第七節
真面目に語る佑也さんの顔を見て、決して戯言を言っているのでは無いと分かった。
「どうして俺が人を死なせるに至ったのか。その話は江口家の虐待と話がつながるから順に説明していくよ」
丁度その時、タイミングを見計らったみたいに、あかねさんがティーカップと紅茶の入ったポットを持って部屋に戻ってきた。
「紅茶かよ」
「いいでしょ。燈ちゃんは女子高生なんだからお茶なんてジジ臭いもんより紅茶の方が嬉しいはずじゃん」
それだけの会話を済ませ、すぐにあかねさんは部屋から出て行った。
多分、これから聞く話はあかねさんにとっても聞きたくない類の話なのだろう。
「あ、砂糖がないね」
カップに紅茶を注ぎながら気づいた様子で佑也さんは言った。
「大丈夫です。ストレートでも飲めますから」
「そっか」
差し出されたカップを受け取って口をつけると、紅茶と言うよりは紅茶の香りがするお湯。
そんなレベルでの薄味だった。
多分、淹れて直ぐだったからだ。
まぁ飲むから大丈夫なのだけれど。
などと考えているうちに、佑也さんは早速語りだす。
「俺の両親はね。昔から怒りっぽかったんだ。それこそ、俺が物心つく頃には既に”そう”だった」
「怒りっぽかったから虐待があったんですか?」
「いや、別にそういうわけじゃあない。もっと単純な話だったんだ」
「と、言うと?」
「俺の両親は子供嫌いだった。それだけ」
子供が嫌いだから、俺と里咲をストレスのはけ口として物のように扱ったんだ。
サンドバッグ宛らに殴ったりして。
それはきっと、世間でいう虐待というやつだった。
当時の俺はそんなことに気付けもしなかった。
虐待を受けることが日常になっていて、両親に痣ができるまで殴られるのが普通だと思い込んで傷んだ。
佑也さんは、「バカだよな」と自虐的に笑った。
「燈ちゃんはさ、虐待を受けた子供がどうなるか知ってる?」
私はその質問の答えを知っていた。
以前、報道番組で虐待についての特集が組まれていて、それがキッカケで興味を持ち、虐待について色々と調べた時があった。
だから佑也さんの問いの答えは分かっていた。
けれど……
「いいえ。知らないです」
私は答えなかった。
「世間にはさ、虐待を受けた子供は苦しさを知っているから優しくなるって考える人が多いんだ」
私が知らないと言った事で、佑也さんは説明をしてくれる。
けれど、その俗説は私も知っていた。
調べる中で、苦しさを身に浴びた人間は優しく育つのだという
思い出しただけで腹が立つ。
自称”良い人”達の現実から目を逸らした自己満足の崩壊論理。
倫理を謳ったつもりで倫理を蹂躙する人々の形上の正義。
そんなもの達が世に
「燈ちゃん。本当は知っていたね?」
佑也さんの言葉で、自分の顔に必要以上に力が篭っていたことを知った。
「……はい」
「そっか。じゃあ燈ちゃんの知ってる通りさ。実際のところ、虐待を受けた子供は暴力的になりやすい傾向にある」
あくまでも傾向だ。
虐待を受けた子供が皆、暴力的な人間になるわけではない。
彼ら彼女らは人格形成期以前から虐待を受けることで、愛の形を暴力としてしか認識できない。
より綺麗な形の愛を目にしたとしても、自分が受けた愛の形は暴力によるものだった。
だから、それが普通なのだと毒されてしまう。
そして、親の虐待に意味がないことをも理解し、感情の吐き出し方、ストレスの消し方などは偏った手法しか覚えられなくなる。
他にも様々な心情やら事象やらが折り重なり、結果として虐待を受けた子供の思考回路はそうではない子供と比較して、より残虐的なものになる。
偽善者達は「そんなはずない」と声を荒げるだろうが、残酷な事にこれが事実だ。
どれだけ”普通の人生を歩んできた人々”が虐待を受けた子供の可能性を語ったところで、結局普通の人生を歩んできた人々は”普通の人生しか歩めていない”。
虐待など、”受けていない以上は実態など知るはずもない”。
「もちろん俺も例外じゃあなかった、虐待を受けていたことで暴力が嫌なものだとは分かっていた。だから、俺は基本的に他人に優しくいようと心がけた。けれど、いくら優しく居ることを意識したところで俺は被虐待児だ。俺の思考は暴力的なものになっていた」
佑也さんの声には懺悔の色が濃く染み出していた。
「俺は家での虐待を耐えながら、友人達には優しく接した。そして、全ての
目の前の男性が自分と敵対する側の、他人を虐める側の人間であると知り、これまでの私だったらきっと嫌悪の色を示してしまったり、警戒してしまったりしただろう。
この人とは分かり合えない、そう認識してしまっただろう。
けれど、私は江口家の事情を知ってしまった。
里咲と佑也さんの抱えていた現実を知ってしまった。
加害者ではあるけれど被害者でもある佑也さんに、嫌悪の色を示せるわけがない。
「俺はさ、そいつとは親友だったんだ。暇さえあれば一緒にいて、自分の弱さを唯一見せていた人間だった……と思う。けれど、そいつは優しすぎた。多少キツく当たっても怒りはしなかった。だから俺は甘えてしまって、結果、俺がそいつにやることは虐めの部類に当てはまるようになってしまった」
「その人が死んでしまったんですか?」
随分と
佑也さんはそんなに焦るなとでも言うように無理に笑みを作る。
「そいつを虐め始めてしばらくして、虐めのターゲットが変わったんだ。当時、俺には好きな女の子がいた。可愛くて、頭が良くて、俺にとっては高嶺の花のような存在だった」
「まさか……」
佑也さんは、頷く。
一つ一つの己の動作を噛み締めるように。
一秒一秒の僅かな時間をも己へ刻みつけるように。
「俺はその子に告白し、振られた。馬鹿だった俺は腹いせにその女の子を虐めるようになった。幸い、俺はクラスの中心にいるような人間だったから、皆にその女の子を無視するように言って精神的な苦痛を与えた。決して、何があっても”その子には”暴力を振るわないと決めていたから、そういう手段しか選べなかった」
なのに……と繋いだ佑也さんの言葉に、顛末を想像した。
もう、待ち受ける最後は一つしか無い。
「好きな女の子を虐めるようになって直ぐ、俺はあかねと仲良くなった。その頃には既に虐めていた親友とは疎遠になっていて、自然とあかねと居る時間が多くなった。時間を重ねるにつれ、俺は必然的にあかねを好きになった。そして、俺はアイツに……佐伯に手を上げてしまった」
佐伯と言う人物が誰なのかは分からないけれど、きっと、話の流れからして
「あかねは俺を
それに従って、一人の少女を殴った。
蹴った。
犯した。
嗚咽を堪えながら吐き綴る佑也さんの顔を、私は見ていられなくなった。
自分が入ってきた応接間の扉が目に入る。
ついさっき、その扉からあかねさんは出て行った。
そんな人間には見えなかったのに、あかねさんは佑也さんに
語られる言葉は情報量が多すぎて、私はまともに理解などできなかった。
耳から音が入ってくるが、私の頭はそのどれをもまともに処理しようとはしなかった。
普段から怠け者の脳みそではあるが、今日は一層怠けて動くことを放棄している。
「全て俺が悪かった。ダメなものをダメだと認識し、アイツへの虐めを止めていればよかった。けれど、俺の頭は完全に麻痺していた。俺は虐めを続けてしまった」
その結果、高校二年の夏休みにアイツは自殺をしてしまった。
語りながら、とうとう耐えきれなくなったのか佑也さんは涙を流し始めた。
「まさかアイツがそんなに追い詰められていたなんて思わなかった。だって、アイツはいつものように明るい笑顔でいたから。だから……そんな……」
とうとう言葉に詰まった佑也さんに呆れた様子で、あかねさんが応接間に戻ってきた。
「本当は佑也が全部を話さないと意味無いんだけど、こっからは佑也が泣き止むまで私が話すから」
佑也さんの隣に今一度腰を下ろし、あかねさんは言葉のバトンを受け取る。
「実は本題はこっからなの。私たちが虐めていた女の子が自殺して、みんなが見て見ぬ振りをしていた虐めを問題視し始めた。結構省略するんだけど、私たちのせいでその子が自殺をしたと皆が言うようになった。その話は皆が家族とかにも話してさ、私と佑也は人殺しって言われて、学校で虐められるようになった。それだけならよかった」
「家族に……飛び火したんですか?」
「あんた頭いいね。正解だよ」
感心するようにあかねさんは言った。
こんな事で褒められても、なんら嬉しくは無い。
喉の奥がキリキリと痛む。
「私たちが人殺しだと言われるようになってひと月も経たないうちに、人殺しが高校に通っているなんていう飛躍した噂が流れるようになった。興味半分のメディアなんかが面白さを求めて私たちを人殺しだと大々的に
見知らぬ人が家に押しかけ、嫌がらせをして、人殺し人殺しと怒鳴った。
家族は次第に磨耗していき、その様子に耐えられなくなった。
「だから私たちは逃げた。街を捨てて、二人で私たちの事を知る人が誰一人として居ない街へと移った。偽名を使って仕事をして、なるべく人の目に付かない様に生きて、一年が経つ頃には私たちの家族への飛び火はなくなってた。でも、江口家だけはそうじゃあなかった」
どうするのかと、あかねさんは佑也さんに聞いた。
佑也さんは俺が言うからと涙を拭う。
「江口家では昔から虐待があったんだけど、その対象は常に俺だった。里咲に苦しい思いをさせるのは嫌だと思って、常に庇っていたんだ。けれど、俺とあかねの人殺し騒動があって、俺は家を出た」
「っ…………!!」
息を飲んだ。
今、目の前にいる人は被害者だ。
けれど、それ以上に全ての根源でもある。
そう理解してしまったから、私は息を飲んだ。
「俺が居なくなったところで虐待の対象が里咲になった。しかも、人殺し騒動で疲弊した両親は俺に対しての虐待よりもより酷い仕打ちを里咲にする様になった」
「………………」
開いた口から、言葉が出ない。
つまりはこういう事だ。
佑也さんが逃げなければ。
佑也さんが人を殺さなければ。
佑也さんが虐めをしなければ。
里咲が虐待を受けることなどなかったということだ。
どれだけ綺麗事を着飾ろうが、目の前の男が里咲を苦しめた事は否定しようの無い事実だ。
本当、もう驚きの感情は枯れそうだ。
このままでは、目の前の彼を殺してやりたいという感情が強く私を襲って仕舞いそう。
つい
私は、どの様な表情で彼の懺悔の唄を聞けば良いのだろうか。
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