外伝・七不思議の鏡
夕暮れの校舎は、意外と薄暗い。
廊下や、無人の教室には、其処此処に闇が蟠っているようだと、
秋の陽が落ちるのは早い。少し前まで明るく照らしていた夕陽も、裏山に隠れてすぐにみえなくなってしまう。
その後は徐々に消えていく残照と、それを追い立てて濃くなっていく夕闇の描くコントラストが、明度を下げながら変化していくだけ。
特に何かがあったというわけでもないのに、アンニュイな溜息を一つつくと、鞄をひっつかんで、教室を後にした。
徐々に暗くなっていく窓の外を見ながら、溜息をつく人物がここにも一人いた。
非公認組織、占い研究会唯一の構成メンバーであるところの、ユゴス宮川こと
占い研の公認組織化を目指して、占いの押し売りで成果を上げる活動をしている彼女だが、最近の成果ははかばかしくない。
今日も今日とて、特にターゲットを捕捉することも出来ずにふらふらするだけで下校時間になってしまい手ぶらのまま帰ることになってしまったのである。
夢中で探し回っていた状態から、ふっと我に返ると、校舎の中がもうかなり薄暗くなってることに気が付いた。
広く取られた窓からの陽光を取り込む作りになっている校舎の中は、蛍光灯の明かりがあるにせよ、外の明るさにかなり左右される。
柱や教室の扉などで結構陰になる部分があることに改めて気がついた由比香は、なんとなく視線を感じたような気がして、ゾクっと背筋を振るわせた。
「…………帰ろ」
一秒ごとに濃くなる夕闇の中、由比香は小走りで、鞄を置きっぱなしにしている教室に向かっていった。
茶道部員、
今日は部長の
ただでさえ校舎の影に当たる茶道室は、既に蛍光灯の光以外は真闇と言っていいくらいに真っ暗になっていた。
一年生の千尋にとっては、この高校で初めて迎える秋である。意外に陽が暮れるのが早いな、と、窓の外をぼうっと見ていると、ぱちっという音と共に、周囲が急に暗くなった。
見上げると、天井の蛍光灯が、切れかかっている。
ゆっくりと明度を増すと、またすぐにぱちっという音がして暗くなる。
明日換えてもらわなきゃな、と思いながら、千尋は職員室に鍵を返すべく歩き出した。
ふっと、背後に気配を感じて立ち止まる。
振り返ると、相変わらずぱちぱちを音を立てる蛍光灯。
その蛍光灯が照らしきれない影の中から、何かの視線を感じたような気がして、千尋は早歩きで職員室に向かっていった。
バドミントン部所属、
一卵性のため、見た目の区別がつきづらい上、本人たちもそれを意識して髪形を同じにしたりするので、下手をすると両親にすら区別がつかない有様であった
試合が近いため、ダブルスの練習を居残りでしていた二人は、ユニフォーム姿のまま、薄暗い校舎に戻ってきていた。
今日は二人とも、お下げに結った髪形で、その長さも見分けがつかないくらい同じである。
「だいぶ汗かいちゃったね、沙綾ちゃん」
「そうね、真綾ちゃん」
薄暗い校舎の中に、白いスコート姿がぼうっと浮かび上がる。
「シャワー浴びてたら遅くなっちゃうね。今日はまっすぐ帰ろうか、真綾ちゃん」
「そうね、沙綾ちゃん」
既に部室も閉められている時間である。二人は校舎内の更衣室で着替える事にして、教室の鞄を取りに向かっていた。
職員室に鍵を返してから忘れ物に気がついて、千尋が教室に戻ると、そこには由比香がいた。
窓の外をぼうっと見ながら、鞄を抱えている。
「あれ、宮川さん、どしたの?」
「あ、神崎さん。いや、ちょっと暗くなったなぁって思って」
なんとなく顔を見合わせて笑いあう二人。
「折角だし、昇降口まで一緒に行く?」
「ほんと? いやー、心細かったんだよねぇ。うれしいなぁ」
千尋の提案に、由比香はぱっと顔を輝かせた。
「んじゃいこっか。早く帰らないと、真っ暗になっちゃうよ」
鞄をつかんで走るように扉に向かった由比香に、千尋は苦笑しながら追いつく。
南周は、眉をしかめながら、昇降口に向かって歩いていた。
別に取り立てて臆病とか、超常現象を信じているとかいう訳ではなかったのだが、こうも暗い校舎を歩いていると、お定まりの七不思議が思い出されてくる。
例えば。
この先の女子トイレでは、自殺した生徒の霊が出るらしい、とか。
この渡り廊下では何もないのに台車が転がる音が後を追いかけてくる、とか。
日暮れ時に窓から見下ろすと犬面人がいるらしい、とか。
まぁ、ぶっちゃけるとくだらない噂の類なのだが、中でどうしても気になる噂が一つだけあった。
昇降口近くにある大きな鏡。夕暮れ時のあるタイミングに白い服を来た女の子のドッペルゲンガーが出て、その姿を見ると死んでしまう、とまではいかなくても不幸になるらしいというものだ。
実は南周は、それらしいものを見たことがあったのである。
「どうにも、それ以来体が重い気がするんだよなぁ。先月はありえないほどの風邪も引いたし」
誰かいるでもないのに、つい独り言が漏れるのは、やはり不安な心の表れであろうか。
問題の鏡が見えるまで、あと階段十段前後と五歩くらい。なんとなく足取りが重くなる。
一方、一年女子二人組も、よせばいいのにそんな話題になっていた。
「んでね、一番信憑性がありそうなのが、鏡のドッペルゲンガーなんだって!」
「へ、へぇ」
実は怪談好きな千尋が、千山から聞き付けた七不思議を披露するのに対して、その手の話があまり得意でない由比香は半身で相槌を打っている。
「なんか、二年生の先輩が見たことあるらしいって話なんだよねぇ」
「そ、そうなんだ」
「怖いよねぇ」
あまり怖くなさそうにいう千尋をジト目で見ながら、由比香はブンブン首を振った。
「まぁ、ちょうどこんな時間らしいし、もしかしたら……」
いやな間を開ける千尋。由比香がごくんとつばを飲む音が響く。
「なぁーんてあるわけないよね」
千尋の笑顔に、軽く殺意がわいた由比香だった。
「どうしたの、沙綾ちゃん」
立ち止まって、鏡を覗き込んだ沙綾の横に、真綾が並ぶ。
「うん、ちょっとおでこが痛いなって」
「そう言えば、シャトルが当たってたもんね」
「うん。はれてないかなぁ」
「大丈夫そうだけど」
階段を降り切った所で、ぼそぼそと話し声が聞こえたような気がして、由比香は立ち止まった。さっき話題になった鏡は、このすぐ先にある。
「あ、あのさ」
「なに?」
「私たちのほかって、誰か残ってるのかな」
怯えたように話し掛けてくる由比香に、千尋はにっこりと微笑む。
「そうね、いてもまぁ、おかしくはないと思うけど」
「そ、そうだよね」
やや安心したように引きつった笑みを浮かべる由比香に、千尋は全くの善意でこう付け加えた。
「例のドッペルゲンガーは白い服だって。こんな時間にそんな服着てる人がいると思えないし、大丈夫だって」
「そうだね」
と、言いながら廊下の角を回った由比香の足が完全に止まった。
何事かと覗き込んだ千尋は、鏡の前で、全く同じ顔の二人の女性が、全く同じ格好でこちらを見ているのに気がついた。
その服の色は、白。
ぎぎぎぎぎ、と音を立てそうな感じで振り向いた由比香と目があった千尋は、盛大な悲鳴を上げた。
廊下の向こうから上がった悲鳴に、南周は反射的に飛び出していた。
と、やや離れた鏡の前に白い服を着た二人の女性が同じポーズで固まっている。
「ド、ドッペルゲンガー?!」
その声で二人の女性はくるっと同じポーズで振り向く。その顔を見て、南周の方からどっと力が抜けた。
「って、川村姉妹か」
「あら、南くんじゃない」
「ほんとだ、南くんだ」
家が近所で見覚えもある双子の姉妹の姿を見て、その向こうの人影に気がつく。
「さっきの悲鳴は?」
「この子達なんだけど」
「よくわからないけど、わたしたち見てびっくりしたみたい」
なるほど、とそのへたり込んだ人影に近づいた南周は、しゃがみこんでその顔を覗き込んだ。
「大丈夫か、って、ひとりは茶道部の神崎か」
「あ、南先輩」
力なく笑みを浮かべる千尋に、南周は手を差し出した。
「立てるか?」
「私は大丈夫ですけど、宮川さんが……」
千尋が抱きかかえるように支えている由比香は、完全に気絶していた。
「どうしたの?南くん」
「なにがあったの?」
まだ状況がわかってない双子に向き直った南周は、その格好をしげしげと見つめた。
「なんだ、部活上がったばっかりだったのか」
「そうなの」
「着替えに行くところだったの」
「なるほどな。んじゃ、とりあえず着替えて来い。そのままじゃ、起こしてもまたこの子が気絶する」
よくわからないながら、双子はとりあえずはうなずいて着替えに行った。
「んじゃ、わたしたちをその」
「ドッフルギャンガー?」
「ドッペルゲンガー」
「そう、そのドップラーキングと間違えて気絶したんだ」
「だからドッペルゲンガーだというに」
南周の説明に、制服に着替えて来た双子はやっと状況を理解した。その脇では、気絶までした由比香が、恥ずかしさのあまり小さくなっている。
「あ、あの、ご迷惑をおかけしまして」
「いいのよ、宮川さん」
「そうよ、気にしなくていいんだから」
双子が口々に慰めるのに、由比香はますます小さくなってしまう。
「もしかして、おまえら、よくこの時間にあの格好のまま鏡見てたりしなかったか?」
「うーん、たまにあったかも」
「たまにじゃないかも」
「なるほどな……」
七不思議の正体の一つを目の当たりにして、南周は気の抜けたような、安心したような、そんな溜息をついた。
その横の千尋は、明らかにがっかりした顔をしている。
「なんだ、神崎は不満そうだな」
「そんなことはないんですけど……七不思議が一つ減っちゃったなぁって」
そこで、由比香はぽんと一つ手を叩いた。
「そっか、他の七不思議も、案外こんな、見間違いとかが原因だったりするんですね」
千尋と対照的に、顔を輝かせて言う由比香に、川村姉妹と南周は顔を見合わせた。
ややあって、南周が口を開く。
「たぶんな」
計ったようなタイミングで、昇降口から犬の遠吠えが聞こえてきた。
「け、けけ、けけけけ、犬面……」
またカタカタと震えだした由比香を尻目に、南周は立ち上がった。
「よし、帰るぞ」
「そうね、そうしましょう沙綾ちゃん」
「そうしましょう、真綾ちゃん」
「私も一緒にいいですか? ほら、宮川さんも」
一同は、もうすっかり暗くなった校舎を足早に後にした。
この世に不思議な事があるのかどうかは、多分誰にもわからない。
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