化学部長の陰謀 ~ゴールデンウィーク合宿篇~ ⑦



 相手に積極的な悪意がない限り、無抵抗は大きな武器になる。

 結局、座り込んだ文妻をどうすることもできず、その場で事情を軽く説明した後、怒りの文妻と女子七名は化学室へ戻ってきた。

「お、どうした。決着はついたのか?」

 お気楽そうに声をかけてきた南周を険悪な視線で黙らせて、文妻は教壇に仁王立ちする。

「さて」

 思わずその場の全員が言葉を失うぐらいの迫力を発しながら、文妻が口を開く。

「眞君、ナンシュウ、千山、深江」

 名を呼ばれた四人が、おずおずと立ち上がる。

「ちとここまで来て座りなさい」

と、目の前の床を指さす。

「正座」

 その顔に浮かぶ満面の笑みに戦慄を覚えながら、四人は正座して次の言葉を待つ。

「俺は、殺されるかと思ったんだ」

 その一言から始まった文妻の説教は、見かねた忍が止めるまで、おおよそ二時間半にわたった。



 結局その日は活動どころではなくなり、首謀者四人には罰として夕食当番が申しつけられることとなった。

「でもねぇ、結局、決着がつけられなかったのはちょっと残念だなぁ」

 これしか作れん、という四人の主張により、カレーとなった夕食を食べながら、千里が口を開いた。

「いずれにせよ、あんな形で文妻を巻き込んで、というのは、感心出来んがな」

 同じテーブルを囲んでいる忍が言うと、千里はちらっと視線を送って

「いい子ぶっちゃって」

と、ぼそっとつぶやいた。

「いい子ぶっているわけではない」

「へぇ。こいつが逃げた時には、一番ノリノリでおっかけてたくせに」

「そ、それはだなっ」

「飯中に喧嘩すんな」

 ぎろっとにらむ文妻を前に、二人は口を閉ざす。

「なんだかんだ言っても、参加者はみんな乗り気だったんだろ? だったらみんな変りゃせんわ」

「まぁ、そう言うなよ文妻くん」

 お気楽そうな笑顔で夕見がとりなす。

「これだけの美少女たちに追いかけられる経験なんて、そう出来やしないんだからさ」

「自分で言うか」

 文妻のツッコミに、夕見はにっと笑って見せる。

「でもその辺完全に否定しちゃうと、後々いろいろと面倒なことになるかもよ?」

 とりあえず、同じ食卓に座る忍と千里を順繰りに見て、文妻は肩をすくめた。

「ともあれ、決着をつけたいというなら、もっと穏便に、俺を巻き込まない方法でお願いしたいもんだな」

「それは無理だね」

 給仕を終えた東海林が、文妻の隣に腰掛けながら言うと、千里と忍も、うんうんとうなずいた。

「おおよそ問題の中心に京司がいるんだから、何らかの形で貢献するのが、責任の取り方ってもんだとぼくは思うけどな」

「なんだそりゃ」

 さっきまでのつんけんした雰囲気から一転して、忍と千里、そして東海林が顔を見合わせて笑う。

「いい男はつらいよなぁ、文妻くん」

 夕見がけらけらと笑いながらばんばん肩をたたくのに、文妻は疑問符満載の表情を返すことしかできなかった。



「嬉ヶ谷」

 小夜更けて。

 一晩だけ泊っていくことにした忍が、なんとなく屋上で風に当たっていると、後ろから声がかかった。

「京司郎か。どうした?」

「色々あったんで、寝付けなくってな」

「そ、そうか」

 冗談めかした言葉に、少し罪悪感を覚えて、忍は言葉に詰まる。

「わりぃ。そんな気にしてるとは思わなかった」

「い、いや。それこそ気にするな」

 文妻の眉が曇るのを見て、忍はあわてたように手を振る。

「実はな、ちと聞きたいことがあってな」

 文妻は、忍と並んで柵によりかかり、普通棟の向こう、真っ暗な河川敷のほうを見つめながら口を開く。

「今日、縛られている俺を助けてくれた一年生がいてな」

「あぁ。だから南が自信満々だったのに、脱出できたのか」

「そういうこと」

 軽く返事した後で、その表情が辟易としたものに変わる。

「実際、やりすぎじゃないかと思うくらい厳重に縛られてたんでな」

「災難だったな」

「全くだ」

 おどけたように笑う文妻に、忍もややぎこちないながら笑顔を返す。

「んで、その時助けてくれたのが、剣道部の一年で、さいとう、ともは? とかいう名前だったんだが……嬉ヶ谷知ってるか?」

「知っているも何も」

 嬉ヶ谷は呆れたように言う。

「今年の新入生の中では一番の有名人だと思うが。中学校では剣道で全国大会二連覇、強豪校じゃなくてうちに入学してきたのが謎と言われるほどの才女だ。うちから初めてインターハイ出場がかなうんじゃないかと今からかなり注目されているぞ」

「はぁ。そうなのか」

 文妻の返事が鈍いのを聞いて、忍はその顔を覗き込む。

「何か気になることがあるのか?」

「うん」

 眉を曇らせたまま文妻は忍に振り向いた。

「助けてもらった後に名乗ったら、『助けなきゃよかった』と言われてな。どうも向こうは俺の名を知っていたようだし、なぜなんだろうと」

 じとっと、忍は文妻をにらみつけた。

「何か悪さでもしたんじゃないのか?」

「んな記憶はない」

「どうだろうなぁ。京司郎は、その気がなくても天然で悪さを働くからなぁ」

 文妻の眉がきゅっと寄る。

「んむぅ。俺はそんなつもりはないんだが……もしかして、知らない間に嬉ヶ谷を傷つけたりしてるのか?」

 半ば冗談で言ったつもりの言葉に、文妻は真剣に傷ついた表情をした。その姿に、ふっと忍の口元がゆるむ。

「大丈夫。京司郎がやさしい男だってことは、今の一言だけで十分わかるから」

 常と違うやわらかな言葉遣いと、優しげなほほ笑みに、文妻は忍を直視できなくなって視線をそらす。

「ま、ともあれ、気になるなら本人に直接訊いてみればいいとは思うが、」

 そこで切られた言葉に、文妻は振り向く。

「我が校期待の新星だからな。くれぐれも、変な気を起したり、問題に巻き込んだりするなよ?」

 にやっと、いつもの不敵な笑みを向ける忍に、文妻は一つため息をついた。

「全く、嬉ヶ谷は俺を信用してるのかしてないのかどっちなんだ?」

「たまには、自分で考えるのだな」

 笑顔のままそう言って、忍は階段室へ歩き出した。

「では、私はもう寝る。京司郎も風邪を引かないうちに戻るのだぞ」

「あいよ」

 柵に寄りかかったまま、ひらひらと手を振って忍を見送ると、そのまま夜空を見上げる。

 東京近郊とはいえ、周りが田んぼと畑ばかりのこのあたりは、よく星が見えた。

 しばらく乏しい知識で星座探しをしていると、がらがらと鉄扉が開く音がする。視線を向けると、闇のなかでもよく映える白衣姿が近づいてきた。

「眞君か」

「こっちにいるって聞いてね」

 文妻の正面に立った東海林は、ぺこんと頭を下げた。

「京司、今日は本当にごめん」

「もういいよ」

 苦笑しながら言う文妻だが、東海林の沈み込んだ表情は晴れない。

「みんなの前じゃ言えなかったから、今きちんと理由を言って謝りたかったんだ。アトラクションなんて言ってごまかしたけど、結局、ぼくが会長と対決したかっただけで、そのだしに京司を使ったわけだから」

「んなことはわかってたよ」

 え、と言わんばかりに東海林は文妻の顔を見直す。

「化学部の存続交渉の後に言ってたじゃないか。会長と一勝負したかったって。まぁ、結局決着はついてないから、また何かやるつもりだろうけど、今度はもっと楽な役回りを用意してくれ。どうも俺がかまずに終わるのは無理らしいからな」

 文妻の言葉に、少し瞳が潤む。普段の、取りようによっては尊大に思える態度の裏に、素直で気の弱いところがあることを知っている文妻は、優しげにほほ笑んで頭をなでた。

 東海林は、眼元を少し拭って、されるがままになっている。

「まったくもー、目を離すとま~た二人で悪だくみかね」

 ぎょっとして振り向くと、千里がにやにやしながらすぐ近くで立っていた。

「いいなぁ、頭なんかなでてもらっちゃってさ。ま、それはともかく、私も二人に謝んなきゃって思ってさ」

「千里が?」

「そ」

 短く返事すると、千里は二人の真ん中に立ってぺこりと頭を下げた。

「ごめんなさい」

 顔を見合わせる文妻と東海林。

「つまりね、私が、会長に借りを返したいなんて言ったせいで、まきちゃんには無理をさせるし、あんた……きょうちゃん、をひどい目に合わせちゃうしで……ホントごめん」

「もういいって」

 文妻は今日何度目になるかわからないセリフを吐く。

「ホントに?」

 千里の上目づかいに、文妻はゆっくりうなずく。

「やたっ」

 嬉しそうにぱっと笑う千里。昔から、こういうところは現金だ。

「ともあれ、結局何も片付いていないわけだし、リベンジする気は満々なんだろ?」

 東海林と千里は、顔を見合わせてうんうんとうなずく。

「どっちかの肩を持つようなことはお断りだが、公平な立場で協力する程度なら話に乗ってやるから、今回みたいな無茶はもうすんなよ」

「わかったよ」

「わかってるって」

 二人の返事を聞いて、また文妻は空を見上げる。

 東海林と千里は、今度はどんなことをやるか、話し始めた。

 その騒がしい声を聞きながら、文妻は、助けなければよかった、と言った、斎藤智葉のことが頭から離れなかった。


「しかしなんだね」

「は、はい」

「いい男ってのはつらそう、でもないのかな」

「はぁ」

 なんとなく屋上まで来たはいいが、出るに出られずに、夕見と由比香は様子をうかがっていた。

「あいつばかり、おいしいよな、と思わんこともねぇな」

 びっくりして振り向くと、南周がのっそり立っていた。

「驚かさないで下さいよ、南先輩」

「そんなつもりもなかったんだが。ま、難しい局面の話も終わったようだし、文妻に話しかけるなら今のうちじゃねぇか」

「そうだね」

 南周の言葉にうなずくと、夕見は由比香を促して屋上へ出る。

 二人に姿に気がついた文妻が軽く手を振ると、少しためらっていた由比香は小走りで近づいて行った。

 その姿を見送って、南周は階段を下りていく。

 今日は色々とあったが、合宿もあと一泊。

 明日はまともな部活動が出来るといいが、と、騒ぎの当事者だったことをかなたに放り投げて、男子部屋に寝に戻るのだった。

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