文妻と自分(茶道部篇)
せせらぎの音。
そしてそれを縫うように響くししおどし。
「和むねぇ」
つい漏れてしまった言葉に、目の前の男はやや不満そうな表情で鼻を鳴らした。
「障子の向こうの景色が目に浮かぶようだと思わないかい?」
鼻を鳴らした男、文妻は眉を寄せ口を開いた。
「障子の向こうは学校の中庭だ」
ま、仰る通りだけど。
文妻の横では、自分、
「折角気分出そうと思って、用意してきたんだけどねぇ」
不評なようなので、スマホの音を止める。山奥で野点などとしゃれ込むような暇も人手もお金もない弱小部活なので、せめて気分だけでもと思って、環境音源のCDから取り込んできたんだけどねぇ。
十巻セットとかでしか売ってなかったので、結構な散財だったんだけどなぁ。
「カッコウの鳴き声とかもあるんだけどどうだい? 里山の四季ってシリーズでね、これが」
「いや結構」
にべもなく断る文妻。せめて説明くらい聞いてくれないものかなぁ。主人の道具を愛でるのも、一応茶事の内なんだけどねぇ。
……環境音源は茶道具ではないか……。
「おい、文妻、聞きかじりの知識ではあるが、お茶会ってのは、五感全部で楽しむもんだろう? だったら、より良い環境で楽しませようという千山の気遣いを汲むべきじゃないのか?」
今回、急遽初参加となった南、ことナンシュウから気遣いをいただく。
彼も突然言われて困っていたようだが、それなりに基礎知識を入れてきているようなのがうれしい。
「ま、ナンシュウ、今日は文妻が正客だから、そのご意向には沿うとするよ」
自分の言葉に、文妻は悪びれずに、鷹揚にうなずく。
「俺は宗孝の茶をいただきに来てるんだから、他は要らん」
と、ま、ある意味ありがたい言葉をいただいた。文妻の場合は、これで気を遣ってるわけじゃないのがまた、彼らしいというか。
ともあれ、今回は略式で、既にお菓子は手元に分けてある。今回は内々の気軽な席でもあることだし、文妻の好物の芋羊羹とした。
ま、まずは濃茶から立てるとしようかね。
正客が文妻、次客が千尋嬢、三客、と言っても、詰にも当たるわけだが、それがナンシュウ。
本来、茶道部の千尋嬢が詰に当たるべきだろうが、ナンシュウは初の茶会で、なおかつ、前が文妻では不安だろうと思いこの席にした。
ま、文妻の作法は、濃茶においては割りとしっかりとしているのだがね。
きちんと茶碗を回し、まずは一口。
「のべすぎたかねぇ?」
「結構」
と、お約束のようなやりとり。
詰のナンシュウは、頭の上に疑問符を並べながらそのやり取りを聞いている。
残り二口半、膝先に置き、紙小茶巾で飲み口を拭う。また持ち上げて、茶碗を一通り見た後で、千尋嬢の前に茶碗を置いて回した。
堂に入ったその所作を目を丸くして見ていたナンシュウは、千尋嬢が同じ所作を繰り返すのを見て、また驚いたようだ。
自分の前に置かれた茶碗に視線を向けている。
「あー。あのすするのって、正式な所作なのか?」
自分がこっくりとうなずくと、おそるおそる、真似をし始めた。茶道の所作は、やはり人の真似から入るのが一番わかりやすい。
ナンシュウの所作について、一応二三のアドバイスをしてから、薄茶に移ることにした。
とはいえ、内々では薄茶からは無礼講にするのが、習慣になっているのでここから先は、普通におやつを食べるのと変わりない状態になる。
一応、主人役の自分が用意をしていると、扉が開く音がして、仕切になっている障子にノックがあった。
……普通は障子にノックはしないと思うんだがなぁ。
「はい」
と返事をしながら、千尋嬢が開けに行くと、そこにいたのは、コンビニの袋を下げた
開いた障子から首を突っ込んできょろきょろと。
「間に合ったかな。お茶会って聞いたから、コンビニでお菓子買って来たんだけど……」
好意はありがたいのだが……何か勘違いしておられるような気がする。
「葛原先生」
「はい、えっと、部長の千山くん、でよかったかな?」
「その通りですが……先生は茶道の心得はおありでしょうか?」
「えっと、ごめんなさい、正直よくわかりません」
なるほど、先代の顧問の先生が定年で退職されてから、しばらく顧問無しだったのだが、心得がある人が来たから顧問というわけではなかったと。
「よろしい、では、自分が卒業するまでに、先生には中級くらいにはなっていただきましょう。早速明日より、修行をはじめたいと思います」
「あ、え? 修行?」
「はい。こう見えても、自分は千山流宗家で茶名をいただいている身ですから、講師の資格は充分にあります。許状もきちんと効力のあるものをお渡しできますよ。普通だと受講料がかかるものを部活の顧問をしているだけで習得出来るのだから、お得ではありませんか」
自分の言葉に怯えたような目を向ける葛原先生。にっこりと微笑んで見せると、おずおずとうなずいて
「よ、よろしくおねがいします……」
と力なく答えられた。まぁ、押し付けられたのではあろうが、顧問である以上は茶道にも親しんでもらわねば。
「時に」
と、文妻が口を挟んだ。
「薄茶はまだか」
そう言えば用意が途中だったが……この際は濃茶からやり直そう。
「本来は、入門時点であいさつの仕方からはじめ、割り稽古という、部分部分の練習を行なうのですが、今日は幸い、良い手本がおりますので、濃茶のいただき方からやるとしましょう。と、いうわけで、薄茶はその後、無礼講ではなく所作を持っていただくとしよう」
文妻はげんなりとした顔になったが、まぁ、こればかりは初心者優先ということで、お前にも存分に役に立ってもらおう。
まだ良く状況のわかっていない葛原先生をナンシュウの隣へ案内し、再び濃茶の支度をする。
座り方などは千尋嬢の説明に任せて、釜の用意をし、出来たところで向き直って講義をはじめた。
「さて、そもそも茶道というものは……」
三〇分後、足の痺れを切らせたナンシュウと葛原先生の苦悶が、茶道室に満ちたのは言うまでもない。
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