第五節
「これが私の知ってる全て」
つまんないでしょと付け足し、緋奈は鞄をもって席を立った。
「あ、待って」
慌てて呼び止めると、緋奈は嫌そうな顔で私を見て「これ以上私に何を話させる気だ」と言った。
これ以上、緋奈から里咲について聞き出せるとは思っていなかった。
だとしたらどうして緋奈を呼び止めたのか。
理由は単純で、ただ一つだけ確認しておきたい事があったのだ。
「あなたは里咲の事が嫌いなの?」
「嫌いだね」
じゃあもう帰るから。
二度と関わってくるな。
そう言い残し、緋奈は店内から出て行った。
思わず溜め息を吐いてしまった。
緋奈から聞いた話を落ち着いて整理したかった。
私の知らない里咲は私の想像よりもずっと苦しい現実に生きていて、私なんかよりもよっぽど不幸な人生を歩んできていた。
そして、彼女の過去を何一つとして私は知らなかった。
緋奈についてもそうだ。
ただ里咲を虐めていた悪い奴と認識していたけれど、そうでは無かった。
彼女はただ巻き込まれただけの被害者だ。
多分、それ以上でもそれ以外でもない。
楽しい時間を共有するための友人関係では無い。
負の秘密を共有しあう共犯者的友人関係。
緋奈は私よりもずっと踏み込んだ関係を里咲と築いていて、私よりもずっと彼女を理解していた。
私なんかよりもずっとずっと救いの手を里咲へと差し伸べていて。
けれど、緋奈は里咲に拒絶された。
その理由は里咲を深く理解できていた緋奈にすらわからなかったと、緋奈は言った。
だとしたら、里咲が私を無視する理由など私にはわかるはずが無い。
ただの友人関係である私なんかに、わかるはずが無い。
残りのシェイクを全て飲みきり、私はマクドナルドを後にした。
時刻はちょうど六限目が終わる頃合い。
随分と長話になってしまったものだ。
緋奈には申し訳ないことをしたと思った。
「さて、これからどうしようかな」
呟きながら伸びをする。
空は青く澄み渡ってはいるが、冬を目前にした気温の所為であまり清々しさは感じられなかった。
どちらかというと、軽すぎてどこか虚実的な空のように見えた。
とりあえず駅の中にある本屋にでも行こうかと歩き始めると、不意に携帯電話が鳴った。
表示された名前はあかねさんの物だった。
そういえば、里咲の兄の家を訪れた日から一週間が経過していた。
画面に表示された通話開始ボタンを押し、「待たせたね」と言うあかねさんの言葉に「気にしないでください」と言葉を返す。
「ついさっき佑也が帰ってきてね、燈ちゃんの話をしたらすぐにでも話をしたいから呼んでくれっていうの。今からウチに来れる?」
「え……あ…………はい! 大丈夫です!」
思わず、叫ぶような声で返事をしてしまう。
かなり大きな声を出してしまったというのに、あかねさんは動じる様子を見せない。
「そ。じゃあ佑也にもそう伝えとくから」
「わかりました、ありがとうございます!」
通話が終了するなり、私は方向転換をした。
駅方面から学校方面。
目指すは里咲の兄の家だ。
十五分ほど歩いて到着するなり、インターホンを押した。
家の中からドタドタという騒がしい足音が聞こえてきたけれど、やっぱり扉は開けてもらえなかった。
もう一度インターホンを押すと、「はいはいわかりました。出ますよ」とイラつき混じりのあかねさんの声が返ってきた。
扉が開けられるまでの間、視線が表札に自然と吸い込まれた。
錦百合。
その言葉の意味を私は調べた。
錦百合という言葉はヒヤシンスと言う花の和名らしい。
それも、昔使われていた旧式のものだそうだ。
現在では和名が
なぜ、江口の姓を捨てて錦百合を名乗ろうと里咲の兄夫妻が思ったのか。
そんなこと、私にはわからない。
きっと、それなりの理由があったからこそ江口の姓を隠して錦百合を名乗っているのだ。
まぁけれど、少し気になりはするものの知りたいと願うほどでは無い。
だから、特に里咲の兄に理由を聞いたりはしないでおこう。
私が勝手に意味の無い決意を固め終わると同時に、扉は開けられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます