外伝・西が丘高校生徒会長の日常

 生徒会の活動をご存知だろうか。

 平たく言うと、学生生活の円滑な運営維持のために、様々な決定や調整、職員との交渉を行なっており、その職務は一年を通じて激務を極める

 ――かというと、そういうわけでもない。

 実際のところは、重要案件や学校行事、生徒総会や予算折衝時期でもない限り、実に暇なのである。


 今年の生徒会長は、校則の一部改正や、重要行事の予算増額達成など、様々な重要案件を就任初の生徒総会までにまとめあげ、ほぼ満場一致で可決させた、近年でも稀に見るやり手であり、所謂抵抗勢力を、教師であろうが生徒であろうが無理矢理ねじ伏せるその様から『皇帝』とあだ名されていたが、おおよそやることをやり尽くした今は、実に暇を持て余しているのであった。

 となると、仕事が増えるのが、運動部・常設委員会管轄、生徒会副会長にして、会長官房長(非公式)、影山治也かげやまはるやである。

 その職務は生徒会長の暇潰しの相手。

 別に会長本人は、影山だけを暇潰しの相手として認識しているわけではないが、周りはおおよそ影山の役割として認識していた、というより押し付けていた。

 まぁ、実際、暴走しがちな会長を今のところ最も上手くコントロールできるのはこの男であり、本人も半分は溜息混じりながら、自分の役割を受け入れていたのである。


 生徒会室には、会計、一年F組、蓑輪みのわまことの打つキーボードの音だけが響いていた。後ろから、同じく会計の二年H組、外崎賢吾とざきけんごと会計監査、二年G組、鹿澤かざわ美和みわがディスプレイを覗き込んでいる。

 一番奥の机では、件の生徒会長がやや不機嫌そうな顔で、部屋の中に視線を走らせていた。

 影山は、その隣の机で会長の様子をそれとなくうかがいながら、会計団の作業を眺めていた。難しい顔をしながら小声で話しているところを見ると、まだ難航中であるらしい。

 と、カタカタと、細かい振動が影山の机に伝わってきた。最初あまり気にしないようにしていたその振動は、やがてカタカタからガタガタに、更にはグラグラに変わっていく。

 無論震源は隣の机の会長である。最初は貧乏ゆすりだったのが、今は明らかに、手を伸ばして影山の机を揺らしている。

 影山は心の中で一つ溜息をついて、振動の源に向き直った。

 目が合うと、精一杯に手を伸ばしたポーズはそのままに、会長は口を開いた。

「退屈だぞ、カゲマル」

「会計報告が上がるまでは、おとなしく待っている約束ですよ、会長。あと、そのカゲマルってのは止めてください」

 出来る限り、温和な表情で話そうと努めるのだが、やはり眉が微妙に寄ってしまうのは否めない。

「では『軍団』の方がいいか?」

「なんですかそれは」

 問い掛ける影山に、会長は心底驚いた、と言わんばかりの表情をしてみせる。オーバーアクションは持って生まれた性質であるらしい。

「知らないのか? あれは忍者ものの時代劇ではかなり傑作の部類に入ると思うのだが」

「残念ながら、時代劇を見る習慣はありません。それに個人につけるあだ名じゃないでしょう」

 影山の指摘に、一瞬考えるような表情をして見せたが、すぐにうなずく。

「なるほど。ではハンゾウでどうだ」

「もはや意味がわかりませんよ」

「主人公なのだが」

「そんなマニアにしかわからなそうな、迂遠なあだ名は遠慮します」

「では、わかりやすくカゲマルでいいな」

 影山の表情が、なんとも言いがたい微妙な笑顔で固まる。

 背後では、作業に没頭しているはずの会計団が笑いをこらえている気配が感じられる。

「あだ名はともあれ、会計報告を提出するまでが今日の職務ですから、おとなしくしていてくださいよ」

「だからおとなしく待っているではないか。その上で退屈だと言っているのだから、カゲマルは私の相手をしろ。お前も暇だろう?」

 そう言いながら、また影山の机を揺らしだした会長の姿から目をそらして会計団の方を向くと、蓑輪は申し訳なさそうに手を合わせ、外崎は腕組して薄笑いでうなずき、鹿澤は両手で何かを持ち上げるような動作のサインを送って来ていた。

 三人して、全く統一の取れていない仕草ながら、その伝えたい事は、曰く、もう少し時間を稼げ、という事だろう。

「わかりましたよ、会長。提出までおとなしくしていられたら、その後は今日一日、付き合いますから」

「ほほう、今日一日付き合う、と」

 口の端を歪めて、ニヤリ、としか表現しようのない笑みを浮かべる会長。

 いささか言葉を選び足りなかったかと影山は後悔したが、ここでやっぱ止め、とか言うと確実に暴れだすので、こっくりとうなずいてみせる。

「えぇ、お約束します」

「ふむ、ではおとなしく待つとしよう」

 そう言うと、その笑みもそのままに、自分の机に座りなおして会計団の作業を見遣る。多分頭の中では、影山をどこに引っ張り回そうかいろいろと考えているに違いない。


「こんな感じでしょうか」

 程なくして、蓑輪がディスプレイから顔を上げて振り向いた。

 ディスプレイを譲られた、外崎と鹿澤が交互に覗き込んで数字をチェックする。

 ちなみに会長の視線は、時間の経過と共にだんだん上がっていって、今はバイエルン王ルートヴィヒ二世も斯くや、と言わんばかりに宙を眺めている。例のニヤリ笑いのままで。

 それなりに整った顔立ちでそんな表情をされると割りと怖い。背中に寒気を感じた影山は、出来るだけ会長を視界に入れないようにしながら、会計団の最終チェックの模様を眺めていた。

「お待たせしました、会長」

 声をかけられて、我に返った会長は、声をかけた鹿澤と影山の顔を交互に見た。

「む? 終わったか?」

「最終チェックと、会長印をお願いします」

 会長は、専用パソコンを起ち上げてファイルを開くと、瞬く間に都合三件の修正事項を指摘し、修正を確認した後で電子印章を押してプリントアウトした。

 早く遊びに行きたいと思っていても、仕事には手を抜かないのが、会長の会長たる所以である。

 ちなみに、県立高校の割に生徒会備品が充実しているのは、二代前の会長と、現会長の辣腕の合作によるところが大きい。

「うむ、これで今月度の仕事は完了だな。蓑輪、外崎、鹿澤、ご苦労だった」

 ねぎらいの言葉に笑顔で応じる会計団。なんだかんだ言っても、一番仕事が多いのが彼らである。

「さて、これを顧問に提出して、今日の職務は完了だな。行くぞ、カゲマル」

「はい、会長」

「いってらっしゃい」

「頑張れよ」

「おつかれさまー」

 促されて立ち上がった影山に、会計団が思い思いに声をかける。それに手を振って答えて、会長と影山は生徒会室を後にし、職員室へと赴いた。


「失礼します。大矢先生いらっしゃいますか」

 規定どおりにノックをし、扉を開いて声をかける。普段は傍若無人が人の形をして歩いているような会長だが、流石に教員に対する礼儀は弁えている。まぁ、敵対しない限りにおいて、ではあるが。

「おー、会長。どうした」

 物理教師、生徒会およびサッカー部顧問の大矢政晴おおやまさはる教諭(三二歳)が自分の机から軽く手を上げて呼び寄せる。

「今月の会計報告が出来ましたので、提出にきました」

「もうそんな時期か、年取ると時間経つのが早いな。なんでだかわかるか? 影山」

 突然振られて、一瞬きょとんとした影山だが、少し考えて、わかりません、と首を横に振った。

「そっか、会長はどうだ?」

「さぁ、見当もつきませんが」

 あまり考えるそぶりも見せずにあっさりと答える。こういうとき、大矢教諭は説明したがってる事がよくわかっているからだ。

「それはな、今まで生きてきた時間に対して、一日の長さが相対的に短くなるからなんだな。これを、大矢の相対性理論という。俺が学会に発表するから、あちこちに広めるなよー。横取りされるからな」

「それ去年から言ってるじゃないですか」

 と、影山がつっこむと笑いが起きる、というのが毎度のパターンである。少々の雑談のあと、職員室を辞去すると、会長の顔に例のニヤリ笑いが蘇った。

「さて、カゲマル。約束どおり、付き合ってもらうぞ」

「はいはい、お約束でしたからね」

「はい、は一度でよい。まぁ、付き合ってもらうとは言え、特にすることを思いついたわけでもないのだが……とりあえずはその辺をうろつくとしようか」

 こういうのが、付き合わされる方には一番困るパターンなわけだが、文句を言えるわけもなく、影山は後ろからついて歩いていくしかない。

 まだ校内には結構生徒が残っていて、副会長を従えた生徒会長の『御成』にちらちら視線を投げたり、物陰に隠れたり、話し掛けて一蹴されたり、ちょっと雑談したりと様々に反応がある。

 まぁ、それなりに人気はあるようだ。

「ふむ、うろうろすればいるかと思ったが、なかなかいないものだな」

 無目的にうろついているようで、実はそれなりに目的があるようで、ぼそっと呟きを漏らす会長。影山には探し人に心当たりがあったが、それはまた別の話である。

 そのまま適当にうろうろしていると、背後の廊下から、影山を呼ぶ声がした。

 振り向くと、ジャージ姿の女生徒がやや不機嫌そうな表情で小走りに近づいてきていた。女子空手部部長の上坂陽子である。

「ちょっと予算の事で話があるんだけど、やっぱりどうしても、サンドバッグの新しいのが欲しいから、何とか増額してもらえないかなぁ」

 影山は運動部管轄の副会長なので、こういった相談の窓口になる。影山が話を通し、会長が決済して、会計が捻出する、という流れになっているわけである。

 だが、今年度の予算についてはもちろん確定済みで、予備費があるにはあるが、緊急に入用でもない限りは、特定部活の備品には回せないルールになっている。

 空手部は、男女部共有備品のサンドバッグの買い替えを予算折衝段階から要求していて、結局却下になったのだが、諦めきれない上坂が事あるごとに影山に要求しているのであった。

「いや、悪いけどさ、上坂さん。何度も言っている通り、緊急以外にはもう予算回せないよ。特にサンドバッグは高いから、そう簡単にはいかないってば」

「それはわかってるけどさ、そこを何とかお願いできないかって言ってるんじゃない」

 影山より少し背が高い上坂は、手を腰に当てて見下ろす形で視線を送る。やや威圧も意識したポーズであろうそれに、影山が反論の口を開くより前に、

「却下」

 と凛とした声が響いた。

 誰あろう、会長である。その声を聞いた途端、上坂の腰が半歩引けた。

 身長一四三cmしかない会長は、上坂からは完全に影山の影になっていて、その存在に気がついていなかったようだ。

 改めて会長の姿を確認した上坂は、反射的に

「んげ」

 と喉から声を漏らしていた。

「上坂。人の顔を見るなり『んげ』とはごあいさつだな」

 腕組みした会長がずいと、一歩前に出る。上坂は、さらに半歩、よろめくように後ずさった。

「あ、え、えぇ、確かに失礼だったわね。ごきげんいかが、会長。元気?」

「『ごきげんいかが』、と、『元気?』という問いかけは重複しているな。まぁ、それはともかく」

 さらに一歩、影山の前に出た会長に、上坂は辛うじて踏みとどまった。

「折角だから、生徒会の最高権者の私がじきじきに話を聞いてもよいぞ? こんな機会もあまりないと思うが」

 身長差約三十cm。だが、上坂にとっては明らかに相手が自分より大きく見えている事だろう。

「え、と、うん、大丈夫。大事に使えば、サンドバッグも、もう少し持つと思うから」

 足が自然と後ろに下がる。別に相手は武道の達人とか、怒り狂った猛獣だとかいうわけではないのに、上坂は完全に気合負けしていた。

「それじゃ、またね、会長。影山も、話聞いてくれてありがとう」

 くるっと背を向けてすたすたと早歩きで上坂は去って行った。走り出さなかったのがせめてもの矜持ってものだろう。

「ふん」

 と、会長は鼻から息を吐いて、後ろの影山を見上げた。

「上坂も存外にだらしないな。女子空手部部長なのだから、もうちょっと根性を見せても良いと思うが」

「会長を相手に回して平気な人間と言うのも、そうはいないと思いますけどね」

 少々憤然とした会長の言葉に、苦笑気味に影山が答える。

「私はそんなに怖いか? まぁ、いいけど」

 前に向き直っての呟きは、影山の耳に全ては届かなかった。

「空手部のサンドバッグの状態を確かめておけ。必要なら来年度の予算で考慮しよう。他のものは少々我慢してもらうことになりそうだがな」

「了解しました、会長」


 結局、特に目的もなく校内をプラプラするだけで放課後の大半を費やした二人は、生徒会室に戻ってきた。

 やることもないし、つまらんので帰る、と会長が言い出した為だ。

 会計団も帰って、誰もいなくなっていた生徒会室の戸締りを確認していると、窓から外を見ていた会長は突然、「あ」と小さく声を上げて置きっぱなしになっていた鞄をひっつかんで走り出した。

 何歩か踏み出して、くるっと振り向き、

「カゲマル、いいから早く着いて来い!!」

 と、声をかけると、後は一直線に階段を駆け下りる。

 腰まで伸びた長い髪が、その勢いでふわっと後ろに流れた。

 その光景に一瞬目を奪われた影山は

「今度は何を見つけたのやら」

 と、呟いて、追いかけて走り出した。


 県立西が丘高校に君臨する、身長一四三cmの『皇帝』、第二四代生徒会長、嬉ヶ谷うれしがやしのぶの暴走を止める事が出来るのは、さし当たっては自分しかいないのだから。


 なお、あだ名が何故『女帝』ではなく『皇帝』なのかは、誰も知らない謎である。


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