文妻と俺(2A篇)
そいつは、頬を赤く染め、潤んだ上目遣いで俺を見つめながら座っていた。
これが、身長一五五cmくらいの、ショートカットで貧乳でつり目がちな女の子だったら、その愛らしさに思わず抱きしめてしまっているところだろうが、あいにくと、やや線が細く見えるとは言え、身長一八〇cmオーバーの野郎なのでうっとうしいだけなのだった。思わずチョップ。
ああ、余計な一言かもしれんが、さっきの女性像には特定のモデルはいないことはお断りしておこう。まぁ、うちの部の後輩の子に、やや条件が合う子がいないではないが。
閑話休題。
俺のチョップを脳天に受けたそいつは、がほがほと派手に咳き込んで、恨みがましい目で俺を見上げてきた。あぁ、俺よりも確実に十cmは身長が高いこいつの視線が俺よりも低いのは、俺の机に突っ伏しているような格好だからだ。当然出た咳も俺の机にまき散らされてるわけだが、マスク越しなのでまぁ勘弁してやる。
「文妻よう」
俺が名を呼ぶと、そいつはのろのろと頭を起こした。
「そんな辛いんだったら、休めよ」
俺の言葉に、マスク越しにもごもごと、聞き取れにくい言葉を発する。皆勤賞、とかなんとか聞こえたので、みなまで聞かずとも内容はある程度把握できた。
「でもよう、文妻、皆勤賞狙いで無理して出てきて、悪化して入院なんてことになったら元も子もねぇぞ」
うう、と唸ってまた恨みがましい目で俺を見る。別に具合が悪いのは俺のせいじゃないだろうが……。いや、まぁ、一昨日は夜中まで引っ張りまわした気もするが、それは多分無関係だ、うん。
昼休みの二年A組の教室は、文妻が死にそうな顔で突っ伏している他は、特に変わりない日常が展開していた。やや同情的な視線が文妻に向けられていない事もないが、あまりのグダグダ振りに、近づく事がためらわれている様子。そりゃそうだ。この時期にこんな風邪なんか移されたら、至近にせまった定期テストの欠席、追試のコースが確定するのは目に見えている。
俺、
呆れた事に文妻は、この体調で空手部の朝練に顔を出して、女子部部長の……えーっと、なんだったけな。とにかく、そいつに『ウイルスをまき散らすな!』って一喝されたらしい。そのあと、その女子空手部ご一同に抱えられるようにして保健室に連行されたとのことなので、同情に値する話じゃないな。
養護教諭は症状が軽くなり次第即帰宅を命じたそうだが、文妻はすぐに抜け出して朝のホームルームから死にそうな顔で教室待機、そのまま午前の授業を受けて今に到ると、いうわけだ。
しかし、あれを『授業を受けた』と言えるのかね。本人は、寝てないことをアピールするつもりか、一応顔だけ上げて授業を聞いていたのだが、その有様は尋常な様子でなかったようで、特に三限の英Ⅱ、新任の
まぁ、午前の授業が終われば、残りは二限だし、帰りについては、家が近所の矢羽に任せりゃいいだろう。あいにくと俺は今日、写真部の会議があるのでそこまで面倒は見てやれん。
「飯はどうすんだ」
うぅー、と唸り声しか聞こえない。しょうがねぇ、なんか買いにいくか、と席を立とうとした所で、
「ナンシュウ」
と、声をかけられた。ちなみにこれは俺のあだ名だ。文妻命名。対抗してブンサイってあだ名をつけてやったが定着しなかった。
声のほうを振り向くと、空手部、これは男子部の方の部長、
「文妻大丈夫か?」
確か深江はE組だったな。遠くからご苦労なこった。
「ご覧の通り。今から飯を買いに行ってやろうと思ってたんだが」
「丁度よかった。これ文妻にって思って買って来た」
なるほど、学校で確保する病人食としては中々のチョイスだな。
「悪ぃな、深江。こんなとこまでわざわざ」
「いやなに、うちからのほうが購買には近いし、何より、上坂がなぁ」
苦笑気味に言う深江。上坂……あぁ、さっき名前を思い出せなかった女子空手部の部長か。
「文妻が帰宅していないって保健室で聞いてきたらしくてな、それから、ものすごくいらいらしてるのがはたからみても一目瞭然で、んで、見かねて俺が様子を見に来たってわけさ。文妻、次顔出すときは覚悟しておいた方がいいぞ」
文妻は受け取ったクリームパンをかじる手を止めて、また、
うぅとうなり声を上げた。今から先のことを思い煩っているんだろう。こいつもまたご苦労なこった。
「深江、ちと任せていいか。自分の飯買ってくる」
「おう、いってらっしゃい」
うちの購買は、一階のH組側にあるので、三階のA組側からだと割りと遠い。まぁ、弁当率、学食率が高いので、のんびり行っても売り切れてることはそうないのが利点といえば利点。それでも、人気商品についてはこの時間じゃ残ってる事はないだろうな。
行きは二年の三階廊下経由、帰りは一年の二階廊下経由で行くのが癖になってるのだが……道すがら、いろんな奴が文妻の容態を訊いてくるのには、驚くやら呆れるやら。部活ジプシー文妻の認知度と人気は大したもんだ。
途中、矢羽を見かけたので放課後の文妻の始末を頼んでA組に戻る。
奇跡的に残っていた焼きそばパンとタマゴサンド、コーヒー牛乳を手に教室に戻ると、文妻の客は増えていた。
「おかえり」
と、俺を迎える深江の他に、校則をものともせずに長髪を束ねた格好の茶道部部長、
「明後日、茶会をやろうと思ってたんだけど、これじゃぁ出席は無理かねぇ」
常に笑顔が貼り付いた面相で、なかなか表情が読めないと評判の茶道部部長が、笑顔そのままに眉を曇らせて言うと、文妻はもごもごとマスク越しに言葉を発した。誰一人聞き取れなかったようで、三人は顔を見合わせて困惑している。
「何とか治して出席するってよ」
「ナンシュウ、今のが聞き取れたのかい?」
驚いた顔でいう千山。
「まぁ、それなりに付き合いが長いし、こいつがこの局面で何言うかくらいは、単語の断片でもわかる。な?」
文妻は緩慢にうなずいた。
「まぁ、文妻くんがそうそう長いこと具合悪いままでいるとも思えないけど、早く直さないとね。会長の耳に入ったら、きっと大変だよ?」
影山は、励ましてるんだか脅してるんだかよくわからないことを言う。
この学校にいる人間だったら誰でも知ってる、『皇帝』との異名をとる生徒会長に、文妻は異様に気に入られていた。具合が悪いなんて事を聞いたらきっとすぐ飛んできて何かしら大騒ぎをするに違いない。
「今日一日はなんとか押えておけると思うけど、長引くと気が付かれちゃいかねないからね。頑張って直してね」
女の子と見まがうような外見でにっこりと言う影山だが、こいつもあの会長を押えておけるというからには相当の曲者なんだろうな。……なんだか俺も悪寒がしてきた。
昼休み終了の予鈴がなり、文妻の客たちはそれぞれのクラスに戻っていった。次の授業の準備をしながら、まだ俺の机に
突っ伏してる文妻に声をかける。
「しかしなんだな、空手部の部長といい、生徒会長といい、お前は大変だな」
みんなの来訪で少し元気になっていた様子の文妻は、俺の一言でがくっと撃沈した。
その後、午前中よりは少しましな状態で午後を乗り切った文妻は、矢羽に引きずられるように帰宅していった。
翌日。
文妻の風邪は、完璧に俺にうつっていた。
少々の熱にふらつき、鼻をぐずぐず言わせながら登校すると、何かの魔法でも使ったかのように元気になった文妻が俺を見て一言。
「いかんなぁ、ナンシュウ。不摂生はいかんぞ?」
「やかましい! 元々誰の風邪だと思ってんだ!」
という俺の叫びは、盛大な咳のおかげで全うする事が叶わなかった。
まぁ、なんだかんだ言っても、文妻はわりと甲斐甲斐しく世話してくれた。
これが、身長一五五cmくらいのショートカットで貧乳でつり目がちな女の子だったらよかったのに、とは思っても口にはすまい。文妻相手でも失礼ってもんだ。
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