第49話 空を覆う者
オレを眠りからブチ起こしたのは振動だった。地震とは違う。それは何か、足踏みでも思い出させるかのようなリズムがあった。
「何事だ……?」
眠気の残る目蓋をこすって見たものは雲の少ない青空、山々の織り成す稜線。そして、尺度を間違えたような巨体を誇る大男だ。長い黒髪を乱し、凶相に歪む顔は在る物全てを憎むように見える。筋肉で膨れ上がった肉体も、どう拵(こしら)えたかは知らんが金属鎧に包まれていた。
「何なんだよコイツは!?」
その時、オレの問いに応じるようにポンッと音が鳴る。
「お答え致します。あれは封じられし伝説の魔獣『空を覆う者』と呼ばれる存在です」
「規格外にも程があるぞ。どうしてそんな化物が」
「元来、ヴァーリアス領主が秘して守りぬたものですが、未明に解き放たれたようです。推察するに、昨日のゴミカスクソッタレ野郎が、タキシンペイ様を害しようと目論んだかと」
「害しようとか言うけどさ」
化物が夢中になって荒らすのはヴァーリアスの街だった。マンションには見向きもせず、足元ばかりに眼を向けている。まるで封印されていた恨みを晴らすかのように。
「……シンペイ様」
気づけば、両隣でクロエとシャーリィが寄り添って来た。2人とも怯えているのが分かるほど、激しく身体を震わせている。
「安心しろ。オレが倒してきてやるから」
「えっ! あの怪物をですか?」
「放っておけないだろ。それに、いずれこっちも標的になるだろうし」
「危険です、敵うはずありません。逃げましょうよ!」
「大丈夫だって。もしも歯が立たない時は、皆揃って遠くまで逃げよう」
微笑みかけてはみたものの、2人の顔は晴れない。だったら一刻も早く排除するまでだ。
「全村民に告ぐ。皆バラけないように集まっていてくれ。必要になれば一斉に逃げるから、そのつもりで!」
腕輪越しに連絡を出した。全員に伝わるのも時間の問題だろう。
「それじゃあ行ってくるよ。2人もアダモンさんの所で待っていてくれ」
「どうか……どうかご無事で!」
「ありがとう」
背中にか細い声援を受け、青空に向かって飛び立った。しかしよそ見をする暇は短く、すぐに戦闘領域まで達してしまう。
こうして改めて見ると敵の大きさがよく分かった。先日クロエが呼び出したものと大差ないかもしれない。
「者共、怯むな! 倒す必要はない、人々が逃げる時間を稼ぐのだ!」
足元には騎士団が布陣し、無謀にも巨人と相対していた。だがその数はあまりにも少ない。せいぜいが50人といった所か。
「槍かまえ! 狙うは右足だ、浴びせよ!」
ヤハンナの号令が響くなり、手投げ槍が一斉に投げつけられた。剥き出しの巨人のスネに細かな傷が刻まれていく。だがダメージは軽い。単に怒りを買っただけのようで、大きな足の裏が影を作って、騎士団をひと飲みにしようとした。
ヤハンナ達も今や敵だ。オレに助ける義理はない。だが、身体の反応は少しばかり頭と違う動きをみせた。
「アンヨが上手、オラァ!」
渾身の力でくるぶしを殴りつけた。バランスを崩した巨人はたたらを踏み、足をかかえてうずくまった。
「シンペイ殿……」
「ヤハンナ。こりゃ一体どういうことだ!」
「閣下だ。シンペイ殿の塔を攻略するために、あろうことか古の魔獣を呼び覚ましてしまったのだ」
「オレにぶつける為か。結果は随分と違ったみたいだな」
「私は懸命に止めたさ、これは制御できる存在ではないと。だがお聞き届けいただけなかった」
辺りはかつての面影もないくらいに破壊されている。強大な城壁も、なだらかに広がる街並みも、前の公爵さんが愛した城や庭までもが。
まぁ、ウン十万ディナの岩を壊してくれたのは、正直助かる。これで請求に怯える必要はなくなった。
「んで、その戦犯はどこに居るんだ」
「封印を解いた後、そのあまりの強さに恐れを為した。今頃はキャピタルランドまで落ち延びたろう」
「最悪だな。真性のクズかよ」
ヤハンナは暗い顔をうつむけ、拳を握りしめた。オレも、言わずもがなの言葉を投げつけた感覚はある。
「さぁて。臆病者はほっておいて、コイツをぶっ倒すぞ」
「無茶を言うな。何の対策も無しに戦えるハズがない!」
「無茶かどうかはやってから確かめる!」
右手に剣。これまで幾度となく頼ってきた相棒は、いつもより手に馴染む気がした。今日も頼んだぞ。存分に魔力を込め、巨人の胸元を目指して飛び上がった。
「食らえやオラ!」
金属鎧を両断しようとしたが見事に弾かれた。傷ひとつ付いておらず、少しだけ自尊心が揺らぐ。
「だったらつなぎ目いくぞ!」
巨人だけあって鎧の隙間も大きい。チラ見えする肌を目掛けて一閃。おびただしい鮮血が飛び、辺りを濡らした。ついで咆哮が響く。どうやら効いているらしい。
「ヤハンナ。いけそうだぞ」
悶える巨人から離れ、1度地上に戻った。だがヤハンナは首を横に振った。
「威力が足りない。あれではすぐに回復されてしまうだろう」
「何……!?」
オレが刻みつけた胸の傷は、いつの間にか黒い霧に覆われていた。それが消えゆくと、全てが元通りだ。今となっては痕跡すら残されていない。
「空を覆う者は、自身の魔力で自動回復が出来る。浅傷程度ではどうにもならん」
確かにヤハンナ達がつけたスネの傷も、いつの間にか塞がっていた。
「タチ悪いな。打開策はないのか?」
「無い。魔力が尽きるのを待つか、あるいは回復力を遥かに上回るダメージを与えるかの2択だ」
「どっちも簡単じゃねぇよな、クソッ」
話しているうち、巨人は態勢を戻した。そして足踏みで怒りを露わにする。ヤツにとって単なる威嚇でも、オレ達にしたら十分な攻撃として成り立つものだ。
「建物が崩れる! 離れろ!」
振動でいくつもの家屋が倒壊した。そうして聞こえて来たのは、人々の泣き叫ぶ声だ。人的被害が起きてしまったか。
「ヤハンナ。とにかくコイツはオレに任せろ。お前らは逃げ遅れた人たちの救出に当たるんだ」
「正気なのか。いくら貴殿でも殺されてしまうぞ」
「こんな化物相手に、1人も100人も一緒だ。良いから行け!」
「確かに正論だ……すまぬ」
ヤハンナの号令により、騎士団員は細かく分かれて四方に散った。怯えたようでないのは、もしかすると精鋭部隊なのかもしれない。ひとまずは任せても良さそうだ。
「そんじゃあオレもやりますか。言った手前、少しは善戦しないとな!」
フワリングで天高く舞い、もう一度巨人の身体を確かめた。前面は鎧で堅く守られているが、背面は手薄だ。ほぼ剥き出しの裸ん坊に近く、防御力は皆無と言って良さそうだ。
「ここだ、死にさらせオラァ!」
渾身の魔力を込めて炎の弾丸を打ち出した。無数に走る軌跡はショットガンに似ている。魔法は命中し、巨大な背中や首筋の肉をえぐった。だが、それもすぐに霧によって塞がれていく。
「こうなったら根比べだ。斬って斬って斬りまくってやる!」
飛翔。まとわりつく様に飛び、都度斬りつけていく。巨人はハエでも叩くように両手を振り回した。当たらない。当たってはいけない予感が強い。
斬る。ひたすらに斬る。そうして分かったのは、黒い霧も無限ではないということ。同時に治せるのはせいぜい3ヶ所で、残りは順番待ちになるらしい。ようやく糸口を探り当てた思いだ。
「よし、じゃあアチコチ斬りつけたら……!?」
更なる攻勢に出ようとした瞬間、巨人はオレに向かって大口を開いた。マズイ、と思った瞬間には手遅れだ。開け放たれたノドの奥からは、凄まじい程の炎が吐き出されたのだ。
「うわぁ! アイスがバーンッ!」
咄嗟に出した氷の板が命を救ってくれた。行く手を阻まれた炎は脇に逸れ、周囲のガレキに命中。それは石や鉄の区別無く、一瞬の内に蒸発させてしまった。
「……食らったら無事じゃ済まねぇな」
強烈なまでに肝が冷えた。今になってようやく気づく、コイツは格上の敵であると。油断した瞬間に殺されてしまうかもしれない。そう思った瞬間、足が凍りついたように固くなった。
「や、やべぇ! こんな所で!」
恐怖に縛られた足が言うことをきかない。叩く、何度も叩く。それでもだめだ。逃げられない。焦る心をあざ笑うかのように、両脚は1ミリも動きを見せなかった。
「誰か、助け……」
全身に大きな揺れを覚える。巨人の足踏みだ。このままじゃ潰される。いやだ、死にたくない。まだ死ねない。腹の底から戦慄したが、何やら様子がおかしい。振動はあるのに、眼の前の敵は位置を変えていないのだ。
「シンペイ様ぁーー。ご無事ですかぁーー?」
「クロエ!?」
背後の空には似たような巨体があった。その肩の上でクロエが手を振っている。
「来るんじゃない! 早く逃げろ!」
「私だって戦えます、シンペイ様だけを危険に晒したくはありません!」
土塊の精霊が、空を覆う者目掛けて殴りかかった。それは寸でのところで防がれ、真正面から押し合う形になる。力は互角か。状況は早くも膠着し始めた。
「精霊さん、頑張ってください!」
クロエの声に応えたのか、精霊が押した。仰け反る敵。そのまま行けるか、と思われたのだが、期待はアッサリと裏切られた。
「グォオオーーッ!」
再び吐き出された炎が精霊の腹に直撃。その瞬間に身体は溶かされ、真っ二つに両断されてしまった。
「キャァアーー!」
「クロエ、今行くぞ!」
落下するクロエを空中で抱きかかえた。怪我は無さそうだ。だが安心するゆとりまでは与えられず、今度はオレ達を目掛けて炎が吐き出された。
「ちくしょう、アイスがバーン!」
またもや氷で炎を防ぐ。だが今度の攻撃は長い。突破されぬように氷の板に延々と魔力を投じ続けた。力がどんどん削れていく。急激な消耗から脳の血管が弾け飛びそうになりながらも、ひたすらに魔力を放り出した。
やがて炎が止む。力尽きたのか。しかし、それはオレも変わらない。もはやフワリングを維持する事も出来ず、地面に強く叩きつけられた。
「グハッ。いてぇ……」
「シンペイ様、大丈夫ですか!」
「なんとか。クロエは?」
「私は平気です、でも、シンペイ様は……」
オレも怪我は軽い。手足にアザができたくらいだ。それよりも問題なのは魔力損耗だ。早くも限界間近を迎えてしまい、視界は揺さぶられ、激しい頭痛までもが襲ってきた。
「仕方ない。オレが時間を稼ぐ。だからクロエは早く逃げるんだ」
「そんな……。嫌です、貴方を置いてだなんて!」
「このままじゃ2人とも殺されちまう。せめて君だけでも」
「そんな事出来ません! シンペイ様とは、これからもずっと、ずっと一緒に生きていたいんです!」
巨人が足を大きく持ち上げた。踏みつけによる攻撃、それはクロエを抱えて転がる事でどうにか避けた。
「クソッ。せめて魔力さえ戻れば……!」
その時、脳裏に閃くものがあった。魔力とは感情に比例して強まるものだと。そして過去には、クロエの助けを借りて乗り越えた窮地もあった事を。
だとしたら、この絶望的状況も覆せるかもしれない。
「クロエ。君の助けが必要だ。頼めるか?」
「はい! 私に出来ることなら何でも!」
じゃあオッパイ揉ませて、は違うな。ケツに顔を……も怒られるか。何かちょうど良いスキンシップは無いもんか。オレの琴線に触れるもので、なおかつ、冗談の範疇で収まりそうなものは。
熟考している暇はない。これで良いやと意を決した。
「君の脇を嗅ぎたい」
「……はい?」
「急いでくれ、次の攻撃には耐えられそうにないんだ」
「あの、その、それと脇がどう関係あるんです?」
「魔力の補充に必要なんだ、早く!」
「でも私、汗かいてるからだいぶ臭い……」
「なおさら好都合だーー!」
「えぇーーッ!」
やや強引に嗅がせてもらった。クロエの小さな脇から漂う薫り。濃厚なものが鼻を瞬時に伝い、脳にしびれる程の電流を加えた。そして肺一杯にまで息を吸い込むと、全身には凄まじい幸福感がおとずれた。
「来た、来た来たぁ! 力が溢れるぜぇーー!」
ふと見上げると、巨人は飽きもせず炎を吐き出した。
オレが放ったのはファイアビット。これまでとは比較にならない火力は、いとも容易く敵の炎を蹴散らし、相手の顔を激しく焼いた。激しく悶える巨人。もはや勝負は決したも同然だった。
「まだまだ。死ねやオラァ!」
この時放った炎の弾丸も桁違い。膨大過ぎる火勢は巨人を包み込むほどになり、やがて全てを消し炭にしてしまった。
「やったぞクロエ、オレ達の勝利だ!」
「ヤリマシタネ」
「まさか伝説級の化物を倒しちまうなんてな、皆きっと驚くぞ!」
「ソウデスネ」
オレは生還した喜びを分かち合った。妙に反応の悪いクロエの肩を抱きながら。
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