第6話「きっと美味しいご飯だから」

 しかし昼を回ったとはいえ、店内は盛況。テーブル席は空いていなかったが、カウンター席が3つ並んで空いていた事は僥倖だった。


「コンロがひとつひとつあるのね」


 カウンターテーブルに空いた穴を覗き込みながら、亜紀あきが珍しいと目を丸くしていた。


「そうそう。面白いんだぜ」


 ベクターフィールドが楽しそうに肩を揺らしつつ、店員を呼ぶ。


「注文、お願いするぜ」


「はーい」


 女性店員が持っているのが端末ではなく伝票というところも、ベクターフィールドがこの店を好む理由だろう。


「えと、私は普通の――」


 亜紀が自分とベクターフィールドには並、滝沢には上すき焼き定食を、と頼もうとしたのだが、滝沢が割り込んだ。


「上すき焼き定食、三人前で」


「上すき焼き定食ですね。かしこまりました」


 伝票に素早く書き入れ、女性店員は厨房へ下がった。


「先生、それはちょっと申し訳ないです」


 亜紀が申し訳なさそうに眉をハの字にしているのだが、滝沢はおしぼりで手をふきながらにこりと笑う。


「気持ちよくご馳走ちそうさせて下さい。頼み事をしたいのです」


 亜紀とベクターフィールドに懐いていた疑念は晴れていた。魔王を名乗る男が正常かといわれれば首を傾げざるを得ないし、小一時間に過ぎない道中での遣り取りが十分かと問われても同様であるが、滝沢は自分の直感を信じた。


「ごちそうになるぜ」


 ベクターフィールドは遠慮しない。


 そうしている内に、厨房から卵を入れた椀、割り下が登場する。


 それに続いてやってきたが、亜紀の度肝を抜いた。


「鍋?」



 三人の前には一人用の鍋が――しかも空の鍋が一つずつ並べられたのだ。



「自分で好きなように作れるんだぜ。面白いだろ」


 奥から具材の載った大皿が来るのを顎で指しつつ、ベクターフィールドが小さく手を叩いていた。


 白菜、ネギ、白滝、椎茸、春菊、榎茸えのきたけ、焼き豆腐を、まるで従えているかのように霜降りの牛肉が鎮座する皿は、確かに圧巻だ。定食なのでご飯と味噌汁が付くが、それがまた従者のように見えるのだから不思議なものだ。


「ほほう」


 滝沢も唸った。米3キロ相当の値段といわれれば納得できる。


 だが気になる点もある。


 ――白菜、か?


 ネギや白菜から感じられる香りが、滝沢の知っているものよりも薄い点だ。


「食べましょう、食べましょ」


 亜紀も遠慮がちだったのは皿が来るまでなのだから、現金なものだ。


 割り下を手にし、意気揚々いきようようと鍋に入れようとする。


「待て待て!」


 慌ててベクターフィールドが手を伸ばし、割り下の投入を止めた。


「え?」


 亜紀が目をぱちくりさせるのは、鍋なのだからつゆに具材をつけるものだ、と思っているからだった。


「すき焼きだからな」


 溜息交じりのベクターフィールドであるが、亜紀は「だから」と割り下を鍋に入れてしまおうとする。


甘粕あまかすさん、牛鍋ぎゅうなべは焼き物ですよ」


 滝沢の言葉は亜紀を止めた。


「割り下を入れるのは、鍋が温まったところへ牛脂を引き、肉と野菜を並べて焼いた後です」


 手早く肉と野菜を鍋に並べる滝沢。


「軽く火が通った後、割り下で味を付ける」


 肉の色が変わったところで割り下を投入した滝沢は、そこに箸を着けるのではなく、鍋を持ち上げ、亜紀の鍋と交換した。


「どうぞ」


「ありがとうございます」


「知らなかったら、すきになってたぜ」


 ケタケタと笑うベクターフィールドに亜紀は唇を震わせるのだが、滝沢も思わず笑ってしまう。


 ――こういうりができる二人が、邪悪であろうはずはない。


 自分の直感が徐々に確信に変わるのを感じながら、滝沢は自分の鍋を作っていく。


「いただきます」


 滝沢は手を合わせた後、椀の中に卵を溶き、まず気になる白菜をつまみ上げた。


 火を通しても、白菜の香りが滝沢が覚えている白菜の香りではなく、口に入れても覚えのある甘みではなかった。


 だが――、


「柔らかい」


 その歯触り、舌触りだけは特筆すべきものだ。


 滝沢にとっては噛む必要がないのではないか、という程、柔らかく、繊維質がなかったのだ。


 ネギも同様だ。


 ――香りも味も弱いが、それは欠点ではない。こうやって味と香り付けをして食べるものなら、寧ろ丁度いいあんばいだ。そして焼き物だからこそ、この柔らかさはいい。


 気が付けば野菜ばかりを食べているが、はたと気付いて牛肉にも箸を延ばす滝沢。


 ――焼きすぎて固くしてしまうところだった。


 しかし牛肉も固さなど無縁で、蕩けるような食感だった。


「大正時代とは、全然、違うだろ」


 滝沢を横目で見ながら、ベクターフィールドが口の端を吊り上げていた。


「100年の進歩だぜ?」


「何、いってるの?」


 亜紀がバカにしたような顔をベクターフィールドへ向けるのだが、滝沢は箸を止めると、


「気付いていましたか」


「そりゃ、そういう奴なもんでな」


 契約を司る悪魔であるベクターフィールドだ。


「滝沢先生は、大正時代の人……?」


 亜紀も冊子が悪い方ではなかった。


「まぁ、そう思っていたらいい。当たらずとも遠からずだろうぜ」


「はい、そうです」


 ベクターフィールドの言葉を肯定するように滝沢は頷いた。


「ある男を追い、ここへ来ました。甘粕さんとベクターフィールド氏にお願いしたい事は、その男を捜す事。そして助力を頼む理由は、私の事を知らなかったからです」


「知らなかったから、私なんですか?」


 亜紀としては納得しやすい理由ではなかった。


「私や、その男、やなぎのようなこちらへ渡ってきた人間には、調整力というか、そういうものが働き、記憶の改変などが起こるらしいのです。助力を仰ぐならば、その影響下にない人物でなければならない、と」


「成る程。人を捜すなら、力になれるかも知れないです」


 亜紀の適性が高いといえるのだが、滝沢が選んだ理由は、それだけではなくなっている。


「甘粕さんだからです。二言三言、言葉を交わしたに過ぎないですが、それだけでも人の心根を見られる目を身につけているつもりですよ」


 聖都ホテルの支配人として、何千、何万と人を見てきた滝沢である。これだけは絶対的な自信となっていた。


「しかし記憶は兎も角として、持ち物は持ってきた分だけだよな? あんたと同じで」


 眉をしかめるベクターフィールドは、滝沢が術科特別訓練員からの心付けを財布に入れる瞬間を見逃していなかった。古い札と硬貨だった。


「どうにかしてお金を稼がないとダメですね……」


 一瞬、自分が追っている空き巣を思い浮かべる亜紀であったが、それに飛びつく事はない。


 ――空き巣なんて簡単な方法に飛びつくはずがない。


 空き巣を繰り返す程、短慮な人物であったならば、滝沢が追い掛ける程の者にはならない。


「手っ取り早く金になるものといえば……」


 滝沢も食べる手を止める。特務機関という性格上、黒桜の隊員は全員、総合的な能力を身につけなければならないし、滝沢は旅順にて諜報活動の経験もある。


 結論はすぐに出た。


 ――情報だろう。


 具体的に何の情報かは浮かばないが、徒手空拳で挑むならばそれだと確信した。


「何らかの情報でしょう」


 特定はできずとも、この場合は提案する事が重要だ。


「謝罪で済む程度の個人情報……」


 亜紀も無能ではなく、また調査となればベクターフィールドの情報網は方向性さえ指定してやれれば完璧だ。


「流出した個人情報を探っていくぜ」


 すき焼き鍋にうどんを入れながら、ベクターフィールドが時計を見遣った。


「夕飯時に、甘粕あまかすのアパートで落ち合うってんでいいだろ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る