第二節


 学校を休んだ翌朝。

 金曜日の朝。

 梅雨入りが発表された三日後の六月二十一日の朝。


 意味もないのに五時頃に目が覚めてしまった。

 私はそのまま何をするわけでもなく、暗い天井を眺め続けた。

 その中でふと思う。


 里咲はあの日、どういった気持ちだったのだろう。

 

 感情的な私に拒絶され、感情的な私の理想を押し付けられた時。

 あの涙を流していた時。

 里咲は、一体何を考えていたのあろう。

 そう思考しながら、光源のない閉じたそらを眺め続けた。


 一時間ほど経った頃、不意に私の携帯電話が鳴った。

 音からしてメールであることは簡単にわかった。

 最近よくある怪しいサイトへの勧誘だとか、宗教勧誘のメールだろうなと少しの間だけ無視した。


 けれど、今はなんでもいいから心の拠り所が欲しかった。

 全てが自己責任ではあるが、恋人を失い、ただ一人の友人をも失った私は完全に弱りきっていた。


 もし宗教勧誘だとか怪しいサイトへの誘いのメールであるのなら、そのメールの送り主に返信をして汚くてもいいから人の心を感じようと思っていた。 


 そうやって縋った藁は、実に強靭だった。

 目の前に垂らされた蜘蛛の糸は、決して切れてしまいそうにはなかった。


 メールの送り主は、里咲だった。


『 外で待ってるから 』


 タイトルのないメールの本文には、それだけが書かれていた。

 言葉の意味は考えるまでもない。

 カーテンの隙間から外を覗き込めば、家の門の前に里咲が立っていた。

 昨日は降っていたハズの雨は、とうに止んでいた。


 私はすぐに外出用の服に着替え、急ぎ足で里咲のもとに向かう。

 階段を転びそうになりながら降り、玄関の扉を勢い良く開ける。

 その先で、里咲は嬉しそうに「おはよう」と言った。


 久しぶりに聞く私へ向けられた里咲の声はいつもの通りのままで、だからこそ、暖かかった。

 私と里咲の関係は崩れてなどいなかったのだと、直ぐに理解できた。


「うん…………おは……おはよう」


 いろいろな感情が込み上がってきて、私は溢れ落ちそうになる涙をぐっとこらえて、挨拶を返した。


「えへへ。なんか久しぶりだね」


 里咲の目を真っ直ぐに見て向かい合う。

 照れ臭そうに、里咲が笑った。

 なんだか私までも照れくさくなった。


「今日は学校をサボって散歩に行こう」


 おー! と、ひとりでに拳を天に向けて突き上げ、里咲はそういった。


「え、散歩?」


「うん。散歩」


 どうしてまた散歩なのだろうと思った。

 私が不思議そうに里咲の顔を見ていると、里咲はいつものように子供っぽさと大人っぽさを掻き混ぜたような笑みで「えへへ」と笑った。


「どうして散歩なんだろうって思ってる?」


「うん」


「それはね」


 次いで里咲の口から発された言葉は、実に子供じみたものだった。

 シンデレラストーリーを夢見る少女のような言葉だった。


「それはね。ついさっき雨が上がったからだよ」


 雨が上がったから?

 いったい、どういう事だろう。

 やっぱり私には里咲が理解できない。


「雨が上がったら何かあるの?」


 里咲にバレないように寝ぼけ眼を擦るフリをして涙を拭い、問いかける。

 すると、里咲は東の方角を勢い良く指差した。


「あるじゃない!!」


 吊られて里咲の指差す方を見る。

 すると、視線を向けたその先にはくっきりと浮かび上がった大きな大きな虹があった。


「雨上がりには宝物があるの」


「宝物?」


 里咲の言葉に、私は少しだけ首を傾げた。

 確かに虹は雨上がりに現れる宝物かもしれない。

 けれど、それが学校をサボって散歩に行く事とどう関係があるのだろうか。


 そんな私の疑問を吹き飛ばすように、里咲は言った。


「虹のふもとにはね、その人がその時、一番欲しいと思っているものがあるんだって。お兄ちゃんの友達が言ってた!!」


 大人っぽい表情で眩しそうに虹を見ていた里咲は、私の方へ視線を移すと、ニッ。と、幼い子供のように笑った。


「だから雨上がりの虹は宝箱で、その麓に在るっていう、その人がその時に一番欲しいと思っているものは宝物。だからさ____」


 朝日に照らされる雨上がりの街並みで、私に拒絶されながらも私を拒絶しないで居てくれる少女は。

 顔にその半分を覆う程の大きな火傷の跡を持つ江口里咲は。

 突き上げ、虹を指差していた腕を今度はこちらに向ける。


 差し出された手のひらは、傷もなく……とは言えないが、白くて美しい。

 私は今日、少しだけ救われるような予感がした。


「_____燈ちゃん。学校なんてサボって、雨上がりの宝物を探しに行こう」


 里咲の口から旅立った言葉は興味と慈愛に満ちていた。



 彼女の手を握り返すと、里咲は私の手をぐいっと引いて歩き出した。

 



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