第92話 魔族の文化
同盟が成立していると言っても、長年争ってきた魔族との境界には、それぞれの軍事施設が存在する。
通過に必要な身分は、ラグゼルの導師としての資格で充分であった。
悠斗とリューグは護衛という役割なのであろうが、それにしても――。
「華がない」
悠斗がそんなのんびりしたことまで言ってのけた。
「……お前それ前世でも同じこと言って、本気にしたやつらで困ったことになっただろうに」
「そうでした」
前世の悠斗のパーティーは、最終決戦に悠斗が一人で向かう前には、五人の仲間がいた。
ハイエルフのエリン、聖女レティーナ、賢者ラグゼル、それに剣聖と聖騎士だ。
だがもちろんこの五人以外にも、一時的に仲間となって活動した者は多いし、死に別れた者もいる。
最初はレティーナの護衛として共に旅をした、女の神官戦士。
はっきり言ってレティーナの体力がついてくるまでは、彼女の方が圧倒的に役に立った。
レティーナではなく、悠斗を守って死んだ。
魔王との決戦は人類を背負ったとかどうとかいう大義名分より、仲間を殺された恨みと憎しみの方が大きかったろう。
もちろん今ではそれも、お互い様という納得の仕方も出来ている。
それでも失われた魂がどこへ行くのか、ふとした拍子に思わないでもない。
雅香によると、魂は輪廻転生する。誰もが、悪人も善人も関係なく。
オーフィルのように神に至る者もいる。地球で言うなら解脱した仏陀などはそういう扱いなのかもしれない。
あとは記憶が残るかどうかだけだ。雅香や、あるいは悠斗のように。
雅香の言葉を、ふと思い出すことがある。
「もしもこの先もずっと、神剣のせいで記憶を保持し続けるなら、地獄だな」
彼女は数千年を、何度となく転生を繰り返した末に生きており、そう言いたくなるのも仕方がないのだろう。
これについては悠斗も、ゴルシオアスと話したことがある。
もしこの世界に帰還できて、この世界で生を終えるとしたら、神に昇神する気はないか、と。
悠斗にとって神は、強大ではないが不思議な存在で、この世界の運行を見守っているものだ。
魔王の存在によって多くが消滅したが、それだけに今は新たな神が必要とされている。
長命のエルフあたりを神に出来ないかと問えば、エルフは神を選ばないのだそうだ。
人間よりもはるかに長い人生を生きるエルフにとって、永遠に等しい神へなることは、終わるはずの地獄がまだ続くのと同じだそうな。
鬼人族の領内に入って四日目。
下手に空を飛んで注意を浴びるのを避けるため、基本的には朝と夕方を移動時間にあてている。
昼間は買い物をしたり、街で情報収集などを行う。
鬼人族の領地なので、当然ながら鬼人と、その配下であるオーガやオーク、ゴブリンが多い。
支配下にあるゴブリンはよく躾けられていて、無意味に人を見て威嚇するということもない。
ゴブリンは五歳児程度の知能は持っているのだ。
そしてオークは本質的にはおとなしい。
前世もこの辺りは歩いたことがあるが、ゴブリンなどが普通におつかいをしていたりするのは、未だに驚く。
つまるところゴブリンの持つ邪悪さとは、野生の獣の邪悪さと同じ程度なのだ。
知能が高いのでその悪辣さも際立つが、最初から躾ければ案外人間を襲わない。
そういうところを見ても、ゴブリンは存在そのものから邪悪とは思えないのだ。
同じ鬼とはつくが、吸血鬼はオーフィルでは全く別の種族として認識されている。
そもそも吸血鬼はエルフなどと同じで、実体化している部分は少ないのではとも言われている。
人間にとっては敵対する魔族の代表格ではあるが、同時に絶対に人間を絶滅させようとはしない種族でもある。
なぜなら人間の血液がなければ、吸血鬼は生きていけないからだ。これは人間の肉を食べないと生きていけないグールにも共通の弱点である。
だからむしろ吸血鬼は、人間を保護下に置いて繁殖させている。
そして食料の絶対数を増やすのが難しいため、吸血鬼の個体数は少ない。
極端な話、人間が全員自殺すれば、吸血鬼もまた絶滅する。
吸血鬼が生きていく血液は、人間からしか吸えない。だからエルフなどが吸血鬼を殺すために人間を絶滅させれば、それでも吸血鬼は絶滅する。
吸血鬼は強大な種族であるが、致命的な弱点もある上に、社会的な弱点もあるのだ。
一方、鬼人族である。
人間が共存出来る種族かどうかを決めるのには、他にも一つの基準がある。
それは、混血が可能であるかどうかということだ。
この基準であると、実は卵生のリザードマンとは共存できないのだが、リザードマンとは生息圏が違うために、共存は出来ないが棲み分けが出来ている。
共存出来そうで出来ないのが、雑食性の魔族と、肉食系の魔族であったりする。
鬼人族は肉食よりの雑食であった。狩猟民族でもあった。
極端な話、魔王である雅香がやろうとしていたことは、人間の支配ではない。
魔王の価値観における社会への、人間の組み込みだ。
それは支配と同じではないのかと思うかもしれないが、実は違う。
そもそも人間は、既存の秩序に支配されているものだ。人間ならば平民や奴隷は、主人や貴族に支配されている。
そして人間全体を支配しているのが、神の権威を持つ常識というものだ。
どのみち地球の民主主義や資本主義を知る悠斗にとっては、オーフィルの国々の神の権威を背景とした専制君主制も、今ならはっきり人間の都合だけで作られたものだと分かる。
神にとっては貴族だけでなく王でさえも、人間であることにはかわりはない。
秩序のために階級や、そして聖職者を生み出すことも理解しているが、神々が同じ神と認めるのは、現世での地位とは全く関係がない。
一つは力が神に相応しいかであり、もう一つは行いが神に相応しいかだ。
だから高位の聖職者ほど、かえって神にはなれない。その行いを人間が記録し讃えることはあっても。
レティーナは久しぶりに、神になる人間であるとは思われている。
深く魔族領にまで入っているが、それなりに人間の姿は見る。
この、どこへでも行けるというのが、人間という種族の持つ最大の長所なのかもしれない。
「鬼人族というのは上位種族の割りに、それほど数は見かけませんね」
不思議そうにリューグは言うが、支配する上位種族ではあるが、鬼人族は知能が他より高いだけで、戦闘力はオーガとそれほど変わらない。
ただ魔法を使う個体が多いので、それなりに強者として認められる。
前世でも気付いていたことだが、魔族は強大であっても、強大な力を持つ種族ほど、その数は少ない。
なぜならばその力の維持に必要なリソースが、一つの個体で大きくなるからだ。
種族的に高い能力を持つことは確かだが、それよりさらに確かなのは、高度な技術を伝承していくことが必要ということだ。
それにかけられる時間や手間を考えると、単に数を増やしていくわけにはいかない。
ゴブリンが繁栄出来るのは、そのリソースが小さいからだ。
他の魔族に比べると弱いと言っても、人間を最もたくさん殺した種族は、やはりゴブリンなのである。
「人間だって王族が一番少なく、平民の方が多いだろう?」
「なるほど」
ラグゼルは頷いているが、リューグはまだ首を傾げている。
前世でも地球の価値観や世界を教えられているラグゼルと違い、これまでそういった考えに触れてこなったので、リューグの場合は仕方がないだろう。
そして戦争中の獣人族との前線まで、わずか一日のところにある城塞都市まで、悠斗たちは歩を進めた。
鬼人族もその支配の根源を暴力においているため、前線近くにその種族の長がいるのは当たり前なのだ。
鬼人族の長、はっきり言ってしまえば王であるバーグルがここにいる。
都市への門においては、さすがにそれなりの警備がある。
だがここでも顔になるのは、ラグゼルである。
「人間族の賢者ラグゼル、長バーグルに会いに来た。通るぞ!」
ここで必死で止めるのが、脳筋の多い鬼人族の中でも、割と思考に柔軟性を持っている者、そして一緒に働いている人間族である。
賢者ラグゼルの威名と悪名は、鬼人族の中でも有名である。
戦争においては前線に立ち、多くの鬼人族の戦士たちを殺してきたという点では、勇者や剣聖と共に畏怖されている。
「恨まれてないんですか?」
リューグの言葉には苦笑する悠斗である。
「鬼人族の価値観では、戦争で負けて死ぬのは当然のことだというものがあるな。大切な者を殺した相手でも、それだけの力があるのだと認めてむしろ尊敬する。だが騙まし討ちや毒殺などは別だが」
カルチャーギャップにくらくらと来ているらしいリューグであるが、まだこんなものは可愛いものだ。
たとえば吸血鬼などは、血の美味い男と血の美味い女を夫婦にさせて、子供を産ませようとしたりもする。
美味い種同士をかけあわせるのは、地球における人間の品種改良と一緒だが、それを知能の高い動物で行おうとするのだ。
まあ地球では他に代表的なものは、食用牛や、サラブレッドなどがそれであろう。
ちなみに人工授精で増える食用牛や豚と違って、サラブレッドは自然交配による妊娠でないと、サラブレッドとして登録出来なかったりする。
地球に転生して悠斗が感じたものの一つとしては、なぜ人間は同じ種族なのに、民族や宗教の違いで戦争を起こすのかということだ。
だが改めて勉強すれば、同じ宗教でもわずかな教義の解釈の違いで、いくらでも殺し合いは起きているのだ。
そう思っている間に、知らせに走った鬼人族の戦士が戻ってきた。
「長がお会いになります。どうぞ」
さあ、脳筋種族との肉体言語の話し合いが始まるぞ。
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