化学部長の陰謀 ~ゴールデンウィーク合宿篇~ ③
既に合宿どころではない雰囲気に包まれた化学室に、各部の代表がそろっていた。
文妻の幼馴染の一人で、化学部部長三年、
同じく文妻の幼馴染で調理研究会会長三年、
写真部三年で副部長の
占い研究会会長二年、
茶道部二年、
そして何故だかいる、女子空手部部長三年、
自然と場を仕切る流れになった忍が教壇から一同を見回して、足りない顔に気付く。
「南と、千山がいないようだが」
すぐわきで、なぜかパイプ椅子に足と腕を組んで腰かけている白衣に伊達眼鏡の東海林に話しかけると、軽く肩をすくめる。
「南と千山くんなら、うちの深江とどこかに行ってるみたいだけど」
東海林の代わりにこたえたのは陽子だった。
「この非常時にか」
姿が見えない三人、写真部部長代理三年、
忍のややとがった言葉に、誰も答える者はいない。どうやら、外出していることは知っていても、どこにいるかまでは誰も知らないらしい。
少々苛立ちながらも、あくまでも冷静に、と自分に言い聞かせつつ、忍は改めて全員の顔を見渡して口を開いた。
「とりあえずは現状把握だ。何があって文妻の姿が消え、そして誘拐と断定されるに至ったかだ」
すっと、風待が挙手をする。忍が一つうなづくと、まるで授業で発表するように、立ち上がった。
「男子部屋で朝起きた時には文妻先輩の姿は既にありませんでした。最初はトイレにでも行ったのかと思ってたんです。でも、しばらくたっても戻ってこなかったので不審に思ったんですが」
「大体同じ頃じゃないかと思うけど、ぼくがこれを見つけた。女子部屋のドアの隙間から挿しこまれてたんだけど」
と、言葉を接ぐように東海林が続ける。その手には、忍の見覚えのある封筒があった。
「それで、部長……東海林先輩が確認に来て初めて、どうやら文妻先輩が誘拐されたらしいと、気が付いたんです」
化学部二人の息の合った説明に、忍はうなずく。
「それ、見せてもらっていいか」
東海林は無言で封筒を忍に差し出す。
実に簡素な封筒に、実に簡素な便箋。
そして、見覚えのある筆跡で、実に簡素な脅迫状が書かれていた。
曰く。
そちらのお仲間である文妻京司郎の身柄はこちらで預かっている。
今のところ彼は無事だが、今後も彼を無事でいさせるためには、警察や教師には通報せず、追って出す指示を待ち、それに素直に従うこと。
こちらでは、そちらの動向を逐一観察している。要求に従えない場合、文妻京司郎の無事は保証できない、云々。
読み終えた忍は、無言のまま、昨日受け取った封筒を取り出し、東海林に渡した。
中に一通り目を通すと、無言のまま、千里に渡し、次に陽子の手に渡る。
陽子は、忍の手の中の脅迫状と手元の招待状をためつすがめつし、
「同じだ」
とつぶやいた。
「そう。同じだ」
二通の封筒は、参加者の間に次々まわされていく。
「見たところ、封筒と便箋、そして筆跡もおそらく同じ。犯人が何者にしろ、文妻の誘拐を企て、その場に私をおびき寄せたかった、ということだろうな」
「何のために?」
東海林の問いに、向き直って忍は首を振る。
「それを判断するには材料が不足している」
「その判断材料をのんびり探している場合でもないでしょ」
千里が、いらついた声をあげて忍をにらみつける。
その視線を受け流して、忍は一同をくるっと見回した。
「もっともだな。とりあえずは今後の方針を決めたいと思うのだが」
「方針も何も、犯人から指示が来ない限り何も出来ないじゃない」
「そうか?」
挑む様な視線を送ってくる千里に、忍は正面から視線を返す。
「このまま犯人の言いなりになるだけしか我々に出来ることがないとは私には思えないのだが。例えば、教員に報告し、警察に通報するとか」
「反対」
陽子が挙手をする。
「そんなことをして、文妻に何かあったらどうするつもり?」
「その責任を問われるべきは通報者ではなく、犯人であるべきだな。一応、自分はこの学校の秩序にある程度の責任を負わねばならん立場だ。そこからすると、この状況をしかるべき筋に通報せずに済ませる、というわけにはいかん」
忍の正論の前に、反対した陽子と、同じく反対であるらしい千里はぐっと言葉に詰まる。
その表情を見て、忍は軽く息をつき口を開いた。
「とは言え、私としても大切な友人である文妻の身に何かあっては困る。通報するにしても慎重に判断する必要があるだろうな」
逆に言えば、通報しない、という判断も慎重に行う――感情だけで決めるべきではない――という意味になる。そのことを理解して、一同は深く考え込まざるを得なかった。
「ともあれ、まずは保留ってことでいいんじゃないかな」
あまりいつもと変わらない、ひょうひょうとした口調で東海林が言うと、一同の視線が集まった。
「犯人の狙いがわからないことには、こちらとしても対策の取りようがないし。まさか、高校生相手に巨額の身代金を要求したりってわけでもないだろうしね」
「……ずいぶんと、落ち着いているな」
「取り乱したところで意味はないからね。会長こそ、ここで落ち着いてリーダーシップを発揮してくれなきゃ」
忍の強い視線を軽く受け流して、東海林は笑みさえ浮かべてみせた。
「う、うむ。しかし、わからんのは文妻が誘拐された状況だな。強制的に拉致されようとして、おとなしく言いなりになるようには思えんし、その割には抵抗したなら起こるであろう物音を聞いた者もいないようだし……。高梨は何か気付いたことはないか?」
この場にいる男性は、先ほど証言した風待の他は高梨しかいない。
問われた高梨は、軽く肩をすくめて困ったように苦笑した。
「いや、自分も、起きたときにはいなかった、としか言えることはないなぁ」
忍は、その反応に違和感を覚えた。
「高梨、何か隠していることはないか?」
苦笑した表情のまま、高梨は一瞬固まる。
「…………いや、特には」
怪しい、と見た忍がさらに追及しようとした時、東海林のポケットから、軽快なメロディが鳴り出した。どうやら、携帯に着信らしい。
思わず忍はぎろりとにらみつけるが、東海林は意に介さずに取った。
「こういう時はせめてマナーモードにしておくべきではないか?」
詰め寄ろうとしていた高梨に、いささかずれた同意を求めると、曖昧に笑ってうなずく。
東海林は口元を押さえて、少々真剣な顔で応答している。
皆の視線が集まる中、東海林は会話の切れ目に、携帯を忍へと差し出した。
「犯人から。会長に話があるって」
うすうすそうではないかと感じ取っていた一同だが、改めてそれを聞くと、誰ひとり言葉を発せずに、差し出された携帯をじっと見つめる。
忍は、一つ深呼吸をして受け取り、
「もしもし」
と電話の向こうの犯人に呼びかけた。
『会長か。こっちの招待状には応じてくれたみてぇだな』
低く、こもるような犯人の声が応じる。
忍は、その声と口調に記憶の隅っこに引っかかる何かを感じて、携帯電話を耳から離してじっと見つめた。画面には『非通知』の文字。
視界の隅で、東海林が表情を消してこちらをうかがっているのを確認する。
『聞いてんのか?』
耳から離している間に、どうやら何か言っていたらしい。
我に返った忍は、また携帯を耳に押し当て、犯人に返事をした。
「あぁ、すまん。少し気になることがあったのでな。それで、文妻は無事なのだろうな、南周」
電話の向こうとこちら側で、言いようのない沈黙が満ちた。
大多数があっけにとられた表情でぽかんとしている中、そっぽを向いて表情を悟られまいとしている風待、悪戯がばれたような表情で苦笑する高梨、そして、出来るだけ表情に出すまい、と努力しながら、ひくっと上がった片眉が台無しにしている東海林。
七十パーセントほどの信頼度を大幅に上方修正して、忍はまた電話の向こうの犯人に語りかける。
「どうやら間違いないようだな。こちら側にいる関係者の表情で、確信が持てたぞ。で、この件は被害者である文妻本人も噛んでいるのか?」
『いや、あいつはなにも関知してねぇ。むしろ、本気で誘拐されたと思ってるはずだ。まぁ、ばれたんならしょうがねぇ、そっちに行くぞ。電話代がもったいねぇからな』
忍の返事を待たずに電話は切れた。
携帯を持ったまま、改めて、一同の顔を見渡し、とある人物に視線を固定する。忍は、にやり、と口元を歪め携帯を差し出した。
「さて、きっちりと説明してもらおうか、首謀者殿」
あっけにとられていた一同の視線が、その人物、東海林に集まる。
差し出された携帯を受け取って肩をすくめ、東海林はふう、とため息ひとつついてにっこりと笑って見せた。
「ま、とりあえず実行犯グループの到着を待とう。それから説明した方が、手間が省けるしね」
そう言って、元の通りパイプ椅子に座ると、一同に座るように手振りで促した。
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