職場から、半年後の解雇を宣告された。

 私の勤めるホテルは建て替えが決まったらしい。新しいホテルは、清掃が全自動となるそうだ。使用済みシーツはベッドの中に巻き込まれ、排出管を通ってクリーニング業者に送られ、ゴミ箱も収集車に直通となり、バスもトイレも自らを洗って乾かし、カーペットはゴミを吸い込んで排出。

 やはり、もう失うものはないと思っていたのは間違いだった。

 ベーシックインカム制度施行以降、労働者の権利は重みを失くし、解雇に関するルールや失業保険は廃止された。私が働きだす前のことだ。私は、労働が生きる上で重要だった時代に労働したことがない。

 家賃の安いところに引っ越さなければいけないかもしれない。タワーマンションからアパートに。半年前に告知してくれただけ良心的だった。

 そんなことを考えながら、風呂場で洗面器にシャワーからぬるま湯を張っていた。裸の太ももに載せた洗面器の中で開いた左手がお湯に浸っていく。仕事を辞めるということは、もう手荒れに悩まされることもないのか。

 ぬるま湯で洗顔をする。美容のため、肌に負担をかけないように、シャワーや熱すぎるお湯を直接顔に当てないようにしている。化粧品などにはお金をかけず、おしゃれとも無縁なのに、そんなところにはなぜかこだわってしまう私は一体なにを目指しているのだろうか。

「ペルパー」

 洗顔を終えたわたしは湯船につかった。湯船は手足を伸ばしても十分な広さがある。その分掃除は大変だが、もう少し新しいマンションでは、自動清掃機能がついているところも多いと聞く。

「やっぱり引っ越したほうがいいかな?」

「引っ越さなくても大丈夫だと思うよ」

 私の耳の中でペルパーは答える。

「仕事を辞めても、毎月の出費額が増えなければ、毎月の貯金額が十パーセント減るだけで十分暮らしていけるよ」

「あ、そうなの?」

「うん。特に出費が増える予定や貯金目標額はないんだよね?」

「うん。なんとなく将来不安だから貯金はしてるけど……」

 まだ老後のことを考える年ではないとは思うが、私の性格だと、このまま一人でいる可能性が高いし、誰かに世話してもらうことは望まないほうがいいだろう。いつまで現在の社会制度が持続するのかもわからないし。そもそも、お金を使おうにも、用途が思い浮かばない。

「じゃあ、今すぐ引っ越さなくても大丈夫か」

 そして、次の仕事を慌てて探す必要もないわけだ。もし必死に探したとしても、見つからないかもしれないけれど。

 体を包むお湯から立ち上る湯気を見つめた。束の間、思考が湯気の動きとリンクして停滞する。やっぱり空っぽだ。でも、空っぽだと思う自分はまだ存在している。

「ペルパー、この前駅ですれ違った女の人のタトゥーなんだけど、似てるものを検索して」

「オッケー」

 ペルパーの軽快な返事とほぼ同時に、目の前の空間にホログラムが現れた。ペルパーと、風呂場の壁のホログラム発生器は接続されていて、ウェブ上の画像検索結果が表示される。様々な刺青の画像が並び、視線を下に動かしていくと、検索結果がスクロールされ、どんどん画像が現れる。ペルパーが私の目の筋肉の動きを感じ取り、ホログラム発生器を操作しているのだ。

「うーん。もうちょっと絞り込めない?」

 私の言葉に、画像たちが入れ替わった。色味に統一感が出て、丸みを帯びたものが多くなった。

 集中してたくさんの画像を見ているうちに、のぼせてしまった。私はペルパーに指示してホログラムを消し、風呂から上がってリビングのソファーに座って牛乳を飲んでから、さらにペルパーに検索をするように指示した。リビングのホログラム発生器が、大きな画像をより色鮮やかに表示する。といっても、刺青はほとんどが青黒い一色なのだが。

 既視感が得られないという意味では、弟の刺青を初めて見た時の感覚に似ていた。しかし、今の私が求めているのは既視感だ。あの女性の刺青を見た時、強烈に襲ってきた既視感。既視感がないという既視感。

 しばらくざっと画像を流し見したあと、ペルパーに、視線滞在時間が長かった画像をまとめて表示するように指示を出した。画像が入れ替わる。私が平均より長めに眺めた画像たちだ。

「やっぱり違う……」

 それらを改めて見てみても、あの女性のものとも弟のものとも明らかな共通点があるとは思えなかった。それらは髑髏であったり、花だったりしたが、同じような色で丸っぽいという共通点しかないように思えた。私が見たのは、未知の模様なのに。

「ペルパーは、全検索結果の中でどれが一番似てると思う?」

「うーん」

 ペルパーが珍しく迷った。

「これかな」

 五つの画像に絞られた。

「……これのどこが似てるの?」

「形のバランスから選んだんだけど、違ったかな」

「いいの。全検索結果の中で、出現率の高いタトゥースタジオを表示して」

「オッケー」

 いくつかのタトゥースタジオのサイトをのぞいてみた。どれも都市部の有名店らしく、様々なテイストのタトゥーの画像が施術例として掲載されている。私が求めているものは得られなかった。予想通り。

「もうそろそろ休んだら?」

「わかってる」

 ペルパーの言葉に私はきつめの口調で返事をして目を閉じた。

 そういえば、なにかの本に書いてあった。人間は、たくさんの画像をざっと見て、目当てのものや共通点を探し出すことができる。AIにはそれができない。一つひとつの画像を順番に精査していくしかないのだ。もちろん、そのスピードは速いから、人間よりも短い時間で情報を処理することができる。しかし、人間の直感がそれを上回ることもあり得ないことではないらしい。人間の脳がなぜ「ざっと見る」ことで情報処理が可能なのかは不明。

人間の脳のことはまだいろいろとわかっていないことが多いし、人間とAIは違う。

 もし、弟と最後に会った時、ペルパーも一緒にいたなら、あの女性の刺青を見た時、ペルパーは既視感を覚えたのだろうか。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る