西が丘高校生徒会の非日常 ~或いは文妻VS生徒会長~ ③

「しつれいしまーっす」

 ノックに比して丁寧に扉を開けた文妻は軽い口調で言うと、きょろきょろと生徒会室の中を見回した。あからさまに好奇の目である。

「本日はわざわざの呼び出しに応じていただき感謝に絶えない。君の部活動において、疑問点があるので、それについて質問したい。煩わしいとは思うが、これも予算折衝を行なうに当たって重要な職務の一つなのでぜひとも協力を……って、聞いているのか文妻」

 名を呼ばれ、初めて気がついたと言わんばかりに目を見開いて文妻は会長を見た。

「いやすまん。ここがうちの学校の権力中枢かと思うとついね」

 と、愛想よく笑顔を見せながら、勧められる前から席につく。

「んで、何だって?」

 影山には、会長の青筋が浮き出る音が聞こえたような気がした。

「ま、前置きはよかろう」

 これまで溜め込んでいたストレスも最高潮に達していたはずだが、一瞬で表情と口調を平静に戻し、会長ははじめから説明をやり直した。

「つまりだな。いくつかの部活から、文妻が部員であるとの報告を受けているのだが、文妻も知ってのとおり、我が校は兼部禁止の校則がある。故に、実際に文妻がどの部活に入部しているのか確認しようと思ったのだ。どうも、入部届けも紛失してしまっているようだしな。各部の予算配分は、部員の人数によるところが大きいので、正確な人数を把握する必要がある。ぜひ協力してもらいたい」

 事務的でありながら、好感が持てる柔らかな口調で会長が説明を終わると文妻は腕組みをして一つ頷き、そのまま考え込むような仕草を見せた。

「どうかしたか、文妻」

「どうしてもわからんのだが」

 首をかしげたまま、ぽつりと呟く文妻に、会長は怪訝な顔をして見せた。

「自分のことだろう。どの部活に入部したかくらいの事は憶えていて良いと思うのだが?」

「あぁ、そうじゃないよ、嬉ヶ谷」

 文妻の一言に、となりの席の影山と、奥で作業している生徒会執行部の面々が凍りついた。

「う、嬉ヶ谷?」

 いきなり自分の苗字を呼び捨てにされた会長がうつろに繰り返すと、文妻は視線を上げる。

「あれ? 間違ってないよな、苗字」

「あ、あぁ、確かに嬉ヶ谷であってるけど……」

 なんだか口調まで変わっている。無理もない。会長就任以来、教師も含め、己のことは「会長」としか呼ばせずにいた彼女は、少なくともこの学校では誰にも苗字呼び捨てなどという真似はさせなかったのである。

「わからんのは、何故兼部禁止が校則で決まっているかなんだが」

 流れる空気を読めていないのか、読んでいないのか、文妻は構わず話を続ける。

「いっちゃなんだが、うちの学校は部活盛んだし、さまざまなことに興味を持って活動するのは決して悪いことじゃないと思うんだが、それに対してこの校則があるメリットってのは一体なんだろうな。会長としてそのあたりどう思うんだ、嬉ヶ谷」

 二度目は衝撃よりも腹立ちが勝る。それが表に出ないように押えながら、会長は文妻の疑問に解答を与える。

「つまり、兼部すると、どの活動も中途半端になってしまうからであろうよ」

「それもおかしな話だ。うちの校訓の一つに、『自主性の尊重』ってのがあるだろ?そうやって活動を狭めるような校則を野放しにしておくのが果たして自主性を尊重していると言えるか?」

「自主性はもちろん尊重すべきだが、それも定められたルールのうちで行なうべきだろう。そうでなければただのわがままを助長する結果になって、集団生活が成り立たん」

「兼部することによってわがままが助長されて集団生活が破綻をきたす結果になるとは俺には思えんのだがなぁ。今のうちにいろいろ経験して、将来の可能性を広げておくことの方が大事だと思うんだが」

 ああ言えばこう言う文妻の弁舌に、なるほど、もっともだ、と思いかけて会長はぐっとおし留まった。気安く呼び捨てにしてくれるこいつに負けてたまるか、といささか歪んだ感情を元に、とにかく反論する。

「文妻の持論は理解した。私としても思うところはないでもない。だがいずれにせよ、現にあるルールはルールだ。とりあえずはひとまずどれか一つに活動をしぼって、出してないようであれば正式に入部届けを提出してもらいたい」

 睨みつけるような会長の視線の先で、文妻は一瞬哀れむような表情をしたが、会長と影山がおやっと思う間もなくその顔は冷笑に変わっていた。

「まさか、他でもない嬉ヶ谷の口から、そんな悪法も法なんて原則論が飛び出そうとはなぁ」

 三度目の呼び捨て。

「嬉ヶ谷、おまえ、自分が選挙演説で何言ったのかも忘れたと見えるな。それとも、昨今の政治家みたいに、受かったらもう公約なんぞ知りません、そもそも単一候補の信任投票ですからね~、とでも言うつもりか?」

 四度目。

 文妻の言葉の内容そのものも刃のように切れ込んでくるが、それ以上に、繰り返される呼び捨てで、会長の怒りのゲージが溜まっていくのが影山にははっきりと感じられた。文妻の挑発はまだ続く。

「生徒のためにならない校則を変え、行事を活性化して生徒全員の学校生活をより楽しいものにしてみせる、そのために全力を尽くす、とそう言ったろう」

 まさか、自分以外に会長がどんな演説をしたのか憶えている人間がいると、それがほかならぬ文妻だとは思わなかった影山は、驚いて会長に目を向ける。その事実に気付いているのかいないのか、会長の表情はどんどん険悪になっていく。

「俺は、あの演説を聴いて嬉ヶ谷なら面白くしてくれそうだと思ったんだが、結局はこんなもんか。がっかりだよ、嬉ヶ谷」

 会長就任以来、いや、今まで生きてきた中でも最高に無礼な挑発にキレるかと思われた会長は、静かにひとつ、深呼吸をすると一言、

「善処する」

と搾り出すように口にした。

 が。

 我慢もそこまでだったようで、だんっと机に両手をついて立ち上がると、うつむいて表情を隠しながら、口を開いた。相変わらず搾り出すような口調で。

「それはそうと文妻」

「ん?」

 まだ冷笑をうかべたまま文妻が返事をすると、会長の顔が、ゆっくりと、もちあがる。その視線は凶悪の一言。

「私はこの西が丘高校生徒会の会長だ。初対面の私にさっきから随分と気安く呼び捨てにしてくれたものだが、職務にある間はあくまで会長と呼んでもらいたいな」

 背の低い会長は立って初めて文妻の顔を正面から見据える角度になる。迫力十分の視線を受けて、文妻がひるむかと思いきや、いささか寂しげに溜息を吐き出した。

「初対面、ねぇ」

 可聴域ぎりぎりの音量で放たれたその言葉に、会長と影山が訝しげな表情をしたのもつかの間、すぐに冷笑に戻って一言。

「そうか、悪かったな、

 完璧に挑発を意図した発言に、会長がついに実力で反撃に及ぶ気になる。身構える会長の機先を、絶妙のタイミングで制して文妻はまた言葉を継ぐ。

「だが、それでいいのか?」

「なん、だと?」

 出鼻をくじかれて、身構えたポーズそのままで、文妻の曖昧な言葉を反芻する。

「会長として祭り上げられたい気持ちはわかるが、今のままでは、誰もおまえのことを会長としてしか見ないし、記憶しなくなるぞ」

「なんだ、そんなことか」

 解説されてみればなんてことはない。挑発にしてもお粗末だと、思いながら、会長が反撃に転じる。

「それでいい。私は会長なのだから、それで当たり前だ」

 何をおろかなことを、と表情でも雄弁に語りながら。

「そうか? このまま任期を終えてみろ。おおよその人間は、おまえが会長だったことは憶えていても、嬉ヶ谷忍だってことは憶えていないんじゃないか?」

 なおも言葉を重ねる文妻に、会長は怪訝な顔で応じる。

「何が言いたい」

「会長である前に、嬉ヶ谷忍個人であることを忘れたらつまらんだろと、そういうことだ」

「だが、今の私は生徒会長だ。個人である必要はない」

 なにか、今までのやり取りの中でも極め付けに無礼なことを言われている気がするのに、それが何なのかわからないまま、会長は答える。

「そうかい。それじゃ、会長になる前に、嬉ヶ谷忍として演説したことを忘れていてもしょうがないってことか」

 胸に、何かを差し込まれたような気がした。違う、そうじゃないと抗弁したかったが、口は思うように開かない。もどかしさにいらついたその柳眉が逆立つのを見て、文妻はふっと笑みを浮かべた。

「話は終わりで構わんかな? それじゃ」

 誰一人口を開かないのを見て、文妻は席を立ち、そそくさと生徒会室を後にした。

 影山は胸の中で盛大に溜息をつく。背後で進んでいるはずの作業の音も絶えたまま、誰もが固唾を飲んで会長の次の行動を待ち構えていた。

 そのまま、永遠とも思える三十秒が経過し、会長はおもむろに机の上のペンを取り上げると扉に向かって投げつけて怒鳴った。

「なんなのだあいつはっ!」

 文妻に聞こえる可能性のあるうちは怒鳴るまいと、おそらく息を止めていた会長はぜはぜはと肩で息をする。

 どすんと、元のパイプ椅子に腰掛けた会長は腕組みして黙り込んだ。

 影山はまた一つ、胸の中で溜息をつき、会長の次の言葉を、正確には怒涛のように繰り出されるであろう文妻への苦情を待ち構えた。

だが、三分あまりの沈黙の後、会長の口から漏れたのは、小さな溜息と、あまりに静かな言葉だった。

「カゲマル、私は、私自身が、嬉ヶ谷忍であることを忘れてしまっていたのかな……」

 影山が返答に窮していると、会長は発した言葉を打ち消すようにぶるぶると顔を振った。

「いや、なんでもない」

そのまますくっと立ち上がり、振り向いた会長に、凍り付いていた他の面々が作業を再開する。会長席に移動して落ち着いた会長は、程なくいつもの調子を取り戻したように見えたが、それがうわべだけなのを全員が理解していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る