天使剣士の憂鬱 ①

 ゴールデンウィーク明け。

 県立西が丘高校武道場には、何故だか大変険悪な空気が充満していた。

 その空気の出元、一人は通称「部活ジプシー」と呼ばれる三年生男子、文妻ふみつま京司郎きょうじろう、そしてもう一人は剣道部期待の新星、一年生女子、斎藤智葉さいとうともはは、他の剣道部員の練習の手が止まるほどの殺気を伴ってにらみ合っていた。

 そもそも文妻は、この剣道部員に御礼を言いに来たはずなのに、何故こんなことになってしまったのか。


 事の起こりはゴールデンウィーク中に行われた合同合宿に遡る。

 化学部長である東海林しょうじ眞君まきみの主導で、文妻争奪戦とも言うべきアトラクションが企画され、その一環として文妻は体育用具倉庫に拉致監禁された。そこを通りがかった智葉に助けられたのである。

 しかしながら彼女は名乗った文妻に甚だ非友好的な視線を向け、あまつさえ「助けなきゃよかった」とまで言われたのである。

 御礼を言いがてら、その言葉の真意を探るべく、この男にしては珍しく菓子折りまで準備して剣道部が練習しているここ、武道場に足を運んだわけだったのだが……。


「わざわざありがとうございました。ですが、私としては当然の事をしたまでですので。このようなお気遣いは結構です」

 にべもない、という言葉を体現したかのように、凄まじく冷たい目線で文妻を一瞥した智葉は、丁寧なようでいて感情のこもらない台詞を述べると一礼して背を向けた。

 差し出しかけた菓子折りが、文妻の手の上で行き場を失う。

 菓子折りで会話の端緒をつかんで、この間の台詞の真意を聞き出す作戦を立てていた文妻だったが、どうやら智葉に会話の意思がないようだと悟ると、正攻法で行く方針に切り替えた。

「あ、えーとだな、斎藤さん」

 声をかけられた智葉は一応振り向くが、その視線は相変わらず非友好的な冷たさを帯びている。

「こないだはありがとう。大変助かった。結局あれは、仲間内での悪ふざけだったようでな、斎藤さんにも大変迷惑をかけたと」

「失礼ですが、私はこれから練習がありますので。お気遣いは結構です。出来ればもう私の前に現れないでいただけますか」

 うんざり、とその表情だけで雄弁に語る智葉。目が合ったその一瞬を逃さず、文妻は切り込んでいくことに決めた。

「それ、それだよ。助けてもらった時もそうだったけど、なんだってそう俺を嫌うのかね。出来れば教えていただきたいところだが」

「わざわざ本人を前にそれを言う必要がありますか?」

「本人のいないところで言ってりゃただの陰口だろう。まぁ俺は聞こえてこない悪口なんか気にしないがな。だが、初対面で、あの状況で、助けなきゃよかったと言わしめるほど嫌われてる理由は気になるんだよ」

 じろり、と睨み付けるようにする智葉に、ひるむことなく文妻は視線を返す。

「それを訊いた所でどうしようというのですか。私に嫌われないように直すとでも?」

「そりゃ聞いてみるまでわからないだろ。存在が許せないとか、男だから嫌いとか言われたらどうしようもないし、外見が嫌いだと言われても直すのはそう簡単なことではないし、まぁ、世間様から見て微妙だろうが、俺はこの見た目をそこそこ気に入ってるしな」

「……そんな浅いことで嫌ったりしません」

「なら教えてくれてもいいだろう?」

「そこまで言うなら教えて差し上げますが、」

 畳み掛けてくる文妻に押し切られたのか、とっとと会話を打ち切るのには話した方がいいと思ったのか、智葉が口を開く。

「先輩は部活ジプシーなどと言われて、様々な部活をフラフラとなさってらっしゃるそうですね」

「フラフラとっていうのはいささか釈然としないが、まぁ、色々な部活に顔を出してるな」

「私は、そういういい加減な事をする人間が嫌いなんです。その上、顔を出してる部活で女子を引っかけまくっているとか言う話ですし」

「ちょっと待てぃ」

 文妻が、聞き捨てならない台詞をさえぎる。

「女子を引っかけまくっているだと? 俺が?」

「はい、そう聞きました」

「誰に?」

「部長に」

 ぎぎぎぎぎ、と軋む音を立てるかのように振り向いた先で、目をそらす一人の男の姿があった。

 その名は北泉きたいずみ辰馬たつま、誰あろう剣道部部長である。ちなみに、文妻とは同じクラスだ。

 騒動を止めるわけでもなく遠巻きに見ていた彼の元に、文妻が詰め寄る。

「んで、どういうつもりであんなことを言ったのかな、北泉」

「いやぁ、そのぅ、な?」

 なんとなく目配せをする北泉に、更に詰め寄る文妻。

「どういうつもりかと訊いているんだが。北泉には、入ってきた後輩に他人のあることないこと吹き込む趣味でもあるのか?」

「あ、あることないことでもないだろう?」

 気弱そうに両手で押しとどめるような仕草をしながら、北泉が口を開く。

「実際、行った先々の部活で女子と仲良くなってるしな。その上生徒会長とだってずいぶん仲がいいじゃないか。そうなりゃ、入ってきた女子部員に、気をつけろと一言言いたくなる気持ちもわからんでもないだろう?」

「あのな……。そりゃまぁ、仲のいい奴は多いが、別に女子に限ったことでもないし、ついでにいうと彼女いない暦はこれまでの人生に等しい時間なのだがな。おまえが余計な誤解を振りまくせいで純粋な一年生にいやな目で見られたじゃないか」

「あぁ、いや、その、そこまで嫌うとも思ってなかったんだ。うん、俺が悪かったよ」

 引きつったような笑みを浮かべながら謝罪する北泉に、文妻は一応満足したらしく、矛を収めて智葉に向き直った。

「と、いうわけで俺が女たらしみたいに思われてるのは純粋に誤解だ。わかってくれたかな、斎藤さん」

「はい、その部分に関しては、理解しました」

 特にその非友好的な表情を改めることなく、智葉は口を開く。

「それでも、文妻先輩が、様々な部活を渡り歩く、いい加減な性格だということは何も変わりませんから。そのあたりは心根の問題ですから、直ったりしないでしょうしね。もういいですか?」

「ちょっと待ってもらおうか。色々な部活に顔を出す、イコールいい加減な性格ってのは、酷い決め付け方だと思うんだがな」

「そうでしょうか? 人たるもの、一つに道を定め、それに向かって全身全霊努力する事こそが正しい道ではありませんか? そうでなくては何事も為すことが出来ませんよ」

「そういう生き方も否定はしない。が、色々な事をやって己の可能性を試すのだって、立派な生き方ってもんじゃないのかね? 第一、一つしか出来ることがないんじゃ、それをぽっきり折られた時に何も出来なくなりはしないか?」

「それはその道に賭ける覚悟が足りないからです。幾度折られようが、一つの道に邁進する者こそが、己を鍛え上げ、人生を大成させることが出来るんです」

「まぁ、『まず一招に秀でよ』ってのは達人の教えでもあるしその理は認めんでもないんだがなぁ……。だがやっぱり、一つの事しか出来ないとなると、この生き馬の目を抜く現代社会を渡っては行けないのではないかな」

「そこまで仰るのでしたら」

 非友好的、からやや敵対的に表情をシフトさせて、智葉が口を開く。

「見せていただこうではありませんか。先輩の仰る可能性とやらが、一つの道に賭ける私に勝てるのかどうか」

「は?」

 あっけにとられた文妻に畳み掛ける智葉。

「勝負していただきましょう、文妻先輩。私の剣道と、先輩の可能性とやらで」

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