第十節

「燈ちゃん!一緒に帰ろ!」

 

 またさらに翌日。里咲は当然のように、私へ一緒に帰ろうと誘い文句を投げかけてきた。

 彼女はきっと明日も同じように私を誘う。


 けれど、今日で決定的に何かが変わってしまうような、そんな気がした。

 里咲が里咲で居続けてくれる、最後の日。

 そんな予感がした。


 だから私は、彼女の誘いに気まずい沈黙を返すことしかできなかった。

 心のやり場に困り、目をそらす私を見て里咲は首を傾げた。


「最近、雅さんのところに行ってるの?」


 その話は教室ではしないで欲しかった。

 私みたいな人間に恋人が居たら、またクラスメイトが私に要らぬちょっかいを出してくるだろうから。

 

 そんな事も分からないだなんて、本当、彼女は不思議な人間で無神経で、普通は考えることができるであろう一般的な気遣いが、欠片も想像できないのだろう。


 …………そう。そうだ。

 彼女はおかしな人間なのだ。

 自分の好き勝手にゆらゆらと生きて、周りの人間を悩ませる。

 いつの日かの、凛花と圭子からの警告を思い出した。

 彼女たちは私に言った。


「アイツとの関係を切らないとマズい」


 その時、彼女たちの言葉の意味は私にはわからなかった。

 いつの日かの、名前も知らないクラスメイトからの警告を思い出した。


「あなたの人間性が殺されてしまう。まともに生きられなくなってしまう」


 その時はふざけたようにも聞こえるクラスメイトの警告の意味がわからなかった。

 皆が皆、どうしてまともな根拠も無く里咲を拒絶し、里咲と近しい位置にいる私を彼女から遠ざけようとするのだろうと、私はずっと疑問に思っていた。


 けれど、今ならば皆の警告の意味がしっかりと理解できるような気がした。

 理解できるような気がしたから、私は言った。

 いや、吐き捨てた。


「里咲ちゃんには関係ないでしょ」


 放たれた言葉は打ち震えていた。

 どんな感情に打たれたのかはわからない。

 ただ、自分では制御できないほどに震えた声が、私の口から飛び出ていた。

 きっと、人々はそれを涙声という。


 本当はこれだけで終わっておけばよかった。

 そうすれば私と里咲は互いの関係に境界線を引くことができ、丁度良い距離感を確認することができた。


 もう互いにそれ以上の距離を近付くことはなく、友達ではあるけれどどこか余所余所しい。

 そんな関係を続けることができた。

 甘い夢を見続けることができた。


 けれど、抑えていたものは少しの解放を許してしまえば止め処なく溢れ出てしまう。

 ここからは、全て私が悪い。

 私の、独りよがりな最悪の独白だった。


「もし私があの人のところに行っていたとして里咲ちゃんには関係ないことでしょ、別にその事実も理由も何も里咲ちゃんが知る必要はないでしょ、だって全部私のことだもん。里咲ちゃんのことでも里咲ちゃんの家族のことでもないんだもん。てゆーかさ、いつもそうだよね、里咲ちゃんは自分に関係のない私の土俵にいつも上がりこんで我が物顔であれこれ言ってくるよね。どうして? 私たちの関係ってそういうものじゃないよね、相手にあれこれ口を出して相手を自分の理想の形にするのが友達って関係じゃないよね、私には何もわからないよ。里咲ちゃんが何を考えているのかもわからないし里咲ちゃんがどうやって生きてきたのかもわからない。でも、それは里咲ちゃんも同じでしょ、里咲ちゃんも私のこと実は何も知らないんだよ。勝手に私の世界に入り込んできて壊さないで。私の邪魔をしないで! 里咲ちゃんは私の友達でしかない、なんの関係もない他人なんだから、私の幸せを奪わないで!!」


 そこで言葉を止め、乱れた息を直そうと深呼吸を始める頃には自分が教室にいるという事実を忘れてしまっていた。


 皆からの冷ややかな視線が私に集まり、刺さる視線と深呼吸によって取り戻した冷静な思考で、私はやってしまったと思った。

 もう、引き返すだなんて甘えた選択は許されそうになかった。


 自分自身の言葉に困惑して呆然とする私に、里咲は困ったように微笑みながら「えっと、私にはよくわかんないや」と言った。


 そして、何か言葉を選んで里咲へと返さなければと思考を巡らす私を置き去りに、里咲は逃げ出すように教室から出て行った。



 里咲は強がって笑おうとしていたけれど、その両の瞳にはわかりやすく涙を浮かべていた。


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