第5話 異世界での僕達の夜


 ふと目が覚める。いつもと違うベッドの固さに違和感を感じる。机の上の小さな明かりで照らされたほの暗い部屋は見回すとやけに広く、隣には空のベッドがある。


 昨日の出来事は夢じゃなかったんだなと今の状況を思い出す。時計を見ると短い針は3のあたりをさしていた。昨日、シャワーを軽く浴びて、寝始めたのが、4時くらいだったから、11時間ぐらい寝たことになる。この世界には元の世界と同じような時計がある。


 こんなにぐっすり寝たのは久しぶりである。長時間寝たことで気持ちよく固まった体を軽く動かしてほぐし、ベッドから立ち上がる。


 お兄ちゃんと妹は起きているのかな。ちょっと様子を見に行こう。立ち眩みで少しふらつきながら部屋を出て、隣の部屋に向かう。


 305の扉に手をかけて、静かに入る。鍵はかかっていなかった。


 部屋の中では、お兄ちゃんが椅子に座っているのが分かった。


「良く寝れたか?」


 お兄ちゃんはまるで僕が来るのを分かっていたかのように、落ち着いた雰囲気で声をかけてきた。


「おはよう、ぐっすりだったよ。だいぶ疲れがたまってたみたい。こんなに寝たのは久しぶりだな。」


「そうか。それはよかった。」


「兄貴は、寝れたのか?」


「ああ、ついさっき起きたところだよ。気になることがあって、マップを見ていたところだ。」



「ほーん。もしかして、僕が来るのわかってた?」


「ああ、探知で隣の部屋からこっちに来るのが分かったよ。」



「昨日も思ったけど便利なスキル多いよな、兄貴は。」


「はは。章子はまだ寝てるみたいだから、幹太の部屋で話さないか?」


「分かった。」


 僕たちは二人で静かに部屋を出て、隣の部屋に入って、机の椅子に向かい合って座った。


「こっちも同じ部屋なんだな。」


「そうだぞ。」


「そうか。」


「…」

 この世界の夜はとても静かだ。物音一つとしてしない。


「今日の予定はもう決まってるの?」


「今日は少し調べ物がしたい。ギルドの資料室にまだ見たいものがたくさんあったんだ。図書館も見に行きたい。今日は迷宮に行かずのんびりしようと思う。」



「僕は、早く迷宮をクリアした方が良いと思う。少しだけでも迷宮に行こうよ。」


 迷宮のモンスターを倒せば、レベルが上がって強くなれるかもしれない。強くなって、早く迷宮をクリアした方が良い気がする。


「そう焦るな。クリアまでは3年もかかる予定なんだ。俺たちはこの世界で知らないことが多すぎる。」


 お兄ちゃんから止められる。


「章子の様子はどうなんだ?」


 昨日の夜一緒にいたのはお兄ちゃんだけだ。何か不安なことをお兄ちゃんに漏らしているはずだ。迷宮を早くクリアしたいというのは自分のことだけを考えてのことではない。章子の事も考えている。お兄ちゃんも同じ気持ちのはずだ。


「かなり、寂しそうだ。母さんに早く会いたいらしい。」


「やっぱりか、いい加減、母親離れしないもんかな。」


 僕はあきれた声を出した。


「しょうがない、野郎と女の子は違うんだよ。」


「弱いだけだろ。」



「章子のためにも早く元の世界に戻らないといけないのはわかるが、今は情報が大事だ。我慢してくれ。」


「まぁ、僕はこの世界快適だし、ずっといてもいいな。水道あるし、明かりもあるし、不便なことは無いな。」


 椅子に深く腰を掛けて、強がったことを言う。


「章子がかわいそうだ。」


「分かってるよ。」



「章子はなるべく一人にさせないようにしたい。幹太なるべくそばにいてやってくれ。」


「いわれなくてもだし、別にいいけど、あいつは僕よりもお兄ちゃんの方が良いんじゃないか?」


「あいつはお前のことも頼りにしてる。」


「そうかね。」

「そうだ。」


 あいつから頼りにされてるなんて、あまり実感がわかないな。本当に頼りにされてるなら、嬉しいような恥ずかしいような気がする。


「ところで、僕たちは死んだらどうなるんだろう?」


 ふと気になったことを聞いてみる。女神さまは実質不老不死って言ってたけど。


「あの声は復活すると言っていたが、実際にどうなるのかはわからないな。俺たちは不死身なのか、それとも最初の神殿に戻されるのか。」


「そうだな。」


 僕たちが死んだらどうなるか、腕を組んで考える。同じ場所に復活したら、実質不死身だな。


「これを見てくれ。」


 お兄ちゃんは旅館の寝巻の腕をまくって僕に見せた。そこには、5センチぐらいの赤い線が走っていた。


「どうしたんだよ。これいつの間にけがしたんだ。どっかで切ったのか?」


「ああ、昨日の夜ナイフで切ったんだ。」



「は?」


「俺たちは不老不死と言っていただろう。もしかすると傷の治りがすごく早いのかと思ったが、そんなことは無いらしい。おそらくけがが大きくなれば、命を落とすだろう。その後、どこかに復活するんだろう。一回は試してみたいな。」


 腕の傷は、血が固まってそれほど出血はしていないようだったが、少し痛々しかった。


「試すってどうするんだよ。」


「そうだな。うーん。幹太の剣ならすぐに死ねそうだな。介錯を頼めるか?」



「いやだよ。するわけないだろ。そんなの。」


 何が楽しくてお兄ちゃんを斬らないといけないんだ。


「だが、首つりとかは少し憚られるんだよなぁ。楽に死ねる方法は無いかな。」


 お兄ちゃんは死ぬ方法を考えているようだ。


「いや、とりあえず、命を大事にしていこう。いくら復活できたとしても危ないことはしない方が良い。元の世界に戻った時に何か影響があるかもしれない。」


 お兄ちゃんの自殺を止めるために説得する。


「そうかもしれんがな。この迷宮を一回も死なないでクリアするのは無理な予感がするんだ。初見のゲームを一度も死なないでクリアすることなんて、ほぼ不可能だろ。」


「そうかもしれないけど。」


「ここでは、女神の作ったゲームと騙された気分で命の重さとかは考えない方が良いと思うぞ。」


「そうかもしれないけど、自分から死のうとするのはやめてくれ。」


「まぁ、そこまで言うならわかったよ。」


 少しだけ感情的になってしまった。まだ疲れているのかもしれない。


 お兄ちゃんは、何も間違っていない。僕たちの自身のことを知るのは、とても重要だ。たとえそれが、自分から死ぬことだとしても、復活の方法を知るメリットの方が大きい。


 昨日、僕たちはゴブリンという、人間に似た生き物を殺した。虫の命を奪うように軽くひねりつぶした。元の世界の倫理観なんて早く捨てた方が良いのだ。この世界はゲーム、そう考えた方が良い。


 二人とも沈黙する。静かな小さな物音が大きく聞こえる。窓からは隙間風が入ってきてるようだ。小さく乾いた風の音が聞こえる。この街は海に面しているようなので、海風が吹いているのだろう。


 お兄ちゃんは、たぶんメニューを見ていた。僕はそんなお兄ちゃんを見ていた。


「あ、隣で、章子が起きたみたいだぞ。」


 章子が起きたみたいだ。探知スキルで分かったんだろう。


「そうか、もどるか?」


「ああ、いや、こっちの部屋に来てる。」


 バンと部屋の扉が開かれた。


「お兄ちゃん、お兄ちゃんはいる!?」


 章子は焦った様子で、部屋に入ってくると、僕たち二人を見て安堵した表情になった。


「ぐっすり寝ていたようだから、こっちの部屋にお邪魔してたんだ。」


「勝手にどっかいかないでよ…。」


 妹はそう言うと、お兄ちゃんの近くまで歩み寄った。


「ごめんな。怖かったか?」


「まだ幽霊怖いとか言ってんのか?」


「そんなんじゃない。お兄ちゃんがいなくなったと思った。別に寝ててもいいから、今度から、あっちの部屋で話してね。暗い部屋に一人にしないで。」


 妹はそう言うと、使っていないきれいに整えられたベッドの上に横になった。まだ眠いみたいだ。


 そういえば、章子は回復魔法が使えたな。お兄ちゃんの傷を治してもらおうかな。


「章子、お兄ちゃんにヒールをかけてみてくれないか。」


「いや、俺は大丈夫だぞ。」


「どうして?どこかけがしたの?」


 妹は体を起こして、眉をひそめた。


「そういうわけじゃないんだがな。まぁ、試しに。」


「確かに、ヒールがどんな感じなのか知りたいな。」


 傷のことは伏せておいても回復できるのかな。


「まぁ良いけど。」


 妹はベッドに腰を掛けて、手のひらをお兄ちゃんに向けてヒールと唱えた。


 すると手のひらから、小さい白い光の玉が出て、お兄ちゃんに当たった。お兄ちゃんの体は数秒薄く光った。


「おお。」


「ありがとう。良くなったよ。」


 お兄ちゃんは、そう言って怪我をしていた腕を服の上からさすった。それを見て、僕は安心した。


「ふーん、よくわかんないけど、気を付けてね。」


「ああ、大丈夫だ。」


「今日は何すんの?」


 妹がお兄ちゃんに今日の予定を聞く。


「今日は、情報収集しようと思う。図書館とか、ギルドとか、この街を探検しようかな。」


「わかった。」


「章子はどこか行きたいとこある?」


「私は別に。あ、服とか買いたいかも。」


「そうか、幹太、俺の分の服買って来てくれないか、下着とか。」


「別にいいけど。」



「お兄ちゃんは一緒じゃないの?」


「俺はまずはギルドに行こうと思う。その後は図書館だな。少し時間が惜しいから。買い出しは二人に任せたい。」


「わかった。」


 さっきお兄ちゃんが僕に対してなるべく章子と一緒にいてくれないかといったのは、この伏線だったのだろう。お兄ちゃんは今日はゆっくり調べ物がしたいのだろう。


「まぁ、しょうがないか。」


「僕も図書館行ってみたいな。章子、買い出し終わったら、図書館行かないか。」



「しょうがないニャー、いいよ。」


「ニャ―って。ウェイトレスさんのがうつったみたいだな。」



「そうかも。新型語尾ニャーウイルスに感染したのかも。」


「なんだよそれ。」


「そんなわけないだろ。」


 お兄ちゃんが軽く突っ込む。


「てか、朝食はどうするの?」


「またギルドで食べるか?」


「どこでもいいよ。」



「お兄ちゃんがギルドに用事があるなら、ギルドで良いかもね。」


「それもそうだな。」


「うん。」



「また、ウェイトレスさんに会いたいし。」


「章子はケモナーだったんだな。」


「それが理由の大半を占めてるんじゃないか。」



「こっちの世界も悪くないけど、少し暇だな。テレビとか無いし。」


「こっちに来た時にスマホとかも全部なくなったからな。」


「確かに、勉強道具とか欲しいな。」



「うわ、がり勉だ。」


 妹が僕を見て、若干引いたような表情になる。


「俺も教科書欲しいな。解剖のこと忘れちゃいそうだ。」


「お兄ちゃん、こんな世界に来てまで、勉強のこと考えてるなんて、尊敬するよ。」


 妹が兄をキラキラした目で見る。


「僕の時と反応が違うんだが。」



「あー、暇だなー、トランプとか無いの?」


「紙があったら作ってみるか。こっちの世界にも何らかの娯楽はあると思うけど。」


「そうだな。紙とかペンも買ってこよう。」


「そういえば、二人ともお金持ってるか?」


「持ってるよ100万。」


「私も。」



「昨日の魔石は二つで、6000エルで売れたからな。これからもっと狩れれば、お金のことは心配しなくて良さそうだ。」


「そうだね。」


「そういえば、今まで払ってくれた分払おうか?」


「いや良い。」


 そうしたあまり重要じゃない、とりとめもない会話を外が明るくなるまで、僕たちは続けた。

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