028 定期的に来て聞いて

 雪だるまでも作ろうかと思ったが、雪の量が少なく、シュウに「泥だるまになるぞ」と忠告されてやめた。


 帝宮侍女の手を借りて身支度を整え、茶葉とお菓子を用意してもらい、果実の神女の居室を訪問する。



「また来たの?」



 実に面倒くさそうな顔をされると、ユスラの顔は自然とゆるんだ。



 クリスタの、一貫してかたくなな対応にさらされると、どうしてか、この鉄壁を崩したい衝動に駆られる。からかっているわけでも、嗜虐しぎゃく趣味があるわけでもない。つれない態度を懐柔し……そう、野生の獣を餌付けするような楽しみだ。



 ずいぶん前に、庭に迷い込んだネコを手懐けようとして失敗したことがあったが──あのときはさんざん餌を与えるだけで逃げられてしまった──、今度は人間が相手で、意思の疎通が可能で、逃げられる心配もないとなると、自然と手間暇をかけたくなるものだ。



「……あんたも大変ね」



 クリスタがシュウに同情の水を向けるが、シュウは口の端を軽く持ち上げるだけにとどめた。



 クリスタとのお茶会は、彼女の守りが手薄になる時間を見計らって行われる。ユスラがそばにいれば、クリスタも必然的にユスラの人狼の守護の範囲に入る目論見だ。


 これはもともとクリスタの守護者全員が帝宮の近衛に籍を置いていて、クリスタのそばにいることも「仕事」とみなされていたことに端を発している。



 仕事であれば、定期的に休みも入れなくてはならない。


 しかし五人いた守護者が四人に減り、うまく勤務時間を回せなくなったのだ。


 新たに一人追加する話は、ユスラの介入で立ち消えてしまった。


 定期的にお茶の席が設けられても、一人欠いた状態をすべて穴埋めすることはできない。



 このことに、近衛の総大将である皇子アインホルンは難色を示したが、肝心の現場は快諾していたため、シュウが提示した草案は見事に承認されてしかるべきところを通過した。


 いまもクリスタの筆頭守護者のライナーとシュウとの間で申し送りが行われているが、雰囲気は至って和やかだ。ライナーには疲労も不満も見られない。



「……なにか?」



 視線に気づいた彼が首をかしげたが、ユスラはなにも言わず首を横に振った。


 女同士のお茶会は、ライナーが退室したあとに本格的になった。



「うまくいってるみたいね」



 お湯を適温に冷まし、蒸らすあいだにユスラが口火を切る。



「なにが」


「彼らと」



 砂時計の砂がまだ少し残っているうちにポットをとり、カップに注ぐ。注ぎ切るころに砂も落ち切るよう調整するのがユスラ流だ。



「別に。いつも通りよ」



「そうかな」ユスラはやんわりと否定した。「前よりもずっと空気が穏やかになってるわ」



 室内のことではなく、クリスタ自身がまとう雰囲気を示して言ったのだが、もちろん本人は気づいていない。それに部屋の空気は持ち主の空気を反映するものだから大嘘でもなかった。



「皇子さまは、なにも言ってこない?」


「いまのところは」



 クリスタの返事には、小さな小さな陰りがあった。名前を付けるなら、落胆と呼ぶべきだろう。


 だからユスラはあえてつついてみる。



「いいことだと思うわ。あの人はわたしたちに構いすぎだもの」


「……責任者なんだから、気にかけるのは当然でしょ」


「神女のなんたるかも、神女と人狼のつながりも、理解しているとは思えないわ」


「当事者の私たちですら知らないことがあるのに、どう理解しろって言うのよ」



 なるほど。



「皇子さまのことが好きなの?」


「ンぐ!!」



 豪速の直球を真ん中めがけて投げると、反応もまた素直だった。吹き出しかけたクリスタが、あわててお茶を飲み下す。



「大丈夫?」


「な──なにを言い出すのよ!!」


「そうなのかなぁと思って」


「そうもなにも! あの人、結婚してるじゃない! それに子どももいるんだし!!」


「そうなの?」


「知らないの!?」


「ええ、興味がないもの」


「ふつう知っているでしょう!? 常識でしょう!?」


「そうかしら」



 いきり立ったクリスタは、沼に杭を打つような反応に勢いを削がれ、へなへなと着座した。



「どうかしてるわ」



 そうだろうか。人間は、関心が向かない事柄はどこまでも無興味でいられるものだ。ユスラにとっては皇子が当てはまる。もし彼がユスラに対し、クリスタに行ったような強要を通そうとすれば話は別だが。



「信じらんない。あんたの守護者たちの上司なんでしょ?」


「それはシュウやリヒトの問題であって、わたしのことじゃないもの」



神女わたしたちの責任者よ? 一応」


「わたしの興味を惹く理由にはならないわ」



「……あんたって、つくづく変な子ね」



 妙な感心が横たわり、いっとき二人の間に沈黙をもたらした。


 ユスラはゆっくりとお茶を飲み下し、改めてクリスタと向き合った。



「皇子さまを人狼にしたいとは思わない?」



 少し間があったが、答えはちゃんと返ってきた。



「して、どうなるのよ」



 つまり彼女は、皇子を人狼にしたのちのことを考えた経験があるのだろう。


 遅れてユスラも考えた。



 もしもアインホルンが人狼になったら──彼は神女と人狼のつながりを正しく理解し、クリスタを悩ませ続けた守護者の押しつけはなくなるだろう。神女と人狼はただ体をつなげるだけではない、安らぎを与えあう存在だと気付くだろう。


 そして、ただ安らぐためだけでもなく、試練をも与えあうのだと。



 身体を得ても、心までは得られない苦悩。


 神女の存在の重さ。



 それ以前に、変化そのものに耐えられるかどうか。


 皇子には、シュウやリヒトのような闘牙とうきが感じられない。ただの人間から人狼に変化する過程で与えられる激痛は、そばで二度目撃した。


 人に向き不向きがあるように、人狼にも向き不向きがある。



 クリスタも同じ直感を無意識に感じているから、皇子を人狼にしたいとは望まないのだ。しかし自覚に乏しいせいで気持ちに踏ん切りがつかない。看過能力がユスラよりも低い現れだ。



(たぶん、ずっと帝宮で暮らし続けていたせいね……)



 上から与えられるだけの日々が常となっているせいで、感覚が鈍化しているのだろう。


 ユスラもシュウに甘やかされて育ったが、人狼の選択権はつねにユスラにあった。シュウの機嫌を損ねないかも重要な条件だったので、見る力を養わなくてはならなかった。



 一方クリスタは、相応の年齢になったときに皇子が選んだ人間、つまり皇子の部下を与えられて人狼にしている。目を養う以前に彼女には拒否権すらなかったのだ。


 クリスタの感性を磨く手助けをすべきだろうか。感覚が鋭敏になれば自ずから人狼を選べるようになるのでは? 



 なにが彼女にとって最適なのか深く思案しようとしたとき、軽快なノックが響いた。誰何すいかせずとも分かる、リヒトだ。

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