天使剣士の憂鬱 ③

 対決一日目。

 普段は決して多くない武道系の部活の部員しかいないはずの武道場には、どこから聞きつけたのか、壁沿いにずらりと二、三十人ものギャラリーが詰め掛けていた。

「ホント、この学校の連中と来たらお祭り好きだねぇ」

 入り口からちらりと覗き込んだ文妻が呆れたようにつぶやく。その真後ろの忍は、文妻の身体に隠されてまだ中の様子がわかっていない。

 並んだ生徒の中から、目ざとく、地味目な銀縁メガネを光らせて、一人の女子生徒がメモとペンを手に文妻に向かってきた。

「どもども、新聞部の南條なんじょう青葉あおばですぅ。一言、お願いします」

 地味目な目立たぬ外見を武器に様々なところにもぐりこみ、スクープをものにしてきた新聞部の精鋭である。

「一言ったってなぁ」

 あごに手を当てて考え出す文妻の裾を、後ろからぐいっと引っ張る者がいた。

「どうでもいいから早く入ってくれ。後ろがつかえている」

 忍の声に返事しようと振り向くと、見慣れた顔がそこにあった。

「ほら、早く入りなさいよ」

 女子空手部部長、上坂陽子うえさかようこである。

「上坂まで一体何しに来てんだよ」

「いいから早く入れっての」

 忍の頭越しに背中を押され、文妻が中に入る。

 武道場の中央付近では、既に防具を身に付けた智葉が正座で待ち構えていた。

 入ってきた文妻と、その周囲にいる忍、陽子、青葉を見て目を剥く。

「……部長の仰ってた事も、あながち間違いではないようですね」

「いや、あのな、だから純然たる誤解だと言っただろうが」

 ふん、と呆れたように鼻を鳴らして冷たい視線を送る智葉。そこに、事態の火に油を注ぐメンバーが追加でやってきた。

「ふん、応援に来てやったわよ」

「あ、あの、頑張ってください文妻先輩」

 と、調理研から矢羽千里やばねちさと君川きみかわ利恵りえ

「先輩~占いによると全く勝ち目はないですけど、とりあえず頑張ってください」

「そういうことはあんまり言うものでもないと思うんだけどなぁ」

「きょー先輩頑張れ~」

 と、占い研から宮川みやがわ由比香ゆいか時任ときとう夕見ゆみ、そして千里の妹でもある矢羽茉莉やばねまつり

 更にはこの場でも目立つ、白衣に伊達メガネの東海林しょうじ眞君まきみまでがギャラリーに混じっている。

「……噂の前半も純然たる事実だったようですね」

 きりきりと柳眉を逆立てて、智葉が立ち上がる。

 その姿を見て忍がずいっと一歩、前に出た。

「生徒会長、嬉ヶ谷忍だ。今回の対決、安全確保のため生徒会が見届け役となる。異存はあるか?」

「文妻先輩の彼女さんが見届け役ですか?」

 しらっとした目で忍を見遣って智葉が言う。忍は心中狼狽したとしてもそれをおくびにも出さず睨み返した。

「私は文妻の彼女などではない。残念ながらな。今回生徒会は安全の確保のために見届けるだけであって、ルールやら勝敗などには口を挟むつもりはない。まぁ、もっとも、普通にやれば斎藤の圧勝は揺るがぬであろうしな」

 いささか虚を突かれた表情で、智葉が忍を見返す。

「それがわかっていて、何故文妻先輩を止めないのですか?」

「君たちが決めた勝負事に、何故私が口を挟まねばならん」

 先ほどの智葉に勝るとも劣らぬほど、しらっとした目を向ける忍。

「わかりました、会長。それで、生徒会としては安全確保のために何かご指摘でもありますか?」

「うむ。竹刀はいささか危険である故、体育の授業で使うチャンバラ用の刀に変更した方がよかろう」

 所謂スポーツチャンバラで使用する、ウレタンで作られた刀である。確かにあれなら当たったところで大怪我に発展する可能性は低いだろう。

「それとも、使い慣れた得物でなければ実力を発揮出来ないかな?」

「そんなことはありません」

 そこで言葉を切ってじっと忍を見つめる。

「どうかしたか?」

「いいえ。会長はやはり、文妻先輩側の方なのかなと思いまして」

 言われた忍は苦笑する。

「そんなつもりもないのだが……。あの男は私にとって、何かと気になる存在ではあるのだよ。今回の件も、普通にやったら斎藤の圧勝だと思うのだが、それでも何かやらかすのではないかと期待している私がいてな」

 そこで忍は言葉を切って、いたずらっぽく笑う。

「ま、最近はいささか調子に乗っているところもあるので、斎藤には思い切り圧勝してもらって鼻っ柱を叩き折ってやって欲しいと思うところもあるのだ。期待しているよ」

「勝手な期待ですね」

 ため息一つついてにらみつける智葉。忍の笑みがまた苦笑めいたものに変わる。

「全くだ。奴のこととなると、我ながら度し難い。北泉、用具倉庫からチャンバラ用の刀を持って来てくれ」

 ちょうど更衣室から出てきた北泉に忍が声をかけるとその背後から文妻の声がした。

「それには及ばないぞ」

 いつの間に更衣室に入っていたのか、出てきた文妻は、ジャージの上から剣道の防具一式を身に付けていた。会場にどよめきが走る。

「今日は竹刀を使ってもらって構わない」

「なんですか、その格好は」

 智葉のツッコミに、文妻は自分の身体を見下ろす。

「北泉に手伝ってもらったんだが、どこかおかしいか?」

「そうではありません。どういう趣旨でそのような格好をされているのかと訊いているのです」

「あぁ」

 文妻はまだ籠手を嵌めていない手でびしっと智葉を指差した。

「今日は剣道で勝負だ」

「はぁ?」

 異口同音に、智葉と忍が声を上げる。

 そして武道場内のギャラリーからもざわめきが広がった。

 一様に広がった驚きから、いち早く回復して詰め寄ってきたのはやはりこの人、陽子であった。

「ちょっと文妻、あんた何考えてるのよ。勝てっこないでしょう? 相手は中学で全国大会二連覇してるのよ?」

「んなこた知ってるよ。ただ、言葉の上で二連覇だの才女だの天使剣士だの言ってもだ」

「ですからそのあだ名は止めてください」

 すかさず口を挟む智葉を無視して文妻は言葉を続ける。

「実際に向き合って見なきゃ、強さのほどはわからないからな」

 意外に真剣なそのまなざしに、陽子は止めようとする言葉を発するのを止めた。

「あんたなりに考えてるってわけか。わかった。好きにやってらっしゃいな」

「言われるまでもない」

 にやっと笑ったその表情に、陽子はいささか顔を赤くして壁際に戻る。

「さて、待たせたな」

「いいえ」

 明らかにいらついた声で返答するとすぐに面を付け出す。

 文妻も剣道部員に手伝ってもらいながら面を装着した。

 一応、文妻にも策はあった。相手が面しか狙ってこない以上、一撃を受け止めて、返す刀でどこかに触ればいい。そう簡単ではないだろうが、とりあえずは一撃を受け止めることだけを考えよう。

 しかしながら、文妻のその考えは実に甘かった。

 開始線につき、一例。蹲踞の姿勢で竹刀を抜き、構える。一応体育の授業でやっているのでそのあたりは文妻でも教わらずに出来る。

 向き合って見た智葉は、先ほどまでの小柄な印象からがらっと変わって自分と同じくらいの大きさに見えた。武道場の誰もが息を呑む。そして、審判役の剣道部員が右手を挙げる。

「始め!」

 その瞬間、文妻の視界から智葉の姿は消え、その頭に強い衝撃が落ちた。

「一本!」

 全くピクリとも動けなかった文妻がその言葉に初めて振り返ると、既に残心も終えた智葉が竹刀をおさめて開始線に戻るところであった。

 呆然としながらも、文妻も刀を納め、終了の礼をする。

 智葉はそのまま、振り向くこともせずに壁際に下がると、正座をして籠手と面を外し始めた。

 文妻も慌しく籠手を面を外し、智葉に近づいていく。

 武道場は水を打ったように静まり返り、文妻と、智葉のその後に注目している。

 面を外し、手拭いも解いた智葉は、近づいてくる文妻に非友好的な視線を向け、その目付きが自分の予想とは違っていることに気がついた。余りの実力差に打ちのめされているかと思いきや、その逆である。むしろ、試合前より輝きに満ちている、と言っても良かった。

「いやぁ!」

 目の前まで来た文妻が口を開く。大声だったのでつい智葉はびくっとしてしまった。

「すごかった。すごかったな! 一撃くらい受け止められるかと思ったが、まさか見えもしないとは思わなかった! やはり斎藤はすごいんだな!」

 純粋に褒め称えているらしいその様子に、智葉は戸惑う。

「あ、はぁ、ありがとう、ございます」

「こりゃ中学で二連覇するわけだよ。さすが天使剣士!」

「あ、あの、ですからそのあだ名は……」

「いいじゃないか、中二病っぽくてかっこいいし」

「ちゅ、ちゅうに病? ですか?」

 どうやら智葉は中二病なる単語を知らないらしい。

「ともあれ、俺には敵わないくらい強い、というのが肌で実感できた。いやホント、斎藤はすごい」

「は、はぁ」

「で、どうするのだ文妻」

 敵意を持っている、と言っていい相手からの手放しの賛辞に、どう反応していいものやらわからないでいる智葉のそばに、いつの間にか忍が立っていた。

「敵わないなら止めにするか?」

 決してうんとは言わないだろう、と言外ににじませながら忍が問うと、文妻はにやり、と不敵に笑った。

「いやぁ、これだけいいもの見せてもらったんだし、益々挑戦しがいが出てきたってものだ。また明日、よろしく頼むよ斎藤」

 ひらひらと手を振って、更衣室に歩く文妻に、まだ戸惑いながらも智葉はぺこりとお辞儀をした。

 他の剣道部員が準備運動を始め、ギャラリーも三々五々解散していく。

 やがて更衣室から出てきた文妻が忍と連れ立って出て行くのを、智葉は素振りをしながら何となく見つめるのであった。

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