化学部長の陰謀 ~ゴールデンウィーク合宿篇~ ⑥

 まさか、自分だけがさらわれたのだとしても、それを放っておいて部活動をしているほど薄情な連中ではあるまい、と文妻は思った。

 となると、みんながいそうなところとなると、ミーティングを行う化学室が一番確率が高い。

 特別棟の階段を一段飛ばしの状態で駆け上がると、つきあたりの化学室に向かって走る。

 近づいたところで、話し声が聞こえ、文妻は少し安心して速度を緩める。

 一応の用心として、ドア越しに音声を聞き取ろうと耳を当てたところで、こんなセリフが聞こえてきて、文妻は固まることになった。

『南。文妻が自力で脱出する気遣いはないのか?』

『その辺は請け負うぜ。あの状態から脱出することは不可能だ。今でも文妻は俺たちが閉じ込めた場所でがくがくふるえてんだろうよ』

『では、さっさと決着をつけよう』

 聞こえてきたのは、南周と忍の声のはずである。

 それがなぜ、俺の脱出を気にしている?

 そしてなぜ、さっさと決着をつけようとか言っている?

 結論。俺を閉じ込めたのはこいつらで、決着をつけるとか言うセリフからして、俺を殺すか何かするつもりだ。

 なぜ、という言葉が頭をぐるぐるまわる。それより先にここから離れなければ、という思考がよぎる。だが、足が素直に動かない。

 ドアの向こうの話し声が大きくなる。どうやら部屋から出ようとしているらしい。

 すっかり混乱しながら、文妻は一歩、よろめくように後ずさった。

 ドアが開く。

 誰がドアを開けたのか確認するより早く、文妻は身をひるがえして駆け出した。



 扉を開けたとたん、見覚えのある人影が猛然と走り去っていく。

 その姿にあっけにとられた忍は、室内の南周に振り返った。

「誰が請け負うと言った?」

 南周はすたすたと出口に近付いてくる。

「もしかして今の足音は、」

「あいつだったよ、南くん」

 千里があきれたように言う。

「いや、それにしてもなんで逃げたんだろうねぇ」

 千山ののんきな問いかけに、東海林がため息をついた。

「ナンシュウと会長の最後のやりとりだけ聞いたとしたら、命の危険を感じて逃げるんじゃないかな」

 しばしやりとりを反芻する。

 聞き様によっては、まるで犯人が人質の始末をつけようとしているかのように聞こえないこともない。

 忍は頭を抱えたくなった。

「とにかく、追うぞ。こうなったら、文妻を捕まえたものが勝者ということで構わんな」

 結局体力勝負か、と自嘲せざるを得ない。

 走り出す忍に並んだのは、予想通りの陽子と、予想外の千里、夕見。

「意外に、足が、速い、ではないか」

「元陸上部ですからね」

「あたしも昔は体育会系で鳴らしたからね」

 目配せをする二人。

 先行する四人から大きく遅れて、東海林、由比香、利恵の三人が続く。

「いや、こうなると文科系一筋のぼくたちはちょっと不利だね」

「て言うか、あの、四人、早す、ぎ、ます、よ」

 まだ余裕すら感じさせる東海林に対して、息切れをしながら由比香が言う。利恵にいたっては既に口をきく余裕もないようだ。

「であれば、こちらは頭を使う必要があるね」

 速度を緩めて東海林が言うと、他の二人も合わせる。

「どう、する、んですか?」

「どうしようか?」

 笑顔で言う東海林に二人は立ち止まって顔を見合わせた。



 ものすごい勢いで追いかけてくる。

 もはや本能的な命の危険を感じるままに、文妻は走っていた。

 なんで、みんな追いかけてくるんだ。俺が何かやったか?

 つらつら思い返してみて、勧誘をさぼった件が思い当る。とはいえ、あれは直後に全員からものすごい説教をもらったし、それに嬉ヶ谷は関係ないはず。

 ていうか、もしそれが原因だとしても、命まで取ろうなんて思うか? 思わないだろ、普通!

 そんなことを考えながら階段を駆け下り、すぐまた次の階段を駆け上がる。

 もはや本人にすら、どこにどう逃げるつもりかさっぱり分からなくなっている。とにかく追いかけてくる人影を振り切ることだけを考えて、ひたすらに、やみくもに、走る。

 冷静に考えてみれば、階段を昇る必要は全くなかったのである。行き着く先は屋上しかない。だったら、一階から外へ脱出した方が良いに決まっている。

 その考えに至ったのは、開いた鉄扉の向こうに広がる空を見た時だった。背後からは複数の足音が迫る。

 俗に言う、『手遅れ』。

 だだっ広いだけで隠れる場所すらない屋上で、途方に暮れつつ足音の接近に振り向くと、最初に姿を現したのは、意外なことに東海林、由比香、利恵の文科系三人衆だった。

「あれ、会長たちはまだなんですか?」

「だから言ったじゃないか。逃走経路をきちんと考えれば、先回りは出来るって」

「先回りではない気がしますけど……」

 意外そうに問う由比香に答える東海林、そして小声でツッコミを入れる利恵。

「さて、とりあえずは捕まえないことには、先についた意味がなくなるね」

「ですね」

 利恵のツッコミは軽く流して、お互いをけん制しながら、じりじりと近づく東海林と由比香。

 じりじりと距離を開けながら、説明を求めようと口を開いた瞬間、二人の影からぱっと利恵が飛び出した。

「え~い」

 とかなんとか叫びながら、やみくもにタックルをかましてくる。

「ちょっと待てぇい」

 言いながらかわす文妻だが、聞く耳を持たずに三人が全く連携の取れていない攻撃? を繰り出してくる。

「む、先を越されたか」

 その声を先途に、忍、陽子、千里、夕見の体育会系四人衆も屋上へを足を踏み入れてきた。

 先行していた文科系三人衆も、息を切らせながら動きを止める。

「結局は、こうなっちゃうんだねぇ。この際、明確な勝利条件を決めておいた方がいいと思うんだけど、どうかな?」

 夕見が、東海林を見ながら言うと、全員がうなずく。

 話が見えないながら、とにかく逃げた方が良いと判断した文妻だが、追っ手が全員階段室前にいるので、動くに動けない。

「じゃあ、京司を押し倒した人が勝ち、ってことでどうだろう」

「倒さねばならんか? それだとウェイトの軽いものは不利だと思うが」

 忍の抗議に、東海林は少し考えこむ。

「じゃ、最初に抱きついた人、ってことにしようか」

 言ってくるりと見回して、特に異論が上がらないことを確認する。

「おやおや、誰か一人くらいは『そんなことできません』くらい言うかと思ったけど。モテモテだね、京司」

「だから待たんかお前ら」

 話の矛先が向いた機会をとらえて、文妻が声を上げる。

「なんだって、お前らそろいもそろって俺の命を狙いやがんだ!」

 文妻の叫びに、追っ手一同が顔を見合わせる。

「……あぁなるほど。京司は全然事情わかってないんだったっけ」

 ぶんぶん、と必死に首を振って肯定する文妻。

「ま、説明すると長くなるので、まずは決着をつけさせてくれないかな。命を取りはしないからさ」

「断るッ」

 断固とした叫びをあげて、にじり寄る七人の足を止める。

「どうしても先に行動に出るというなら……よかろう、俺から誰かに抱きついてやるぞ」

「そんなことしたら、セクハラで訴えてやるからね」

 じろりと睨みつけて、陽子が言い放つ。

「いや、私は別にかまわんぞ」

 忍がさらっと言うと、陽子が焦ったように振り向く。

「ちょ、ちょっと、何を言い出す……」

「ぼくも構わないよ」

「え」

「それで勝てるんならしょうがないもんね」

「ちょっと」

「わ、わたしも、い、いいです……よ?」

「だから」

「私も別にかまいません、けど」

「あ、あのね?」

「いやぁ、ほんとモテモテだねぇ、文妻くん。さぁ、あたしも含めていいから、六人から好きな子を選ぶといいよ?」

「七人!」

 完全に一人置いてけぼりを食らいかけた陽子が、改めて声を上げる。

「私も、セクハラで訴えたりしないから」

 精一杯の脅しが不発どころか、却って事態を悪化させたことに頭を抱えつつ、いつの間にかぐっと狭まっていた包囲から、一歩距離を置く。

「ともあれ、まずは説明しろ。なんだって俺はあんなところで縛って転がされた挙句、追い回されにゃならんのだッ!」

 一同を険しい目で見回して、文妻はどかっとその場にあぐらをかいた。

「先に決着をつけたいなら勝手にしろ。だが、納得いく説明を受けるまで、何があろうと絶対に従わんぞッ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る