第57話 魔王の帰還
朝鮮半島はいまだ修羅の世界である。
38度戦より北にある門。そこから出現する魔物は、おおよそ四方へ散らばっていく。
樺太と違って北方には大陸につながる大地があるので、そこから最も広大なユーラシア大陸に広がっていくのだ。
これがせめてもう少し南にあれば、旧38度線の防衛設備を利用できたのだが。
運のない土地である。
朝鮮半島と言うのは地政学的に見ても、運のない土地なのである。
そして歴史的に見ても、その地政学的な通りに運がない。
大陸に強大な王朝が続き、北方からは騎馬民族がやってくる。
海の向こうには海に守られた国家が成熟し、やがてこの半島は、巨大な国家の緩衝地となり、あるいは代理戦争の地となった。
そしてチャイナの力が弱まり内戦に突入しても、自立することも出来ずに崩壊した。
日本の一族としては、南の島嶼部にわずかに残った朝鮮人を別にすれば、この半島は魔物との戦闘の経験値を上げるのに最適な土地である。
本土からは近く、それでいて向こうからは攻め込まれることはない。
門のせいロシアも保護国にする必要を認めず、日本もあえて火中の栗を拾いにいこうとはしない。
皮肉をきかせれば、最適な訓練所とも言える。
そんな半島であるので、雅香はいつも通りのノルマをこなすために、普通にその不運な大地に踏み込んだ。
「いつ来ても悲惨っていうか、気の毒な土地ですよね」
雅香は己の勢力を持たないが、個人的に彼女に心酔している者は多い。
そんな舎弟三人を連れて、魔物狩りに訪れたわけである。
16歳になった雅香は、幼少期から明らかだった色気が、凄みを帯びてきている。
嫁に欲しいと普通なら話があるところだろうが、だいたい一族の男というものは、自分より強い嫁など欲しくないものである。
雅香としても、今更嫁になど行っていられない。
カーキ色のジャケットで上下を揃えた四人は、上陸地点から西方を見る。
普段は魔物の間引きをするために南から侵入するのだが、ここらもそれなりに海岸沿いは魔物が多い。
そしてその魔物数百匹を、簡単に駆除するのが雅香である。
他の三人はそれぞれが眼となり、雅香の背後を守る。
前に進むだけでいい雅香は、まさに無敵である。
「15分か。いいペースだな」
海岸を一掃してから、雅香たちは西へ向かう。
単純に門への距離を考えれば、以前のように半島を海で西側から上陸するのがいい。
だがそのルートは、ある意味開発されているとも言える。人の目が多いのだ。
今回の雅香の目的は、門の向こうへ至ることだ。
出来ればそのままあちらの世界に行ってしまう。悠斗にもそのあたりは伝えてある。
そういう意味ではこの取り巻きは邪魔ではあるのだが、一人で行動するのはリスクが大きい。
魔物などへのリスクと言うよりは、一族の中でのリスクだ。
雅香は既に一族、九鬼家の中では主力である。
御剣家は九鬼家の中ではそこそこ有力な分家であるが、九鬼家は男社会だ。
他家から嫁いでくる当主の正妻ほどともなれば別であるし、現当主は例外を多く作ろうとしているが、それでも男が強い家であることは変わらない。
その中で女の立場を向上させてきたのは、間違いなく雅香である。
ある意味、雅香も重要人物なのだ。
だからこうやって護衛のように、取り巻きを作って小さな勢力としているのも黙認されている。
しかしそれはあくまでも、許容された自由だ。
一族の中の、さらにその中でも九鬼家という範囲の中にしか、彼女の自由になる戦力はない。
だからこそ、オーフィルに向かう必要がある。
魔王の死後の話は、悠斗も満足に聞く暇がなかった。
しかしその組織が完全に瓦解したわけではなさそうだ。
基本的に魔族は、雅香が社会秩序を与えたとは言え、実力主義である。
人間の領域に生まれながらも、数百年かけて魔族の中で己の地位を固め、魔族全体の質を変えた。
さすがに既に組織の固まった日本の中で、同じことをしている時間はない。
だが、魔族ならば。
魔族が以前と変わっていないのならば、それは自分の魔王軍だ。
悠斗の勇者としての影響力が、いまだい人間諸国家に残っているかどうかはともかく、あのエルフ。
人間が滅びようと、魔族が滅びようと関係ないというあのハイエルフたちが、さすがに世界の危機に立ち上がれば――。
「勝算があったらいいなあ」
「え、何がですか?」
「いや」
地球の忌まわしい神々の力がどうか、分かっていないのでなんとも言えない。
ただこれまでの情報からすると、そもそも目覚めさせた時点で負けのような気もする。
地図が不充分であるのと、魔物が多かったこともあって、門の近くまでに四日もかかった。
悠斗の話によると、あちらからの魔物の供給は少なめになっているはずだが、全くそうとは感じない。
あれから時間が経過していないし、そもそもこちらから上陸したことがないので、仕方のないことなのかもしれないが。
ただ気になったのは沿岸部の魔物のことだった。
半島もまた、魔物が食べるようなものはほとんど残っていない。とくに南部はそうだ。
しかし魔物の中には、浜辺に打ち上げられたような魚の死体を食っているものもいたし、海に潜って海草を食べているものもいた。
今はまだ大丈夫だが、いずれ海を泳いで島嶼部に渡るものが出てくるのではないか、
日本の対馬まではさすがに大丈夫だろうが、雅香の知識にあるかぎりでも、数km程度なら泳げる魔物は多い。
(地球がある程度混乱するのはむしろ望むところだが、戦力自体は維持してほしいからな)
なんとか海外の勢力と結びつきたいのであるが、それをすると今の十三家での影響力を失いかねない。
日本の一族のまとまりは、やはり島国であるイギリスと並んで、世界のトップレベルである。
アメリカの通常戦力を考えても、日本を敵に回したくはない。
政治だ。
こういったことは好きではないが、散々経験してきたことだ。
オーフィルの勢力をどれだけまとめて、まずは十三家と対等に渡り合えるか。
今度は勇者がこちらの陣営にあるので、前よりはよほど簡単だろう。
東の禿山から、窪地の門を見る。
また前のように、魔物があふれている。
雅香以外の消耗が厳しい。やはり四人でここまで来るのが限界だ。
そう、限界なのは雅香以外である。
「雅香さん、これ以上は」
「そうだな」
ここまでの道で、魔物は充分間引いてきた。
「よし、お前たちはここから戻れ」
「へ?」
「門の向こうには私一人が行く」
「いや、そんな無茶な!」
まあ無茶と思うのは無理はない。ただ悠斗の言葉によると、あの門は魔物は一方通行。あちら側にはそれほど多くの魔物がいるわけではない。
突破するだけなら充分可能だ。
「沿岸に戻って沖で私を待て。三日間で戻らなければ、一度本土へ戻れ」
そう命令だけして、雅香は駆け出す。
殲滅するならばともかく、突っ切るだけならそれほどの難しさはない。
自分を追ってこないのを確認して、雅香はさらにスピードを上げた。
普通の人間であれば、一噛みで命を奪う獣型の魔物。
雅香は獣以上のスピードで、その鼻先を掠めていく。
門が近付く。
(あちらの出口前で、待ち構えられているとまずいが)
防御魔法を全力でかけて、雅香は門の漆黒の中へと飛び込んだ。
慣れた空気だ。
昼間であるが曇っているので、時間も分からない。
森の中に、こちらは空間に浮かんでいる魔法陣から、雅香は飛び出した格好になる。
(時間は地球と同じぐらいなのか? さて――)
森の植生には見覚えがある。おそらくは魔族領域だ。
悠斗はアテナがこの魔法陣の正確な位置が分かっていないようであったが、雅香には分かる。
魔王になるまでには、各地を放浪した。
(基本的に緯度や経度は、あちらの門とそれなりに対応しているな)
半島と新宿の門の距離を考えると、ここから魔族領域最大の都市までも、そう遠くはない。
だがまずは情報収集だ。こちらの世界では18年が過ぎているらしいが、魔族の中でも知能の高い種族は、総じて長命であった。
あとは知り合いの竜などに会いに行くべきだろう。さすがに18年で竜の存在の重さが変わったとは考えにくい。
獣道並の小道を歩んでいくと、やがて関所のようなものが見えてきた。
一応は地球へ行くことは禁じられているのだろう。関所の脇を行こうとしても、魔法の結界が張ってある。
(面倒だが反対の道を行くしかないか)
道ではなく森へ分け入り、木々の間を飛び跳ねながら、雅香は山の斜面を駆け上がる。
肺の中に入ってくる大気は、マナにあふれている。地球ではありえないほどのマナ。
竜種や幻獣種などの巨大生物が、餌の少ない場所でも生きられる理由がこれだ。
(帰ってきた)
いくつもの世界を巡り、最初の記憶は霞んでしまっても。
「帰ってきたぞーっ!」
思い出すのは人々の記憶。
共に戦った仲間。
育て上げた子供たち。
殺し合った敵。
共通の目的のために手を組んだ宿敵。
口からはいつの間にか、高笑いが洩れていた。
魔王がこの世界に帰還した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます