文妻ヴァレンタイン

 二月十四日。


 いわずと知れたヴァレンタインデーである。

 健全な高校生男子ともなれば、欠片でもある希望にすがって、机の中とか、下駄箱とかを期待をこめて覗き込んでみたりする、そんな日である。


 そして、本人は知る由もないが、部活ジプシーとして知られる彼、文妻ふみつま京司郎きょうじろうには妙な包囲網が出来つつあった。


「んで、どんだけもらえそうなんだ、おまえは」

「何の話だ?」

「……ぶん殴るぞ」

 素でボケた文妻に剣呑な台詞で応じたのはおなじみ南周みなみあまねである。

 常は眠そうな表情の南がぎろりとにらみつけるように眼を剥く。

「あー、そうか、今日はヴァレンタインか」

 このところ、宮川みやがわ由比香ゆいかに頼まれた占い研究会の設立準備活動や、幼馴染である矢羽千里やばねちさとの妹、茉莉まつりの受験勉強指導に当たったりと、実に多忙な日々を送っている文妻は、素で日付感覚をなくしていた。

「そういや、昨日一昨日がうちの受験日だったもんな。ならば今日は二月の十四日か。なるほど」

 県立西が丘高校は二月の十二、十三の二日間の日程で入試が行われ、その間はもちろん生徒はお休みになる。

 だが、ほぼ身内である茉莉が受験していたので、文妻としては全く気が休まらない二日間であった。帰ってきたら自己採点に付き合い、翌日への最終確認をする。

 本来の身内であるところの姉、千里は勉強が得意とは言えないので全く指導には加わらず、その親御さんに至っても何故だか絶大な信頼を寄せている文妻に任せっきりという状況であった。

 まぁ、昨年の受験で、受かるかどうか微妙だった千里を合格に導いた実績があったからこそなわけだが。

「ん、まぁ、例年通り、千里と眞君はくれるんじゃないかと思うがな、うん」

 幼馴染の女子二人の名を挙げた文妻に、南はふん、と鼻を鳴らして応じる。

「まぁ、そうだろうな。それは俺も勘定に入ってる。だがよ、おまえはそれだけじゃ終わんねぇだろって話なんだがな」

「そうかぁ?」

「……おまえ全く自覚ねぇのかよ」

 南の脳裏には、二年生に進級してから、文妻の周りに現れた女子の姿が走馬灯のように甦る。と渋面になった南は、けっ、と毒づいた。

「あー、なんだか気分悪くなってきた。おまえは甘いもんに埋もれて死んじまえばいい」

「嫉妬かい、南。今日という日にそれは、あまり褒められたもんじゃないと思うけどね」

 突然の声に振り向くと、そこには二人の共通の幼馴染、化学部部長である東海林しょうじ眞君まきみがいた。部活の時とは違い、眼鏡も白衣もまとっていない。こうして見ると、極めて清楚な女子生徒に見える。二人とは別のクラスである東海林が、朝っぱらに訪れるのは極めて珍しかった。

「よぉ、眞君。朝っぱらから何の用だ」

「まさに今、二人が話していた事で来たのさ。はい、ハッピーヴァレンタイン」

 ともすればがさつに見られがちな眞君からは想像もつかない、かわいらしいラッピングの包みが二人に手渡される。

「ま、市販品だから、味は保証付だよ」

 例年通りの全く色気のない台詞に文妻と南は苦笑しつつもお礼を述べる。

「ありがとな、眞君。このお約束のやり取りも、無きゃ寂しいもんだしな」

「んだな。突然乙女チックな渡し方なんかされてもそれはそれで怖ぇ」

「言ったな、南。よし、では来年はこのぼくも、なけなしの女子力を振り絞ってやろうじゃないか。惚れてから後悔しても遅いからね」

「だァれが」

 幼少期からのいたずらトリオは、顔を見合わせて笑う。

「んじゃもどるよ。またそのうち」

「おうよ」

「んじゃな」


 眞君と入れ替わるように、教室を覗き込んだのは、もう一人の幼馴染、矢羽千里であった。

「あぁ、いたいたよかった。はい、南くん、ハッピーヴァレンタイン」

「あ、あぁ、ありがとよ」

「そんじゃね」

「え、あれ、千里、誰か忘れちゃいませんか?」

 全く存在を無視された格好になった文妻が声をかけると、千里は少しばつが悪そうに頬の辺りをかいた。

「あ、うーんとね、南くんがいる前で言うのもなんなんだけどさ、あんたの分、まだないんだよね。だからその、放課後調理研まで取りに来てくんない?」

「まだないって」

「いやさ、ほら、お世話になった色々な人に作ったりするからさ、結構な量になっちゃうのよね。それで、まぁ、その、あんたのは後回しでいいかなって思ってたら間に合わなくってさ。学校でも作れるからいいかって」

「まぁ、いただくものだから文句はないけどな。最近千里、割と俺のことぞんざいだよな」

 若干の冷たい目つきで文妻がにらむと、千里はあわてて顔の前で手をパタパタと振る。

「そんなことないって。昔からこうだったでしょ? まぁ、とにかく放課後忘れずに調理研寄ってね。それじゃ」

 予鈴も近いせいか、あわてて走り去る千里。それを見送った南は、文妻に向き直ると口の端を歪めたいやな笑みを向ける。

「……なんだよその笑いは」

「いぃやぁ? 調理研ねぇ。まぁ、行ったら矢羽のチョコだけって事ぁきっとねぇよなぁ」

「いや、そうは言ってもみんな義理だぞ?」

「義理でも欲しい。それが男心ってもんじゃねぇのか?」

「ん、まぁ、そりゃ、なぁ」

 言葉を濁す文妻にもう一度、けっと毒づく南に、おずおずと声をかける者がいた。

「えっと、南くん、ちょっといいかな。ほんとにちょっとでいいんだけど」

 見ると、ちょいちょいと手招きしているのは同じクラスの咲島さきしま董子とうこである。どういうきっかけか文妻は知らないが、最近はよく南と絡んでいるようである。

「んだよしょうがねぇなぁ」

 しぶしぶといった風情で立ち上がろうとする南に、文妻はぼそっと一言。

「あれだな。百の義理チョコよりも価値のある一つってのはあるよな」

「んなんじゃねぇよ」

 振り向いて噛み付き気味に言った南をつかつかと近づいてきた董子が引っ張った。

「いいから早く来いっつってんでしょ。時間ないんだから」

「あ、いや悪ぃ。文妻が余計なことを言いやがるから」

「いいからいいから来なさいっての」

 引っ張られる南に、文妻はお返しとばかりに意地の悪い笑みを浮かべ、サムズアップをする。それを見た南は、ぐったりとした様子で董子に引きずられていった。



 時と所が変わって、昼休みの生徒会室。

 気まぐれに昼食を摂る場所を変える生徒会長、嬉ヶ谷うれしがやしのぶは、本日、お世話役でもある副会長、影山治也かげやまはるやを呼び出して食べていた。

「あぁ、カゲマル。とりあえずこれを」

 近場のスーパーのロゴ入り包装紙に包まれたチョコレート取り出して渡す忍。

「はぁ、ありがとうございます」

「はぁ、とはなんだ。気の抜けた礼ならいらんぞ」

 忍自身の渡し方も相当適当ではあったのだが、この場にそれを指摘出来る者はおらず、とりあえず影山は謝る。

「すみませんでした。ですが、まさか会長がヴァレンタインなどに参加なさるとは思わなかったもので」

「私とて人並みに季節の行事には関心があるのだぞ。それに、カゲマルには普段いろいろ迷惑をかけているからな。この機会にきちんと礼をしておこうかと思って」

 一瞬、自覚があったのか、と口に出しそうになってさすがに自重する影山。今一度きちんと礼を言うと、昼食の続きを摂り始めた。

 そのまま特に会話もなく食べ終わったところで、影山が本題を促す。

「それで会長。今日の本題はなんでしょうか」

「あ、あぁ、うん。その、だな」

 珍しく歯切れの悪い物言いの忍の次の言葉をじっと待つ影山。

 たっぷり三分は逡巡した忍は、やっと口を開いた。

「ええっとだな、文妻にも、その、チョコを渡そうと思うのだ。いろいろとまぁ、世話にもなっていることなのでな。それで、だ。どうやって渡したらよいと思う?」

 あまりにも見慣れぬ忍の様子に、一瞬思考がフリーズしかけた影山だったが、素早く立ち直って口を開いた。

「普通に渡せばよいと思いますが」

「あぁ、そうか、そうだな、普通にな」

 腕組みをしてうんうんと頷いた忍だったがはたと顔を上げる。

「普通、とはどういう渡し方なのだ? いやその、こういうのは始めてなのでさっぱりわからんのだ」

 『皇帝』というあだ名を持ち、校内無敵とも称される会長の意外な一面に、影山は先ほどから驚きっぱなしである。

「私には先ほど普通に渡していたじゃありませんか。文妻君にもそうすればいいかと思いますが」

「いや、あれではあんまりにも愛想がなかろう」

 自覚があったのか、という二度目の言葉を飲み込んで影山はまた口を開く。

「普段通りになさるのが一番よろしいかと思いますよ。それに、多少とちったりしても、笑いものにするような男ではないですよ、文妻君は」

「う、うむ。そうだな。それはわかっているんだ。でもな、何故こんな緊張するのであろうな。高々チョコを一つ渡すだけなのだがな」

 忍の意外に乙女な部分をまざまざと見せられて、ともすると浮かびそうになる微笑を、影山は必死で押さえ込んでいた。



 放課後。

 董子に呼び出されて以降すっかりおとなしくなった南はとっとと写真部部室に向かってしまったので、文妻もとりあえず腰を上げ、まずは占い研の体験会会場へと向かった。

 既に部長予定の一年生、宮川みやがわ由比香ゆいかと、まるでバレー部員のような日焼けしたショートカットの時任ときとう夕見ゆみの二人は既に設営を始めていた。

「お、文妻くんいいところに」

 夕見は文妻の姿を認めると、かばんをごそごそと漁って、中から小さな包みを取り出した。

「はい、ハッピーヴァレンタイン。日頃のお世話のお礼としてはささやかだけど、一応手作りしてみたから味わってね」

「時任料理出来るのか」

 ある意味失礼な文妻の問いに、夕見はにっこりと笑って答える。

「ん、まぁ、一通りね。今一人暮らしだしさ」

「そいつは初耳だ」

「そうだっけ? それよりもさ、茉莉ちゃん、どうだった?」

 昨日受験を終えたばかりの茉莉は、入学後にここ、占い研に入る予定になっている。部員三名を揃えないと正式な部活として認められないのだが、今の占い研は文妻のごり押しもあって仮活動を認められている状態なのだ。これでもし、茉莉が入学出来なかったら、来年占い研は年度最初からは活動出来なくなるのである。

「自己採点では何とかなりそうな感じだったぞ。余裕ってほどではないが、よほど他がいい点だらけじゃなければ大丈夫だろう」

「それは一安心ですね」

 少し離れたところで作業していた由比香がほっとした表情で言う。

「あとは、何とか体験会でも入れられればいいんですけどね」

「ま、こっちは地道にやるしかないからな。頑張れよ」

「はい、もちろんです。あ、ちょっと待ってくださいね。私もチョコ持ってきたんです。夕見センパイみたいに手作りじゃないんですけど」

「いやいや、気持ちだけでもうれしいもんだ」

「いえいえ、先輩にはこんなにお世話になってるんですから、こういうお礼はきちんとしないとですね、」

 と、かばんをごそごそとかき回しながら言う由比香だが、程なくその手がぴたっと止まった。

「あ、あれ。えーっと、その、ごめんなさい。先輩のチョコ、うちに忘れて来てしまったようで」

「相変わらずどじっ娘だねぇ、由比香ちゃんは」

「いやもう、ホントに、大事なところで決めきれないんですよねぇ、いっつも」

 心底がっかりして肩を落とす由比香を文妻は慰める。

「別に今日じゃなきゃ渡しちゃいけないって法もないんだし、気持ちだけでももらっておくって。ともあれ、今日も体験会頑張れよ」

「はい、ホントごめんなさい。で、先輩はどこか行っちゃうんですか?」

「あぁ、調理研に呼び出されてるんで、とりあえず顔出してこないと」

「ふぅん」

 にやにやと見つめる夕見に、文妻が何か言い返そうと口を開いた瞬間、目の前にタロットの束が差し出される。

「さ、文妻くん一枚引いてみようか」

「え」

 占い嫌いの文妻は、少々いやな表情をしながらも、束の真ん中辺りから一枚引いてそのまま右にめくる。

 天使が杯から杯へ、水を移し変えている姿、その逆位置。

「ほほう、ある意味思ったとおりだねぇ。『節制』のカードの逆位置。生活や習慣の乱れ。不摂生には気をつけないとね。特に、、とか」

 いささかいたずらっぽい笑みで見つめられ、文妻は眉をしかめたが、やがてこらえきれなくなって吹き出した。三人の笑いが、占い研の仮部室に響く。


 一方、ホームルームが長引いた忍が文妻のクラスに行った時には、既に教室はもぬけの殻であった。

 チョコレートを渡すつもりが当てを外されて不機嫌になる忍。

「まったく、何故今日に限ってホームルームが延びるのだ。少しはこちらの都合というものも考慮してもらいたいものだな」

 つい身勝手な内容の独り言をつぶやいてきょろきょろ周りを見回す。

「ふむ、とりあえずは占い研であろうかな」

 チョコの入ったかばんを大事そうに抱えると、忍は占い研の仮部室へと向かった。


「うーっす」

 いつもどおりの軽いノリで調理実習室に入ると、既に調理研のメンバーは勢ぞろいしていた。

 部長の矢羽千里、副部長の鈴城量子すずしろりょうこ、一年生の君川利恵きみかわりえ南山みなみやまさつき。

「遅かったね、文妻くん」

 量子が言うと文妻はややばつが悪そうに頭をかく。

「まぁ、一応今面倒見てる占い研を先に回ってきたもんでな。んで、もう調理は終わったのか?」

「え、別に今日は何も作る予定はな」

「ああ、えっとね、今からそう、仕上げをしておしまいなんだ。ね、利恵ちゃん」

「は、はい、そうです」

 何故か量子の台詞をさえぎった千里の言葉に利恵が答えつつ、冷蔵庫からそれを取り出す。

「えっと、フォンダンショコラです。今から仕上げに、レンジで暖めますね」

 レンジに入れる利恵の手元を覗き込んで、文妻の目が輝いた。

「あ、あの中からチョコがとろっと出て来るあれか。あれ美味そうだなぁって常々思ってたんだよな」

「へへへぇ。一応これ、調理研全員からのヴァレンタインって事で」

 照れたような笑みを浮かべながら言う千里に、量子が補足する。

「主に、千里と利恵ちゃんね。あたしとさつきちゃんの手も入ってるけど、一応、おまけ程度って事で」

「よ、余計なことは言わなくっていいの!」

「そ、そうですよ」

 耳まで真赤になった千里と利恵が抗議する。

 対する量子は、にっしゃっしゃっしゃと、あまり上品とは言えない笑い方をしていた。

 温まったフォンダンショコラを四人の女子に見つめられながら食べた文妻は、片づけを手伝おうとしたのだが、

「今日はそこまで自分たちでやらないと意味ないのよ」

という千里の台詞とともに調理室を追い出され、何となく校舎をさまよっていた。

 すると、はるか後方から文妻の名を呼ばわりながら高速で近づく人影が迫ってきた。

「よかった、何とか会えて」

 部活に向かうところだったのか、ジャージ姿の女子空手部主将、上坂陽子うえさかようこの姿がそこにあった。

「はい、チョコレート……って、何驚いてるのよ。今日が何の日かくらいわかってるでしょ?」

「そりゃもちろんだが、まさか上坂からもらえるとは思わなかった」

 途端に、文妻の頭に小気味のいい音が響く。陽子が頭を引っぱたいたのである。

「あいった。痛えよ」

「一応、こういう義理はきちんとしておかないと気が済まないのよ。そりゃ似合わないでしょうけどね」

「あぁ、いや似合う似合わないじゃなくてな、俺が、上坂に、もらえるとは思ってなかったって意味でだな」

 少々傷ついたような表情を見せる陽子に、文妻がやや焦りながらフォローをすると、きょとんとした表情で一言。

「あげるに決まってるじゃない。何言ってるの?」

「え、あ、そ、そう」

「そりゃ、迷惑もいろいろかけられてますけどね。お世話にだってなってるんだから、私が文妻に対して義理を欠くようなことはしないわよ。当然でしょ」

「そ、そっか」

「んじゃ、戻るわ。部活抜け出してきちゃったからね。占い研もいいけど、うちにも顔出しなさいよ」

 あまり見憶えのないいい笑顔で陽子が手を振って走り去っていく。まっすぐに向けられた厚意に、この男には珍しく、文妻は照れていた。


 占い研、調理研と顔を出し、いずれも去った後と訊いて忍はいささか途方に暮れた。もう時間も時間なだけに、そろそろ帰っていてもおかしくない。

 困り果てていたところで、急に忍は思い当たった。

「そうだ。帰っていなければ、昇降口で待ち伏せればよかったではないか」

 何故こんな単純なことが思い当たらなかったのか、と思いつつ、忍は昇降口に向かい、そしてまたはたと気が付いた。

「この季節、昇降口で待ち続けるのは寒いな」

 ちなみに本日の最高気温は五度である。真冬並み、というか、今がまさに真冬。

 今度こそ本当に途方に暮れかけた途端。

「おう、嬉ヶ谷。こんなところで何やってんだ」

 廊下の真ん中でたたずむ忍に、誰あろう文妻が声をかけてきたのであった。

「あ、えっと、京司郎、おはよう」

「もう夕方だよ」

 心構えも何もないままに遭遇して、忍は一瞬で真っ白になった。そうと知らない文妻はいつものままツッコみ返す。

「あ、ああ、うんそうだな。もう放課後だ。うん、えっと」

 さすがの文妻も、ここで忍の様子がおかしいことに気がつく。

「嬉ヶ谷、どうかしたか、具合が悪いのか?」

「い、いや、そんなことはない。頗る快調だぞ。生徒会長だけにな」

 普段こんな駄洒落を言うような人間ではないのである。

 さすがに不安になった文妻は、身を屈めて正面から忍の顔を覗き込む。三十九cmある身長差が一気に縮まる。

「熱でもあるんじゃないのか」

「い、いや、大丈夫だ。いささか緊張しているだけで」

「緊張?」

 怪訝そうな表情になった文妻を至近距離で見て、忍は何故だか急に落ち着いてきた。

「あ、ああ、うん。もう、おおよそ大丈夫だ、うん」

「ならいいんだが」

 すっと、文妻が立ち上がる。

 忍は軽く呼吸を整え、改めて文妻を呼んだ。

「京司郎」

「なんだ」

「えっとだな、日頃から大変お世話になっているお礼として、こんなものを用意したので受け取ってもらいたい」

 と、かばんから、こぎれいな包みを取り出す。

「まさか嬉ヶ谷もヴァレンタインか」

「それはまぁ、私も女子の端くれだ。こういう、わかりやすく感謝を表せるイベントならば乗っておきたいと思う程度にはな」

「そうか、んじゃありがたく受け取っておこう」

「うむ」

 差し出された包みを受け取ってためつすがめつする文妻。それを見つめていた忍は、また緊張がぶり返してきたのを感じた。

「あ、あれ? 渡したのだからもう緊張する要素は何もないはずなのだがな」

 ぼそっとつぶやいた言葉に、文妻が眼を合わせる。

「ん? どうかしたか、嬉ヶ谷」

「あ、いや、あの、その、だな」

 そう、伝えねばならない言葉が、忍にはあったのだ。

 ただの一言なのに、それを目の前のこの男に伝えようとするだけでとてつもなく緊張する。何の変哲もない、特別な意味などない、そのままの意味の言葉であるはずなのに。

 こんなときに限って、この男は余計な事を言わずにただ忍が口を開くのを待っている。じっと、優しげな眼で見つめながら。

「え、えっとだな、京司郎、その……」

 口ごもり、意を決す。

「これからも、よろしく、お願いします」

「あ、うん。こちらこそ」

 お互いに、ぺこりとお辞儀をし合って、眼を合わせて微笑みあう。今までに感じたことのないような、何となくくすぐったい空気が二人を包んでいた。


 生徒会室に戻るという忍と別れ、文妻が昇降口へ向かうと、南がちょうど靴を履き替えていた。

「なんだ、ナンシュウ。ずいぶんと早いな」

「お前は時計を持ってねぇのか。結構な時間だぞ」

 確認すると、もうそろそろ午後五時。日も大分傾いている。

「ありゃホントだな。とりあえずは一緒に帰るか」

「んだな」

 男二人、並んで下校。

 南はふっと文妻のかばんに眼をやった。

「やっぱ大分もらったようだな」

 教室で別れたときより明らかに膨らんでいる。

「ん? あぁ、えっとな眞君の他には……」

「いや、言わんでいい。大体想像がつく」

「さよけ」

「まぁな」

「んで、そっちはどうだったんだよ」

「ん、まぁ、思ったよりかはもらえたな。咲島は全く想定外だったが、写真部の後輩の子にももらった」

「ほぉ。んで、咲島とはどうなんだ? ん? 最近妙に仲がいいようだしなぁ」

「まぁ、接点は増えてるがな。義理だってものすごい強調されたから、誤解のしようもねぇよ」

「ほほぉ」

「……なんだよ」

「いやなんでも。はぁん。しかしいいねぇ。俺もなんかこう、そういう話がありゃいいんだがなぁ」

「……おまえは一度馬にでも蹴られてきやがれ」

 苦々しく言う南に、本気でわからないという表情を向ける文妻。

 何なら今俺が蹴っ飛ばしてやろうか、と半ば本気で考える南であった。

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