第一章 二節 純白世界

第3話 何気無い日常

 紫色の雲が通り過ぎる頃に彼女は目を覚ます。いつもと変わらぬ魔導書が壁一面に並べられている部屋。昨晩から研究していた魔法薬の臭いが滲み付いた大きな机、窓辺にある日差しを浴びたくて窓に顔を向く植物、いつもと変わらぬ紺碧色の空、彼女の瞳にいつもと変わらぬ朱い朝日を映して、魔導師メイジは平和な一日を今日も過ごそうとする。


 バスルームにて

 王宮の使用人達が利用するバスルームの引戸を勢い良く開ける。

「あら、おはようメイジ。お風呂はもう入れるわよ」

「イール…!おはようございます」

 メイジの目の前には湯煙を立ち昇らせる浴槽と床一面をピカピカに掃除しているメイド長のイールがいた。

「ありがたいのですが、今日はシャワーを浴びに来ただけです。」

「残念ね…メイジの為に用意したのに……」

「…少しなら入らせて頂きます」

 彼女はメイジの勝てない人物の一人だ。

「あら、ありがとう」

 メイジは素早く体の汚れを洗い落すと足早に湯船に浸かる。

「ふぅ~……気持ちぃ」

「また魔法薬の研究かしら?」

「ええ。臭いますか?」

「全然よ。でも体は大事にしてね」

「分かりました。……そういうイールはよく早起きしますね」

「メイドたる者、一番に浴場を使用する者の把握も出来なきゃ務まりせんよ」

「流石メイド長ですね」

「メイジも魔導師長でしょう?」

「恵まれているだけですよ」

 手を動かしながらイールは笑顔で言う。

「そしたらナイトは努力かしらね」

 深緑色の眼を細めて言うイールにジト、と目を曝すメイジはその言葉に露骨に不機嫌になる。

「何で馬鹿ナイトの名前が出てくるのよ」

「昨夜は門番の仕事をしているのよ?私達が会話しながらも彼は大変ねと思ってね」

「全部知っているの?」

 メイジは疑問に思いイールに質問する。

「メイドたる者他人のスケジュールに沿ってサポートも出来なくてどうします?」

「凄いですね…」

 そして話は互いの近況報告や流行りの物などで盛り上がり、副メイド長が朝礼の呼出しに来た時には時計の針は七時を回っていた。



 メイジは王様の書斎室の扉の前まで足早に来て立ち止まっては、その前で自分に暗示をかけて時間を費やしていた。

―大丈夫よ。ちゃんと汗は流せたし、お風呂にも入ったし…嗚呼、長話するんじゃなかったわ…そうすれば逆上せるだなんて起きなかったんだわっ……でもここで悔やんでいても仕方ないわ。大丈夫よメイジ、大丈夫よ

 意を決して、王様の眠る部屋に入る前にメイジは服の皺を呪文を使って綺麗にする。

「メイジ、今日も平和に過ごすわよ」

 そう言って、彼女は二つの扉の取っ手を掴み、勢い良く開ける。

「おはようございますっ!王様ぁー、朝ですよ!」

 書斎の部屋は少し暗く、如何やら一つだけ遮光カーテンが開いているようだった。

―キースったら二度寝かしら…?

 カーテンを開けるのは王様であるキースか、キースを起こす者だけという暗黙のルールがある。如何やら一度目が覚めたのだろうとメイジは思い、王様のベッドがある隣の寝室の扉を開ける。

「王様。二度寝はよろしくないですわ…………」

 メイジは固まった。

 その理由は簡単だった。

 王様の寝具が使われた形跡がないからだ。

 とても綺麗で清潔感溢れるベッド、しわひとつと無いシーツ、移動していないクッション、どれも王様が寝具を使用した時必ず乱れる。それが無いのは誰かが寝室に入り、ベッドメイキングをしたという事だが、それは先程まで会話をしていたメイド長のイールと、腹黒執事の二人にしか出来ない仕事である。だが、イールはあれからメイジが逆上せて看病した後あたふたと副メイド長と共に朝礼とスケジュールの指示をしている。そして腹黒執事の方はスケジュールの中にフリータイムがあれば本当に誰とも接する事無く自分の趣味に没頭していることを知っている為、メイジが王様を起こしに来る時間までこの寝室は使われていないという事になる。

 自分の思考をフル回転させ、王様は昨晩から行方を晦ませたのかと考えている時、メイジはふとサイドテーブルの上に一通の手紙が置いてある事に気付いた。

「キースっ…」

 メイジはその手紙を手に取り宛名を見ると、自分の名前が書いてあった。

 メイジは手紙の封を開けて中の内容を読み、真っ先に駆け走る。

 彼女が最も信頼している彼の元へ。———————————————-



義兄にい様!ナイトは帰って来ていますか?」

 メイジが最初に訪れた場所は兵士の休憩室だった。

「メイジ。どうした?ナイト騎士隊長は門番の仕事をして朝焼け頃に交代したがあれから見かけていないぞ」

 そこには義理の兄である魔導騎士隊長と副王宮騎士隊長の二人が武器の手入れをしながら居た。

「ありがとう義兄様っお勤めご苦労様です」

 長居してはいけないと思いメイジは一礼をしてそそくさと部屋を後にした。

「……急用でしょうかね?」

「さぁな。いつもみたいに痴話喧嘩しないかとヒヤヒヤしたな……」

「ハハハ…早く結婚してしまえばよろしいのに」

 二人で冗談交じりに笑って淹れたてのコーヒーを啜る。——————————



「イール!あ、すみません……」

 メイジが次に訪れたのはメイド達がこの時間忙しなく働いている洗濯室である。案の定新人メイドにシミ抜きについて教えていたところだった。

「メイジ魔導師長様。そこ邪魔になりますよ?」

「え?嗚呼。ごめんなさい」

「いえいえ。忙しない場所で申し訳御座いません。」

「イヴー、それが終わったらシミ抜きの手伝いしてくれる?」

「御意」

 副メイド長のイヴが部屋を出るとイールはそそくさとメイジの元に駆け寄る。

「あの、イール」

「どうしたの?何か忘れ物?」

「そうじゃないけど、ナイト知らない?」

「ナイト?今朝の門番が交代してから彼は見てないわね」

「そう…ありがとう」

 そう言って、メイジは駆け足で洗濯室を出る。

「足元気をつけて――――――――」

 イールのそんな声も聞かずに廊下を出ると、丁度戻って来たイヴと衝突してしまい倒れそうになる。

「―――――ね?」

 イールは苦笑いをしながらメイジを支える。

「申し訳御座いません…此方の不注意で」

「いえ、私の方が悪かったわ。ご迷惑をおかけしてすみませんでした」

 そして五分程謝罪合戦が始まったのであった。————————————





「失礼します」

 続いてメイジが訪れたのは厨房だった。そこでは炎と油が踊り、水とナイフの一定のリズムの後ろで不規則に奏でられている。

「あ!メイジ魔導師長様っ何用でしょうか?ご朝食のサラダにかかっていたソースがお気に召しませんでしたか…?」

 メイジに気付いた料理人テイが濡れた手を拭い此方に来る。

「いえ、朝食はまだなの…ナイトを捜しているのだけど知らない?」

「そう言えばまだつまみ食いに来ていませんね……まだ寝ているんじゃあないですか?」

 テイが発言したつまみ食いの単語に反応を示さない程今のメイジにはナイトの存在は必要不可欠になっていた。

「…っ!そうかもねありがとうテイ。」

 ハッとしてメイジは厨房を立ち去ろうとする。が、テイの一言でそれは止まる。

「あ、王様のご朝食がまだなのですが、今朝は御体が優れないのですか?」

「えっと……そうなのよ。朝は食べたくないとのことよ。ごめんなさいね」

「いえいえ。人間誰しもそんな気分になりますとも。お時間取らせて申し訳ありません」

「いえ。此方こそせっかくの作業を止めてしまってごめんなさいね。失礼しました」

 そしてメイジは彼の居そうな場所を巡り、やっと見つけた。—————————





 長閑で、群青が何処までも続く雲一つと無い空が見下す中庭だった。

 メイジは中央になる大きな城の様な形をした木の上に登る。登るとそこには寝息を立てて眠る青年が居た。

 彼こそがメイジの捜していた王宮騎士隊長、ナイトである。

―何でこんな奴が王宮騎士隊長なのよ

「ナイト、起きてっナイト!」

 ナイトと呼ばれた青年は一向に起きる気配がなく、遂にメイジは自分のローブに潜めているソーサリロッドを手に持ち、空高く掲げて呪文を唱えて雷を彼に落とす。

 雷の轟音に驚いて目を覚ましたナイトであったが、避けることも出来ず稲妻を受けて痙攣する。

 痙攣した身体は震えたまま木の上から落ちる。

 メイジは慌ててすぐに木から降りる。

「ごめんなさい、こんなに効くとは思わなかったの……」

「……………」

 当の本人はピクリとも動かない。気絶させてしまったようだ。


「………ふわぁ、おはようメイジ………」

 しばらくしてから自分で起きたナイトは、先程雷に撃たれて木から落ちたことなど無かったかのようにメイジに眠気眼を擦りながら喋る。

「おはようじゃないわよ!心配して損したわ」

「…でも、心配してくれてありがとう」

「今はそんな事言ってる場合じゃないわよ!」

 そう言ってメイジは少し前に起きた事態を思い出して、ローブの内ポケットに入れていた王様の手紙をナイトに見せる。

 それを見てナイトはぱあぁ、と欣快(きんかい)する笑顔で口を開く。

「おめでとうメイジ!これでメイジはお妃様だね~。ふふっ魔導師の女王様だなんて珍しいよねきっと」

 如何やらラブレターと勘違いしている様だ。

「はぁ!?ふざけないで!そんな、私なんか、キースとなんて……しかもキースはもっと可愛くて綺麗で、優しくて、私みたいにずっと部屋に籠って魔法薬の研究なんかしない真逆の女の子の方がお似合いよっ!」

 そんな勘違いに対して、メイジは頬を林檎の様に赤らめて怒鳴りながら首を横に振る。

 そんなメイジにナイトは柔和に微笑んで言う。

「可愛くて、綺麗で、優しくて、お部屋から出てる。それに雷に撃たれた後心配して僕が起きるまでじっと待ってくれた。今のメイジの方がお似合いだよ。それに、キースとメイジ、僕の幼馴染が仲良く幸せに暮らしてくれるのなら、僕はとっても嬉しいよ」

「だから違うのよっ!とにかく読んで!」

 メイジは更に紅潮してナイトに手紙を押し付けるとローブのフードを深く被る。

 そんなメイジを微笑ましく見て手紙の中に入っている、きっとメイジが握りしめて出来たであろう皺のある羊皮紙に書いてある内容を見て笑みを浮かべていた目に冷静さを見せる。

「一つ確認してもいい?」

「何よ……」

 ナイトの冷静な呟きがメイジの身体の筋肉を引き締める。

「これは、僕が見ていいものだったの?」

 体を起こしてナイトは言う。

「ええ、私が良いって思ってるんだから」

 少し冷静になったメイジは腕組みをして振りかえりナイトの顔を見て言う。

「他の人には、誰にも見せていないの?」

「ええ。見せてはいけないわ…」

 そう言うとナイトはふとした顔で名前を挙げる。

「イール」

「駄目。イールはああ見えてアドリブに弱いし、もし私とナイトのどっちかがヘマすればあたふたして事態を悪化させてしまうわ。面倒事が芋づる式で増えそう」

「シーカー」

「もっと駄目よ。あの腹黒執事にこんな事言ったらただじゃ済まないから。イイ?トップシークレット」

 人差し指を唇の前で立てて、メイジはナイトに念を入れて言うが、

「おはようございます。お二人共お揃いで珍しいですね。」

 ナイトの言葉に耳を疑った。

―え?私もしかして独り言を……?

 緊張と自分の軽薄さで固まった顔でメイジは後ろを振返ると、困り顔のイールと、素敵な微笑顔を貼り付けた執事のシーカーが目の前に立っていた。

「おはようナイト、それにメイジ」

「おはようございますシーカーさん。今日も素敵な笑顔ですね」

「ハハ、有難う。だけど、他に言う事は無いかな?」

 張り付いたままの微笑みにメイジは畏縮する。メイジの沈黙を眼鏡の奥の細い目は肯定と判断して口を開く。

「百歩譲って許しましょう。ですが、一度四人でゆっくりと、早急に結論を出さないといけない議題が出来たようで………会議しないといけないみたいですね」

 そう言って、シーカーは笑顔を貼り付けたまま、メイジを会議室まで連行した。












親愛なるメイジへ———————

 まず、いきなり僕が居ないという事態に驚いたんじゃないかな。でも、公にしないで欲しい。せめて僕と近しいビューロクラットのメンバー以外の人間に知らせないでくれ。

 国王が居ないという事実を皆が知ったら、君でも理解出来る事態が起きるだろう。

 だから、君が信頼している範囲内なら、僕が居ないという事を伝えても良いと思うし可能なら、隠密に行動してほしいんだ。

 それじゃあ、本題に入るよ。

 僕には魔導師のお師匠様が居る事は知っているよね?

 そのお師匠様から頂いたチカラがこの世界の外、この国よりも大陸よりもずっとずっとずっと遠い世界のあちこちで闇を感じ取ったんだ。

 何を言っているか君には分らなくはないだろう。この国は、いやこの世界は僕をはじめ君や光護玉こうごぎょくの礎に光の力を回生してくれる使用人達のおかげで闇から守られ、闇に対する耐性が付いているけど、闇に耐性を持たない世界はこの国の外にたくさんある。

 王として、光の加護がある僕にはそんな事を見過ごせないから、先に闇に呑まれた世界を開放しに行くよ。

 手紙で済ませてしまって本当に申し訳無い。説教ならいくらでも聞こう。

 だけど、その前にもう一つお願いがあるんだ。

 闇を感じたその後に世界のどこかで再来ノ光となる少年に出会う事が出来たんだ。その少年も、少年の居た世界も闇に呑まれてしまった。けどきっと迷子世界『ロストタウン』へ迷い込んだかもしれない。      

どうかメイジにはその少年と共に行動して僕と合流させてほしいんだ。不安ならナイトと一緒に同行してくれるかな。二人ならその少年の仲間として、心の支えとなる筈だ。

 それじゃあ、君達のご武運と加護があるように、頑張ってね。

                                                                       キース

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