天使剣士の憂鬱 ⑥
そして放課後。
またも空手で、という文妻に軽くため息を吐いて立ち上がる智葉。ここしばらく特に会話がなかったのだが今日は珍しく口を開いた。
「先輩の可能性とやらは、空手一本に絞られたのですか?」
突然話しかけられていささかまごつく文妻だったが、舌戦の予感に体勢を立て直す。
「いやいや、まだまだ色々多彩な芸を披露出来る予定だがな。とりあえずは策をもって空手に絞っている」
「そうですか。まぁ、あらかた私の速度に慣れよう程度の浅い魂胆だと思いますが」
読まれてる、と思ったにせよ文妻も、傍らで聞いていた忍も表情に出す事はなかった。ただ、陽子は思わず文妻に視線を向けてしまったのだが。
「まぁ、いいです。今日で十日目、二ヶ月とは言いましたが実際使えそうな日付の四分の一が過ぎようというところです。そろそろもう少し、手ごたえを感じさせていただきたいですね」
「言ってくれるじゃねぇか」
にやり、と文妻は笑う。
その表情をじっと見つめた後で智葉はきびすを返し、面を付けに行った。
開始線で向かい合う。
今までは意識した事がなかったのだが、今日は何故か、面の奥からの智葉の視線を感じていた。
それなら、と、文妻はじっと智葉の目を見つめ返した。
審判役の右手が上がり、そして振り下ろされる。
「始め!」
二人は動かなかった。
今までの対戦であれば、間髪入れずに智葉が打ち込みに行き、それに対応し損ねた文妻が遅かれ早かれ一本取られて終了、であったのだが。
合図から二十秒。二人はお互いの目を見たまま全く動かない。
文妻にしてみれば、先に動けばどうあれ打ち込まれるのが今までの経験でわかっている以上、待ちに徹して後の先を取るしかないのだが、では智葉は何故動かないのか。
(端的に言うと、今までの流れに飽きたってところかな)
じっと、その目から視線を逸らさずに文妻が分析する。
(そういえば、こうやって目を見るのは初めてだな。今までは、ただ何となく斎藤を見ていただけの気がする。きっちり視線を合わせるのでなく、動きだけを見ていたような)
目を合わせていてもお互いの心が通じるわけでもない。今まで先の先を取りに来ていた智葉が動かない心情を読み取れるハズはない。だが、このとき初めて、文妻は『剣道』ではなく、『斎藤智葉』と戦っている気がしていた。
ややあって、智葉の剣先がゆっくりと持ち上がっていく。
いよいよか、と身構えるギャラリー。しかしまだ二人は動かない。
ゆっくりと持ち上がった剣先が最高点で止まる。
この武道場で、いや、この宇宙でただ一人、智葉の目が閉じられるのを文妻が見る。
上げられた剣先がゆっくりと下がり始め、また上がった瞬間に、目を見開いた智葉が面打ちを仕掛けた。
対する文妻は、左の体を閉じ気味にし、落ちてくる剣を左の裏拳で弾く。そのままの勢いで右の拳で攻撃を狙うが、智葉は弾かれながらも走り抜けてかわし、また正眼に構えて向き直る。文妻も振り返ってまた構えに入り、智葉の目を見つめた。
ふっと目を細める智葉。文妻は少しして、智葉が微笑んだのだと気付いた。
「やっと、目が合いましたね」
何を言っているのだろう、と思いつつ文妻は智葉の目を見つめ返す。
先ほどと同じように、ゆっくりと剣先が持ち上げられる。今度は最高点に達した時点で仕掛けてきた。
文妻は同じように左手で弾こうとするが、智葉はその手を打ち据え、その勢いで剣先を持ち上げてきれいに面を決めた。
所謂小手面。
「一本!」
審判役の手があがり、文妻の十連敗が確定した。
お互いに礼をして下がる。
いつもの通り文妻が防具一式を外していると、面を外した智葉が近づいてきた。こんな事は初めてである。
「ようやっとスタートラインというところですね」
まっすぐに文妻と目を合わせて、智葉が言う。
「あぁ、どうやらそのようだ」
文妻も対戦中の台詞の意味を今やっと飲み込んで答える。
「でも、もう空手で出来る事はなくなったのではありませんか? もっと『多彩な芸』を見せてくれることを期待していますよ」
「期待に応えましょう」
対戦前と同じ表情でにやりと笑う文妻に、軽く笑みを返して智葉は練習に戻っていった。
文妻が武道場を去る時、智葉はその方向を見ることなく、素振りを続けていた。
「さて、万策が尽きたな」
「早すぎるぞ」
武道場を出てまもなく。
文妻の言葉に忍が呆れたように言う。
「まぁ、空手で出来る事がなくなったのは事実ではある」
「の、割りにずいぶんと機嫌が良さそうだわね。最後の意味深な台詞といい、ホントにコブシを通じてわかりあったのかしら」
「その域にたどり着くにはまだかかりそうだが、な」
文妻の台詞に、忍と陽子は顔を見合わせる。
「ともあれ、明日の作戦をどうするかだなぁ」
「今日の展開は結構惜しかったと思うんだけど、その先のバリエーションで何とかならないかな」
「いや、一度手の内を見せたらもう二度と通じないよ、斎藤には。俺がド素人だってこともあるが」
「聖●士か何かなのか、あれは」
「似たようなもんだなぁ、正直」
悩む文妻は、いよいよ禁断の領域に手を出すべきか、真剣に考え始めていた。
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