てるっていう。俺ってこんな形なんだ、って、なんか不思議な気持ちになってるところが、俺が最初に憶えてることなんだ。
もう本当の父さんと母さんが死んで、引き取られたあとだね。残念だけど、俺はまだあのとき三歳で、本当の両親のことは全然憶えてないんだよね。ちょっとくらいは憶えていそうなもんだけど、思い出そうとしてもだめだった。
その最初の記憶の前は完全に空白なんだけど、それからの記憶がものすごく鮮明で、全部憶えてる。本当に文字通り全部。
俺が年長さんの時、俺の育ての母さんが、俺はほかの子と違ってておかしいということに気づいたみたいで。あまりに記憶力がよすぎるって。
俺はその頃は、みんなが俺をからかってるんじゃないかと思ってた。とぼけて、俺を馬鹿にしてるんじゃないかと。そもそも俺には、「憶えてない」っていうことが理解できなかった。俺も物心つく前のことは憶えてないわけだけど、その完全な人生の空白がほかの人が言う「憶えてない」っていう言葉と結びつかなかったんだ。ほかの人の断片的な「憶えてない」は、俺の中には存在しないわけだから。
「憶えてない」って言われると、全世界が俺を拒否してるみたいな感じがした。呪文で、お前はここから先には入ってくるなって指示された気がして。今から思えばとんだ被害妄想なんだけどね。
だから俺は苛々して、ほかの子と上手くやっていけなかったんだ。殴り合いの喧嘩とかしちゃったりして。俺は好んでそうしてたんだ。そうなれば、もう言葉はいらないし、少しは仲間に入れたような気がして。ほんと迷惑な子供だよね。
ほかのお母さんたちが俺のことを見て、あの子は本当の両親に育てられてないから情緒不安定なのかもしれないと話しているのを聞いたことがあったけど、そうじゃなかった。あ、話してる意味がわかったのはあとのことだけどね。その時は意味がわからなかった言葉の連なりが、成長してから意味がわかったってことがたくさんあるんだ。
育ての母さんは、俺の異常は両親が死んだせいではないってことがわかってたみたいだ。母さんは、俺のことを天才だって言った。将来はきっとすごい人になるだろうって。だから、ほかの人がどう言おうと、気にしなくていいって。
その時はただ単に褒められたんだと思って嬉しかったけど、それは無理して言ってくれてたんだとあとになってわかったんだ。小学二年生の時、母さんがそう言った時のことを思い出した時、母さんの目がどこか悲しげで、笑った頬が引きつっていることに気づいたから。
俺にとって「思い出す」っていうことは、ほかの人がしている思い出すこととは違うらしいってことがわかったのはもっとあとなんだけど。俺にとって思い出すことは、過去の体験の完璧な追体験なんだけど、ほかの人にとっては、もっとぼんやりしていて不確かなことらしいね。一度思い込んだことを翻すことはめったにないし、完全に間違ったことを記憶しちゃってる場合もあるし、あとからつけ足されたもので記憶が変わっちゃうこともあるし。
姉ちゃんはどっちなんだろう。俺と同じなの? それとも、ほかの人と同じ? ほかの人と同じだったらいいんだけど。
とにかく、小学生の俺は、母さんが本当は俺の記憶力のよさを喜んでいないってことに気づいた。父さんと兄さんの反応はもっとわかりやすかった。俺のことを気味悪がってた。
母さんもいっそ、同じように拒絶してくれればと思ったよ。中途半端に気を遣われるほうがつらいから。
俺は、普通の子を演じることにした。勉強に苦労することなんてありえなかったんだけど、わざとテストで間違えて、そこそこの成績を維持するようにしたり、細かいことはわざと憶えてないふりをしたり。もちろん、ひとの間違いをむやみに指摘することもやめた。
母さんは、俺の演技にも気づいていて、何度か自然体でいるようにって言ってきたけど、俺が変わらないからそのうち言わなくなった。正直、母さんはわかってないよ。人の集団の中で自然体でいることが生きる上でどれだけ危険かってことを。
俺はそこそこ上手く演技できていたと思う。でも、それは結構な労力でさ。小学四年くらいの時には、自分は異常なんだって認めたうえで、なんとか治す方法はないんだろうかと思い始めた。それでいろいろ調べて、世界には自分と同じような、完全記憶者と呼ばれる人たちがほかにもいるということを知ったんだ。
見つけたその数人の人たちと話すために数か国語を独学して、ネットを通して連絡して通話してみた。みんな親切に対応してくれたし、いろいろ話をしてくれたよ。
それでわかったのは、完全記憶というのは、忘れる能力の欠如であって、脳の障害なんだけど、どうやら治す方法はないらしいということ。あとショックだったのは、俺は普通の人と違うだけじゃなくて、ほかの完全記憶者とも違っているということだった。
俺が必死に説明したことは、ほかの完全記憶者の人たちには理解不能だったみたいなんだ。それは、「過去と現在の同一性」だった。
俺がほかの人と違うと感じていたのは、記憶に関することだけじゃなくて、むしろ、時間に関することのほうが大きかったと言ってもいい。それも記憶と関係してると思ってたし、今も思ってるけど。ほかの完全記憶者なら、俺の感覚を説明すれば絶対にわかってくれると思ってたのに、その予想は外れたよ。「期待」っていう概念も俺にはよくわからないんだけど、その時の気持ちは、期待を裏切られたって表現していいと思う。
俺の言語が拙かったから伝わらなかったっていう可能性はないと思う。みんな、俺の外国語はネイティブレベルだって言ってくれたし、中にはわざわざ日本語を勉強して話してくれた人もいたけど、やっぱり俺の話はわかってもらえなかった。
ほかの人たちが話しているのを聞いて少しずつ学んだことなんだけど、普通はみんな、ぼんやりした「現在」の中でだけ生きていて、「過去」はもうどこにもないんでしょ? でも、俺にとってはそれが理解不能だったんだ。俺の「過去」はなくなってなんかいないから。今もありありと目の前にあるんだ。それが「現在」ではなく「過去」だってことはもちろんわかってるけど、俺は「現在」を生きながら、同時に「過去」を生きることもできる。
「時間が過ぎる」っていう言葉も俺にはあまりピンとこなかった。俺にとって生きるということは、未来が次々と現在になって過去になっていくのを体験することじゃなくて、どんどん増えていく場面をただ眺めていることだから。
やっぱり俺はほかの完全記憶者とは違うんだ。ほかの完全記憶者は、赤ん坊だった頃のことも憶えてるんだって。俺はそうじゃないから、根本的になにかが違ってるんだろうね。なんでなのかはわからないけど。
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