◇第14話◇とんぼ
相変わらずの猛暑は続いていて。
洗濯物を干しに、ほんの少しベランダに出ただけで汗が流れ落ちる。
太陽の光の眩しさで紫外線に弱いわたしは目を開けていられなくなるほど。
それでも空と雲を撮りたくて携帯カメラで一、二枚撮ったら、熱上昇の為カメラ機能がこれ以上使えません、みたいな表示が出て、びびる。
一応、一時的なものだったみたいでホッとしたけど、携帯壊れたら困るから気をつけなきゃ。
今日、とんぼが空一面に散らばるように飛んでいた。
今年初めてみた、とんぼ。
なんだか幽玄的な景色だった。
ぼんやりと
里帰り途中の魂なのかな、とか、思ったりした。
霊感とか、そういうものはまったくない。
これについてはノミの心臓で臆病者なので、もし、そういうことがあるにしても、見えたり感じたりがないように、あちらの方で配慮してくれているのかもしれない。
心霊的なものがあるのかないのかについても、どちらかに決める必要はないと思ってる。
それぞれの中の想いでいいんじゃないかと。
つくづく思うけど、わたしがむしろ怖いのは生きている人間の方だ。
裏切り、騙し、平気で人を踏みにじる。
神様や仏様すら時として利用するんだから。
亡くなった人は、とても静かで無力だ。
ただ見守り、遺してきたもの達のことを想い、ひたすらに願って祈っている。
わたしは無神論者だし、宗教的な意味での
供養ということでいえば、その道の方々から” まるでなってない、そのせいで苦労が耐えないのです ” などと言われかねないだろう。
こういう解釈を聞くたびに、わたしはやり切れない思いに駆られる。
先立った人にしても、ご先祖様にしても、生きている人間の哀しみ苦しみを勝手に背負わされるなんて、堪ったもんじゃないと思う。
誰が、遺してきたものたちの、子孫の不幸を望むものか。
もしくは何代か何十代か前の、ご先祖がしたことだとか、その関係でとか、そんなのこそ、亡き人々に鞭打つことじゃないか。
現世の生あるものの業は、この世界で今を生きるもの自身が少なくとも自ら背負うべきだと思っている。
逝かれてしまった直後は、頭が空っぽになる。
それから、遺されたものがすべきことの激流に、もみくちゃにされて自分の感情どころじゃなくなる。
本当に実感するのは、その後からだ。
塞がることの無い穴を胸に抱えながら、わたしたちは生きていかなければならない。
当たり前といえばそうだ。
その場所はその人だけの場所で、それは他に代わりなどいないんだもの。
それほどに命は重い。
でもだからこそ。
それを教えてくれた人たちの為にも、わたしたちは生き延びるべきだと思うんだ。
生きる道は、ある意味、死ぬことよりも難しく険しい。
だけど、この胸に空いた穴、託された命の分まで、与えられた命の期限が尽きるその時まで、わたしたちは生き延びるべきだと思うんだよ。
夕暮れ。
窓を開けてみると、いつのまにか、あのとんぼ達は居なくなってた。
遠くで雷の音がしていて
しばらく
薄昏くなっていく空を独り見ていた。
でも夕立はないまま。
また、泣きそびれてしまった。。。
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*あの頃のこと*
これは、お盆前の頃の日記ですね。
暑さに弱いのは昔から……。
そして……ここで書いている考えは今も変わっていません。
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