019 në54αting - LICHT

 帝王の嫡男であり、氏族大公クラン・エルツェツォーグでもあるアインホルンは、帝宮の執務室で精力的に仕事を片付けていた。


 多くの部下を持っているとはいえ、彼の仕事量は少なくはない。


 氏族のおさとして、各方面の陳情に目を通したり、多くの組織の予算案に不正がないか確認をしたり、また彼個人には、皇子としての務めも課せられている。病院や孤児院といった公的施設の表敬訪問(と言う名の不正牽制)、新しい公共施設の建設に伴う計画委員会の会議、責任者の任命、申し送り。


 活版印刷によってある程度、定型化されたとはいえ、各種書類の内容は決して一辺倒ではない。書き取り専任の書記官を五人配置して定文を書かせてもなお終わらない書類仕事に忙殺されていると、何者かが執務室の扉を軽快に叩いた。



(このクソ忙しいときに)



 と内心なじったが、現れた人物はアインホルンが呼び出した少年だったため態度を改めた。



「呼び出してすまない、グレンツェン卿」


「いえ」


「少し忙しくてな、要件だけで済ませたいのだが」


「助かります」



 少年はきっぱりと言った。


 皇子や氏族大公クラン・エルツェツォーグの肩書きを前にすれば、たいていの者は萎縮してしまう。下位貴族であればあるほど顕著になる。しかしこの少年にはそれが見られない。



 外見こそアインホルンと変わらないが、実年齢は確か十五歳だったはず。


 さすがはターゲスアンブルフ卿の子弟、よく躾けられている──いや単にターゲスアンブルフ卿で慣れているだけかもしれないが。



「実は君に、神女たちの異能の調査を頼みたいのだ」


「は……?」



 少年はしばし目を瞬かせ、怪訝そうに眉根を寄せた。



「それは、ユスラの、ですか?」


「いや、神女たち、全員だ」



 いまだ納得できない顔つきの彼に向かって、アインホルンは三本の指を立てた。



「理由は三つだ。一つは、君が守護者で、離宮に常駐していること。特にここしばらくは君の神女につきっきりだと聞いた。離宮にいれば、他の神女と接触することもあるだろう。少なくとも大宮殿にこもってばかりの私よりも機会は多いはずだ」


「…………」



 反論をしてこない様子を見る限り、この理由には納得してくれているようだ。



「二つめ。──君は少し前に、果実の神女について聞き込みをしていたそうだね。予言のあと気絶していた時間の長さから、前後に変わった様子はなかったか、彼女付きの侍女や離宮勤務の護衛官に話を聞いて回ったとか」


「……よくご存知で」


「離宮は私の管轄下だよ。異変があれば報告が逐一入る」



 わざと偉ぶって、ふん、と驕傲きょうごうを放つ。彼がどんな反応をするのか楽しみに待ったが、表情一片変わった様子はなかった。年齢の割りに、実に落ち着き払っている。ターゲスアンブルフ卿を彷彿とさせる態度に、素直な感嘆と、生意気な、という相反する感情が同時に湧いた。



「報告をしてきた者は、君の聞き込みはずいぶん巧だったと感心していたよ。本命の質問の前後に記憶をすくうような質問を混ぜて、より正確に思い出して貰っていたそうだね。……そうそう、必ず天気を聞いていたんだって? 良い案だと思うよ。天気なら誰だってぼんやりと覚えているだろうし、証言の裏付けにも使える。そういう他愛のない雑談をしていると、重要な情報がぽろりとこぼれてくることもあるしね。なにより君のそのマスコット的な性質が侍女たちの口を軽くしていたみたいだ。そういうのも一種の才能だよ」



 褒め言葉に包んで、勝手な行動を叱り、今後の帝宮内での行動を慎むよう、一気にまくしたてる。


 こちらの本意は伝わっていないだろうが、構わない。ともかく帝宮内のことは筒抜けなのだと覚えてくれればいい。



「三つめ。これらの調査に関して、君はターゲスアンブルフ卿に報告書を提出しているね」



 引き出しから出した書類の束をばさりと広げると、少年の顔つきがようやく変わった。今にもなぜと声も高らかに訊いてきそうな雰囲気だったが、さすがにそんな不調法はなかった。



「果実の神女の、予言の内容と失神時間との関係性。過去、大きな事件に発展した予言、特に国事に関わる事件は失神している時間が長くなる兆候がみられる──私が命を狙われた事件ではおおよそ半日。そして今回の予言も半日──国事を揺るがすような予言は体に負担をかけているのではないか──なるほど、実に興味深い内容だ」



「言い出したのは俺ではなく、ターゲスアンブルフ卿です。評価は彼にツケておいてください」


「だがこれだけの証言を引き出したのは君だし、統計を元に結論を出したのも君だ」



「褒めていただいてありがとうございます。だけど、その統計は『果実の神女の予言は百パーセント当たる』ことを前提にしたもの。予言が外れたいま、『予言は外れる』という可能性を考慮してやり直さないと──」


「いいや、今回の予言も間違いなく当たった。この統計はまだ有効だ」


「………は?」



 少年は今度こそ素をこぼした。


 アインホルンは、してやったりと思った。一辺倒だった少年の旗色を変えられたのだから。



「収穫祭は成功した。民衆も貴族もみな満足して帰路についた」


「あんた……なに言ってるんだ、人が死んだんだぞ!」


「人命を貶めているわけではない。これはれっきとした事実だ」



 アインホルンはあえて淡々と語った。


 平民あがりで、帝宮に入ってまだ間もないというのに、これだけ整然とした報告書を提出できる彼を買ったからこそ呼び出したのだ。


 ここは悪役を引き受けてでも、彼に冷静に判断してもらいたい。


 神女の異能が、どれだけ異質なのかを。



「冷静に考えてほしい。祭りそのものは滞りなく終了した。町に出れば、収穫際の話を耳にすることもあるだろう。皆、口をそろえて、例年通り、あるいはそれ以上だったと言うはずだ。……亡くなった守護者には申し訳ないが、彼の死を知る者はごく少数なのだ」



 絶句する少年を尻目にアインホルンは続ける。



「果実の神女は言った。成功する、それは当たった。だが一方で事件も起きた。君の報告書の件もある。神女の異能は、我々があずかり知らぬ何らかの法則性があるのだろう。……あるいは制約か」


「せいやく……」



「我々がそれを知らぬゆえに今回のようなことが起きる。……私は予言を受けてたかをくくり、警備の委細の詰めを誤った。それについては深く反省している。ついては、今後このようなことがないよう、神女の能力を正確に把握したいのだ。だから君に」「お断りします」「…………」



 まだすべてを言い切らぬ内に断言され、アインホルンは押し黙る。眉と眉の間に渓谷が生まれそうになったが自制した。せわしない仕事の合間に時間を作って面会しているのだ。こんな押し問答で浪費したくはない。



「……君、出世しないよ」


「もともとそんなつもりはありません。俺はユスラのためにここに来たんだ」


「私は君を買っているんだがね」


「人狼が早死にであることはご存知でしょう。俺は育てるだけむだですよ」



 痛い部分を突かれて今度こそ黙った。


 吐き捨てるような物言いではあったが、少年の声音には一切の迷いを捨てた覚悟があった。


 守護者といえど、外見だけが育った歳若い少年だとあなどっていた己を自覚する。


 幼くとも、彼はやはり狼だ。



「話がそれだけなら、これで失礼します」



 そう言い切って、ターゲスアンブルフ卿に教えられたのであろう礼をとり、彼は足早に執務室を去った。


 バタンと無常な音を立てて扉が閉まる。



「……振られたな」



 あれでは説得も無理だろう。


 アインホルンは天井を仰いだ。

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