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 ベッドに横になっているユスラの視界いっぱいに、男の裸背が見えた。


 以前はくっきりと背骨の凹凸おうとつが浮いていたが、出会って一年、いまは肩甲骨周りにもしっかりと筋肉がついた。


 身長も伸び止まり、ここしばらく服の大きさは変わっていない。希望していた高さに届かず本人は残念がっている。


 髪も少し伸びた。切る時間がないからと放置された結果だ。それが青年の野性味に艶を加えて、なんとも言えない色香を放っていた。これでまだ十六歳。先が思いやられる。


 比例して、離宮勤務の侍女たちが彼の立ち姿に見惚れる時間も伸びたようだ。そういうとき、ユスラは嫉妬と誇りを同じ大きさで抱え込むことになる。


 当の本人は女たちの攻防など露知らず、誰に対しても笑顔で親切を働くから始末が悪い。何度、自分のためだけに指の一本に至るまで動かして欲しいと思ったことか──。


 言い出せずにいるのは、そんな愛想の良さが彼の美点だと分かっているからだ。分け隔てなく平等に、というのは、誰しも頭では理解していても、ほとんど言動には結びついていない。彼はそれが自然と身についている。ユスラは彼の長所を心から愛し、尊敬していた。


「……リヒト」


「あ、ごめん。起こした?」


「ううん」


 ユスラは腕に力を入れて体を起こした。上掛けがするりと落ちて上肢が顕わになるが、二人だけの室内で気にする者はいない。


 枕元に隠していた小さな小箱を探り当ててリヒトに渡す。


「誕生日、おめでとう」


「ありがとう。開けていい?」


「うん」


 小箱は少し力を込めただけでパカリ、と上下に開いた。


 姿を見せたのは純銀の装飾品。小ぶりのイヤーカフ。宝石がない代わりに、薔薇と草と蔦とが細かく彫り込まれている。


 本来ならついになっているはずであろうイヤーカフは、リヒトの前には片方しか提示されなかった。


 そしてリヒトには、もう片方の行方に心当たりがあった。


「なんかさ、年明けにシュウの誕生日に渡していたやつと似ていない?」


「同じ物よ。半分こ」


「やっぱり」


 野郎シュウとお揃いか。リヒトは内心、苦笑した。


 とはいえ、なんともユスラらしい独占欲の示し方だと思う。ペアの装飾品を男と共有するのは、普通に考えればおぞましいが、相手が帝国一の大貴族だと考えるとまんざらでもない。なによりシュウはリヒトにとってかけがえのない相棒だ。主人を同じくする狼として尊敬もしている。


「どうせならユスラとお揃いが良かったなぁ」


「いいのよ、それで」


「なんで」


「だってリヒトもシュウも両想いじゃない」


「またそれか」


 ここ半年ほど、ユスラはことあるごとに二人をそう評価する。


 リヒトとしては、兄貴分として、師匠として、シュウを慕っているが、逆方向の想いはどうなのだろう、と疑問視するところだ。


 が、ユスラいわく。


「私ね、帝宮ここに来るまで、守護者ってそういうものだと思っていたの。でもクリームヒルト様やクリスタ様の守護者たちを見てて、ちがうんだって気付いたのよ。シュウとリヒトは特にちがう。神女わたしがいなくても、二人はやっぱり両想いだったと思うの」


 よく分からない言い分だったが、両想い云々の話よりもリヒトの耳を引いた単語があった。


「ユスラがいて、良かったと思うよ」


 背中越しに振り返るリヒトと目があったユスラは、少し寂し気に微笑んだ。




 * * *




 シュウがターゲスアンブルフ領の視察に行くと言い出したのは、リヒトの誕生日の翌日だった。帝都から少し離れた領地で、書類や人員の確認をしなければならないらしい。


 期間は短いが、これまで邸宅を離れずユスラにつきっきりだったことを考えると、決意したこと自体が珍しいと言える。


 身軽に動けるよう、お供はなく単騎。


 本来ならば、領地の一部を譲渡されたリヒトも向かうべきなのだが、それではユスラの守護者が完全に不在になってしまうためリヒトは留守番に配置された。


 現地には実質的に土地を管理しているシュウの従弟いとこのカールがいるので問題ないらしい。



 出発の日は良く晴れていた。風も穏やかで、程よい気温。


 シュウは町屋敷から取り寄せた馬に必要最低限の荷物をくくりつけた。


 旅慣れしているわけではないが、身の回りのことは心得ている。軍務時代に叩き込まれた質素な生活様式は生来の性格と相性が良かったし、いまは人狼の腕力と体力もある。道中、下手なことで困ることはないはずだ。


 おかげで街道伝いに進み町々を経由するのではなく、最短距離を抜ける選択ができたのが最大の幸いだった。今回の視察は時間的にも距離的にもユスラから離れすぎる。一時はユスラも同行させることを考えたが、慣れない旅に付き合わせるよりも、警備の厳しい帝宮のほうがまだ安全だろうという結論に至った。


 果実の神女の人狼を殺めた不審者は、まだ捕まっていない。


 神女を狙う何者かが潜んでいる以上、ユスラを帝宮から出すのは下策だ。


 帝宮を警備する近衛兵は、一人一人の能力こそ人狼に及ばずとも数で上回る。離宮を管理している皇子も無能ではない。少なくともこの半年は、なにも起きていないのだから。


「あとは頼んだぞ」


 ひと跨ぎで馬に騎乗したシュウは、リヒトをじっと見下ろした。


 十六歳になったばかりの少年は頼もしい眼差しでうなずく。


 留守中、ユスラを任せても良いと思えるほどに、彼はこの一年で逞しく成長していた。身体はもちろん、精神もだ。シュウに対して嫉妬もひがみも見せることはない。むしろ兄貴分として慕ってくる。


 年頃を考えれば独占欲が先行しても仕方がないだろうに、己のをわきまえて、先走るようなことはしない。かといって全てをシュウに任せるのではなく、できることは積極的にこなしてユスラの身の回りに気を配っている。


 惜しむべくは、身分が低かったために貴族としての立ち回りにうといことか。それさえ備えていればシュウの公式の片腕としても申し分はなかったのだが……。


 さすがにそれは期待しすぎだろう。


 一年経過したとはいえ、まだ十六歳だ。成長ののびしろは大きい。残念さよりも今後への期待のほうが大きかった。


「打ち合わせも入念にやったし問題ないよ。シュウのほうこそ、道をまちがえて遅くならないようにね」


「狼が道をまちがえるか」


 鼻で笑い飛ばし、少年のかたわらの娘に目線を移した。


「すぐに戻る」


「うん、待ってる。お土産なんていらないから、ちゃんと帰ってきてね」


「ああ」


 二人に見送られて、シュウは裏門から帝宮を出た。


 正門を使うような大仰な行事ではない。臣下が少しばかり都を離れるだけのこと。


 ユスラもリヒトも、シュウの不在には微塵みじんも不安はなかった。


「と言いつつさ、シュウのことだから、お土産めいっぱい買ってきそう」


「はちみつを混ぜた美味しい焼き菓子があるのよ。私、小さいころそれをお願いしたわ」


「……職人ごとお持ち帰りしそうだな」


 古参貴族のターゲスアンブルフは金も実力も持っている。とはいえ、当主シュウは節度ある人格者だ。ユスラに甘いとはいえ、さすがにそこまでは──


「どうして分かったの?」


「……シュウを見る目が変わりそうだよ」


 などと呆れ調子で言いつつも、なんとなくシュウの気持ちも察せられた。


 昔のユスラはターゲスアンブルフの町屋敷に閉じ込められていたも同然だった。好奇心も強い年頃の娘の無聊ぶりょうなぐさめるのは、たいていの努力ではかなわなかっただろう。


 それにユスラはそうそう我がままを言ったりしない。めったにないからこそ、あれが欲しい、これが欲しいと言われると、叶えたくなるのだ。


 満ち足りているのか、無欲なのか。ユスラを見ていると両方に思える。


 部屋に戻ったリヒトは、お茶の支度を始めたユスラに思い切って聞いてみた。


「ユスラはどうしてもっと我がままを言わないの?」


「え?」


「さっきみたいに、シュウならいろいろ叶えてくれるだろ? 宝石とか高くても、物じゃなくても。例えばもっと外に出たいとか」


「……外?」


 茶葉を蒸らしているあいだ、ユスラは考えた。覚束おぼつかない考察を確認するように、一つ一つ言葉に変換していく。


「そうね……。お屋敷の外──って、私にとってはずっと『危ないところ』だったの。まるで幽霊がいるみたいな、怖い、というか。……実際、私を誘拐するような人がいたわ」


「ああ、うん」


 一年前のことだ。誘拐されそうになったユスラをリヒトがかばった事件は、ずいぶん前のことのように感じられた。


「楽しいもの、美味しいもの、お屋敷の外にはきっと沢山あるんでしょうけど、そういうものはシュウが集めてくれたから、わざわざ足を運ぶ必要はなかったし」


 ポットを傾け、カップに中身を注ぐ。


 決められた蒸らし時間ぴったりにお茶を注ぎ終えるのがユスラ流だ。


「一度、お屋敷を抜け出そうとしたときもあったけど……。


 あれは、あの頃は、シュウとあまりうまくいってなくて、気詰まりだったからなのよね。外に出てうっかり死んじゃっても、別にいいかなって投げやりな感じで」


 ユスラとシュウにそんな時期があったことが、リヒトには意外だった。


 十五年という時間を使って神女と人狼という関係を築いてきた二人にも、噛み合わないころがあったとは。


「それにね」


 ユスラは、大事な物を披露するように、優し気な声音で区切った。


「……それに、どんな楽しいことも、シュウが楽しんでくれなきゃつまらなかったし、どんなに高価な宝石でも、シュウが似合うって言ってくれなきゃ嬉しくなかったの。


 わたしにとって、シュウが一番。一番大事。……だった」


 神女という特異な体質が自覚を促すのか、それとも生まれながらの彼女の気質か。ユスラは自分がどれだけ恵まれているか知っている。知っているから『一番』を優先させられる。『一番』がいかに得難いかを熟知している。


 リヒトはそれに素直に感嘆した。


「いまは、リヒトも」


「オレ?」


「そう。リヒトとシュウが、二人ともが、一緒に私のそばにいてくれるのは、きっと普通じゃありえないから」


 ……確かに彼女の言うとおり、普通の状況ではない。


 ユスラが神女でなかったら。


 リヒトがシュウを敵視していたら。


 シュウがリヒトを邪険に扱っていたら。


 調和を乱す要素はいくらでもあるのだ。

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