021 në54αting - USLA

 ユスラがシュウの寝室のドアを開けると、まだカーテンが引かれたままだった。昨日も帰りが遅かったから疲れているのだろう。ベッドの住人はぴくりとも動かない。


 でも人狼である彼の耳をごまかすことはできないから、きっと寝たふりをしているだけだ。



 なのでユスラは遠慮なくベッドに登り、そろりそろりと枕元に進んだ。


 静かな室内に衣擦れの音だけが響く。


 シュウはやはり動かない。



 ユスラは猫のように四つん這いのままで、じっくり彼の寝顔を堪能すると、しなやかに体を伸ばして唇に触れた。


 反応はすぐに返って来た。


 左手がぬうっと伸びて首の後ろに回りこみ、ユスラをぐっと引き寄せた。


 呼吸を求めて口を開くと、首の角度が変わって容赦なく奥に入り込んでくる。



「ん…──しゅ、う……」



 唇を受け入れながら、隙間で呼びかけると、「なんだ」といらえがあった。



「お願いがあるんだけど……」



 一瞬の間は、過去のユスラの「お願い」を思い出していたからだろう。


 彼の目がじいっとユスラを正視する。


 やましいことはなにもないので真正面から向き合うと、諦めたような声が続いた。



「……言ってみろ」


「果実の神女の子が、新しい守護者を迎えることになったことは知ってる?」


「話は聞いた」


「それを取りやめて欲しいの」



 シュウの顔が険しくなった。



「……皇子の命令だ」


「知ってるわ。でもあの子、泣いてたのよ。新しい守護者なんていらないって。だからやめて欲しいの」



「守護者が減って、神女の守りが手薄になっていることは事実だ。先日の誘拐未遂の件もある。中止は難しい」


「シュウ、あの子はいやだって言ったのよ。女の子がいやがっているのに、無理強いするのはよくないと思うけど?」



「元はといえば、守護者が死んだのは彼女がうかつに一人で動くからだ。自業自得だろう」


「彼女はずっといらないって言ってるのに、押し付けているのは皇子さまなんでしょう? 守護者ってそんなに必要なの? 離宮を守るってそんなに大変? 近衛兵ってそんなに無能?」



 立て続けに問うと、シュウはだんまりを決め込んだ。帝宮にも帝宮の事情があることは承知している。だったら仕方がない、譲歩するまでだ。



「じゃあ、その新しい守護者、わたしが引き受けるわ」


「は…!?」


「わたしの守護者にして、その人に果実の神女を守るようにお願いすればいいでしょう?」


「そんなことできるか!」



「シュウ、あの子はいやだって言ってたのよ」



 ベッドの上に腰を下ろし、ユスラは毅然と言い放った。



「女の子の願い事くらい、叶えてくれてもいいでしょう?」





 * * *





 夜着に着替えたクリスタは、ベッドに腰かけてぼんやりとしていた。


 待っているわけではない。もう、抵抗する気もなくなってしまうほど、気力というものが空っぽになっていた。


 ついにドアがノックされ、何人かの人間の往来を気配で感じたが、まるで顔を上げる気になれない。



 音が、近付いてくる。



 落ちた視界に移るのは、冬用の絨毯。そして──小さな足。



「こんばんは」



 顔を上げると、そこにいたのは、いつぞやと同じ光景。あの少女が立っていた。


 こんな日に、いったい何の用なのか。


 動きの鈍い頭で考え、問うよりも早く、少女は腕にげたバスケットを得意げに示して見せる。



「どんなものが好きか分からなかったから、いろいろ持ってきたの。ハーブティーとか、お菓子とか」



 クリスタはますます混乱した。



「何の話……? だいたい、どうやってここに!」


「普通によ」


「はあ!?」



 寝室の扉はコネクティングルームに続いており、そこには今日の当番の守護者が控えているはずだった。果実の神女の筆頭守護者、ライナーが。


 守護者なら仕事をしろ! と、扉を睨むが、怒りが届くはずもない。


 少女はその間に、近くのテーブルにバスケットの中身を披露した。茶葉は三種類、お菓子はクッキーや、飴や、マフィン、チョコレートなどなど。


 つまびらかにされていく品々に戸惑う。


 これからお茶会でも始めるつもりなのだろうか。



「ちょ、ちょっと待って! 私はこれから──」



 これから、皇子が用意した男と──。


 言葉は最後まで続かず、クリスタは唇をかむように結んだ。


 どうせ自分から望んだことではないのだ。だったらいっそこのままこの子に居座ってもらえれば、破談になるのでは……。



 ──なにをばかな。



 一瞬よぎった考えを、自ら鼻で嘲笑する。


 いやだという言葉一つで願いが叶うなら、クリスタはとっくのむかしに悩みから解放されていた。できなかったから、あの日、庭で大泣きしたのに。



「……出て行って。ここにはこれから人が来る予定だから」



 努めて脅すような低い声で告げた。


 しかし少女はまったく諦めない。



「うん、だから、今日のお相手はわたしなの」


「…………………は?」


「だって、いやだったんでしょう?」


「なにが……」



 心当たりはひとつだけ、守護者を迎えることが、いやでたまらない。──それを阻止するために?



「……は!」 



 この子はどうやら頭が弱いらしい。まるで状況が分かっていない。神女はどうあっても抗えない運命の歯車にがっちりと組み込まれていることを。



「ばかじゃないの。よく考えなさいよ。殿下に逆らえるわけがないじゃない」


「でもあなた、言ってたじゃない。人狼なんていらない、うんざりだって」


「それは……」



 庭でむせび泣いたことを思い出し、言葉を濁す。


 でもあれは別に逆らったわけではなくて、癇癪の勢いで叫んだだけで……。もちろんあれは掛け値なしの本音ではあるけれど。



「だからわたしは、それを伝えただけよ?」


「伝え……?」



 できるはずがない。


 なのに、自信に満ち満ちた少女の顔を見ていると、もしかして、という考えがよぎる。


 もしかして、願いが聞き届けられたのだろうか。


 クリスタはたっぷり間を空けて、半信半疑のまま質問した。



「殿下は……それでいいって言ったの?」


「ええ」



 あっけにとられるとはこのことだ。


 頭の固い皇子を説得できた人間は、いままで一人もいなかった。皇子と直接面会をしているらしい筆頭守護者のライナーの意見すら、まともに聞く素振りも見せないあの皇子に。


 この子が。


 説得?


 いくらでも疑える状況下だが、一方で肯定する自分もいた。そもそも皇子の許可なくして、少女が今日この部屋に入れるはずがないのだ。彼女がここにいるという現実が、クリスタの真の願いが聞き届けられ、許可された証。



「あんた一体……」



 クリスタがこれまで遭遇したことのない未知の生き物。


 それがいま目の前にいる。


 バスケットの中身をすべて出し終えた少女は、持ち物を床に置き、すいと右手を差し出した。



「わたしはユスラ。果実の神女さん、あなたの名前は?」



 その風格に圧倒されたクリスタは、半ば呆然としたまま自分の名前を呟いた。

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