天使剣士の憂鬱 ⑩

 十三日目。

 いつもより早めに武道場に来た智葉は、着替えた後ずっと壁に向かって正座をして瞑目していた。

 ひとつには、銃に対する対抗策が明確に思い浮かばなかった事。

銃や手を打って逸らすことのリスクは、昨日実際に暴発が起きた事によって思い知った。実際、あと5センチほどずれていたら足に当たっていたのである。

 それに、しばらく空手で対戦していた間に、文妻は間違いなく智葉のスピードに対応出来るようになって来ている。銃を持つようになってから、何故かその場で狙いを定める以上の動きをしてこないが、初撃をかわされた後に撃たれた場合の対抗策が思い浮かばない。

 そしてもうひとつは、文妻に昨日かけられた言葉。

 正直なところ、智葉はまともにほめられた経験があまりなかったのである。対戦初日に文妻から向けられた賞賛は、剣の腕に対するものであり、なおかつかなり大げさだったのでさほど気にならなかったのだが、昨日のごく自然に漏れたほめ言葉は智葉を動揺させるに十分な威力があった。戦術を考えている最中でも、その言葉と、その時に文妻が見せた笑顔がちらついて集中を妨げる。しばらく静かに座っていた智葉の眉根がどんどん寄っていくのには誰も気がついていなかったが、本人が気付かない内に漏らしている唸り声には近くの部員がびくっと反応した。

「斎藤、来たぞ」

 突如後ろからかけられた声に、驚いた智葉が反応して立ち上がりざま傍らの竹刀を取って振り下ろす。

 ばちーんと床に炸裂した竹刀の音で我に帰った智葉が見たのは、竹刀をすんでの所でかわして驚いている文妻の姿であった。智葉の顔が朱に染まる。

「あ、そ、その、もうしわけありません」

「いや、こっちこそ、精神集中の邪魔して悪かったな。んじゃ、準備が出来たらはじめようぜ」

 文妻が笑顔で渡すゴーグルを、おずおずとした手付きで受け取ると、いつもの通り髪をポニーテールにまとめようとする。

『おー、よく似合うな、ポニーテール』

 突然、文妻に言われた言葉がよみがえってその手が止まる。

「ん? どうかしたか?」

 準備の手が止まった智葉に、気遣わしげな表情をむける文妻。

「なんでもありません」

 少し強めの口調で言った智葉は、いささか乱暴な手付きで髪をまとめた。

 いつもの通り、開始線で向かい合う。呼吸を深くして落ち着こうとする智葉だったが、どうしても集中出来ない。余計な思考の断片が浮いては消えを繰り返す中で、唐突に気がついた。後ろから声をかけられて繰り出した一撃。謂わば完全に不意打ちだったあの一撃を、文妻先輩は避けていた。では、これから繰り出す一撃も、かわされてしまうのでは?

 一方の文妻も困っていた。

 まず、銃や手を打つ事を封印するのは、昨日わざと起こした『暴発』で成功したと言える。だが、そうなったら智葉がどう仕掛けてくるかがいまひとつ読めなかったのである。おそらく、十中八九はストレートに面を狙って来るだろう。その一撃をなんとかかわすだけの自信はついた。問題は、それ以外の手で来られたら。と、そこまで考えて唐突に文妻は開き直った。今日が最後じゃないんだし、考えてもしょうがない、と。そして、忍と陽子に言われた台詞を思い出すのだが、実際、女の子のいいところを褒めてあげると言ってもどうしたらいいのかさっぱりわからなかった。

(まあ、その辺は終わってからでいいか)

 二人の意図を全く理解しないまま結論付けて、文妻は構えた。


「始め!」

 北泉の合図と同時に、智葉はチャンバラ刀を振り上げて突進した。考えがまとまらないまま結局こうするしかないと考えての一撃だった。

 振り下ろされたチャンバラ刀を文妻は左にかわした。お互いの動きがスローモーションに見える。ゆっくりと、銃を構える文妻を視線で追う智葉。そこに浮かぶ表情は焦りと恐怖。そして完全に銃口が向いた瞬間には諦めの表情に変わっていた。

 刀を振り下ろしたまま動けない智葉。完全に狙いをつけたまま動かない文妻。勝負あった、と誰もが思ったその時。

「あー、やっぱりこれは違うな」

 そうつぶやくと、あろうことか、文妻は引き金を絞らずに銃を下ろした。

 武道場の誰もが――対戦相手たる智葉も含め――動かない中、銃を下ろした文妻が無防備に突っ立つ。

 しばらく経っても何もしてこない智葉に文妻が声をかける。

「ほれ、打たないのか?」

「え、え?」

 混乱する智葉に業を煮やした文妻は、北泉に声をかけた。

「よし、北泉。俺は今日の試合を放棄する。斎藤の勝ちってことで」

「え、あ、おう、わかった。両者開始線へ」

 何が起こっているのかさっぱり理解していない顔で智葉が勝ち名乗りを受ける。互いに礼をして我に返った智葉が文妻に詰め寄った。

「ちょ、ちょっと待って下さい。今の、完全に先輩の勝ちだったじゃないですか」

「いや。俺の攻撃は斎藤に当たってないぞ」

「でも、当てられる状態でしたよね?」

「かもしれないな。でも結局当たってない」

「ちがいます。当ててないんです。というよりも、攻撃してないじゃないですか」

「そうだな」

「どうしてですか? あの場面で引き金を引けば先輩の勝ちだったんですよ?」

 抑えてはいるが、かなり怒った口調で智葉は文妻を責める。

「そうだったかもしれない。でもな、最後の瞬間に思っちまったんだ。『これで勝つのは何か違う』ってな」

「何ですかそれ」

 あっけに取られた口調で、智葉が訊き返すと文妻は頭をぼりぼりと掻いた。

「うん、上手く説明できないんだが、まぁ、俺の流儀というかプライドというか、とにかく俺の中の何かがダメ出しをしたんだよ」

 本気で困った口調で言う文妻に智葉は柳眉を逆立てる。

「飛び道具を使っても構わないと言ったのは私です。結果使うことを選んだのは先輩ですけど、今日の勝負にその銃を指定したのも私。ですから、先輩が何かを気に病む必要は何もないんですよ」

「うん、それはわかってる。でも、それでも違うと思っちゃったんだよ。なんというか、斎藤の一つにかける道って奴に敬意を表したくなったというか」

 じっと、智葉は文妻の目を見つめた。文妻は居心地悪く身じろぎをするが、目は逸らさない。

 たっぷり一分以上はそうしていたかと思うと、智葉は深い深いため息をひとつ漏らして口を開いた。

「わかりました。では、また明日お願いします」

 ぺこりとお辞儀をして、ゴーグルを手渡すと更衣室に向かって歩き去っていく。

 見送った文妻が荷物をまとめ終わると、忍と陽子が横に来て無言で武道場の外まで連れ出した。

「バカめ」

「ホント、バカよね」

「は、ははは」

 当然言われると思っていた文妻は、力ない笑いを浮かべる事しかできない。

「ま、でもそれが京司郎だからな。しょうがないな」

「まったくね」

 それなりにその行動を納得しているらしい二人に意外そうな視線を向ける文妻。

「まぁな、大概考えなしに行動した挙句に最後は一応自分で軌道修正するんだから大したものだとは思うがな」

「でも、あの子怒らせちゃったんだから、明日は覚悟した方がいいでしょうね」

「そうだな」

「は、はははははは」

 結局、力ない笑いを浮かべる事しかできない文妻であった。

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