第44話 夜半の熱気

 まさかこのオレが、こんな状況に見舞われるだなんて。28年もの長きに渡り、女から全く相手にされなかった自分が。信じられない。何度考えても、不思議なほどに現実感は薄かった。


 2人で横たわる寝床はマットレスと毛布だけがある、割とみすぼらしい。サイズはシングル。だからこうしてクロエと並ぶと、自然に肌が触れ合ってしまう。


(なんかノド渇いてきた……)


 緊張が口の中を砂漠化させた。頬やノドの組織がひっつくような不快感がある。でも今更キッチンになんか行けない。そもそも、気軽に身動きできる状態じゃなかった。


(とりあえず、手を握ってみよう)


 まさぐる指先が手の甲を見つけた。ビクンとクロエが跳ね上がったけども、すぐにお互いの手は握られた。掌の汗。クロエも緊張してるんだと思えば、僅かに気持ちが楽になった。


(やるぞ。今日という日を決して逃すな)


 固い決意を一層に強める。そう、今宵オレは清らかさを捨てる。だがそれは形を変えて、より尊い感覚に昇華するのだ。


 だから人生で最高に輝くひとときであるべきだ。幸いにもムードは素晴らしい。星明りと、暖色に光る常夜灯が絶妙に作用している。外の静けさもしかり。オレが何度もイメージした『初めて』の場面に酷似していると言って良かった。


 だったら後は実行に移すだけだ。右手(よくぼう)の先には確かな力が注ぎ込まれていく。


(……まてよ。どうやったら良いんだ?)


 ふと湧いた疑問は致命的なものだった。


(知らない! こっからどうすんのか知らないぞ!)


 まさか、まさかのイージーミス。


 オレはエロい人じゃないけどエロ知識は豊富だ。これまでに散々アニメだ本だ動画だと、そういったシーンを目の当たりにしてきた。だが、肝心の部分はいつだってモザイクの向こう側だ。


 実戦も作法も知らないオレに、果たしてどこまで実行出来ると言うのか。


(せめてネットさえ使えたら……!)


 悔やんでも遅い。頼るべきネットは切断されているし、仮に使えたとしても、このタイミングでは調べられない。クロエを横に解説サイトでも眺めるつもりか、アホかよ。


(そうだよ阿呆だよ。クソッ!)


 どうしようどうしよう、マジでどうしよう。アドミーナに聞くか、いやそんな事出来ない絶対変な流れにもってかれる。せっかくここまで来たのにホントどうしたらいいんだ!


「……シンペイ様」


 クロエが、微かな声とともにオレの顔を見た。彼女の頬は赤く、瞳は暖かだった。それを見てようやく理解する。きっと下手でも許してくれる。手際が悪かろうと、真心さえあれば彼女は受け入れてくれるハズだ。


 そう思えば、胸に違う色の炎が灯る。おもむろに伸ばした腕が、クロエの首の裏を通り、やがて肩を抱く。そして互いの身を寄せた。


「あっ……」


 僅かばかりに響く声。頬を掠めていく荒い吐息。この一瞬は永遠だ。色褪せない記憶として刻みつけられる、人生のハイライトだ。


 そんな風に思っていたのだが。


「ズルぅい。ズルいですよぉ……」


「ヒィィッ!?」


 クロエが窓の方を見上げては凍りついた。やって来たのはいつものシャーリィ。ガラスの向こうには歪んだ笑みがクッキリと浮かび上がっていた。


「落ち着くんだクロエ。鍵は閉まってるから」


 だが、そのセリフは何の意味もなさなかった。シャーリィは手にしたナイフを輝かせたかと思えば、しなやかに刀身を伸ばし、ツタのように動かした。それは通気口を通り、這い寄りながら窓枠を目指す。そして解錠。


 一連の動作は極なめらかに行われた。


「何だその使い方!?」


「ウケーッケッケ! シャーリィも混ぜてですよぉぉ」


「うわぁ! 入ってくるな!」


 乗り込んできたシャーリィは、寝室の壁や天井を縦横無尽に駆け抜けた。重力を知らないその動きは、もはや新手の妖怪としか思えない。それはともかく、こっちも援軍を呼ばなくては。


「フレッド、シャーリィだ。シャーリィが出たぞ!」


 応答が妙に鈍い。もう寝てしまってたんだろうか。


「ごめんよシンペイさん。やられたよ」


「やられたって何を?」


「油断してるうちに縛られちゃったんだ。抜け出すのに時間がかかりそうだよ」


「クソッ。なんてこった!」


 仕方ない、1人でシャーリィを捕まえよう。


「クロエ、君は隣の部屋に逃げて」


「は、はい。わかりました!」


「さぁシャーリィ。お家に帰るんだ。良い子は寝る時間だぞ」


「ウキャーッキャッキャ! 今夜は寝かさないですよぉ!」


「どこで覚えてくるんだ、そんなセリフ!」


 こうして夜中の追いかけっこが開始された。相手は子供、だが腕輪の所有者。1人では捕まえきる事が出来ず、壁を伝って屋上やら中庭と、ひっきりなしに場所を変えての捕獲戦となった。


 そんな騒ぎは初日だけで済まなかった。次の日も、またその次の日もシャーリィは現れ、オレ達の夜を邪魔した。だがクロエと寝室を分けた時は静かだったので、必然的に夜の活動は見送りとなった。


「おかえりなさい、オレの清らかすぎる身体……」


 非常に残念な結末を迎えてしまったが、クロエはちょっと安心したように見える。やっぱり、身体の関係を持つには、少しばかり気が早かったのかも知れない。そんな事を、冬空を見上げつつ何となく思った。


 今にも雪が降りそうな雲を見据えながら。

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