天使剣士の憂鬱 ⑧

 改めて、両者が開始線につく。

審判の号令がかかるまでの間、なんとなく視線が合った文妻は、智葉がこれまでよりもいささか気が昂ぶっているように見えた。飛び道具に対する警戒や緊張というよりも、対戦する興奮が前面に出ているような。

 少々不思議に思いつつも審判の号令で礼をし、構える。構えるといっても、まさかガン=カタのようなポーズをするわけにもいかず、普通に力を抜いて直立し、銃は右手に持って下げているだけだ。

 じっと、お互いの目を見る。長く感じられる一瞬の後……

「はじめ!」

 号令とともに狙いを定めようとした文妻のベレッタが、火を噴くことなくチャンバラ刀に打ち落とされ、そのままきれいに面一本が決まった。

 一瞬の静寂の後、ギャラリーから歓声が上がる。

 残心を終えた智葉が開始位置に戻る。文妻と目が合うと抑えているであろう笑みが少しだけ漏れ出した。今まで、勝っても当然、という表情をしていた智葉が、である。

「斎藤智葉」

 審判の勝ち名乗りから礼をし、試合場から退出すると、智葉はそのまままっすぐ文妻の元へ来た。今度ははっきりと笑みを浮かべている。

「6メートル」

「は?」

 唐突な智葉の言葉に、文妻が訊き返す。

「とあるネイティヴ・アメリカンの言葉ですが、ナイフ対拳銃での戦いだと、相手から6メートル以内ならナイフの方が有利なんだそうです。そして、剣道の開始線の間は2.8メートル。私の竹刀はもちろんナイフより長い。つまり、理論どおり、私が勝ちを収めたってことです」

 勝ち誇る智葉に、あっけにとられた文妻は、思わず陽子の方に振り向いた。目で曰く、

(おい、同類がいるぞ)

 伝わったらしい陽子はぶんぶんと首を振る。

「聞いてるんですか、文妻先輩」

「あ、うん、聞いてる」

 視線があさっての方向に向いていることを咎めた智葉の声が尖る。

「なるほど、それを知っていたから『飛び道具でも構わない』と言ったわけか」

「その通りです。それに、こういう機会でもないと、飛び道具相手に真剣勝負なんて出来ませんからね」

 また思わず陽子の方に振り向く文妻。

(やっぱ同類だぞこいつ)

 いっそう激しく首を振って否定する陽子。

(私は、ここまで、おかしくない)

「ちょっと先輩、さっきから人の話の途中でどこ見てるんですか」

「あ、いや別に」

「ともあれ、そういうわけです。まぁ、正直こんなに上手く行くとは思っていませんでしたけどね」

 満面の笑みを浮かべる智葉。その笑顔に少しだけ見とれた文妻は――


反撃を開始した。

「まぁ、そうは言うが、今日のはよなぁ」

 運が良かった、の部分を強調して言うと、智葉の表情はたちまちにして、会った初日のごとき不機嫌な表情に転じた。

「は?」

「いや、今日の試合は斎藤の運が良かったって言ったんだ」

 重ねて言う文妻にぐっと詰め寄る智葉。

「運ですって? そんな事はありません。かねてから想定していたとおりに動く事が出来て、しっかりと一本取れたんですよ。実力ですとも。第一、先輩のエイミングは遅くて、そもそも私をきちんと狙えていなかったじゃないですか」

「いちいちごもっともではあるが、そもそもその想定が間違っていたらどうだろうな?」

「想定が間違い?」

「そうとも。まず斎藤は、俺が狙いを付ける前に銃口を逸らそうとして、銃そのものを打ったよな」

「はい」

「その時に、もし、銃が暴発していたら?」

「あ」

「俺の勝利条件は、体のどこにでも当てさえすれば勝ち。となれば、打たれて暴発した弾がつま先に当たっただけでも俺の勝ちになるわけだ」

「でも実際、そんなに高い確率で銃が暴発するとは思えませんけど」

「いいか、斎藤。既に戦闘状態で、安全装置は外され、いつ撃ってもいいように引き金に指だってかかってる銃なんだぞ? それが暴発しなかったのは、今回がたまたまだったんじゃないか?」

「うう、確かに、否定出来ませんね、それは」

「だろ? これまでは純粋に実力で負けていたというのは確かだが、今日に限って言えば運の勝負だった。まぁ、飛び道具使ってやっとその次元まで持ち込めたってのも我ながらどうかって話だが」

 やや自虐的に苦笑する文妻に智葉は顔を上げてまた詰め寄った。

「先輩。明日もそれ持って来て下さい」

「え、これか?」

 文妻がベレッタを上げると智葉がうなずいた。

「今度こそ、運ではない勝利を収めて見せます」

「はぁ、まぁ、別に構わんが」

「よろしくおねがいします」

 ぺこりと頭を下げて智葉は練習に戻る。

 文妻も帰ろうとして周りを見回すと、ずっとそばで会話の一部始終を聞いていた忍が、虚無的な表情を浮かべて立っていた。

「どうしたんだ嬉ヶ谷」

 ゆっくりと視線を移動させた忍が何かを悟ったような笑みを浮かべる。

「いやなに、私もこうして、京司郎の口車に良く乗せられていたな、と思ったらなんとなくな」

「はぁ」

 眉根を寄せて生返事をする文妻に、忍はアンニュイなため息をつく。

「いや、当事者にしかわからん感慨だ。忘れてくれ」

「ともあれ、舌戦にまで持ち込んで印象操作して、これでひとつ優位に立てるのかしらね」

 会話の途中で近づいてきた陽子は、二人のやり取りを完全に無視して言葉を継ぐ。

「さぁなぁ。向こうもいろいろ工夫してくるだろうし、こちらもそれを一手も二手も上回らないといけないわけだしなぁ。有利になったかどうかはなんとも言えんな」

 腕組みをして考え込んだ文妻が、チラッと陽子に視線を送る。

「まぁ、上坂に匹敵するヒャッハーちゃんみたいだしなぁ」

「何よそれ失礼ね。私はあんなにおかしくないわよ。銃相手に戦ってみたいとか考えないもの」

 柳眉を逆立てむきになって反論する陽子。

「そんな事言いつつ、夜遅くに庭でガン=カタの練習とかやったりしてたんじゃないのか」

「そ、そん、そんなわけないでしょッ!」

 突然大きく響いた声に、武道場中の視線が集まる。たっぷり5秒ほど固まって、耳まで真っ赤になった陽子は、一人ですたすたと武道場から出て行った。

「……ありゃあ、ホントにやってたっぽいな、ガン=カタ」

 文妻が出て行った方を見つめながらつぶやくと同じ方向を見ていた忍が口を開いた。

「その、ガン=カタというのは何だ」

「うん、今度DVDを貸そう。実にいいアクション映画だぞ」

「はぁ」

 忍が不得要領な表情でうなずくと、出口から顔だけ出して陽子が怒鳴った。

「まだあんたたち帰らないの?!」

「いや、帰ります帰りますとも」

 小走りに出口へ向かう文妻と忍。

 そんな騒ぎも気にせずに、智葉は素振りをしつつ明日の戦術について、思考を巡らせていた。

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