化学部長の陰謀 ~化学部存続篇~ ④


 かくして当日。

 占い研のために、体験会場を貸せ、とねじ込んでから一か月ほどしか経過していない。

 確かに、最近、生徒会長である嬉ヶ谷忍とは、公私にわたって顔を合わせることも多いし、短いつきあいながら、互いに言いたいことを言える間柄ではある。

 が、前回、ものすごい笑顔で、借りは必ず返してもらうからな、と釘を刺されてもいる。

 正直、文妻はすっぽかして逃げたい気分であった。実際、自分がいなくても、東海林だったら普通に交渉が出来るであろうし。

「あー逃げようかなぁ」

 既に放課後。ぼそっとつぶやいた言葉にかぶせるように、同じクラスの、南周みなみあまねが声をかけにきた。

「文妻、東海林が来てるぞ」

 小学校以来の親友、南周は、当然のように東海林とも知り合いである。

 何の罪もない南周をじとっと見つめて、文妻は気が重そうにのろのろと立ち上がる。

「なんだ、不景気な面してるな。これから会長んとこ殴り込みだろ? んなんで勝てんのかね」

 ばっと、振り向く文妻。

「なんでナンシュウが知ってんだ」

「今まさに東海林から聞いた」

 くるっと振り向くと、その本人は教室の入り口で、早く来い、と目で訴えている。

「なんか、このまま生徒会相手の便利屋にされるのも困るんだけどな」

「ま、いずれにせよ、あの会長を向こうに回せるのは、うち広しと言えど、お前くらいなもんだからな。せいぜい頑張ってくんだな」

「他人事だと思いやがって」

 南周の無責任な励ましに苦笑を返して、文妻は東海林と生徒会室に向かった。


 いつもより、高く、分厚く感じる生徒会室の扉を前に、躊躇するように立ち止った文妻だったが、東海林は意に介さず手をあげた。

「あ、あのだな」

 声をかけると、東海林は何事かという顔で振り向く。

「心の準備を、だな」

 聞いた東海林は少し呆れたような顔でため息をつく。

「わかったよ」

「う、うむ」

 ほっと一息をつこうとした文妻の耳に、信じられない台詞が聞こえてくる。

「すぐ入るから、それまでに終わらせて」

「う、うえ?」

 そして、狼狽する文妻を一顧だにせず、東海林はためらうことなくノックをし扉を開けた。

「失礼します」

 生徒会室の全員の視線が集まる。

 一番奥から、席を立って視線を送ってくるのが、生徒会長、嬉ヶ谷忍であった。

「化学部の東海林と、文妻か。珍しい取り合わせだな?」

「化学部の今後についてお話があります。これはオブザーバーで」

 東海林が言うと、すたすたと近づいてきた忍は、座るように促して、文妻に視線を固定して口を開いた。

「前回は占い研で、今度は化学部か。ご苦労なことだな、文妻」

 ははは、と乾いた笑いで返すしかない文妻。

「それで?」

と、忍が促すと、東海林が口を開いた。

「先ごろ提案された理系部活の統合についてですが、化学部としてはお断りしようと思います」

 忍は、無言で東海林を見つめ、先を促す。途中、ちらっと文妻にも視線を送りつつ、ではあるが。

「ですが、統合部活が出来る流れは必然だろうと思いますので、我が部の一年生については、そちらに合流させようと思います」

「ふむ」

 腕組みをして、少し考え込む忍。

 機先を制するには、今のタイミングで、と判断した文妻が口を開こうとすると、忍の視線が飛んできて、押しとどめられた。

「つまり、東海林が卒業するまでの来年一年、化学部を存続させたい、とそういうことになるか?」

「はい」

 理解の早い忍の言葉に、東海林はうなずく。

「いくつか条件がある」

「は? はい」

 返された意外な言葉に、東海林の反応が少し遅れる。

「来年度は新たに部費を発給しない。化学部の支給分については、理系の統合部活に、発給させてもらう」

「はい」

「ただし、文化祭については、予算を用意するので、必ず、出展するように。化学部最後の部長として、有終の美を飾る発表を期待する。手が足りなければ」

と、言葉を切り、意味ありげな笑みで文妻を見つめる。

「そこの文妻でも使えばいい。役に立つであろうからな」

「は、はぁ」

「で、文妻からは何か言うことがあるか?」

 あまりの成り行きに、あっけにとられるだけだった文妻は、いきなり自分に振られて驚く。

「あ、いや、特には。えーっと、確認するが、つまり、化学部は来年も存続するということでいいのか?」

「そういうことだ。少なくとも、東海林の卒業まではな。要求としてはこれでよいのだろう?」

 忍の言葉に、東海林がうなずく。

「あー。だが、いいのか?」

 あまりスムーズに進む話に、文妻が重ねて確認すると、忍は苦笑した。

「要求に来た本人が半信半疑でどうする。入った部活で卒業を迎えたい、という気持ちを無碍にするほど、狭量な人間ではないつもりだぞ、私は」

 にっこりと笑みを浮かべた忍は、再び東海林に向きなおった。

「来年の文化祭は期待しているぞ、東海林」

 何とも煮え切らない表情で、東海林はうなずいた。


「なんというか」

 生徒会室を出ると、その一言をつぶやいただけで、東海林は沈黙していた。

 二年生の教室のある三階に降りると、千里が待ち構えていた。

「どうだった?」

 二人の表情がさえないの見ておずおずと訊ねる。

「まぁ、交渉は成功した。というか、交渉も何もなく化学部の存続は了承されたよ」

「んじゃ、なんで二人してそんな暗い顔なのよ」

 言われて何となく顔を見合わせる。

「うん、なんというか」

 東海林は首をかしげながら口を開いた。

「あっさり行き過ぎて、振り上げたこぶしのやり場をなくしたというか」

「はぁ」

 よくわからないまま、相槌を打つ千里。

「そうか」

 ぽん、と東海林が一つ手をたたいた。

「ぼくは、あの会長相手にひと暴れしたかったのか」

 物騒な発言にぎょっとする文妻。

「眞君、おまえ何を言ってんだ」

 くるっと振り向いて、にやり、と笑いかける。

「うん、よくわかった。もちろん、化学部の存続も大事だったんだけど、ぼくはあの会長に一勝負挑みたかったんだな。京司と一緒に」

「はぁ?」

 迷惑極まりない、という表情をする文妻を華麗にスルーして、東海林は千里に向きなおった。

「よし、千里の貸し、なんとかして返してもらおう。もちろん、京司にも協力してもらって」

「うん、ありがとう、まきちゃん。まずはどうするか考えないとだね」

 満面の笑顔で手を握り合う二人の幼馴染に、文妻は、文字通り頭を抱えるしかなかった。

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