化学部長の陰謀 ~化学部存続篇~ ③

 先に昨日の店で待っている、との伝言を受けて、占い研の様子を軽く見た後で、某ファーストフード店東西が丘駅前店についた文妻は、いつもの席に東海林の他に人影を認め、それが誰だかわかった瞬間、反射的に百八十度回頭しそうになった。

 その前に、そのもう一人、千里に発見されたので、すんでのところで思いとどまりはしたのだが、店に入ったとたん、

「何で帰ろうとするかな」

 と、千里に苦情を言われた。しっかりばれていたらしい。

「いや、なんで千里がいるんだよ」

「いちゃ悪い?」

「いや、悪くはないけどよ」

 文化祭の一件以来、少し引け目を感じるのと、久々に幼馴染三人がそろったこの状況が、その昔、いたずらをして叱られたことを彷彿とさせて、文妻はいささか居心地が悪かった。

 そんな文妻の心情にはお構いなしに見た感じ上機嫌で、千里はチーズバーガーを頬張っている。

「こうひてはんにんほろうのもひはひぶいだねぇ」

「やめんか、行儀の悪い」

 妙にテンションの高い千里が、口にいっぱいチーズバーガーを入れたまましゃべるのに、文妻が眉をしかめる。

「ごめんごめん。でもほら、こうして三人そろうのも久しぶりじゃない。なんかこう、うきうきするというか」

「そう言えばそうか。いつくらいぶりだろうね」

 文妻をそっちのけにして、盛り上がる二人。

 文妻は眉をしかめたまま、ジンジャエールを飲み込み、

「今年に入ってからだってあったろう」

 と、口をはさんだ。

 くるっと、計ったように同じタイミングで振り向く二人。

 五秒くらいじっと見つめて、千里はこれ見よがしな大きなため息をつき、東海林は半眼で口元を歪めるような笑みを浮かべる。

「これだからね」

「まったくだね」

 顔を見合わせて一言言い交わすと、また文妻に向きなおる。

 そのタイミングすら昔のままぴったりである。

「そりゃ、あんたは忙しくしてるから、結構前のことでもつい最近に感じちゃうのかもしれないけどさ」

「そうそう、そもそも、京司とぼくが会ったのだってこないだが随分と久しぶりだったじゃないか。コーヒーは飲みに来てたみたいだけどさ」

「え~?」

 信じられない、と言わんばかりの声を上げる千里。

「なになに、サイフォンは使いに来るくせに、まきちゃんにはあいさつもなしなの? どういう礼儀感覚をしてるんだろうねぇ、この男は」

「コーヒーこそ、ポットに入れて残していてくれるんだけどね。当の本人は影も形もないんだよ」

「ひどいねぇ」

「だよね」

 見合わせた顔を再び文妻に向けて、二人はじっとにらむ。

 眉根を寄せたまま、二人の視線の圧力を受け続けていた文妻だったが、ついに耐えきれなくなって、口を開いてぼそっとつぶやく。

「いや、悪かったって」

 それでもじっと視線を送っていた千里と東海林だったが、やがて耐えきれなくなって、どちらともなく吹き出して笑いだした。 

「変わんないな、おまえらのそういうところは」

「京司だって変わってないよ」

「むしろ、あんたが一番変わってないと思うけど」

 ひとしきり笑わせた後で、幾分和らいだ表情の文妻が言うと、二人もまぜっかえすように言う。

「しかしなんだ、この場に千里がいるってことは、例の話は今日はなしか?」

 思い出したように本題を持ち出した文妻に、千里はにっこりと笑って口を開いた。

「化学部存続の件でしょ? わたしも、噛ませてもらおうと思って」

 三秒ほど固まって、文妻はまた眉根を寄せた。

「なんだって?」

「わたしも噛むって言ったの」

「なんで。千里は完全に部外者だろうが」

「それを言ったらあんただってそうでしょ」

「俺は眞君に依頼されたから関わってんだ」

「わたしが善意から関わっちゃいけないって言うの?」

「そう言うわけじゃないが……」

 ちらっと、文妻が視線を投げるが、東海林は軽く微笑んで首を振る。千里が、言い出したら梃子でも動かないことはよくわかってはいる。

「なんだって、そんな縁もゆかりもない部活の存続にこだわるかね」

「縁もゆかりもなくはないでしょ。幼馴染が部長やってる部活なんだから」

「まぁ、そりゃそうだが」

「高校に入ってから、この三人で何かやるってことなかったでしょ? これがいい機会だって、そう思ったの。もうすぐ三年になっちゃうし、もしかしたら、これが最後の機会かもしれないって」

 確かに、世間一般と比べて、割と付き合いが深く、仲の良い幼馴染ではある。大概の幼馴染が迎える、小学校高学年から中学にかけての危機も、何ほどもなく乗り切って、昔と変わらないノリで会話ができる仲だが、それでも、高校に入って広がった人間関係の前では、前のようにいつも一緒、というわけにはいかない。

 個々ではそれなりに割り切っているつもりでも、こうやって集まるとその寂しさが少し噴き出してしまうものらしかった。

 文妻にも心当たりはある。

 別に、千里を仲間外れにするつもりもない。文妻が、了承の台詞を口にしようと思った瞬間、千里の表情が、勝気な笑顔に変化した。

「それに、わたしには、会長に貸しがあるしね」

「は?」

 完全に虚を突かれた表情で、文妻が固まる。

 その顔を見て、東海林は気づかれないほど小さくため息を漏らした。

「文化祭のエキシビションのこと、忘れたとは言わせないわよ」

 聞いたとたん、文妻の表情が苦いものに変わる。

「あぁ」

 生返事とも取れる文妻の反応に、険のある視線を向けて千里は言葉を続ける。

「あんな、目の前でパートナーごと優勝かっさらわれてそのままにしておくようなわたしじゃないわよ」

「いやだって、結局優勝賞品は千里の意向に沿ったものになったんだし、それはそれで」

「そういう問題じゃないっ!」

 だん! とテーブルをたたいた千里は、周囲の視線に気がついて、やや声を落とす。

「単に賞品が受け取れたからいいとかそういうことじゃないの、これは。プライドの問題なの」

「はぁ」

「そりゃね、より責任を問うのはどちらかといえばあんたの方だ。よりにもよって、わたしの目の前でほかのチームの女の子と、手に手を取って、というか、抱きかかえてゴールするとか、言語道断にもほどがあるってもんでしょ」

「いえ、ですから、その件については散々申しました通りでして」

 あまりの剣幕に、文妻はつい丁寧語になる。

「えぇ、散々聞きましたとも。そりゃね、あんたはお人よしだし、あの状況で見捨てるようなまねなんかできないでしょうよ。それはよくわかってます。そうでなきゃ、そもそもわたしとエキシビションに出なかったでしょうしね。それに、箱だけ奪うのが物理的に無理だったという判断も尊重しますとも」

 だんだんまた声が大きくなってくる。文妻は、手振りでもっと抑えて、と合図を送るが、熱くなった千里が気がつくはずもない。助けを求めて東海林を見ても、苦笑しながら首を振るばかりである。

「でもね、やっぱり会長には本来わたしとあんたで分け合うはずだった優勝をかすめ取った貸しは返してもらわなくっちゃ。しかも、あんな、お姫様だっこなんかで」

 だん! と再びテーブルがたたかれる。今度は周りの視線に気が付かない。

「いや、もう、お願いだからそこにこだわるのやめてくださいよ……」

「大事なところです!」

 だん!

「えぇ、まぁ、そこも散々聞きましたよ? 足を怪我してたから手を引くわけにいかず、抱えあげたらスカートがめくれそうだと苦情を受けたと。でも、結果としてお姫様だっこというのはいかがなものか」

「いや、あの場での咄嗟の判断では、あれが最良だったと」

「いいえ、もっといい方法があったはずです。絶対に」

「ぜ、絶対にですか」

「絶対にです」

「例えば?」

「そんなことは自分で考えなさいよ」

「そんな無茶な」

「無茶でも何でも、それがあんたの役割です。ともあれ、そんなわけで、わたしとしては、この三人で、会長に貸しを返していただけるこの機会にぜひ参加したいわけ。わかった?」

 じろり、とにらむ千里に、文妻はひとつ、深い深いため息をついて白旗を上げた。

「はい、わかりました」

「ならよろしい」

「時に、ですな」

「何よ」

 まだ何か言うことがあるのか、言わんばかりの視線でにらみつける。

「話すときは、もうちょっと周りに気をつけてもらえると」

「え」

 そこで初めて、周りの視線が集中していることに気が付いた千里は、この上なく真っ赤になってうつむいてしまった。


 結局、この日はその後まともに話せるわけもなく、そそくさと立ち去るしかなくなってしまった。

「あー、あそこ結構利用してたんだけど、明日から行きづらくなりそうだなぁ」

 と、ついぼそっと言ってしまった文妻の台詞に、千里は上目づかいでにらみつけて、

「うぅー」

 と唸ることしか出来なかった。


 さらに翌日。

 微妙に田舎な西が丘には、他に時間を気にせず集まれるようなところもなく、結局三人はまた、同じ店の同じ席におさまっていた。

 カウンターで店員が少し微妙な表情をしていたような気がしたが、文妻と東海林は気にしないことにする。

 残りの一人はというと。

「ねぇ、やっぱりさ、誰かの家に行こうよ。昨日の今日だしさ」

「自分の家を提供できない時点で、その提案は却下だ」

 腰の引けた提案を一言で却下して、文妻はポテトとジンジャエールのLサイズという、いつもの組み合わせをつまんでいる。

「大丈夫、昨日もいたお客なんてそうそういないから」

 と、気休めになってるのかどうか微妙な慰めをする東海林。

 千里は不承不承、席について縮こまった。

 文妻と東海林は、見てないふりで話を始める。

「結局のところ、何一つ話は進んでいないわけだが」

「そうだね。でも、最終的には京司の交渉能力に頼るしかない、というのが結論になる気がするね」

「丸投げかよ」

 うんざりした顔で言う文妻に、東海林は苦笑するのみである。

 東海林の横に視線を転じると、相変わらずひたすら縮こまっている千里の姿があった。

「んで、千里は何をどうやって嬉ヶ谷に貸しを返してもらうつもりだったんだ?」

 いきなり話しかけられて、びくっと体を震わせた千里は、問われて初めて気がついたというように考え込みだした。

 辛抱強く、文妻は千里の返事を待つ。たっぷり三分は考え込んで、千里はてへっと笑った。

「何も考えてなかった」

「あー、そーかい」

 予想通りの台詞に、おざなりに答えて、文妻は窓の外に視線を向ける。

「結局、正攻法しかないってことだね」

「正攻法?」

 東海林の言葉に千里が首をかしげる。

「つまり、俺が直接生徒会に出向いて交渉するってことだろ」

 窓の外を向いたまま、文妻が言うと、東海林はうなずいた。

「わたしはどうやって貸しを返してもらったらいいだろう?」

「……こだわるな、おまえも」

 うんざりした表情をそのままに、文妻は千里に向きなおった。

「それは今回は諦めてもらうしかないかな。次の機会に何とかするとして」

「そっか」

「待て、次の機会って何だ」

「そうしたら、交渉は早い方がいいかな。週明けには付き合ってもらおうか」

 文妻のツッコミはまるっきりスルーで、話を進める東海林。

「いや、だから次って」

「というわけで、月曜日に生徒会室に行くので、よろしくね、京司」

「次ってなんだぁ~」

 そうして、不穏な気配を漂わせたまま話はまとまり、翌月曜日、文妻と東海林で生徒会室に殴り込み、ではなく交渉に赴くことになった。

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