9
雪がしんしんと降り積もる無人駅に、ボストンバッグを持った私は降り立った。
「さむっ」
思わずつぶやいた私に、ペルパーはあきれた声を出す。
「だから厚手のコートを買ったほうがいいって言ったのに」
「だ、大丈夫だよこのくらい」
私は予約しておいた駅前の古びた有人の宿屋に逃げ込み、このまま温かい室内で休んでいたい気持ちを押し殺し、さらにブルゾンの中にパーカーを着こんだ。
ペルパーに呼んでもらった自動運転タクシーに乗り込み、私は女性彫師のもとへ向かった。
彼女の自宅は、単身者向けらしいごく普通のマンションの一室だった。ホームページに住所は掲載されていたものの、弟のことを尋ねた問い合わせのメールに返事は来なかった。だから予約することもできなかったが、だめもとで訪ねてみるしかないと思った。
オートロックではなかったので、直接ドアの前に行くことができた。女性で住所を公開していて、このようなセキュリティで大丈夫なのだろうかと心配になってくる。
耳を澄ますまでもなく、室内からなにか言い争う声が聞こえてきた。どちらも女性らしい。
思わずドアに耳を近づけた時、勢いよく開いたドアに弾き飛ばされてしまった。
廊下に尻もちをついた私を、高校生くらいの女の子が目を丸くして見下した。
「なにしてんの? さっさと出て行きな」
中からは大人の女性の声がした。
女の子はぷいと顔を背け、早足に立ち去った。
開けっ放しのドアの向こうから姿を見せたのは、私より少し年上に見える女性だった。ジーンズとパーカー姿。首と壁にかけた手には暗い模様が見える。長い黒髪をひっつめていて、化粧気はない。室内からは、ほかのタトゥースタジオと同じような強いインクのにおいが漂ってきた。
「誰?」
女性は鋭い声で威嚇するように言う。
「あ、あの、自さんですか?」
よかった。いなければ、寒空の下で帰ってくるまで待つつもりだった。
「はい」
私は自分の名前と、遠方から来たということを告げた。
「ちょっとお聞きしたいことがありまして。メールを送ったんですけど、行方不明の弟のことで」
「行方不明の弟?」
私は弟の名前を言った。彼女は特に反応を見せなかった。
「しばらく山にこもってて、メール見てなかったんだよね。失礼」
彼女は、冗談なのか本気なのか判断がつきかねる口調で言い、さっと室内を示した。
「ま、どうぞ。よそから来た人が外にいると凍死するかもしれないから」
通されたリビングには、シックなテーブルとソファー、本棚があり、壁には家具と同じダークチョコレート色の額に入った刺青の写真が何枚も飾られていた。腕や腰や足に接近して撮られたものだ。
私はそれらに近づいてまじまじと眺めた。ひとつとして同じものはない。しかし、統一されたニュアンスがある。これだ。既視感がないという既視感。
「これはあなたが、えー、あなたの作品なんですか?」
コーヒーを持ってきてくれた彼女に私は写真を示しながら恐る恐る尋ねた。一応中には入れてくれたものの、なんだかいつ怒らせてしまうかわからないこわさを感じていた。あの巨躯の彫師が言っていたように、「作品」と表現したほうが失礼がないのかもしれない。
「そう」
とりあえず機嫌よさげな返事がきて安堵した。
「すごいですね」
慣れないお世辞も言ってみる。本当はよくわからない。
彼女はソファーに座って脚を組み、コーヒーに口をつけてから言う。
「さっきの女の子は、未成年なのに入れてくれって。断っても食い下がってくるのもいるんだよね」
「へえ……」
「座れば?」
「あ、はい」
私は彼女の向かいに座った。
「私は、近くの駅でタトゥーを入れた人を見かけて、ある彫師の方によると、あなたの作品ではないかと言われました」
「え?」
ここまで来た経緯をたどたどしく説明する私を、彼女は細い眉を軽くひそめながら見つめていた。
「そういうわけで、弟はあなたに施術を受けたのではないかと」
「それでここまで来たの? すごいね」
「すごい、でしょうか。まあ、失業してほかにやることもなかったので。弟について、なにかご存知ではないでしょうか」
私は弟の写真を見せた。しかし、彼女は私が差し出したスマートフォンをちらりと見ただけで立ち上がると別の部屋に行った。
戻ってきた彼女の手にあったのは、ICレコーダーだった。
「これ、弟さんから預かってた。あなた宛て」
「え!?」
私は驚いて立ち上がった。渡されたレコーダーをしげしげと見る。もちろん、なんの見覚えもない。
「どういうことですか?」
「弟さんはあたしのファンだったみたい。ネットで調べて、気に入ってくれたって。何度も通ってくれて施術をしたあと、しばらくここにいたこともあって、残していったのがそれ」
「それいつの話ですか?」
「四、五年前かな」
「弟がどこに行ったか知ってますか?」
「知ってたら言ってるよ。出て行ってからは一度も連絡取ってない」
「なにか変わった様子とかは」
「全然。行方不明になってることも知らなかった」
「私宛って……」
「ごめんね。聴いちゃった。別に犯罪の告白とか変な話じゃないから大丈夫。お姉さんに渡そうと思ったんだけど、できなかったんだって」
「それをどうしてあなたに預けたんですか?」
「預けたっていうか、置いてっただけだから。でも、なんとなく捨てないほうがいいんじゃないかと思って、取っておいてた」
「そうなんですか……」
「とりあえず聴けば?」
「あ、はい」
私は再生ボタンを押した。抑揚がないながらもはっきりとして落ち着いた声が聞こえてきた。聞くのは約四年ぶりだが、それは確かに弟の声だった。
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