私は本を読むことが好きだ。いや、好きだった。大学に行けなくても、ネットで本を読むことができればそれでいいと思った。その気になれば、働きながら自分で学費を払いながら大学に行くことも可能だったかもしれないが、そうしなかった。親戚に、大学に行かせてやることができなくて申し訳ない、とおざなりに謝られた時も、私はいつも彼らにそうしてきたように、いいえ、大丈夫です、と最低限の愛想のよさと装いきれていない空虚な明るさで答えた。

 しかし自分でも意外なことに、度々、大学に進まなかったことへの後悔が首をもたげる。その後悔は幸せな夢からもたらされた。高校の卒業式、これからの学校生活と、その先の人生に対して期待に胸を膨らませる、私ではない私が夢に登場してくるのだ。夢から覚めると、私は自分の中の虚無感に驚く。

 本当の私が高校の卒業式でなにを思っていたのか、不思議と思い出せない。いつから本を読まなくなったのかも思い出せない。弟が失踪してからだったろうか。

 弟も大学には進まなかったらしい。就職したという連絡が本人から来て、その時に知った。

 弟を引き取った親戚は、私を引き取った親戚よりも遠い関係だった。そのせいなのかどうなのか、彼らのほうから連絡してくることはほとんどなかった。私を引き取った親戚と同じく、弟を養子にしてくれたということだったから、少なくとも私の義理の親と同じくらいの義務的愛情は注いでもらっているのではないかと勝手に思い込んでいたが、それが事実なのかどうかはわからない。引っ越しの際に弟に会った時、彼の義理の父親がその半年前に死んだことを聞いたが、弟の感情はなにも伝わってこなかった。

 悲しくないのか、悲しみを乗り越えたのか、悲しみを隠していたのか、逆に嬉しい気持ちを隠していたのか、どうでもよかったのか。

 わからないけれど、もし私の義理の親が死んだとしたら、私も同じようにただ平静な態度でいるかもしれない、と思った。私の場合はきっと、装った平静さではなく、本物の空虚だろう。弟の態度は私と似ているところもある。しかし、心の中まで似ているとは限らない。


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