化学部長の陰謀 ~化学部存続篇~ ①

 全国的に、文科系、特に理系部活への関心が低くなっていて、部員数も減少の一途をたどっているのだそうだ。

 部活動が盛んなことが知られるここ、県立西が丘高校においても、それは例外ではなく、この四月より、化学部、天文部、地学部、生物部、物理研究会、電子工学研究会を、総合科学研究部として統合する、という話が生徒会から発案された。

 各部とも、三名未満の部員しかおらず、部活存続条件を満たしていないため、というのがその理由である。

 とりあえずは内示が出ただけで、正式な話し合いはなにもない状態だが、看板はどうあれ、活動さえ出来ればいいという実際家が多いと思われるため、特に波乱なく統合は進むものと関係者は見解を一致させていた。

 ただ一人の例外を除いては。


 一月も半ばの某日放課後。特別棟へ向かう二階渡り廊下を、白衣を制服の上から羽織り、伊達眼鏡をかけたいつもの格好で、化学部部長、東海林しょうじ眞君まきみが歩いていた。

 目的地は化学準備室、つまり、化学部部室である。

 眉根を寄せた、不機嫌そうな表情は、常の東海林にはあまり見られない表情だ。

 だが、渡り廊下を通り抜けるころ、その鼻に芳しいコーヒーの香りを感じると、その眉も少しゆるんだものになった。

 部室の扉を開けると、想像通りの人物が、コーヒーサイフォンを使っていた。人呼んで部活ジプシー、文妻ふみつま京司郎きょうじろうである。

 その姿を見た東海林の表情は、限りなく笑顔に近くなる。

 実はここ化学部部室は、校内で唯一、サイフォンでコーヒーを淹れられる場所であり、文妻はしばしば通って、勝手に淹れて飲んでいたのである。

 そこまで気兼ねがないのは、東海林が調理研部長、矢羽千里やばねちさとに次いで、文妻との付き合いが長いせいもあるのだが。

 今日も豆持ち込みで、主が現れるよりも先に勝手に入り込んでコーヒーを淹れていた。

 東海林はちらりとサイフォンを確認すると、無言のまま戸棚からビーカーを二つ取り出した。

 文妻は、東海林に見向きもせずに、ガラス棒で上段の濃い色の液体をかきまぜている。

 ほどなく、アルコールランプの火を消した文妻は、そこで改めて、東海林に目をやった。

「お邪魔してるぜ、部長殿」

 東海林は無言のまま、手に持ったビーカーを、ちんちん、と鳴らしてサイフォンの横に置いた。

 心得た文妻は、抽出の終わった黒い液体を、二つのビーカーに均等に注ぎ込む。

 ビーカーを受け取った東海林は、卓上のタッパーからスティックシュガーを三本取り出すと、一度に封を切ってビーカーに注ぎ込んでガラス棒でかき混ぜ、熱そうに少しすすって大きなため息をついた。

 文妻は、ブラックのまま、こちらも少し熱そうにすすって東海林を見やる。

「毎度思うんだが」

 いささか緩慢な動作で東海林が振り向く。

「ビーカーってのは、熱い飲み物を飲むには向かんな」

 東海林は無言でふーふーとビーカーを吹いて、一口コーヒーをすすり、億劫そうに口を開いた。

「ま、化学部員として、飲み物をビーカーでいただくのは美学のようなものだからね」

「……なんか、ずいぶん疲れてないか?」

 ほとんど恒例のようなやり取りだが、返す東海林の口調に違和感を覚えた文妻が、眼鏡の奥の眼を覗き込んだ。

 普段はアクティヴさを感じさせないながらも、ある種の目力を感じさせるその眼は、とてもだるそうに見える。

「かもね」

 ちらっと、一瞬だけ文妻と視線を合わせた東海林は、いささか眠気を感じさせる緩慢な動作で、また一口コーヒーをすすり、大きなため息をついた。

「ずいぶんと、久しぶりじゃないかな」

 視線を合わせないまま、少々不満そうに聞こえる口調で、東海林がいうと、文妻は少しバツが悪そうに頭をかいた。

「いや、まぁ、いろいろと忙しくてな」

「京司は大概、忙しそうだけどね。しかも自分からいろいろと抱え込んで」

「返す言葉もないな」

 このアクティヴな男には珍しい、疲れを感じさせるため息を聞くと、東海林は立ち上がって、棚からチョコレートクッキーを出してすすめた。

「ほら、疲れた時には甘いものだ」

「ありがとうよ」

 遠慮なく手を出して、もしゃもしゃと食べ始める文妻。

 東海林自身はクッキーには手をつけず、コーヒーを熱そうに、ゆっくりとすする。

「占い研はどうなってるんだい?」

 ぼそっと呟かれた言葉に、文妻は振り向いた。

「まぁ、順調と言えば順調、かなぁ。って、知ってたのか」

「あれだけいろいろと派手に動いておいて、ぼくの耳に入らないとでも思ってたのかい? 今も通って来たけど、占い体験会自体は盛況みたいじゃないか」

「まぁ、一応な」

 文妻は苦笑いで答える。

「占われてみたい、と思う人間がいても、自分で占ってみようという人間はなかなかいないもんでな。盛況ではあるが部員獲得には今のところつながってない」

「ふーん。しかし、占い嫌いの京司が、占い研公認活動の片棒を担ぐのは少々意外だね。どんな成り行きだったんだい?」

「成り行きと言ってもな」

 文妻は少し顎に手を当てて考え込んだ。

「むりやり、泣きつかれたとしか」

「ふーん」

 ふと気付くと、東海林は文妻をじっと見ている。

「な、なんだ。どうかしたか」

 妙な居心地の悪さを感じて、軽く身を引くと、今までの無気力そうな感じがうそのように、東海林はにやぁ、と笑った。

「京司は」

 口を開いた東海林に、文妻はさらに身を引く。それを追いかけるように、東海林はずいと前に身を乗り出した。

「ぼくの味方だよね?」

「と、時と場合による」

「昔の約束を忘れたのかい?」

「う……って、それはガキの頃の話だろうが」

 微妙に視線をそらしつつ、じりじり後退する文妻を追い詰めるように、東海林はずいずい文妻に詰め寄る。

「子供の頃だろうが、約束は約束だよね」

「そ、それはまぁ。だがな、違法行為とか、社会正義に反するような真似をしたら、俺は止めるとも言ったな?」

「大丈夫。今まで一度だって、そんなことはしたことなかっただろう?」

「そりゃまぁ」

 警戒心をむき出しにしながら、文妻はあいまいな返事をする。

「うちの存続が危ないって話は聞いてるかい?」

 文妻の様子を意に介さず、東海林は話を続ける。

「あぁ、理系部活統合の話か。統合後の部長はほぼ眞君で決まりだって評判まで聞いてるぞ」

「それなんだけどね」

 姿勢を正し、コーヒーを一口すすって、東海林はにっと笑ってみせる。

「化学部は、というか、ぼくは、だね。その話に乗らないつもりなんだ」

「と、いうと?」

「少なくとも、ぼくの卒業までは、化学部を存続させたい」

「そうか、頑張れ」

「頑張れ、じゃないよ」

 まるっきり他人事で適当に相槌を打つ文妻を少し睨みつける東海林。

「は?」

「京司に手伝ってもらいたいんだ」

 笑顔で言う東海林に、無言で眉間をおさえる文妻。

「手伝うって何を?」

「だから、化学部の存続活動」

「そうは言ってもな」

 迫りくる大変な面倒事の予感に、渋面を作って抗おうとする文妻。

「俺に何が出来ると? 化学部の活動については何一つ知らんぞ。ここにはコーヒー飲みに来てるだけだしな」

「そんなに、大したことをやってもらおうとは思ってないよ」

「そうかぁ?」

 こういう頼み方をして来た時に、大した内容でなかったことはほとんどない。文妻は訝しげな表情を隠そうともせずに、東海林を見やる。

「作戦を考えて、生徒会と交渉する。簡単だろう? 占い研がらみでもやってたようだし」

「俺にまた、嬉ヶ谷と事を構えろと?」

 あからさまにいやそうな顔をする文妻に、東海林はあくまでも笑顔を崩さない。

「別に喧嘩をしに行くんじゃないよ。あくまでも交渉だよ、交渉。文化祭からこっち、会長とも仲良くやってるみたいだし、学校内でも彼女にはっきりものを言える人間は限られてるからね。京司以上の適任をぼくは思いつかないんだけど。それにこの際、しばらくほったらかしにした幼馴染の頼みを聞いてくれてもいいんじゃないかな?」

 文妻としては、占い研がらみで生徒会長である嬉ヶ谷うれしがやしのぶに無理難題を吹っ掛けた直後だけに、是非とも遠慮したい役回りではあった。しかし、東海林の頼みは、昔から断りづらい。

「そう言えば、文化祭のエキシビションの賞品、調理研の予算増額だったんだっけ?千里の頼みは聞いてあげても、ぼくの頼みは聞いてくれないのかな?」

 はっきりと断らない文妻に、東海林はここぞと追い打ちをかける。そしてダメ押し。

 伊達眼鏡の奥の瞳を、キラっと輝かせ、実にいい笑顔で文妻を見つめる。

 文妻は、この何とも無邪気に見える―――実際見えるだけで邪気満載なのだが―――に昔からなぜだか勝てないのだった。

「わかった、わかったよ」

「京司ならそう言ってくれると思ったよ」

 無理やり言わせたくせに、とは思っても口に出せない。

「ともあれ、詳しい話は明日にしよう。占い研がああだから、しばらくは手が空いてるんだろう?」

「いや、別に、占い研だけが俺の活動場所ってわけでもないんだが」

「せっかくだから、外で何か食べながら話そうか」

 文妻の言葉を全くスルーして、東海林はにっこりとほほ笑む。

「おごるからさ」

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