第六節
「あ、燈ちゃんか」
扉を開けたあかねさんは、きょとんとした様子で言った。
その言葉に、私は苦笑いをする。
「分かってなかったんですか」
「そりゃあね。ウチ、金持ちじゃ無いからカメラがついたタイプのインターホンじゃ無いのよ。しかもベルが鳴るだけのしょぼい奴だし、出てみないとわかんないの」
あかねさんは招くジェスチャーをして言った。
「そこ、門に鍵無いから開けて入ってきて」
「わ、わかりました」
私は招かれるままに江口里咲の兄、江口佑也とそのお嫁さんが暮らす家へと足を踏み入れた。
「お、お邪魔しまーす」
そこは、里咲と同じ香りがした。
懐かしい香りの中、私は応接間へと通される。
渋い障子扉を開いた先に、ソファに腰掛ける一人の男性がいた。
「初めまして。俺は
そう自己紹介をした里咲の兄に言われ、私は彼の向かいに座る。
そして、同じように自己紹介をする。
「は、初めまして、
何を話すべきかと悩む私を見て、里咲の兄は……佑也さんは優しく微笑んだ。
笑みを浮かべるその顔はどことなく里咲に似ていた。
佑也さんは身長が百七十センチより少し高い程度の背丈で、細身ではあるもののガッチリとした体格をしていた。
髪の毛は短髪で耳にはピアスの穴が空いている。
そして、そんな容姿には似合わない黒ぶちの角ばった眼鏡をかけていた。
何というか、昔はそれなりに遊んだけれどもうすっかりと落ち着いた男性と言った感じだった。
黒ぶちの眼鏡が、佑也さんの人なりの柔らかさを助長させているようだ。
「いつも里咲と遊んでくれてありがとう。まさか、里咲がちゃんと友達を作れているなんて思わなかったよ」
”あんなこと”があったからね、と佑也さんは言葉を付け足した。
佑也さんの隣に座るあかねさんは同意するように頷いた。
私が”あんなこと”について言及しようとしないのを見て、二人は察したような驚き交じりの表情になった。
「で、話があるんだって。何の用だった?」
本題に入ろうと言う意味合いなのか、佑也さんは佇まいを少しばかり整えた。
私は頷き返し、単刀直入に本題を切り出す。
「里咲が今どこに居るのかを教えてください」
「それは無理だ」
即答だった。それどころか、食い気味ですらあった。
佑也さんは悩む素振りも見せなかった。
おそらく、最初から私が持ってくるであろう話を想像し、回答をあらかじめ決めていたのであろう。
「どうしてですか」
「今はその時じゃないからだ」
あまりにも曖昧で意味がわからない回答に、私は顔をしかめた。
「君は江口家のことをどれだけ知っている?」
「……里咲が虐待を受けていて、人を殺してしまったところまでは」
「あー、なるほど。そういう話になっているのか」
悔しそうに呟く佑也さんの背をあかねさんが優しく摩る。
「大丈夫?」
「大丈夫」
「……ん」
何の確認だったのかはわからない。
佑也さんは何事もなかったかのように話を続ける。
「じゃあ、まずは誤解から訂正していかないとダメだね」
「誤解……ですか?」
佑也さんの言葉が引っ掛かり、聞き返した。
佑也さんはゆっくりと頷く。
「そうだよ」
「私、何を誤解していましたか?」
不安がこみ上げてきた。
まさか、また私は江口里咲の解釈を間違えてしまったのだろうか。
「誤解を解きながら少しずつだけれど、里咲の居場所を教えられない理由を説明していこうか」
「……お願いします」
再び、佑也さんはゆっくりと頷く。
まるで一秒一秒を噛み締めるみたいに。
「じゃあまずだけど、里咲は人を殺していない。それ、どういう筋からの噂話で聞いたのかはわかんないけど、里咲が人を殺したってその話を聞かせてもらってもいい?」
「あ、はい。えっと…………確か、虐待されて身を守るために親を殺したと……」
私の話を聞き、佑也さんはあかねさんと顔を見合わせてそれから笑った。
「そんなことはないよ、両親共に生きている。ついさっき会ってきたばかりだしね」
「うそ……」
正直、ホッとした。
里咲が人殺しではないとはっきりわかったから。
けれど、安堵すると共に一つの疑問が頭の奥へ滲み出た。
「じゃあ、どうして里咲は人殺しなんて…………そんな、ひどい
「何となく”そう”だとは思ってたけれど、やっぱり里咲は周りの子から人殺しって呼ばれてたのか」
その確認に、私は迷いながらも頷く。
これに頷いて仕舞えばまるで私までもが里咲を人殺しと呼んでいるかのような錯覚を覚えてしまいそうだった。
けれど、そんなことは全く以ってなかった。
罪悪感は微塵も溜まらない。
私は薄情な人間なのかもしれない。
「……はい。あと、人殺し一家だとも」
「うん。なるほどね。じゃあ”そのあたり”を君は知らないのか」
「……え?」
佑也さんの言葉は、里咲が人殺しであることを否定していた。
けれど、人殺し一家と言う言葉は否定していなかった。
「じゃあ今から君の知っている江口家の情報に足りない情報を足していこうか」
佑也さんはあかねさんにお茶を用意してほしいと言った。
それは、暗に部屋から出て行ってほしいと言っているものだった。
自分と私を二人きりにして欲しいと言っているようなものだった。
「大丈夫なん?」
何かを、あかねさんは確認する。
佑也さんは困ったように笑いながら頷く。
「大丈夫だから」
「そっか」
つまらなさそうに言い、あかねさんは応接間から出て行った。
「今から重い話をするけどいい?」
ダメだなんて言えるはずがなかった。
既に里咲の人生に片足を突っ込んでいる私だ。
ここで逃げ出す選択肢など、最初から無い。
私は、「はい」と返事をしながら力強く頷く。
「君は強い人間だね」
「どういうことですか?」
「気にしないで」
意味なんてない言葉だからと佑也さんは乾笑いをした。
そして、佑也さんは言葉を紡ぐ。
迷うこともなく、原稿を読み上げているのではと錯覚するほどの滑らかな滑舌で。
「江口家に虐待があったことは事実で、江口家に人殺しがいるのもまた事実だ。多分、里咲の人殺しっていう渾名は家族に人殺しが居るっていうのが曲がって伝わったことでつけられた渾名だと思う」
「そんな……」
否定的な私の言葉は佑也さんのどの言葉に対して向けられたものなのか、自分でもわからなかった。
半ば無意識に溢れた言葉だったからだ。
だから、言葉の意味すらも分からない。
分からないけれど、多分困惑しているのだと思う。
佑也さんに聞かされた”里咲が人殺しと呼ばれる理由”は、緋奈に教えられたものとは違っていた。
彼女は言った。
感情に任せ、彼女を人殺しと呼んでしまったと。
一方で、佑也さんは言った。
家族に人殺しが居ることでその事実が曲がって伝染し、いつの間にか里咲を人殺しだと呼ぶ人間ができたのだと。
私はどちらも正しいのだろうと思った。
江口家に人殺しがいて、その事実が中身を伴わずに伝播した。
人々が江口と言う名の殺人犯がいると記憶をしたところに、緋奈が油を注いでしまった。
江口の姓を持つ里咲と言う少女に、大勢の前で人殺しという残酷な言葉を吐き捨ててしまった。
結果、人殺しの江口とは江口里咲のことだと謝った情報が目撃者たちに刷り込まれた。
多分だけど、そんなところではないだろうか。
佑也さんはすぐに答え合わせをしてくれた。
「人殺しは俺だ」
「…………は?」
佑也さんの突然の告白に、私は固まる。
「江口家で人殺しだと世間に認知されているのは俺だ。実際には殺してないけれど、俺のせいで人が死んだのは事実だ」
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