第3話「窓の外には夢幻」
術者が消えれば出現させた霊も消えてくれたのだが、無傷で終えられた事を手放しで喜べる状況ではなかった。
「
引いてしまった窓を前に、死神博士は腕組みさせられた。
「
まずは装置を隔離する必要がある。それは黒桜の協力があれば難しい話ではない。
「しかし、これはどうしましょうか? 撤去するだけでは、ダメなのでしょう?」
夢子は光を放ち続けている窓を見ながら、死神博士が語った基礎定数という言葉を思い出していた。
こちら側から異界へ入ったという事は、こちらの世界では人ひとり分の元素が失われ、異界では元素が増えたという事になる。
「連れ戻す必要があります」
死神博士が腕組みして考え込んでいたのは、これについてだった。
「ただし、制限があります。まず人数は一人」
人差し指を立てる死神博士。
「しかも、こちらから持っていくものは最小限にする事」
それは基礎定数の乱れを最小限に留めるためだ。
「単独で水準以上の戦闘力と折衝力を持つ……」
司も唸った。
緊急事態なのだ。
まず夢子は論外だ。強力な術を行使できるが、女ひとりが異界に向かうのは荷が勝つ。
では司は?
――無理だろうな。
死神博士の見立てでは、司では折衝力が不足する。
「滝沢さん」
死神博士の声かけは、消去法ではない。聖剣ジェラールを持っていく事はできないが、滝沢には剣術という技術がある。剣術で身に付く、最も恐るべきものは剣を操る技術ではなく、その術理を操る身体だ。
そしてホテルの支配人として積んできた経験は、黒桜の中でもトップクラスの折衝力となっているはず。
「お任せ下さい」
二つ返事で決断できる事が、死神博士の期待している能力を備えている事の証明でもある。
ただし――、
「よろしいのですか? 場合によっては、
どうしてもいっておく必要があった。柳を拘束し、こちらへ連れ戻せればいいが、先程のように霊を呼び出して抵抗されれば、滝沢一人では手に負えない。
拘束するのではなく抹殺となれば、滝沢には強い懸念があった。
「矢野様は、柳と名前を口にしました。それは、忘れる事の出来ない相手という事でしょう?」
自分の名前すら思い出す必要のある死神博士が、柳の名前は
それは大切な相手という事だ。
「……可能性あれば連れ戻して欲しいですが、そうは行かない場合は……」
語尾がしぼんでしまうので曖昧な印象を受けてしまうのだが、死神博士は柳の抹殺も認めた。
「それであれば。勿論、連れ戻す事を第一義としますが」
滝沢は一礼した。
「ここを潜れば、同じ世界へ行けるはずです」
死神博士が窓を指差した。
「どのような世界なのでしょうか?」
司は光を放っている窓を見遣るが、その一人の向こうは
「覗いていると、ここに近しい世界のはずです」
殆ど同じ景色が見えた事を告げる死神博士であるが、「だから安心だ」とはいわない。
「ただし、柳がくぐった時とは条件が変わっていますから、全く同じ場所、同じ時とはいかないと思います」
見えた景色は同じく帝都であったが、柳が飛び込んだタイミングとはズレている。帝都と似た世界が、ここと同じく大正とは限らない。
「まぁ、覚悟は決まっていますよ」
滝沢は聖剣ジェラールとボーイナイフを鞘に収めて司に預け、窓の正面から相対した。準備らしい準備はない。荷物は極力、減らす事といわれたのだから、こちらから持って行けるものは精々、今、着ている服くらいだ。
「柳があちらへ渡った事で、既に変化が起きていると思われます。協力を求めるならば、その変化の影響が少ない相手を」
死神博士が一言、注意を挟んだ。
「影響とは?」
「考えられるのは記憶の改ざんです。あちら側では、柳も、滝沢さんも、それなりの身分になっていると思われます」
存在しない者がやって来た事に対する反作用だ、と死神博士はいう。
「つまり影響の少ない者とは、その改ざんが起きていない相手です。滝沢さんを知っている集団の中に、知らないという相手がいれば、その人が影響を受けていない、或いは影響の少ない人物です」
「わかりました」
滝沢は頷き、光の中へと身を躍らせた。
***
数々の強敵と対峙しても、一歩たりとも引かなかった滝沢であるが、未知の世界へ踏み出すには多少、心臓が早鐘を打った。光の向こうはトンネルか洞窟か、そんな事を想像していたのだが、それに反し、到着は一瞬で済んだが。
「!」
眼前に広がる景色に、滝沢は目を疑った。夜明け前の上野から入ったというのに、出て来た場所は上野ではなかった。
――違う時代?
そうとも思ったのは明らかに違う景色だが、例え未来でも不忍池が埋め立てられ、建物が建てられるとは考えられないからだ。
滝沢が立っているのは廊下。窓の外に見える景色は明らかに帝都ではない。
――太平洋ではないな。
海が見えるが、潮の流れが明らかに違っていた。
しかし海よりも驚かされるのが、窓枠だった。
――これは、スチールサッシではない。アルミか?
大正7年に初の国産サッシが作られているが、スチールサッシだった。アルミサッシが作られたのは戦前ではあるが、昭和に入ってから。故にアルミサッシは滝沢にしてみれば未知の存在だ。
それだけでも、ここが未来である事がわかった。周囲は知らないもので溢れている。壁はモルタルではなく鉄筋コンクリート。これも建材として一般的に用いられるものではなかった。
そして何よりも壁掛け時計が違う。滝沢の常識では、時計とはゼンマイや振り子など機械的に動くものであるから、一瞬たりとも静止しない。それがカッチカッチと電池とクォーツの組み合わせによって秒針を動かす時計というのは奇異に映る。
「未来……か」
どれ程の場所に来てしまったのか、想像を絶した。
そんな中だった。
「あの……すみません」
背後からかけられた声があったのだ。
振り向くと、剣道の防具と竹刀袋を持った女が立っていた。
「失礼ですが、部外者は立入禁止です。見学者の方でしたら、事務室で許可を取って下さい」
「ああ、これはすみません」
頭を下げた滝沢から、女が首にかけている名札が見えた。
防犯課少年班・
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