第47話 胎動
南浦に設置された基地まで戻ってくると、普通にネットが使えるようになった。
それを見るに新宿での被害は、作成中の壁の隙間から、魔物が出ようとしたことで起こっている。
民間人の死者は204人、自衛隊の死者が49人、そして一族からも三人の死者。
外様の悠斗や例外の雅香は別としても、この結果を受け止める遠征軍の人々の表情は暗い。
人の命は平等ではない。
そしてそれは正しい。
悠斗は貴族制の残る身分社会の異世界で生きた。日本人の価値観からすると納得しがたいものもあったが、理解は出来た。
勇者である悠斗を守るために、王族が軍を指揮して魔王軍と戦ったこともある。
最前線で2000の兵士と共に戦った王族は、全員が戦死した。
あそこで死ななかったのは悠斗を護衛して前線から離脱した100人のうち、わずか19人であった。
兵士以外にも、前線の砦には民間人が多くいたが、それも全て殺戮された。
戦争においては明確に、守るべき優先順位がある。
勇者を守るという目的のために、2000の兵士を殺す必要があった。それを逃走させず士気を維持するために、王族自らが前線指揮をする必要があったのだ。
単に民間人の命が軽いだけなら、悠斗も嫌悪しただろう。しかし王族や貴族が軍人となり、最前線で戦う姿は、高潔であった。
それとは全く別に、悠斗以外の戦闘力が高い者も、優先して守られていた。
人類全体を守るためには、切り捨てる部分が必要であった。
今、もう二度とないだろうと思っていたあの世界の命の選別が、地球でもなされている。
政治家や企業家などの中に、自分の子や孫を防衛大学に入れるということも普通にされている。
大概は新聞やテレビで、今年は誰々の息子が入ったとか、そういうニュースが流されるのだ。
高貴な者の義務というのとは違うが、政治家などはこれをアピールしている。
あとは自衛隊の名称を変えようかという話なども出たが、その度に立ち消えとなっていたりする。
悠斗たちは対馬に帰還後、そのまま飛行機で成田へと向かうことになった。
九州在住の戦士はそのままに、臨時便で東京へと飛ぶ。
その間にもニュースは更新され、詳しい被害状況が刻一刻と伝えられていく。
それでも最終的な死者は300人にも達しなかった。
世界各地の魔物による被害と比べれば、なかったも同然である。
日本で一番多くの被害が出たのは、新宿の門出現時の8000人である。
それでも地震による被害などに比べると、それほど多いとは言えない。
原爆の被害者の10%以下と言えば、いかに人類が愚かしいことをしてきたか分かる。
だがこの10年あまりの間に、国内での魔物による死者は200万人を突破した。そのうちの九割以上は門の発生以降である。
数億単位で死んでいる、中国やインド、南米やアフリカに比べればはるかにマシで、そもそも魔物が発生しなかった領土の小さな島国を別とすれば、最も被害が少ない国と言えるだろう。
冬季に自然と魔物が死んでくれる北国でさえ、それまでに殺される人間の数はもっと多い。
特に寒冷地に生息出来る魔物は、逆に雪が融けるまでは、人間の手には負えない。
北欧では幻獣種である銀狼の存在が確認されていて、数年間被害は増え続けている。
建設中の壁にはある程度の防衛機能も設置される予定だが、まだ完成していない。
枠組みだけの内部を登った悠斗は、春希と共にその屋上となる部分へ立った。
戦闘の跡がはっきりと残っている。
逆を見れば未完成の壁の間から抜け出た魔物により、被害を受けた街の様子も分かる。
「強制退去させとけば、もっと被害は抑えられたよな」
「退去勧告は出してたんだし、あたしたちの責任じゃないわね。てか、一般人を守る必要がなかったら、もっと一族の被害も抑えられたのに」
このあたり日本はまだ、現場と政府の決定機関に温度差がある。
あちらの世界だったら、確実に国が強制的に非難させていただろうなとは思う。
危険度では同じぐらいだし、そもそも以前に大量の死傷者が出ているのだから、確かにいまだにこんなところに残っていたのは自己責任だ。
春希の怒りも、一族から死者が出たことに対してだ。
彼女に限らず一族の人間は、ナチュラルに一般人を見下している。
むしろ途中から能力を開発された人間よりは、一族は元から力が違うので、差別意識にまでは至らないらしい。
一般人でも重武装であれば、弱い魔法使いよりはよほど強いのだ。
終わったことは仕方がないと、春希は頭を振る。
前世での一般人としての価値観、異世界での勇者としての価値観、そして現世での価値観を持つ悠斗も、複雑ではあるが割り切る。
「まあ民間人の死者のほとんどが、壁建設反対派だったってのは滑稽よね」
春希の浮かべる笑みは、皮肉めいて酷薄だ。
このクソなほどの非常時にも、政府の土地の強制収用などに、文句をつけてくる団体はいる。
人権団体なども絶滅してはいない。まあ生存すること自体はいいのであるが、ああいった団体はいつまで、現状をちゃんと見ようとしないのか。
憲法を改正するべきだ、と春希は思う。
十三家の一族は、表の世界の政治には口を出さないのが原則であるが、今は世の中が変わってしまったのだ。
力による統制。
おそらくは民衆もそれを望んでいる。
21世紀の日本が、世界史の中でも例外的に平和すぎたのだ。
力こそ正義、生き残ることが正義。
自然界にあっては当たり前の価値観である。
社会を構成することこそが、人間の他の生物と比べて明らかな特徴である。
一部の昆虫類は社会を形成しているようにも見えるが、思考して社会を作るのは人間だけだ。
「それで結局、新宿の門はどうするんだ?」
当初の予定では、半島の門で試してから、新宿の門は閉鎖するはずであった。
しかし問題は門が広がっていることだ。
一時間に0.7%ほどだが、ほとんどこの割合は変わらない。そして常にこの比率ということは、時間が経過すればするほど、拡大するスピードは速くなっていく。
止めなければいけない。とりあえず封印するよりも、現状維持が大切だ。
だが悠斗一人で出来ることなどないし、雅香を加えても無理である。
「本家の人らは何か言ってないのか?」
月姫の持つ予知能力は、悠斗もそれなりに信じている。
悠斗の神剣にも似た能力はあるが、それほど精度は高くない。
今後の方針の決定を予知に頼るのは、月氏の一族としては当然のことである。
「門の内部の調査をする予定みたいだけどね」
春希の言葉には不本意そうな響がある。
大気圏外観測された、門と同系統の空間の歪み。
空間が歪むなどと言われれば、即座にブラックホールなどが思い浮かぶが、純粋に魔力の力によって、空間が歪んでいるらしい。
いや、それこそブラックホールじゃねと思わないでもないのだが、光を曲げる何かがあるわけだ。
大気圏の外にまで出て行動するのは、一族の人間でも難しい。ほんの数人なら行ける。
それに空気のないところで活動するというのは、それだけでも人間の限界を超えている。
魔法使いは超人に見えるが、生物としての限界は存在する。
ちなみに悠斗は大気圏外での戦闘や、深海での戦闘も可能である。
彼自身の能力ではなく、神剣の能力によるものだ。
大気圏外の空間の歪みに関しては、出来ることがない。月氏十三家だけでなく、世界全体で見てもアメリカかロシアのどちらかしか、人間を宇宙空間に確実に送ることは出来ない。
ちなみにあちらの世界の竜種は平気で宇宙空間まで飛んで行く。
「あんたにも調査団への参加依頼が来るだろうけど、拒否していいからね」
春希が優しい。何かの罠だろうか。
いや、おそらくは自分の手駒として、活動させる何かがあるのだろう。騙されないぞ。
この世界、人の心に余裕がなくなり、人を一方的に信じることは難しくなってきている。
もっともたとえば一族のように、身内に関しては結束力は強くなっている。
信じてもいいものを信じる。昔ならば村社会と言えるのだろう。
あとは割と、私刑が横行している。
テロリストや不法移民などに対しては、日本も全く他国を非難出来ないほど、一方的に虐殺している場合が多い。
下手に送り返すと、何度も繰り返してくるからだ。
「何を信じたらいいのか分からなくなってくるよな」
皮肉なことに今の悠斗が最も信用しているのは、前世では殺し合った魔王である。
「あたしは信頼を裏切らないわよ」
春希の言葉に嘘はないだろうが、彼女もまた優先順位を決めて他を切り捨てることはする。
それは悪いことではない。不安定化する以前の世界から緊急避難として認められてきたもので、悠斗も自分を犠牲にして誰かを助けることはしないだろう。
自分が死んでも誰かがなんとかしてくれる。そんな気持ちを悠斗は持っていない。
味方がほしい。自分を絶対に裏切らないとまでは言わないが、肩を並べて、背中を任せて戦えるぐらいの。
春希は悠斗に悪意はないだろうが、立ち位置が違いすぎる。
在野の魔法使いに悠斗のような存在はいない。
海外に協力を求めたら、下手をすれば粛清対象になる。
だが、そこにいるのだ。
確実に、一族にも匹敵する戦士たちが。
「なあ、調査団って具体的にはどういうことするんだ?」
悠斗はリスクを取って、リターンを狙う。
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