第82話 賢者

 空気が変わってきた。

 まだ遠いが、血の匂いさえ感じる。

 人間と人間の戦い。殺し合い。

 原始性の発露する場所である、戦場。


 念のために空から降りて、街道を歩いて丘を越える。

 山々の先、切れ目に見えるのは、盆地での戦闘。

 探知を使ってみるが、人間の軍と、人間と獣人の混成軍の戦いだ。


 事前の情報から考えると、悠斗の協力するべき勇者派は、獣人との混成軍だ。

 ただ混成軍と言っても実際は、人間が獣人の協力を上手く引き出しているらしい。

 それに侵略活動が活発なのは勇者派だ。

 もっとも聖女派も、勇者派への過激な攻撃を行っているので、どっちもどっちと言えなくもない。

(あれだけ魔族に押されていながら、神殿の連中は腐ってたからなあ)

 それが、本来なら神殿の奥深くで大切に守られるはずの聖女が、悠斗たち勇者パーティーに参加した理由である。

 最初はあまりにも体力がなくて、はっきり言ってお荷物だったものだ。

(今の状況も不本意なものじゃないのかな)


 聖女は庶民には大人気であるし、旅の途中で築いた人脈もある。

 だが肝心の神殿内部での立場は弱い。

 そして聖女であるからこそ、魔族との融和を口にはしづらいし、勇気をもって口にしても、それを周囲は捻じ曲げるだろう。




 それはともかく戦場である。

 最近は大規模の戦闘は起こってなかったと聞いているが、遠めに見えるこの戦闘は、両軍合わせて五万ほどの数はいるだろう。

 オーフィルの文明的には、これはかなり大規模の戦闘である。


 悠斗が接触しようとしているラグゼルは、勇者派でも聖女派でもない、中立派だ。

 だが前世における思想と言動から考えると、勇者派である。

(あいつ自身が直接戦争に参加するわけはないから、どこかの陣地にいるはずだけど)

 神剣の権能を使って、いる方向だけは探れる。

 そのはずであったが、接近したこのあたりとまでは分かるのだが、詳細な場所は分からなくなっている。

 おそらくラグゼルによる隠蔽の魔法だ。

 用心深いことであるが、今はそれがめんどくさい。


 ここでどちらかに味方をすることは出来ない。

 勇者派と言うからには悠斗の味方になりそうなものであるが、前世においては悠斗をより有効利用しようとする集団の総称である。

 もっとも前線に立つことの少ない神殿に比べれば、現実主義者が多かったのが軍人であり、政治家だ。

 本来なら実戦慣れした勇者派の方が圧倒してもおかしくはないのだが、聖女派には宗教的な権威が背景として存在する。

 力ある神々の多くは、魔王との戦いのために神剣へと融合した。

 そのため本来なら託宣を告げる神はそんざいしなくなり、神殿がその代弁者となっている。


 およそ人間が神を語ることの恐ろしさを、悠斗ほど分かっている人間は、この世界にはいないだろう。

 新興宗教に限らず人類の歴史を紐解けば、人は神の名の下に、いくらでも人を殺すことが出来るのだ。

(神剣をどうにか神に戻せればいいんだけど)

 不可逆性である。

 悠斗に全てを託して、神々は己の存在を力に換えた。


 その意味では悠斗こそが神の代弁者であり、だからこそ悠斗が勇者であった頃は、神殿のお花畑な人々も、変に足を引っ張ることが出来なかった。

 今更であるが魔王との決戦は、悠斗は少なくとも聖女は置いていこうと思っていた。

 しかしそれを単独での行動に誘導したのは、神殿の仔細の言葉であった。

 長い長い魔族との戦いの果てに、聖騎士も剣聖も、そして賢者も聖女も、エリンも命を永らえようとはしていなかったはずだ。


 身を捨ててでも、魔王を倒す。その覚悟であった。

 それすらも全て雅香の手の内にあったというのは、他の者には教えられないことである。

 雅香は悠斗にも理解出来る理由で魔族を率いて人間と戦っていたが、おそらくそれに少しでも納得出来るのは、人間の命などなんとも思っていないエリンと、やはり他人の命にはほとんど関心のないラグゼルぐらいであったはずだ。




 戦場を俯瞰できる高所に、陣地が一つある。

 おそらくあそこが聖女派の軍の本陣で、遠くに見える同じような丘の上が、勇者派の本陣だ。

 さてどちらの味方をするべきかであるが、やはり本来なら勇者派なのだろう。

 ただこの戦争自体が、どういう理屈で行われているのかが分からない。


 悠斗は前世において、集団戦をほとんど経験していない。

 あったとしても大量の敵を、わずかな人数で奇襲したり、撃退し続けたりといったものだった。

 戦闘の中に飛び込んでいくわけにもいかないし、どちらかを一方的に遠距離から攻撃するのもまずい。


 とりあえず戦闘が終了してくれたら、どちらかの陣営に接触は出来るのだが。

「使ってみるか」

 まだ試したことはないが、こういう状況を強制的に止める魔法。

 ただ慎重に制御しなkれば、かなりの死者も出てしまうだろう。


 術式を構成し、魔力を流し、発動。

 それは戦場の中心で発生した。

 最初は緩やかであった風の流れが、やがて激しくなっていく。

 兵たちの持っていた武器などが吹き上げられ、武装を奪われた者が慌てて後退する。


 竜巻の魔法。

 強力すぎれば人を巻き上げて殺してしまう。

 これを威力は弱めに、戦場を動かす。

 完全に陣形が壊れて、戦闘を続ける余裕がなくなる。

 大地に空白が現れて、両軍は一度完全に兵を引いた。




 上手くいった。

 とりあえず目の前の戦闘を止めただけであり、根本的な解決にはなっていないのだが、とりあえず人がぼろぼろと死んでいく光景は見ずに済む。

 ここからどちらかの陣営に接触するか、あるいは両方の兵糧を焼いてしまって、継戦が不可能な状態にしてしまうか。


 迷った悠斗だが、背後の魔力の揺らぎにはすぐに気付いた。

 振り返れば空間が歪み、そこから一人の魔法使いが現れる。

「強大な魔力で変わった魔法を使うと思えば、こんな子供か」

 絶大な魔力量。険の強い眼差しに、顎鬚を生やした男。

 ローブ姿に、様々な制御を果たす巨大な杖を構えている。

「何者だ」

 そう問いかけてくる男に、悠斗は見覚えがあった。


 年齢の頃は30代の前半あたりか。魔法使いはどちらかというと、加齢が遅いことを考えると、50前後でもおかしくない。

 つまりこいつは――。

「ラグゼル、だよな?」

 おっさんになってはいるが、魔力のパターンが同じであるし、ローブや杖の趣味が変わらない。

「私の名前を知っているのか。ますます……待て、その剣はどこで手に入れた」

 悠斗は魔法の補助のために、神剣を手にしていた。

 もちろんラグゼルは、神剣のことを知っている。

「ゴルシオアス、やっと会えたよ」

『ほう、少し会わない間に老けたものだ』

 神剣からその分霊である、ゴルシオアスが姿を見せる。


 ラグゼルの細い目が見開かれる。

「まさか、本当に神剣なのか? 少年、なぜ貴様がそれを持っている」

 最大限の警戒と同時に、知的好奇心と、そしてもう一つの感情が抑えきれない。

「なぜって言われても、神剣は魂に結びついたものになるって言われてたし。それに俺の外見、かなり似てるはずなんだけど」

 弟にそっくりとは、散々姉であった母が言っていたことだ。

「リュート……なのか……」

「今の名前は悠斗なんだけどね」


 杖を落としたラグゼルが、よろめくように近付く。

 そのまま抱きつくようにして――手首から抜いた短剣で切りかかってきた。

「危ね!」

 咄嗟に避けたが、ラグゼルはそれきりで感情の発露は抑えたようだった。

「なるほど、確かにその身のこなしはリュート」

「もっと穏便な確かめ方しろよ!」


 少し涙が滲んだ目元を隠すように、ラグゼルは落とした杖を拾う。

「どういうことか、色々と説明してもらおうか」

「そりゃもちろん」

 前と変わらないが、ラグゼルは本当に喜んでいても、酷薄そうに見える笑みを浮かべる。

 本当に、18年経過しても、人の本質とは変わらないようだ。

 だがなんにしろこれで――。


 賢者ラグゼルが仲間になった!

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