029 (ノ°Д°)ノ+。。・゜*.゜●

「すみません、遅れました」



 殊勝に謝罪し、すばやく扉を閉じた。リヒトの身のこなしは日を重ねるごとに軽やかになっていく。磨きがかかるばかりの彼の性質に注視していると、リヒトと目が合った。ずいぶんと嬉しそうだ。



「なにかあったの?」


「いいものを手に入れたんだ。じいさんの遺品なんだけど」



 屈託なく歯を見せて、リヒトが封筒を手渡してきた。



「開けてみて」



 封はされていない。


 開くと、中身はたった一枚だけ。



「……写真?」



 背景が判別しがたい、白黒の写真だった。人物を被写体にしたもので、十人ほど映りこんでいる。



「真ん中の人、よく見て」



 リヒトとともに中央を覗きこみ、ユスラは驚いた。



「シュウ?」



 まさか。擦り切れた端を見れば、この写真が相応の年数を経てきていることがわかる。けれど印面の青年は現在のシュウとまったく変わらない。



「当たりって言いたいところだけど、はずれ。それ、シュウのお父さんだよ。そっくりだろ?」


「ええ!?」



 ユスラの驚きに牽引されて、果実の神女も写真を覗きこんできた。



「うわ、気持ち悪いくらいそっくりね」



 ひどい言い様だがまとは得ている。



「ねえシュウ、ほら見て」



 シュウに写真を渡すと、彼は印面をしげしげと観察して鷹揚にうなずいた。



「たしかに父だな。どこでこれを?」


「その隅に写ってるの、俺のじいさんなんだ」


「えええ!?」



 声を上げたのはユスラだけだったが、シュウも驚いているようだった。彼にしては珍しく二の句が繋げていない。



「ターゲスアンブルフって、もともと海軍の家系だろ? 俺のじいさん、むかし水兵だったんだ。ロート湾攻撃のときにズィーク戦艦に乗って出撃したんだって、しょっちゅう自慢してたらしいよ」



 ロート湾攻撃の話はユスラも知っている。


 事の発端は、大陸の東の大国と海の向こうの新興国が、ある暗殺事件を契機に戦端を開いた戦争だった。大国の圧勝ですぐに収束すると思われたのだが、周辺国と同盟国を巻き込んで戦場は世界中に拡散し、過去に類を見ないほど長期化した。帝国は当時からすでに押しも引かれもせぬ地位を築いていたので、中立を保ち事態を静観。が、五年ほど経ったある日、ロート湾沖で民間人ばかり乗った船が沈没したことで事態は急変する。



 間もなく、この沈没の原因が両陣営の流れ弾のせいだと判明し──事故調査で派遣された潜水夫が両軍の弾を発見した──、帝国は双方に対して遺憾を表明することになる。



 二人の外交官が派遣先から持ち帰った返答は、仲良くおそろいで『戦闘中に近づいてくるやつが悪い』だった。



 当時、帝王ライヒに着任したばかりの女帝はこれに激怒。急遽、召集された大公会議エルツェツォーグ・カングレスで全氏族の承認を得ると、可及的速やかにロート湾で行われた戦闘の全てに横槍介入、一切を殲滅する。



 どれほど苛烈な報復であったかは、ロート湾からその沖合いのフラベル内海までが、戦後処理で帝国領と定められたことから押して知るべし。そもそもそのロート湾も、戦前は古代語で「プリマヴェラ」と呼ばれていた。ロートは血を連想する帝国の赤の意だ。



「で、当時のターゲスアンブルフ卿が、じいさんの乗ってたふねに視察に来て、広報に載せるためにいろいろ写真を撮ったらしいんだ。ロート湾の十年後くらいだから、三十年前? それはそのうちの一枚」


「それをなぜ、お前の祖父が持っていた?」



 シュウの静かな問いかけに、リヒトは肩をすくめた。



「さあ。盗むような人じゃなかったことは確かだけどね。もしかしたら貰ったのかも。裏に『ルイスへ』って書いてあるから。あ、ルイスってのが、じいさんの名前」



 身長差を利用して裏面を覗くと、確かに宛名が書かれていた。


 シュウも写真を裏返し、同じ署名を確認する。



「……写真家と懇意だったのかもしれんな」


「そういうことあるの?」



 ユスラが首をひねると、穏やかな声で肯定された。



「褒められたことではないが、さすがに軍も写真を一枚一枚備品管理しているわけでもない。情報漏洩で訴えるにしても、四十年も過ぎれば当時の人間は墓の中だろう。私の父も二十年前に他界している」



「うちのじいさんは俺が生まれてすぐくらいだったらしいよ。この分じゃ、そこに写っている他の人も同じだろうね」



 十五歳で成人とみなされ、二十歳前後で結婚をして子どもをもうけ、おおよそ六十歳で死ぬのが凡常ぼんじょうな一生だ。年齢を推察すると、一人や二人はまだ生きているかもしれないが、シュウが三十年もむかしの小さな小さな事件を取り沙汰すつもりがないことくらい、ユスラにも分かった。


 彼の目が、特殊紙に切り取られた往年の父親の姿を追いかけていたから。



「この前、うちで大掃除をしたらしいんだけど」



 リヒトの言う「うち」というのは、下町にある彼の生家のことだろう。



「そのときに遺品の中から出てきたんだ。でも写真なんて高価な物じいさんが買えたはずがないし、写っているのは軍のお偉いさんだし、扱いに困って俺に相談がきたってわけ。で、預かろうと思ったんだけど、郵便で出したりしたら、無くなったときが怖いだろう? 俺は帝宮から出られないし、シュウも忙しそうだし、誰かに頼もうにも、信頼できる人は思いつかないし。そのときちょうど、親父とクリームヒルト様が知り合いだって分かったから、クリームヒルト様に頼んだんだ」



 思いがけない人物の名前が出、ユスラは内心驚いた。



「俺としても、自分で作った人脈がどこまで通用するか知りたかったし──」


「リヒト……そのためにクリームヒルトさまと……?」



「そういう言い方されると、なんか人聞きが悪いけど……って、うわぁ! ユスラ!? なんで泣いてるの!?」


「緊張の糸が切れたんだろう」



 そう言ってシュウが頭を撫でてくれた。良かったな、と、手のひらが言っていた。そのまま背中を軽く押されて、リヒトに抱きつく格好になる。久しぶりのぬくもりが強張った心をほぐしてくれる。ユスラは思っていた以上に気を張っていたことを自覚した。



「ごめん、ユスラ」



 最近めっきり逞しくなってきたリヒトの腕が、ユスラの背中を優しく叩いた。


 ユスラは謝罪を受け入れる言葉の代わりに、彼の体にひたいを押し付けて、ぐりぐりと穿うがった。



「悪いという自覚はあったのか」



 シュウが冷ややかな視線を向けると、リヒトは慣れた調子で受け流す。



「その分、ずっとユスラと一緒だったんだから、感謝してもらってもいいと思うけど?」


「余計な世話だな」


「よっく言うよ、ずっと仕事ばっかりだったくせに。ユスラが足りてなかったんじゃないの?」


「どっちが。──まあお前の場合は、ユスラを泣かせた報復は必要なさそうだったが」


「あっ!」



 シュウの言う「報復」の意味に気付いて、リヒトは大声を上げた。



「それ! あんたわざと黙ってたな!? 主人あるじ以外の神女と接触すると人狼は死ぬって」



 正確には単純な接触ではなくて、あるじ以外の神女の体液に触れると人狼は即時死に至るらしい。ユスラもちらりと聞いただけだったので気に止めていなかったが、そういえばリヒトには話したことがなかった。



「うつつをぬかす人狼やつが悪い」


「その意見については俺も全面同意だけど! そういう知識は事前に告知しとこうよ!」


「馬鹿な真似をしなければ必要ないだろう」


「シュウって、そういうところ、ほんっと小癪だよね!」


「ねえ」



 と、割り込んできたクリスタの声は不機嫌だった。



「いちゃつくならよそでやって」



 三人は一時停止し、互いに顔を見合わせる。


 ユスラはリヒトにしがみついたまま、リヒトはシュウと軽口の応酬。他人ひと様の部屋でやることではない。


 三人は「ごもっとも……」と、反省しつつ、誰ともなく笑い出す。


 ユスラは久々に心から笑った。

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